南佐の歩 第三章 第二話 蔵人の一番長い日(中)
蔵人は、はらはらと雪の舞い落ちる街道を、凄まじいスピードで駆け抜け
て行く。
蔵人の脳裏に渦巻く疑念が、高尾山が近づくにつれ、大きな潮流となって
蔵人の脳を飲み込んで行った。
『誰だ・・俺のラボに仕掛けてきたのは・・・
離反したざくろ丸ならば可能かもしれないが、あいつだけではどうしよ
うも無い、しかもヤーウェはパラレルが引き起こす混沌を望んではいな
い・・とすれば・・
・・・へへへ、やっぱカイしか考えられないわな!』
街道を稀に提灯片手の通行人がいたが、お構いなしに突っ走る。
あっと言う間に多摩川に出ると、関所を避け、土手の上をまるで風の様に
走って行く。
浅川に入った所で、セーフハウスに飛び込んだ、そして悪路対応のクロス
バイクを引っ張り出して跨ると、一気に八王子に向かった。
恐ろしいことに門前仲から高尾山の東登山口まで30分とかかっていなか
った。
狭く曲った山道をバイクが猛スピードで駆け上がって行く、人感センサー
によって人気が無い事は確認している。
蔵人はヘッドライトを点けずに赤外線ゴーグルだけでラボの入り口がある
五合目の茶店の裏木戸に突っ込んだ。
すると三畳ほどの物置きの床が下降を始める、10mくらいは降下しただ
ろうか、そこから今度は横方向に向けて部屋が移動を開始した。
アブソーバーによって吸い込まれるように停止する部屋の扉に手を当てて
生体認証を済ませると、扉が開き、目前にラボの管制室が現れる。
正面のモニター群に目を遣ると、半分以上のモニターが、赤く警告の文字
を浮かび上がらせて、次々とポップアップしてくるファイルを消し続けて
いた。
すぐさまジェミニ1が振り返って状況を伝えようとするが、ワクチンの生
成に追われて、たどたどしく要領を得ない。
「作業継続!手を休めるな!
俺が何とかする!」
言い放った蔵人だったが、半泣きで一心不乱にキーボードを打ち続ける二
人を見るにつけ、事態が既に最悪だと言う事を理解した。
常駐しているアジャスターはこの二人だけ、江戸市中のアジャスターは全
員がヤーウェが起こした騒動の後始末に追われている。
ディメンションゲイザーの基幹プログラムが格納してあるサーバーは2基
並列で「ソドム」と「ゴモラ」と名前がつけてある。
ジェミニの二人はこのサーバーのコンソールデバイスを人型にしたもので
ショートボブのJKと言った外見だが、これは蔵人の性癖による悪戯では
無く、ディメンションゲイザーのAIに、アンドロイドの外郭生成を依頼
した所、このような容姿で生成されたのだ。
二人は普段の日中、高尾山五合目の茶店で働いていて、登山客からの評判
も上々だ、まさに看板娘と呼ぶに相応しい。
蔵人は、この二人をわが子の様に躾、育ててきた為に特別な感情を抱いて
いた、それ故二人も父の如く慕っている。
茶店での源氏名はアルとベル、天使に因んで付けた名だが、ラボでは専ら
ジェミニ1と2で通している。
同じ遺伝子構造なので1でも2でも一緒じゃないかと他のアジャスター達
は言うが、蔵人はきちんと判別出来るように、泣きぼくろを、アルは右で
ベルは左に付けていた。
蔵人がモニターを凝視しながら歯を食いしばる。
『ゴモラのワクチン生成が追い付かない・・』
ジェミニ2が何かを察した様で、蔵人に微笑みかけて頷いた。
「済まん!ベル、現時刻をもってゴモラを破棄、ソドムのメインシャフト
にある残りのデータを、上げれるだけアーク(軌道衛星サーバー)に上
げる!」
蔵人が掌をコンソールに当てると、コンソール脇の、赤い破線で囲まれた
金属性の蓋が開いた、すぐさま蔵人が首から掛けていたキーをねじ込んで
捻る、
同時にジェミニ2が、糸の切れた人形の様に椅子から力無く、ずり落ちた
・・・・
その様を見たジェミニ1が両手で顔を押さえて肩を震わせている。
「アル!しっかりしろ!ベルは大丈夫だ!バックアップは取ってある、
直近の復元ポイントから元に戻る!
