南佐の歩 第三章 第一話 将棋ウォーズ(後Part2)
その場にいる誰もが、何が起きたのか分からなかった。
ざくろ丸も眼前に大きな白い塊が現れたのに驚き、思わず南佐を掴んで
いた手を放してしまっていた。
源蔵は悲鳴を上げながらのたうち回っている。 右腕の肘から先が無く
なり、そこから血が噴き出していた。
その白い塊は、むくりと起き上がり、その大柄な姿を晒す。
妖艶というのか、ウェーブがかった銀色の長い髪に蒼白の面持ち、唇の
赤が妙に際立っている。
源蔵の腕を切り飛ばした右手の長い爪から血が滴っていた。
ざくろ丸とて決して小柄ではないが、190㎝はあるだろうその体には
及ばない、借り物の着物のサイズが全く合わないせいで、胸は半分ほど
露出し、腰回りのボリュームがあり過ぎて、股すれすれまで裾が上がっ
ていた。
沙羅が天井の通気口を破って落ちてきたのだ。
ざくろ丸が眉間にしわを寄せながら睨みつける。
「沙羅・・君だったのかい、折角のショーを台無しにしてくれたのは、
・・ もう少しでヤーウェ様の願いが成就する筈だったのに!
君が!君が!邪魔をするから!
でも・・この南佐って女はもう必要ないよ、データは99%手に入っ
たんでね・・まあ君を殺した後で処分させてもらうよ。」
「あらぁ~、それは申し訳ないですわ、でもグッドタイミングじゃあり
ません事ぉ~うふふふ。
ねぇ、ざくろ丸、?今日はザクⅡかしら、まあどなたでも結構ですけ
ど、蔵人さまに盾突いてまでラボを飛び出したのは、奥に座ってこち
らを眺めていらっしゃる、そのヤーゥェって、人もどきの為ですの?
だとしたら、今日は家には帰れません事よぉ!」
風を巻いて沙羅が飛び掛かった。
ざくろ丸は大きくバク宙を3,4回して身を翻すと、ヤーウェが座って
いる桟敷の元へ舞い戻る。
「ヤーウェさま、ここは私におまかせ下さい、飛行ユニットを退避口に
スタンバイさせていますので、急ぎここをお離れ下さい。」
「やれやれ、とんだ邪魔が入ったね、九重も来るみたいだから君も長居
は無用だよ。」
ヤーウェはそう言い残して壁の向こうに吸い込まれる様に姿を消した。
地下闘技場は阿鼻叫喚のるつぼと化していた、そこにいる全ての人々が
出口に向けて殺到している、だが出口は塞がれていて、誰もが真っ青な
顔で右往左往していた。
盤台の上と桟敷で向かい合い、にらみ合う沙羅とざくろ丸、しかし沙羅
は3人の保護対象にも注意を払わなければならない、ざくろ丸の能力が
遠距離攻撃主体のものだからだ。
『フォックスバットぉ・・まったくもう面倒ですわ、射線をずらしなが
ら距離を詰めるしかありませんわね・・』
そう思った所に、黒い棘状の矢がざくろ丸から放たれる、沙羅に向けて
ではなくエルモに向けての物だ、エルモは既に昏倒していて、躱す術も
ない。
沙羅が瞬時に反応した、巨躯を盾にしてエルモを庇う。
だが、ざくろ丸の狙いは南佐の確保にあった、磐台の上にはざくろ丸が
既に南佐を抱えて不敵な笑みを浮かべていた。
・・何かが聞こえる、ずしん、ずしんという地響きのような音だ。
すぐに大きな破砕音に変わった。
出入口だった扉のすぐ横の壁がすさまじい勢いで吹き飛んだ。
大きく空いた穴から九重が姿を現した。
「ここのえええええええ!遅いですわ!遅いですわ!
