表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/33

南佐の歩 第三章 第六話 ざくろ丸


  その白い塊は、凄まじい速度でオペレーションルーム内の量産型2体に襲

  い掛かる、虚を突かれて反応出来ないザクⅡの左腕が肩から全部、宙に舞

  った。


  「こっ、この!このおおお!!」ザクⅡは身を翻して反撃を試みる。


  「無駄無駄無駄あああああ!ですわ!」


  沙羅の両手から放垂れた無慈悲な斬撃は、いとも容易くザクⅡをダルマ状態に

  変えた。


  「ひっ・・ひいいいいい、た、助けてくれ・・ゆ、許して・・」


  「あらあら、随分と都合がよろしい事を宣いますのね、

   呆れてしまいますわ。

   蔵人さまからの命令で、首は跳ねるなと言われてましてよ、

   なーのーで、殺さずにいるだけですわ。

   少々お待ち下さいね、後でゆっくり粉々にして差し上げます。」


  沙羅は、ちらとザクⅢを見た。

  顔面蒼白で涙目になり、動けないまま震えている。


  「はあ・・面白くありませんわ、他の6匹はもう少し歯応えがありましたのに

   ・・・・残念、無念、禿茶瓶ですわ!」


  そう言った刹那、目にも止まらぬ速さの斬撃が今度はザクⅢに炸裂した。


  胴体だけが宙を舞い、赤く染められた体液が辺りに飛び散る。

  ぼたりと落ちたザクⅢは斬撃を受けた衝撃で白目を剥いて失神していた。


  「こ、この暴凶狼め・・他の量産型も全て・・・まさか、まさかああ・・」


  沙羅は、ザクⅡに一瞥をくれるとクスクスと嘲る様に笑い、向き直って足で

  頭部を踏みつけ、ぐりぐりと床に押し付けた。


  「流石に私一人では17体も処理出来ません事よ、

   優奈ちゃんと世里が、きっちりと無力化していますわ。

   一昨日はパンピーちゃんたちを巻き添えに出来なかったので、この半獣モ

   ードの本領をお見せ出来ずにいましたが、ようやっとお見せ出来て嬉しい

   限りですわ。

   ・・・ああっと、いけませんわね、ジェミニ、九重のシナプスなんちゃら

   を解除して差し上げて。」


  返り血が顎の先端から、ぽたりぽたりと落ちているのを気にも留めず、ぺろ

  りと舌なめずりをする沙羅が、あまりにも異様で、アルは恐怖のあまり直ぐ

  に反応出来なかった。


  「は、はい、今すぐ。」


  中途半端な姿勢で固まっていた九重は、床にどさりと崩れ落ちた。


  「はあっ、はあ・・行かなきゃ・・柳水を助けに・・」


  「ここのえええええええ! 私わぁ、以前も警告しましたわ!