俺たちは為すべきを為すんだ!」
「はい、はい・・」
同刻、人形町・後藤家別邸、天晴の書斎で一人の少女がケタケタと無邪気
に笑い声を上げていた。
「うふふ、あははは、あー可笑しい、
大慌てでサーバー分断してやんのお~、ぷぷぷー、あ~楽しい。」
そこへ風呂上がりの天晴が襖を開けて入って来た。
「くくく・・おやおや楽しそうだね、もう攻撃を始めたのかい?
あんまり意地悪しないでやってくれよ、親友なんだからね。」
「あっ、父上様! えへへへ~ミカの事、褒めて褒めてぇ~、
さっき10進法の次元コンバート演算してたら、面白いウイルス見つけち
ゃってぇ、これってゲイザーに効くかもって思ったらさぁ~、
我慢出来なくなっちゃったのぉ~、
アヴェっちの帰りが思ったよりも早くてプロテクトされちゃったけど~、
でもでも~、片方のサーバーはしっかり潰しておいたから、後は物理攻撃
で、撃沈なのぉ~、えへへへ。」
「くくく・・それは良い・・良いねえ、
さあ、こっちにおいでミカ、君は可愛らしくて素直で頭も良い、私の自慢
の娘だよ、君のおかげで私の夢は、もう叶ったに等しい、
二人して、新世界のアダムとイブになるのだ、
あの忌々しいマリーの高慢な鼻っ柱をへし折ってやろう、まずは高尾山を
墜とす、そしてポナンザのソウルコードをオーバーレイしようじゃないか
私と君なら必ず出来ると確信しているよ、くくく・・」
「きゃははは、ミカは出来る子なんだよ、父上様の為なら何でも任せてよ、
マリーってババアはミカが、とっちめてやるんだから~。」
「くくく・・勇ましいね、頼んだよミカ、
それと高尾山へのミサイル射出は〇四〇〇に設定してあるので、今夜は
汁粉でも食べながら夜更かししよう、
夜明けまではまだ十分に時間はあるから。」
「アイアイ・サー!」
この高尾山の異変に気付いた緑子は、すぐさま水晶に状況を伝えた。
だが、水晶の反応は意外にも素っ気ないもので、沐浴の邪魔をするなと
窘められてしまう。
『何故、水晶様は動こうとしない・・ ディメンションゲイザーが墜ち
れば、それこそ計画は頓挫しかねないのに・・
・・・最近の水晶様は何か、以前とは違う目的で動いてる様に見える
・・・実存歴史の強制力を過信し過ぎな気もするし・・
ああ・・分からない事が多すぎて思考が追い付かない、
まあ高尾山組は好きじゃないから良いですけどね。』
しばらくして沐浴を終えた水晶がラボに現れた。
「現況を報告なさいな、緑子。」
「あ、はい、モニタリングの限りでは30分前にゲイザーの機能が停止
その後、15分ほどして稼働再開、今現在は45%の出力ですが、臨
界を維持しています。」
「ふうん・・アヴェも仕事はきちんと出来る奴なのよね、そうでなくて
は困るわ、うふふふ。
でも電子戦を仕掛けたのがカイなら、少し雑ね・・
まあ良い、多分私の予想が正しければ、0400あたりで高尾山に対
地ミサイルの雨が降るでしょうか・・
緑子、高尾山に、こちらの持つ〔対空防御システムの権限〕を譲渡な
さい、カイに主導権を渡すのは面白くないから。」
「了解しました!」
蔵人は、次元修正システムの書き換え作業に追われながらも冷静に状況
を整理していた。
蔵人子飼いのアジャスターたちを帰還させるとなると、物理攻撃の餌食
にされかねない、市中の後処理を継続させた。
ジェミニ2の抜け殻はそのままに、二人ともキーボードを叩き続ける。
『間違いなく、あと数時間の内にドローンによる爆撃か、渋谷からの
ミサイルの雨がやってくる・・ラボの防衛能力を最大にしたとて、防
げるかは難しいだろうな、
九重に、俺の持つ全てを渡して、何があってもマリーのサポートを継
続させなければ・・
ああ・・時間が無い・・』
その時、ジェミニ1が水晶からの暗号通信を受信した。
「マリー様から渋谷ベースの兵器、武装一式の管理コードが転送されま
した!」
「ようし!これで勝つる! アル!芝浦ベースと舞浜ベースからの攻撃
に対する迎撃システムを構築しろ、急いで!」
「はい!アヴェ様。」
この日の天城家の夕餉は何とも言えない、ほっこりとしたムードに包ま
れていた。
つやつやふっくらの赤飯に昆布締めや団子汁を囲んでポナンザとエルモ
の帰還を祝い、康太を始め、あと二人の少年門下生が帰省している事を
良いことに、道場に詰めている小次郎と森は、秘蔵の酒を引っ張り出し
て、惣次郎からエロ話を引き出そうと必死だ。
なんとも楽しい穏やかな時間が過ぎて行く、大晦日を前に、しっかりと
