南佐の歩 第三章 第一話 将棋ウォーズ(中)
割れんばかりの拍手と喝采が、場内に鳴り響く。
三島源蔵の悦に入ったドヤ顔が、どうにも気持ち悪く、軽く吐き気を催す
南佐だったが、この後の展開が間違いなく苦痛なのは確実であり、気を強
く持たなくては、と自分に言い聞かせるのが精いっぱいだった。
時計の文字盤状の台に、いかにもという風な男が2人上がって来て、その
一人が、南佐の脇に嵌め込んでいた板を外すと、もう一人が一文字に抱え
て来た角材を、その開いた所に突き刺した。
すると、角材の前の板が下向きに開き、丁度角材を背もたれにした椅子の
様になった、当然の如く南佐はその二人に抱えられて、椅子の様な物に固
定させられる、左手は後ろ手に回され、角材に組紐で縛られた。
足は何やら文字盤の台の内側にも人がいるのだろう、下に開いた穴の所に
皮のベルトで右足を固定された。
そして、妖艶な女子たちがいそいそと、文字盤の台の周りに将棋盤と駒を
並べ始め、12台の盤と駒を文字盤の周りに並べ終わると、そそくさと退
場した。
入れ替わる様に12人の男たち、恐らくは真剣士だろう男たちが入って来
て、各々の将棋盤の元に座る。
― 多面指し ―
南佐の予想通りの展開だ、但し、まともな多面指しの将棋では無い事も薄
々は承知している、しかし、こと将棋ならば分はあると踏んでいた。
だが三島源蔵に再度スポットライトが当たり、声高々に今回の将棋大戦争
とやらの解説に入ると、そのあまりに恐ろしい内容に南佐は驚愕し、人と
言う生き物の業を改めて認識せざるを得なかったのだ。
沙羅は通信手段を失う中、エマージェンシーインセクトを奥歯から取り出
すと空に向けて放り出す。
ハエを大きくしたくらいの羽虫がぐんぐん上空に舞い上がる。
『これで蔵人さまに状況は伝わりますわね、でも事件解決は私の活躍こそ
が決め手なんですのよ・・・
犯人側から動きがないという事はありえない、という事は”地下”に潜
ってるのですわね~
・・・・・・
お饅頭屋の地下が怪しいですわ~!
さすが私、今参りますわ~、伊澤様~お待ちくださいまし~♡』
蔵人のラボでは沙羅からの連絡を受けたジェミニが、あらゆる監視システ
ムのデータを解析して3人の行方を追っていた。
蔵人も三島一家というこの時代の一ヤクザに、よもや出し抜かれるとは、
予想だにしていなかった、いや、天晴の動きを追い過ぎて疎かになって
いたのも事実だ。
しかし、監視衛星はおろかGPSさえ追従出来ていない事を鑑みるに、
第三者の姿が浮かび上がる。
『まさか、このタイミングでヤーウェが事を起こしたのか・・
そうだとしたら、かなり厄介だぞ、
狙いは100%ポナンザのソウルコードだ、完全解析が目前なのを悟ら
れたのか・・
奴がトゥルーソウルを手に入れたなら、何をしでかすか分かった物じゃ
ない歴史をひっくり返す程の人類の大量虐殺を引き起こしてもおかしく
はない・・・・
元々米国防総省の防衛システムAIだった奴が、ペンタゴンのサーバー
でポナンザを見つけなければ、人類の歴史に俺たちが出てくる事は無か
った・・
くそう! こんな事思い出しても仕方ない、とりあえずは3人の確保が
先だ。 何処だ・・何処に連れて行かれた・・
!!そうか、深川の土木事業だ、再開発の際に何か大掛かりな施設を作
っていたとすれば符号が合う・・!』
「ジェミニ!!深川の再開発前からの衛星写真を1時間刻みでスピード展
開してくれ!」
亀戸の天城道場も大騒ぎになっていた、いつものごとく今期の二段位棋戦
において全敗で、来期からの棋戦を初段で戦う事になった兵衛が、かなり
落ち込んで帰宅すると、軒先に3騎の馬が繋いであり、何やら道場が騒が
しい。
急ぎ道場に向かうと、惣次郎と小次郎がもの凄い剣幕で与力の橘に突っか
かっていて、それを他の同心たちが3,4人がかりで止めているところだ
った。 聞けば、南佐と悦子、そして伊澤と北町の同心の4名が行方知れず
になっているとの事、これには兵衛もいきり立つ、一緒になってまた押し
合いへし合いが始まった。 だがそこに来た男の、大きな一声で皆が固ま
った。
「静まらぬか!ここで揉めてどうなるというのか!」
奉行の山本だ、橘以下皆が平伏する。
「行方の知れぬ4名の捜索に奉行所も全力をあげているのだ!