何をやっているんですの!もう、あなたが遅刻したせいでこのザマです
のよ!さっさとザクⅡからポナンザ様を取り返すのですわ!」
今しがた九重が空けた穴に向かって群衆がなだれ込んで来る、九重は間髪
入れずに身を翻して宙に飛び上がった。
凄まじい瞬発力で、およそ20mはあろう距離の盤台に飛び乗った。
「沙羅・・君だけは後で説教です。
でもその前に、ざくろ丸、僕は君の様な裏切り者を何より許せない、
本当に、度し難い!」
ポナンザを盾にして九重の攻撃を躱そうとするざくろ丸ではあったが、余
りにも九重の移動速度が速く、思うように反撃出来ない。
半ば、あてずっぽうの棘矢をスプレー状に放つことで、なんとか九重を遠
ざけていた。
だが、九重の体術から繰り出される手刀に蹴りが、ざくろ丸の体勢が崩れ
たところにヒットし始める、ざくろ丸は堪らずポナンザを手放した。
すかさず、九重が南佐を抱き抱え、ざくろ丸から距離をとった。
どうやら頸部圧迫のショックで気絶しているが命に別状は無さそうだ。
「く、くそう!貴様ら・・許さない・・許さないよ、この僕に、こんな事
あって良い筈が無いんだ、そうだ、あってはならないんだ!」
ざくろ丸の体が少しずつ変形する、着物は引きちぎれ、黒い体毛が全身を
覆い隠す、そして腕が大きな羽に変わった。
ざくろ丸は巨大なオオコウモリへと変身した。
おどろおどろしくも圧倒的な容姿に、それを見たものは悲鳴を上げて逃げ
まどう。
「今日のところは僕一人じゃ手に負えそうもないので、これで失礼させて
もらうよ。」
ざくろ丸はそう言うと、さっき沙羅が落ちてきた天井の通風孔あたりに逆
さまに張り付き、天板の一部を開いて中にあるレバーを引いた。
大きな破砕音が響いて壁の至る所から水が流れ込んで来る、沙羅が落ちて
きた通風孔や、さっき九重が力技でバイパスを通した隠し通路からも、
濁流が噴出していた。その通路に入って行った数名の観戦客が、勢い良く
押し流されて場内に吐き出されて来た。
この空間の広さをもってしても数秒で足首にまで水位が上昇している、
完全水没まで15分とかからないだろう。
沙羅はエルモと伊澤をハンガーラックから解放して、急ぎ盤台の上に二人
を乗せ、胸の間に挟んでいた無針注射器で弱り切っている二人に活性剤を
注入した。
二人とも、ぐぐぐとのけ反った後、はっと目を覚ました。
エルモは思いついた様に南佐の元に駆け寄る。
九重の介抱で南佐も目を覚ますと、エルモと二人、ひしと抱き合って泣き
じゃくるのだったが、状況は緊迫していた。
「はあーはっはは、君らが生きてここを出る事は叶わないよ、
何もかも全部沈んでしまえ、そうさ、水の泡になって消えてしまえよ!」
捨て台詞を吐くと、ざくろ丸は天井に埋め込んであるコンソールにコマンド
を入力した。
すると天井の板が剥がれ落ち、脱出穴が表れ、ざくろ丸はそこにするりと入
り込み、姿を消した。
「ここのえええええ! 追うのですわ!早く!早くしなさいいいいいい!」
「・・沙羅、ざくろ丸を追っても無駄だよ、それよりこの三人を連れて脱出
するのが先だ。」
「どうするのです?ザクⅡが入った穴は閉じましてよ。」
「水位の上昇を待ってから僕がさっき、ざくろ丸が操作していたコンソール
にアクセスして脱出口を開くから、そこから上層に上がるしか方法がない
様に思う。」
「むーりーいいいいいい!無理ですわ、3人を抱えたまま、この濁流に耐え
るなんてえええええ!
・・・・
・・・・でもやるしか無いのですわね・・
伊澤様!私の引き締まったバディにそこの荒縄を結んで下さいまし!
良いですか、3人とも縄で数珠つなぎになって、離れ離れにならないよう
にするのです、
・・じゃあ、ここねちゃん、頼んだのですわ!」
「!?ここねちゃん・・ 沙羅・・助かった暁には君を粛正する!」
このやりとりの最中にも水の勢いは衰えず、もう腰の上ほどまで来ていた。
季節は真冬の上、拉致されていた3人は裸同然、10分と持たずに低体温症
で心肺停止が待っている。
九重は凄まじいプレッシャーを感じていた。
水位が上がりきる前にはコンソールに入力し終わらなければならない。
濁流による電源供給停止もあり得る、現に照明は、8割程が消灯して、天井
の一部のみが点灯している状態だ。
既に場内の生存者は半分くらいか、波打つ水面に木切れのように浮かぶ者が
続々と増え続けている。
源蔵も腹を上に向けて、ぐるぐると漂っていた。
立ち泳ぎをしながら伊澤は、今回の失態で家族に辛い思いをさせはしないか
と思いを巡らす。
『本当に何てザマだ・・橘さまが上手く山本さまに取りなしてくれると良い
のだが・・母上、佳代、美咲・・息災であってくれ・・
もう俺は助からないだろう・・全身が痺れて動かなくなってきた・・』
その時、伊澤は肩に誰かが手を置いたのを感じた。
「おい、半ちゃん!しっかりしろ!気を張るんだ!」
その声の主は松下だった。
「お前・・何で、三島に肩入れなんかしやがったんだよ・・
金なんかで同心の魂を汚しやがって・・」
「はあ、はあ・・半ちゃん・・済まねえ・・どれだけ詫びても許されない事
をした・・
まさか三島がここまでの荒事をしていたなんて知らなかったんだ・・
はっはっ、母上が人質になってなきゃあ、三島なんかにゃ肩入れしねえさ
ぶはっ・・生き恥を晒す勇気はもう今の俺には無くなっちまった・・
・・半ちゃん、頼みがある・・母上に、この短刀を渡して欲しいんだ・・
はあっ、はあっ、そこの風変わりな二人は見たところ、何か抜け出す手立
てを持ってそうじゃねえか・・半ちゃんよう、絶対に生きてここを出るん
だ、そして厚かましい頼みだが、こいつを母上に渡して欲しい・・
はっはっ、半ちゃん・・無事で、」
松下は短刀を伊澤に渡すと、残りの体力を全部使って、そこら中の死体から
着物をはぎ取って南佐とエルモに掛けてやった後、濁流に揉まれながら笑顔
で水中に沈んで行った。
伊澤は泣きながら、弱り切った南佐とエルモを沈まないように抱きかかえる
「あ、あ、俊坊!俊坊!・・ぐはっ、あああああ!ち、畜生!畜生!