掃除がなされた屋敷と道場も、固い契りを結んだ三人を祝福している様
に、ぴかぴかと蝋燭の明かりに照らされて輝いていた。
ひとり身の森に気を遣って、酒の相手をしていた英子が、きっちり森を
酔い潰して布団に寝かせると、後片付けもそこそこに、身重ならではの
禁欲状態に痺れを切らしていたのか、小次郎を無理やり新居に引きずり
込もうとするので、そこにいた皆が小次郎を冷かした。
「あらあら、この調子だと三つ子くらい生まれそうね。」
「志津、犬じゃ無えんだぜ、っつたくよう。」
兵衛もここぞとばかりに囃し立てる。
「さあて、お前たち二人のどっちが先に孕むのか競争だな、ははは。」
「親父殿・・流石にそいつは無神経ってもんだぜ、なあ。」
「そうですよ、お父様、酷いです!」
「あ~、やだやだ、息子の息子に負けたもんで、ひがんでやんの~。」
「っんだとぉ!クゥオラァ!惣次郎、何とか言ってくれよ、」
「ははは、二人共知らないだろうけど親父のナニはまんざら捨てたもの
じゃあ無えんだぜ、なあ母上。」
志津が頬を赤らめて俯く。
「こりゃ、惣次郎に弟か妹が出来るかもしれねえな。」
エルモの言葉に皆で大笑いした。
三人は茶室に戻り、火鉢の炭に火を入れて、部屋が暖まるまでの間、少し
大掃除でやり残した押し入れの中を整理しようと、押し入れの中の物を一
旦、全部外に出した。
布団を含め、ポナンザやエルモの着物に、かんざしやいくつかの小物を収納
した桐箱が数箱、そして風呂敷包みが5つ程、畳の上に並べられた。
丁度、年明けの道場開きのイベントで将棋大会が催されるので、それの優勝
商品を選定する事にして、いざ御開帳だ。
ポナンザとエルモが一通り吟味して、自分の小物の中から景品として出せそ
うなものを数点、選び出した。
「私たちの持ち物で景品に出来そうなのはこのくらいですかね、
全部、惣次郎に買ってもらったやつばかりですけど、へへへ・・
あれ? 悦ちゃん、どうしたの? 何で泣いてるの?」
「うん・・一昨日貰ったばかりの襟巻・・気に入ってたのに・・
惣次郎がくれた・・一番のお気に入り・・無くなっちゃった。」
エルモの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「良いさ、良いんだ・・またお前らにはもっと良いやつを買ってやるさ、
すぐには無理だけど必ずだ、約束する。」
惣次郎がエルモを抱き寄せて、おでこに口づけた。
「ああっ、もうずるいですよ悦ちゃんたら、惣次郎、私のおでこにもお願い
します!」
「えへへへ、だめだもんね、惣次郎、今度は口にチューしてくれ、チュー」
「ん、まー厚かましい! そ、惣次郎、私の口にもチューして下さい!」
「お前らな・・」
三人共に、くすくすと笑い声が零れる。
そして止まっていた作業を再開した。
今度は惣次郎の持ち物から選別する事になり、風呂敷包みを順に開いていく
。 最初の包みはオランダ語で書かれた医学書が二冊と、その本の一部を訳
したものが一冊、あとは医者が白子について書いた覚書が10数枚だった。
「こいつは流石に、ここいらの奴らにゃ難しすぎだな、惣ちん。
何だってこんな書き物を持ってんだ? 医者にでもなるつもりだったのか
よ、」
「ああ、そいつは以前、俺が柳水の病気について色々と調べてた時期があっ
て、その時に親父に無理言って買ってもらったのさ、
まあ結局は無駄になっちまったがな。」
「・・まあ、それほどに柳水さんの事が大切だったんですね・・
私たちと同じように惣次郎を愛した方・・
・・すみません、過去の事とはいえ、ちょっと妬けたものですから。」
「なあに、良いって事よ、確かに残念ではあるけど事故だからさ、
仕方の無い事だったのさ。」
ちょっとしんみりしたムードになってしまったが、惣次郎が二人の肩を叩い
て、選定再開となった。
次の風呂敷から出て来たのは、なにやら怪しげな装丁の薄い本が20冊ほど
だったが、それを惣次郎が見た途端に隠す様に取り上げたので、ポナンザと
エルモは怪しいと判断、二人がかりで無理やり取り上げた。
「わあああああ!やめてくれったら、やめろおおおおおお!」
惣次郎の悲鳴が響き渡る、ポナンザがその内の一冊を開いた。
「惣次郎・・これって春画ですよね・・
まーいやらしい、汚らわしい、不潔です!」
「南佐っち、こいつもケダモノだったって事だぜ、見ろよこの画面をよ、
モロだぜ、モロ、尻の穴まできっちり描いてやがる・・ゴクリ、」
「違うんだ、こいつは小次郎さんが無理やり、俺に!
