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南佐の歩 第二章 第四話 電気猿は人間になる夢を見るか


  翌日、優奈の事は後見人である下田に相談する事になり、下田の仮住まいに

  兵衛が出向くと、表の戸板に張り紙がしてあった。


  家主ヨリ


  此処ニ住マワレテオリマシタ下田何某ハ上総国ニ引越シサレマシタ

 

  ツキマシテハ用事ノアリシ者 当方ヘ参ラレタシ


  本所五番六二 佐原治五郎



  流石にこれはもうどうしようもない、この佐原さんに言伝を頼んで引き上げて

  来た。

  帰りの道中に、優奈の事で良い方法は無いかと思案を巡らすが、如何ともし難

  く、諦めて皆に今後の事について意見を募る事とした。


  「親父殿、どうにか下田さんに優奈を引き取ってもらわねえと・・」


  「そうですよぉ、私と悦ちゃんがいるのに更にもう一人増えるなんて、」


  「あたしは嫌だぜ、いくら弟子っつっても惣ちんは譲れねえ、一昨日おととい出直して

   来な!」


  「まあまあ、南佐さんに悦ちゃんも、大人気おとなげないですよ、とりあえず、我が家

   で優奈ちゃんの面倒は見れば良いじゃないですか、ね、」


  「お前ら、母ちゃんの言うとおりだぜ! こんな娘っ子一人、どうにでもなる

   じゃねえか、外に放っぽり出して路頭に迷わせちゃあ天城の名折れだろうが

   優奈、安心しろ、俺はお前の味方だからな、

   惣ちゃんも、優奈は今、頼れる所は此処しか無えって分かるよな?

   だったら、身の振り方が決まるまで、惣ちゃん、面倒見てやんなよ。」


  「そりゃ、そうだけどさ・・番所に届けておくのが先じゃねえかな・・

   俺も裸を見たから結婚しろ、とか言われてもさ・・」


  場が腫れ物に触るような雰囲気になり、皆黙りこくってしまった。


  「非道い・・、あんまりです!」優奈がどたどたと外へ飛び出して行った。


  何事かと、道場に来ていた弟子やら客やらが心配するのを諫めて、惣次郎が後

  を追う。


  「優奈!待てよ、待てったら!」


  表に出た惣次郎だったが、通りの右にも左にも既に、優奈の姿は無かった。


  『どうしろってんだよ・・とにかく優奈が行きそうな所を探さねえと、』


  思わず駆け出す惣次郎を追うように、後から小次郎や兵衛も出て来て、捜索に

  向かう。


  南佐は直ぐに蔵人くらうどに連絡をとった。


  「蔵人さん!緊急事態です、お願いがあります、捜して欲しいんです!」


  「・・何だい? ‥全く慌てなさんな、で、誰を探して欲しいのかな?」


  「この家に住み込みで働いている優奈、って女の子です!今しがた家を飛び出

   してしまって・・」


  「はぁ? 優奈は一昨日で別のミッションに入った筈だが・・、まさか人の姿

   のままで、今日までそこに居たのかい?」


  「え? 優奈ちゃん・・優奈ちゃんがアジャスターだったんですか?」


  「そうだ、その家全体にセンサーとカメラを設置して、その後はビーストモー

   ドによる監視をしろと命令した、が・・何故だ・・

   人型の限界稼働時間は336時間、それを過ぎるとDNAが・・

   いや、考えてる場合じゃないな、直ぐに位置を特定する、茶室に戻って押し

   入れの床、左隅の板を外して端末を取り出し待機していてくれ。」


  『・・自分自身でコマンドをクラッキングしたのか・・あり得ない・・』


  蔵人のラボは高尾山の山頂付近の祠の下を大きく、くりぬいて作ってあった。

  光学迷彩が施された、数基のディメンションセーバーに、シナプスと呼ばれる

  ソウルコード管理プラントが設置され、衛星軌道上には高精度GPSを搭載し

  た人動監視システム衛星が睨みを利かせている。


  蔵人がオペレーターのジェミニ1に優奈の現在地を特定させる


  「いました、優奈は現在亀戸の定点VQから西に300mを時速15kmで移

   動しています。」


  「オーケー、次は電脳通信で直接コンタクトだ、」


  「回線が閉じています、コンタクト不能です、」


  「近くにいるアジャスターに連絡を取れ、早急に確保して搬送させろ!