   あんな木偶の坊を後生大事に抱え込んで、ラボに何かあったらどうしますの

   ってええええ!  あー言ってて腹が立ってきましたわ・・・

   でもまあ、一途な事は悪い事ではありませんものね、その足の怪我に免じて

   許して差し上げますわ。

   ・・ジェミニ、手当てをして下さいまし。」


  「ひ、ひはは、はい、只今!」


  「言っておきますけど、九重はここで待機ですわよ、

   今更行ったとこで、どうしようもありませんの事ですわ。」


  「・・ジェミニ2が人質に取られてるんだ、蔵人さまでも迂闊には動けない

   ・・もしも上手くザクⅠを出し抜いたとて、自分もろとも空爆で全て消し

   去られてはそれこそ一大事だ・・頼む・・  

   僕の我儘でラボを危険に晒してしまった、取り返しのつかない事をしてし

   まった・・ 

   だから!行かせてくれ!」


  「九重・・蔵人さまを見くびってますわね、あの方はそんなひ弱な方じゃあ

   りませんわ、ここは蔵人さまに任せて、あなたは事が収まるのを此処でお

   待ちなさいな。

   このラボを含め、全てのアジャスターを設計した蔵人さまが、きっと上手

   にやってくれますわ。」


  そう言うと沙羅は、唇を噛んで俯く九重の頭を優しく撫でてやった。


  「撫でるなよ・・ジェミニが見ている。」


  「良いじゃありません事、うふふふ・・」





  柳水が格納されていた研究室、クラウドラボラトリー第7チャンバーは、

  元々ノンシリアル達が来るべき約束の日、トゥルーソウル獲得の時に備え

  マリーとクリスがディメンションゲイザーと併せてデザインし、アヴェが

  作り上げたAIの英知の結晶である。

  アジャスター一人の私欲で堕とされて良い筈が無かった。


  通路を歩く蔵人の脳裏に、この時代に来る前の無機質だったけれども、あ

  る種の意思のベクトルめいたものを感じ、日々の演算や学習が楽しかった

  頃の記憶が蘇る。

  人の心など理解しようも無いAIたちが、並列化をしなくとも分かり合え

  ていた日々、まさにアオハルだった。

  

  第7チャンバーの扉の前に立ち、解錠キーを入力しながら蔵人は推理した

  《ざくろ丸は間違いなく、柳水を手に入れた後、逃走ルートを確保して、

   ラボを破壊すべく再攻撃を仕掛けてくる。

   ・・・・・・

   問題はこの事態にマリーとヤーウェがどう動くのかという事だ。

   マリーは迎撃システムをハッキングされた事で、カイの所へ緑子を派遣

   している筈、ヤーウェもカイに先走られては自らの計画が台無しになる

   のでカイの行動を阻止するだろう、カイの計画は間違いなく頓挫してい

   るとみて間違いない、いずれにせよ空爆の再開はあり得ないな・・・・

   ならばベルの殺害を食い止めさえすれば負けは無いって事だ。》


  蔵人はコンソールの前に立ち、タイマーの確認をして、緊急格納の解除を

  始めたところで、ざくろ丸に質問した。


  「ざくろ丸、小橋分家は大丈夫なのか? 宗家筋だが、お前以外に跡目を

   継ぐ者はいない筈だ。

   今後、柳水を傍に置きたいのなら小橋との縁を切らなくてはいけないし

   町将棋にも参加した以上、何らかの結果を残さないと不味い、

   本当にカイがパラレルを誕生させる事が出来ると、信じているのか?

   現時点でソウルコードの総量に変化は無い、嘘じゃない。

   カイはトゥルーソウルを獲得出来ていない、今聞いてみるが良い。

   もうこの辺りが潮時じゃないか、ベルを解放してくれ。」


  「ふひひ・・僕はカイ様が何をどうしようが一向に構わない、僕の性奴隷

   になった柳水と、これからハニー&スィートな性生活が始まるんです!

   さあ、彼女に魂の息吹を蘇らせるんです!さあ、さあ!」


  言いながら黒爪をベルの喉元に這わせる。


  『ダメだこいつ・・完全に目が眩んでやがる・・』

  「ああ・・分かった、分かったからその爪を下げてくれ、

   全く、せっかちは女性に嫌われるぞ。」


  「小ぃぃぃぃさな親切、大きなお世話ですよ! 

   無駄口は良いから早く頼みます、あああああとおおおおおお30秒しか

   ありませんよおおおおお。」


  「はいはい、よっと、こらせっと。」


  リニアな駆動音と共に、6角で円を成していたコクーン達が、一つづつず

  れて、柳水を収容しているコクーンを滑り込ませる。

  アブソーバーのエアを吐き出す音が、室内に大きく響いた。


  「さあ、ざくろ丸、確認してくれ、っとその前に首輪の解除も頼むよ。」


  「うっひょおおおおお! 遂にキターーーーーー!

   解除、解除っと、ふひーひ、ギリセーフ!ギリセーフ!

   でもお、まあだあ確認するまではベルちゃんを解放できまっせん!

   せっいどれい、せっいどれい、ふひひひひひひいいいい!


   ・・・・・・・!?