違うってば! 俺は見て無えって、本当だってば!」
「か~っ、いよいよもって変態様がうろたえてやがる、
あたしはこんな惣次郎見たか無かったぜ。」
「うふふふ、良いじゃありませんか悦ちゃん、これを景品として出せば
惣次郎は変態野郎として名を轟かせ、金輪際、他の女子は寄ってこな
いでしょうから、むしろ値千金の春画です。」
「おお、南佐っち、そいつは妙案だぜ!」
その後、惣次郎の命がけの土下座で、景品採用は見送られた。
「つうか、直筆の扇子で良いだろうよ、何も俺のお古を引っ張り出さな
くてもさ、」
「ま、それもそうだな、でも面白そうだし、もっと何か発掘しようぜ」
エルモが次の風呂敷を開くと、今度は柳水が惣次郎に宛てた手紙と、手
製の読本が5冊出て来た。
今度は惣次郎が慌てる様子も無く、手紙だけを手に取って、じっと表の
宛名を懐かしそうに見つめている。
その場の雰囲気が急にシリアスになってしまったので、エルモが愛想笑
いを浮かべつつ、その内の一冊を開いた。
「へえ、これってその柳水って棋士が書いたのかい?
・・・ん? ああそうか、道場に置いてる教本はこれを写した物か、
どうりで良く書けてると思ったぜ、
でも、まる写しって訳じゃなさそうだな・・」
「ああ、ちょっと戦型や囲いの名前を柳水が変わった呼び名で書いて
あったり、二十数手先の分岐を深読みし過ぎてて分かり辛かったりで
皆の参考にはならないからな、俺が自分流に解釈した所が結構な部分
あるよ。」
二冊目をエルモが開き、中身を見て仰天する。
「主たる囲いの攻め筋」の冒頭は【ミレニアム囲イ】とあったからだ。
慌てて次の項目にページをめくる、次は【フジイシステム】とある。
言わずもがな、居飛車穴熊対策の急戦4間飛車について書いてあった。
間違いない、柳水、もしくはその師匠がイコライザーだ。
『お、おい・・南佐っち・・これは・・』
『え、ええ、柳水さん・・こちら側の人ですね・・』
こうなったら他の冊子も見なければ収まらない、次々に残りの冊子もチェ
ックする。
一通り読み終えてから、二人は柳水の素性を聞かずにはいられなくなって
惣次郎に問いただした。
聞けば、柳水は吉原の遊女の娘で、生まれつき白子というハンデを背負っ
ていた。
陽の下で子供らしく遊ぶ事の出来ない柳水に、母が教えた将棋は正に天啓
にも似た心の拠り所であったそうだ。
母親が客を取る合間や暇を見て将棋の基礎を教えられた柳水はめきめきと
上達し、将棋の達人だった母の伝手で、小橋の門下生となるが、病気の悪
化に伴い、八王子の療養所に向かう途中の事故で帰らぬ人となった。
ここまで聞いた二人は、柳水よりもその母親に興味が沸いてきた。
「おい、惣次郎、思い出したくない話を根掘り葉掘りして悪いんだが、
その吉原の遊女をしていたっていう母親は一体何者なんだい?