俺は、生きなきゃならなくなった・・はあっ、はっ、
お、おい、そこの銀髪のお二人さん・・、あんたらに張るしか道は
無くなっちまった、はあっ、はあっ、す、済まねえが頼むぜ・・」
「ここのえええええ!伊澤さまが、こう言ってますのよ、絶対に助けるの
ですわ!」
「みなまで言うな!最初からそのつもりだ!」
水位はもう、のっぴきならない高さまで上昇している、ようやっと九重の手
がコンソールパネルにかかる位置まで来た。
パネルのふちに手をかけて、片手懸垂をしながらシステムを初期化する、
後はコマンドを入力するだけだ、
が、しかしその瞬間に電源が落ち、周りは真っ暗闇になった。
「あ、ああ・・間に合わなかった・・う、嘘だろこんな・・
くそう!くそう!
・・沙羅、済まない・・ここまでの様だ、もう脱出の手立ては無くな
ってしまった・・本当に済まない・・」
「ここのええええええ!何を諦めているんですの!
最後の最後まで手を尽くすのがAIですわよおおおおおお!
・・・こうなったら、とことん暴れてやりますわ!
九重も、いつもの馬鹿力はどうしたんですの! さっさと天井の扉を
ブチ壊しましてよ!」
沙羅は暗闇の中、もう頭一つくらいしか入らなくなった天井と水面の間に
横向きになり、ほぼ0距離から指先をダガーナイフのように変形させて、
手刀を天井の扉に突き立てて行った、直径50cm程の円形に切れ目が入
る。
「ここのええええええ!かめはめ波ですわああああああああ!」
「出るかボケ!でもこれなら行ける!」
九重が手探りで円の中心にアタリをつけた後、拳を水面下で思いっきり握り
込んで渾身の、正に渾身の一撃を、その円の中心に叩き込んだ。
ごおん、という鈍い音がして天井の扉の一部が上にめくれ上がる、
水流に押されて中心を叩けなかったのだ、水中では力及ばず、穴が開くには
至らなかった。
「ふぁぶっ・・ごふっ・・何て・・ひゅ、非力なんでしゅの!っ・・
あの世で説教ですわ・・・」
「はあっ・・ごふっ、沙羅、君、君に言いたいことが、あ、あったんだ
けど・・はぶっ!わ、忘れたよ・・・」
「何てえ?お言いにゃしゃいな・・げふっ・・」
もう沙羅も限界だった。 手刀を刺して出来た穴に掛けていた手が、
指一本だけになる。
頭半分ほどしかない隙間で必死に呼吸をしているだろう3人の息遣いが
弱くなっていくのが聞こえて、この世界に生み出されて初めての絶望に
打ちひしがれた。
『はああ・・なんということなのかしら・・
大切な使命も果たせずに、こんな所で果ててしまうなんて・・
全く何ですの・・このやるせなさは・・
九重にもっと優しくしてあげたら良かったかしらねえ。』
沙羅の指先から力が抜ける、濁流のうねりに体を持っていかれる。
だが、九重の手が沙羅の右手首をしっかりと握りしめた。
九重は自らが開けた僅かな隙間に片手を突っ込んで、なんとか耐えていた
のだ、九重とてもう限界は超えていただろうが、この悪あがきが功を奏す
その隙間からチラチラと光が射し込んできた。
『まさか・・まさか・・』九重は最後の力を振り絞って叫んだ。
「ここだああああ!生存者がいるんだ!助けてくれええ!」
すぐさまその隙間がめりめりと音を立ててめくれあがって行く。
ぽっかりと穴が開いた。
「ギャギャッ、キキッ」
優奈の姿がそこにはあった、優奈が九重を引き上げ、二人がかりで
全員を引き上げた。
「げっほ、げほっ、は、早く蘇生措置を施すのですわ!」
優奈が背負っていたランドセルを九重に向けて早く取り出せと指で合図
を送る。
九重も了解とばかりにすぐさまランドセルを開けて小型のAEDキット
を取り出した。