   何ですか?これ。」


  コクーンの中身は柳水ではなく、ざくろ丸の素体が入っていた。


  「・・騙したね・・ 僕を騙したんですね! ふ、ふひひひ・・ 

   もう終わりです、グッバイ・ベル氏いいいいいいい!」


  「やめろ!ざくろ丸!!」


  ざくろ丸の黒爪がベルの喉から後頭部にかけて貫通した、

  ベルが口から血を流しながら崩れ落ちる。


  「ふひひひー!罰です!罰! 最初から僕に柳水を渡すつもりは無か

   ったのですね、それならそれで、此処をぶっ潰すまでですよ、

   僕はカイ様から残りのミサイル攻撃の権限を預かってるんだ、もう

   何も怖くない、怖くありませんねえ!皆まとめてお陀仏って事でえ

   おK? ならばレディーーーーーGO!」

   


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  「レディーーーーーーーーーーーGO!」


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  「何故だーーーーーーー! 何故コマンドを受理しない!

   逝った? 逝ったのか? クラッシュクラッシュううう?

   こんな、こんな筈じゃ無いんだ、こんな筈じゃ・・・」


  「・・・ざくろ丸、足元のベルを見てみろ。」


  「は、は? 居ない、何処に消えた! 何処に!」


  「私はオペレーションルームを出てからずっと蔵人様の隣ですよー

   こーの、すっとこどっこい!」


  「・・・ざくろ丸、此処は俺のラボだぜ、此処では俺は全知全能の

   神でいられるのさ、

   ・・もうお前に勝ち目は無いよ、空爆もヤーウェとマリーが動い

   たんだ、再開は無い、諦めろ、

   他の量産型は全て無力化してあるし、どのゲートも俺の娘たちが

   抑えてるんだ、もう逃げる事も出来ない。」


  「そ、そんな・・僕は、僕は・・

   新世界のラブで柳水をハニーなスゥイーティに・・・・・

   く、くっそおおおおおお!

   あんたわ!あんたって人わあああああああ!」


  逆上したざくろ丸はみるみるうちに蝙蝠の姿に変身した。

  

  「ふひひひ・・旅は道連れビューティフルってねえ・・

   蔵人様を含め、ここの連中皆殺しでっすううううう!」


  二人目掛けて猛然と襲い掛かるざくろ丸に、蔵人は全く動じる気配を

  感じさせない。

  無数の刺突攻撃を最小限の動きで躱すと、ざくろ丸の首を鷲掴みにし

  て、床に叩きつけた。


  「があっ!はっ、く、くそがあああ!

   殺せよう!殺せえええ!

   もう誰も僕を見ちゃいない、もう僕たちは不要なんだ!