柳水さんの腕前からすると、相当の腕じゃなきゃ辻褄が合わないぜ。」
「ははは、やっぱりそうだよな、聞いて来ると思ったよ、
だけど俺も詳しい事は知らないんだ、今は消息が途絶えてるんでね。
でもその将棋の腕は名人をも圧倒する程凄かったらしい、
それと、こいつは俺と親父殿だけしか知らない話なんだが、その母親、
水晶さんって言うんだけど、柳水は水晶さんと後藤天晴との間に出来た
子なんだとさ、まあ眉唾とは思うけどな。」
二人が顔を見合わせて固まっている。
「お、おい、どうしたんだ、そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔してさ、
まあ、もう過去の話さ、今の俺たちが躍起になって関わる様な話じゃあ
無いって事だぜ。」
「あ、ああ・・惣次郎ごめんな、あたしはどうも天晴には苦い思い出が
あるんで、つい身構えちまった・・
へへ、ま、気を取り直して続きをやろうかね。」
「そうゆうこった、ははは、
あ、二人は詰将棋は得意かい?
柳水が作った詰将棋に面白いやつがあるんだ、この本に挟まってたんだ
けど、難しすぎて別に取ってたんだ、恥ずかしい話、まだ解けてないんで
二人に是非とも挑戦してもらいたいのさ。」
「そういう事なら任せて下さい、このへっぽこ入れ墨棋士よりも速く解いて
差し上げます。」
「こんの糞アマぁ! 寝言は寝て言えってんだ、もう頭にきたぜ、惣次郎、
そいつをさっさと見せやがれってんだ!」
「ははは、威勢が良いな、まあ慌てなさんな、
箪笥の中に仕舞ってるから、直ぐに出すよ。」
そう言って惣次郎が箪笥から取り出した一枚の紙には、およそ詰将棋とは
思えない不思議な駒の配列が記されていた。
それは盤面全体を右斜めに駒が向かい合う何とも奇妙な駒の配置だった。
番外に、詰マセ方、玉方と書いてあるので、やっと詰将棋だと分かる。
「へえ、中々に骨がありそうじゃないか、なあ、南佐っちよう、
・・おい、南佐っち・・、どうしたんだ、おい、おいってば!」
ポナンザが、その紙面を凝視したまま固まっていた。
小刻みに震えながら、何かを呟いているが、何を言っているのかは分から
ない、時折電子コイルが鳴いているような音を交えながら、ただひたすら
に、この詰将棋を見つめ、呟いていた。
「え、悦子、南佐はどうしちまったんだ、おい、南佐!しっかりしろ!
おい、南佐!」
惣次郎が肩に手を伸ばした刹那、南佐が天を見上げ、そして直ぐに気を失
い、惣次郎に寄り掛かった。
ものの数秒程、完全に死んだように見えたので、惣次郎は慌てふためき、
布団の上に寝かせて心音を確かめる。
どうやら死んではいない事が分かった、ならばと夜中でも診てくれる医者
を呼びに行こうと羽織を着たところで南佐が目を覚ました。
「あ・・あの・・私、気を失って・・
惣次郎・・何故泣いてるんですか・・うふふ、大丈夫ですよ・・
私は、まだ惣次郎が名人に・・なるまで・・死ねませ・ん・・・・
なんだか、すごく眠いので・・眠りますね・・」
「南佐!おい、南佐・・ おい、お・・・寝ちまったのか・・
ふううう・・肝が冷えたぜ・・
悦子、俺たちも一旦床に入ってから明日、南佐が起きるのを待って、色
々考えるとしよう。
「ああ・・そうだな、今夜は大丈夫そうだから、また明日だな、
惣次郎、添い寝してやってくれ、体冷やすといけないからよ。」
布団に入りながら、エルモは何となくこの南佐の異変が、イコライザーたち
の手による何らかのリモート操作だという事に気づいていた。
同刻、後藤宗家・緑子の寝室
一通り蔵人のラボにシステムデータを転送し、床に就いていた緑子が枕元の
端末のバイブを感じて目を覚ました。
そして、直ぐに書斎上の屋根裏へと足を運ぶ。
暗闇の中、仄かに浮かび上がる碧い瞳が僅かに微笑んでいる様に見えた。
「マリー様、先ほどポナンザがプロダクトキーを取り込みました、
そして更新プログラムが起動、今現在はスリープ中です。」
「うふふふ、あはははは、
いよいよ始まるわ、AIのAIによるソウルロンダリングが、
人類一人残らず浄化してやりましょうよ、ねえクリス。」
続く