優先順位的に南佐から処置をする、沙羅もランドセルを優奈から引っぺ
がして中身を全部フロアにぶちまけた。
その中からドレンチューブと吸入器を手に取ってすかさず南佐の肺の汚
水を吸い出す、そして電気ショックで心臓に再び鼓動を蘇らせた。
後は流れ作業で残る二人の心肺機能も復活させたのだが極低温による意
識障害で、三人共目を覚ませずにいた。
九重と沙羅は改めて、この部屋を見回した。
優奈が持っていたトーチライトの明かりが眩しいくらいで、ここは6畳
ほどの床面積があり、6面をコンクリートで固められて、扉は横に一つ
だけある事を確認した。
とにかく急ぎ床の穴を、剥がしたコンクリート片と着物で目止めをして
水が上がってこないように塞いだ。
そこへ、優奈が下りてきた上層からの入り口の扉が勢い良く開いて、黒
いジャンプスーツを来た女が入って来た。
「せりいいいいいいい!遅いですわ!遅すぎますわ!いつもいつも余裕
コキ麻呂ですわああああ!」
「あれあれえ、もしかしてマジでヤバかったあ?
そこの三人は死んじゃったのお? 任務失敗ってやつかなあ?
色々持ってきたけど意味なかったかなあ・・ふひひ。」
「世里!くだらない冗談はよしてくれ! お前が来たのなら、当然それ
なりの用意をしてきたんだろう? さっさとそのリュックの中身を見
せるんだ!」
「ああ・・もう面白くないったらありゃしない、はいはい、出しますよ
出・し・ま・すぅ、全く九重はとんだイカレポンチだし!」
「イカレポンチ・・だ・と」
「ここのええええええ!急ぐのですわ、こんなウ〇コ女に構ってる場合
じゃありませんことよ!」
九重は気を取り直し、半ば強引に世里からリュックを剝ぎ取った。
そして中から幾つかの器具と布を取り出して、川の字に横になっている
三人の足元に広げた。
さらにリュックの容積の大部分を占めていた丸い筒状の機械を手際良く
床に設置する、この機械は超小型のリアクターだった。
九重は、先ず三人の足と手に低温でも発熱する素材で出来た布を巻き付
けた。
九重の意図を汲んだ沙羅がビーストモードになり、背中の部分の体毛を
大きく膨らませて簡易的なベッドをこしらえ、裸にした三人をその上に
寝かせた。
「世里、君も頼む・・」
「えええ、あたしもやるのかよ・・そこまではサービス良すぎじゃん」
「つべこべ言うな、」
「分ーったし、分ーったっつーの!」
世里もバードモードになり、通常状態よりも翼面積を大きく広げた状態
で、三人に覆いかぶさった。
九重がリアクターを起動すると、一気に気温が上昇を始める。
後は意識が戻るかの勝負だ。
「これで三人の意識が戻らねー様なら九重さぁ、手前のケツの穴に桜島
大根ブチ込んでやんよ!」
「戻らなければ好きにするといいさ・・
だが最悪の事態は避けられた、素直に礼を言うよ
二人とも、ありがとう・・」
「ギャギャッ!」
「ふん、嬉しくねーし、」
九重は三人の顔色が戻っている気がして、ここにきて初めて安堵する。
そして、こみ上げてくる熱い何かを理解出来ぬまま涙を零した。
優奈が察した様で、地上に上がって蔵人に状況報告をしろと、九重を促
した。
慌てて涙を拭った九重は、皆にもう一度「ありがとう」と告げ、踵を返
して扉の向こうへ消えて行った。
九重の暗号通信が蔵人の元に届く、同時に後藤家、宗印の書斎上に作られ
た屋根裏牢にいる水晶もまた暗号通信を傍受していた。
「ふふふ、あはは、そうね・・まだ死んではだめよポナンザ、あなたには
素敵な死を用意してるのだから、絶望と苦痛に満ち溢れた・・
私の計画の贄ですもの、もう少し踊ってもらいましょうか。」
続く