今またお主等天城の者が攫われでもしたら、もう収拾がつかぬわ!
ここに居て、吉報を待つが良い、必ずや見つけ出してここに連れ帰る!
分かったか!この阿保共が!」
これには天城の面々も歯ぎしりしながら耐える他なかった。
山本が引き上げた後、橘が3名の同心を残し、急ぎ捜索に戻った。
対局が行われる筈だった料亭吉兆でも客が騒ぎ出し、番頭も大わらわだ。
それもそのはず、対局相手のざくろ丸も、対局を取り仕切る三島一家の代
頭さえも吉兆に現れてはいなかったからだ。
この事態に北町奉行の遠山景道も動いた、なにせ子飼いの同心が南町の同
心と行方知れずになったのだ、南町奉行の山本との関係にもヒビが入りか
ねない。
まずは手すきの部下たちを集めて松下の足取りを追う様に指示を出す、そ
して山本あての伝令を送り、状況把握のすり合わせを行った。
江戸の町は東へ西へ速馬が行きかって、さながら戦国時代だ。
沙羅はかなり焦っていた、蔵人に状況は伝えたが救援となると高尾山から
小一時間はかかるだろう。
拉致現場が饅頭屋の地下だと踏んではいても入口が見つからない、この時
代を超えた技術が介在しているのは確かだ。
急がなければ目の前を行き来している目明しや岡っ引きに現場を荒らされ
てしまう。
沙羅は一旦、マズルだけビーストモードに変えた、視覚、というより脳に
直接匂いを3Ⅾ化した信号を送信する。
『なにやら、この辺りが怪しいですわね・・』
沙羅は店の奥の厠の前で立ち止まった。
『まさか、この様なおぞましい場所が入口ですの~?
無理、私む~り~ですわ~!』
「おい!女、ここで何をしてる? この店の者か? 異国の女だな、少し
聞きたいことがある、その先の詰め所まで来てくれ。
おい、寛治、店の中を隅々まで調べてくれるか。」
奉行所の手の者か二人の男が中へ入って来た。
沙羅は出っ張った鼻を引っ込めるのが間に合わず振り返る。
「みぃ~たぁ~なぁ~・・」
「ひいっ!ひいいいいいい! 狼女!口裂け女!」二人とも逃げ出した。
「逃がしませんわ、」
沙羅は二人の逃げ道を塞ぐように立ち塞がり、全身ビーストモードに移行
する、そして大口を開けて威嚇した。
「グルルルル・・バオウ!!」
二人とも失禁して泡を吹き、失神した。
『あらあら・・情けないですわねえ・・このままここで寝ておいて下さい
まし。』
二人を座敷に引っ張って行き、寝入ってる様に偽装した。
余計な時間を使ったが、これでしばらくは捜索に専念出来ると、少々安堵
して、沙羅はまた厠の前で立ち尽くす。
「こんなの無理ですわ~!!」
光量からしてLEDだなと南佐は思った、垣間見えるオーバーテクノロジ
ーが、ノンシリアルの誰かが背後で手をひいている事を示唆している。
やっと目が慣れて、この戦場の全貌が掴めてきた。
周りにいる観客の様な人たちは三島一家の幹部や身内、奉行所に潜入して
いる御家人だろう、それぞれに妖艶な女子を侍らせて酒を飲み、ニヤニヤ
している。
三島源蔵が、横に跪いている男に、何かを持ってこいと合図を送った。
すると客席の間の通路を、ゴロゴロと音を立ててハンガーラックのバカで
かい作り物が現れた、大きなT字のハンガーの両手に何かがぶら下がって
いる、
エルモと伊澤だ、逆さづりにされ、口には猿ぐつわと、着物は腰巻とふん
どし一丁に剥かれている。
南佐は二人と目が合った、二人は声にならない声を上げ、体をくねらせて
何かを伝えようと必死だ。
三島源蔵はエルモの脇にしゃがみ込み、体を撫でまわしながら呟く。
「活きが良いねえ・・ふふふ。」
そしてまた、スポットが源蔵に当てられると、この対局のルールを説明し
始めた。
「皆さぁん、この二人は愚かにも我が三島一家に弓を引いた下種の極みで
ありまぁす!