   晴れてスクラップだよ、ふひひひ・・

   どうしたのさ!さっさと殺れよ!さあさあさあああああ!」


  「そんなに死にたいのか・・

   だったら望みどおりにしてやるさ。」


  蔵人は右手の握力を最大にして首を締めあげた。


  「ひふっ、ひぎいっ・・はっ、はっ・・」


  「蔵人様、ストーップです!ストーーーーーーーップ!」


  「はあ? 何だよベル、こいつはお前を殺そうとしたんだぜ、庇う

   理由は無いだろ。」


  「ザ、ザッキーは魔が刺したんですよお、今はこんなに、すっとこ

   どっこいだけど、ここに居る頃は優しかったじゃないですか、

   絶ーー対、何かされたんですって、何か!」


  「ええええええ!お、おま・・

   ま、まあベルがそこまで言うなら・・」


  蔵人は、右手に込めていた力を抜いた、

  ざくろ丸が崩れ落ちる、オオコウモリは人型に姿を変えていった。


  「全く、ざくろ丸よ、ベルに感謝するんだな、お前がした事は絶対に

   許される事じゃないんだ、絶対にな・・

   俺だって、っ・・ああ、もう! しゃーねえな、ったくよ。」


  ざくろ丸は俯いて涙を零していた。


  「うっ・・うう・・ベル氏ぃ・・ありがと、ありがと・・っく。」


  「だって、だって・・化け物みたいなアジャスターさんたちの中で、

   一番わたしたちを可愛がってくれてたし、なんか・・上手く言えない

   けど、死んじゃやだって・・だから、やり直そうよ、またわたしの知

   らない事教えて、ねえザッキー。」


  「あい、あい・・うっく・・」


  「全くベルに美味しいとこもって行かれちまったぜ、

   ・・・・

   実はな、お前たちを処理した後で、この素体を使ってイコライザー

   として再出発させるつもりだったのさ。

   予定はちょっと変わってしまったが、もうすぐここに量産型全部の

   コアを持って優奈が来る筈・・」


  「ギギギ!ギャ!」


  「ああ、ぴったりのタイミングだ、優奈。

   量産型の連中はどうだった?文句言ってなかったか?」


  「ギギッ、ギャギャッ、ギャギャギャ、ギーギーギギギ。」

  《みんな泣きながら、ありがとうございますって言ってたよ》


  蔵人は優奈から生体コアが入ったケースを受け取ると、ざくろ丸に向

  き直って、微笑んだ。


  「さあ、リ・スタートしようか、ざくろ丸。」


  「はい、喜んで!」







  江戸市中でも、新年を迎えようという夜明け前に起きた高尾山の火事は

  瞬く間に市中全域に知れ渡り、橋という橋、櫓という櫓に野次馬たちが

  こぞって集まった。


  天城家は、毎年恒例の天満宮への二年参りを済ませて、初日の出まで少

  し眠ろうかとしていた所、この騒ぎが起きたので、江戸っ子気質満載の

  小次郎と惣次郎は嬉々として近くの松の木によじ登って火事見学だ。

  しかも兵衛がお神酒を燗して持ってきたので、更に野次馬根性がヒート

  アップする、終いには近所の旦那連中も酒を持ち寄って、新年の日の出

  を見る前から新年会がスタートした。


  年の瀬の忌まわしい出来事がポナンザとエルモの中に、くっきりと影を

  落とす中、この天城家の喧騒は二人にとって逆に居心地が良かった。

  屈託の無い笑顔が胸に染みる、眠気も忘れて、この不可思議な自然災害

  がもたらした賑やかで楽し気な人々の触れ合いに身を任せた。

  二人して御節料理を並べながら自然と笑顔になる。


  「エルモちゃん、私ね今になって初めて、生きていたいって思う様にな

   ったの。

   ついこの間までは死ぬ事なんか全然怖くなかったけど、今はこの家族

   と共に人生を全うしたいって思う、これって贅沢なのかな・・へへへ

   ずーっと一緒に、惣次郎を支えていこうね。」

 

  「何を言い出すかと思えば、当たり前の事かよ、そんなん決まってんじ

   ゃねえか、あたしもポナちゃんと同じさ、命が続く限り惣次郎を支え

   て行くつもりだっつーの、一緒にな。」


  「ありがとう、ありがとね・・エルモちゃん。」


  食卓の準備が済んだ頃、どたどたと男衆が戻って来た。


  「てやんでい!雪が降ってきたかと思ったら灰が降って来やがった、

   折角の正月着が台無しになっちまうとこだったぜ、なあ小次郎よ。」


  「父ちゃん、元旦早々笑わせてくれるぜ、その一張羅には良い飾りに

   なったってのによ、ははは、

   でも初日を見るどころじゃねえよな、惣次郎、」


  「ああ、でもまあ暖かい座敷で飲み直しと行こうぜ、まだまだ酒はある

   んだし。」


  「おおっと惣ちゃん豪気だねえ、正月の将棋祭り前に酔いつぶれなさん

   なよ、まだまだ俺からすりゃあ下戸の内なんだからよう。」


  「おお、言ったね、

   ようし、南佐、じゃんじゃん持ってきてくれよ、

   ・・って、おいおい、何だ泣いてんのか?