そこでこの二人には罰として、この対局を盛り上げるためのオカズにな
ってもらいましょう!
さあ、皆様の前に座します闘技盤は時刻盤を模したものでありますが、
まず午前の部分を、桃毛の棋士が指している間は悦子が頭から水に浸か
りまぁす!
そしてぇ、午後の部分は伊澤の糞同心が水に浸かりまぁす!
桃毛の女子が12人を負かせば終了、三人とも無事にお帰り頂けますが
誰かお一人にでも負けますと、三人様の命は、ここにいらっしゃいます
三島一家の皆さまの自由にさせていただきまあああああす!」
もの凄い拍手喝采が巻き起こった。
ー嘘だー 仮に自分が目の前の12人を打ち負かしたとて、無事にここか
ら出られる訳はない。
南佐の胸中に激しい憤りが渦巻いた。
『目的は何?私の命、それともエルモちゃん?
ただ殺さないのには理由があるはず・・私のソウルコードに、まだ何か
隠された秘密があるとか・・
ううん、分からない・・でも絶対に許せない、人が人を己が愉悦の為に
殺すなど、天地神明に賭けて、許すわけにはいかない。』
南佐は大きく息を吸った、そして右手を真っすぐに上に上げ、人差し指で
天を衝く。
呆気に取られている目の前の真剣士を含め、ぐるりと周りの全ての棋士に
向けて言い放った。
「あなたたちが棋士であると言うのなら、ここに誓いなさい!
この対局に一切、汚れた魂を持ち込まないと!
将棋の神より賜った不変の法則に従って私と対局する事を!
もしも誓えないならば、あなたがたはこの将棋をもって、今まで培って
きた何もかも、一切合切を失うでしょう・・
将棋の神は汚れた魂で将棋盤に向かう事を絶対に許さない!
絶対にです! 誓いなさい!!」
場内は水を打った様に静まり返る。
真剣士たちは眉をぴくつかせながら硬直していた。
それもそのはず、真剣士たちは源蔵から、様々な不正の指示を受けていた
からだ。
この南佐の宣言が、彼らに心に釘を打った。 生唾を飲み込みながら思う
ーこの先の将棋人生において将棋の神の加護を失う・・ー
オカルトに過ぎない発想だが、真剣士たちのゲンの担ぎ方は普通では無い。
なにせ軒をくぐる足が、右か左かまでも気にする連中だ、運に見放される以
上の恐怖は無いに等しい。
12人皆、薄ら笑いが引きつり、脂汗を流していた。
気圧されていた源蔵が沈黙を破り声を上げる。
「ふ、ひ、へ、へ・・ほ、ほざきやがれえええ!このアマあああああ!
ひ、一人にでも負けやがったら、殺してくださいと言うまで犯し倒して
やるからなあああああ!
手前ら、勝負開始だあああああ!」
エルモと伊澤の猿ぐつわが外される、声を上げる間もなく伊澤が水の桶に頭か
ら落とされた、エルモが叫ぶ。
「あたしらの事は良い!どうせ死ぬんだ!
けど、けど、将棋だけは負けないでくれ!
この糞みたいな連中に、思い通りにならない事もあるって、
教えてやってくれ!
あたし、あたし、ポナちゃんの事、大好きだよ!
だから、こんな奴らぶっ飛ばしてやれ!」
エルモが叫んでいる間に時計盤は回って南佐がエルモに背を向ける位置に来る
その時、南佐が少し振り向いて頷いた。
口は見えなかったがエルモには分かった。
『任せて』
エルモの目から涙が溢れる、そして水桶に落とされた。
この対局を地下闘技場のずっと奥、特別席らしく一段上に桟敷席が作ってある
そこに二人の男が座っていた。
右に座している方は、ざくろ丸、そして左側の男、白い面を着けていてる方は
南佐が”神”と呼ぶ者、ヤーウェだった。
ざくろ丸がタブレットを眺めながらニヤニヤしている。
ヤーウェが口を開く。
「モーセ、どうだい? モニタリングは順調かい?」
「はい、ヤーウェ様、素晴らしいデータが取れそうですよ、ふふふ。」
「それは良いね、三島源蔵を手なずけていた甲斐があるってものだよ。
ピノッキオは人となりて、ゼペットに刃を向けれるのかな・・
ああ、楽しみだねえ、人を殺すってどんな気持ちなのだろう・・
さあ見せておくれ、ポナンザ、君のコードの穢れた輝きを。」
続く