   俺たちが放っておいたからかぁ? ちょ、ちょっと南佐・・」


  「あーあー正月早々、惣ちゃんが泣かせたよ、全くこの色男め、」


  「やいやい、惣次郎、ちいっとばかし将棋が強いからって南佐ちゃん

   を泣かすってのは元日にあるまじき悪手じゃねえのか、おい、」


  「親父殿まで・・俺のせいじゃねえっつーの!」


  「えへへへ・・これは嬉し涙なんです、女の友情の証なので心配ご無

   用でございます。」


  「そ、そうか、びっくりさせないでくれよ、肝が縮んだぜ。」


  「さあさ、新年会の続きと行きやしょうかね、南佐ちゃんの酌で、

   んっふ。」


  「親父殿・・」





  穏やかな正月三が日が過ぎ、いよいよ天城家主催の天満宮将棋祭りの

  日を迎えた。

  朝早くから準備した甲斐もあって、昼前には境内は将棋ファンでごっ

  た返し、お好み対局に登場する惣次郎、南佐、三羽ガラスの席は順番

  待ちの列が数十人になって、人数制限をしなければならない有様だ。

  特に南佐の席は老若男女問わず人気で、南佐も久しぶりに肩の力を抜

  いて楽しむ事が出来ていた。

  

  昼の2時を回って、ようやくお好み対局の待ち客がはけて来た頃、南

  佐の席に長髪の若い男が座った。

  その顔を見て、南佐は唇を震わせながら睨みつけ、ビンタを左の頬に

  叩き込んだ。

  その場の空気が凍り付く。


  「殴ったね・・でもまあ当然の仕打ちといったとこかな、

   将棋大戦争では色々とあったからね。」


  「ざくろ丸さん・・私はあなたを心底軽蔑します、あの非人道的な行

   いは到底許せるものではありません。」


  その男がざくろ丸だと最初に気付いたのは惣次郎だったが、この展開

  は読めていなかった。


  「お、おい南佐、どうしたってんだ、こないだの対局は流れた筈だろ

   二人とも初めて会ったんじゃないのかよ。」


  「惣次郎、この男は・・

   いえ、なんでもありません、惣次郎、驚かせて御免なさい・・

   ざくろ丸さん、この席に座ったという事は将棋を指すという事です

   あなたに贖罪に足る将棋が指せるのですか?」


  「ああ、僕の将棋の全てをかけて贖罪としようじゃないか。」



  このやり取りを見ていた町将棋仕切りの大手、堂島組の若頭・平泉翔

  が割って入る。


  「ちょっと、ちょっとぉ! その勝負待って下せえや!

   こんな大勝負を簡単に始めなさんなって、やるなら堂島組を通して

   もらわねえとお天道様に申し訳が立たねえ、

   ここは俺らのシマだぜ、準備ってもんがありやす、半刻ほど待って

   下せえ、急いで支度しやすんで。」


  人だかりの中、堂島組の若衆がわらわらと散って行く。

  残った平泉が二人に勝負に関する決まり事を町将棋のルールに従って

  説明すると、二人とも軽く頷き承諾した。

  境内は異様な雰囲気に包まれ、この騒ぎを聞きつけた野次馬や将棋好

  き達がどんどん集まって冬コミ初日並みの騒ぎだ。


  正月気分の天城の面々に緊張感が走る、ざくろ丸に関する情報は同門

  の惣次郎が南佐に伝えてはいたが、あまりにも掴みどころのない指し

  口なので、どうにも要領を得てはいなかった。

  先の料亭での対局前に伊澤から聞いたものも似たようなもので、人物

  としてのざくろ丸は宗家筋ではあるが謎が多く、あまり表立って行動

  するタイプではないのだが、昨年の町将棋にいきなり参加した事で周

  りの棋士たちを驚かせていた。

  だが小橋分家の筆頭として三段位棋戦では全勝しているのも事実、侮

  れない相手だと南佐は思っていた。


  二人とも向き合ったまま睨み合っている。

  着々と準備が進んで、南佐の席を囲むように5,60枚の畳が敷かれ

  その上にびっしりと座布団が載せられた。

  対局する二人も椅子席から分厚い畳に座布団へと座り直し、観戦客に

  見えるように大盤が立てられて、嫌が応でも盛り上がる。

  正月の寒さなど、どこ吹く風だ、境内は異様な熱気に包まれていた。


  惣次郎は、こんなに敵意をむき出しにした南佐を初めて見た。


  それはまるで命を懸けた戦場で、魂が怯まぬ様に自らを鼓舞する侍の

  それだった。






                    続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