   ジェミニ2は後を追って出た天城の連中の動向を追うんだ、急げ!」


  「ウルフタイプの沙羅が人形町にいますが、人型で任務遂行中なので直ぐには

   無理だと思われます、他にエイプを搬送可能なアジャスターは・・

   オウルタイプの世里せりがでバードモードにて待機中、接触させます!」


  「よし、タイムリミットは?」


  「・・・残り62セカンズ!」


  「・・っ、到着次第リフレッシュタンクに収容だぞ!」






  

  『優奈・・どこ行っちまったんだよ・・両国で見たって行商人の爺さんに聞い

   た後が分からねえ・・畜生! 何で俺は、はっきりと言わなかったんだよ

   一言、ここに居て良いって・・』


  後悔がぐるぐると頭を巡るが、おぼつかない。


  惣次郎はいつしか日本橋近くまで来ていた、辺りは日も傾いて来て、通りの人

  達が、待つ人の元へ帰って行く様に感じる。

  しばらく呆けていた惣次郎は、自分の名を叫ぶ女子の声に振り返った。


  「惣ちーん!おーい!」エルモが追いかけて来ていた。


  「悦子、お前何でこんなとこまで来てるんだよ、まだ三島の一件が片付いて無

   えんだ、あいつらに見つかって因縁付けられたら事だぜ。」


  「そう言う惣ちんこそ、もう後藤の道場のすぐ側じゃねえかよ!

   あたしの事より自分の心配しろって、大体、あたしが優奈にきつく言ったの

   が悪かったのさ・・済まねえ・・で、優奈は、どこに行ったのか分かったの

   かよ、なあ、」


  「俺こそ済まねえ・・だけどまだ何も分からないんだ・・

   悦子、俺だって優奈にはっきりと言えなかった・・居場所を作ってやりたか

   ったのに何でだろう・・とにかく日が暮れる前に見つけるしか無え、悦子は

   戻りながら探してくれ、そう遠くには行けないはずだ。」


  「あい、了解だぜ、惣ちん!」





  皆が飛び出して行って数分後、南佐は蔵人からの連絡をもらうと、志津に後を

  任せて急ぎ両国へ向かった、優奈も心配だが、惣次郎の方がもっと心配だ。

  蔵人としても惣次郎を守る為に派遣したアジャスターのせいで惣次郎が命を落

  とす事になれば本末顛倒な上、歴史が大きく変わってしまう、間違いなく修復

  は不可能なレベルの時空損傷が起きる。


  『イコライザーならともかく、アジャスターが命令を聞かないって、どういう

   事なの・・外部から何か操作されてはいない筈だけど・・

   ・・ああ、もう優奈ちゃん、何で出て行ったりなんかするの、皆、本当は居

   ても良いって思ってるんだから』


  しかしながら、優奈の強引な滞在要求に快諾出来なかった事への罪の意識から

  着物の裾を捲り、恥ずかしさも忘れて駆けて行く南佐だった。



  錦糸町の辺りで、エルモに鉢合わせた南佐は、優奈の居場所が分かった事を告

  げて、英子のヴァガボンド騒ぎの際に使ったインカムの片割れを渡した。


  「悦ちゃんは亀戸周辺を探してるお父様と小次郎、森さん達と道場に戻ってい

   てくれますか、私は惣次郎に優奈ちゃんの所在を伝えた後、一緒に優奈ちゃ

   んを説得して一緒に戻りますから、皆には適当な言い訳お願いするね、」


  不満そうなエルモだったが、南佐の勢いに飲まれて了承するしか無く、渋々と

  引き上げて行った。



  夕刻の佐倉街道を提灯や灯篭が照らし始める、惣次郎は往来の人達に何か手が

  かりが無いかと尋ね回っていたが、通りの向こうから7、8人ほどの男の集団

  が歩いて来るのが目に入った。

  見慣れた顔ぶれだ、後藤家の弟子の一団、今日が二段位の棋戦だという事を完

  全に失念していた。

  惣次郎は素早く、辻角に背を向ける様に体を隠した、道場以外の場所で出くわ

  したが最後、間違いなく因縁を付けられかねない。

  一団が、横を通り過ぎる、一団の中央で不敵な笑みを浮かべながら、べらべら

  と雑言を放っている男、惣次郎にとって最も会いたくない男だった。

  

  ー 四谷誠心 ー 本所の御家人で、家督を若くして継いだせいで、かなりの

  傲慢さに加え、町民に対しての度を過ぎる狼藉は、惣次郎ならずとも敬遠した

  くなる程だ、2年前の棋戦においての優勝戦では、惣次郎に負けた後、怒りに

  任せて遊女を一人、斬り殺している。

  この四谷という男、将棋の腕前もかなりのものだが、厄介なのは、柳生新陰流

  の免許皆伝を持つ剣の達人である事だ、四谷が暴れると手が付けられず、番所

  の岡っ引きや同心などでは歯が立たない、数騎の鎗騎馬で囲まなければ捕える

  事が叶わないという、全くもって面倒な男なのだ。


  『四谷の旦那か・・今ここで見つかっちまったら何されるか分かったもんじゃ

   ねえな、くわばらくわばら・・』


  ほっと胸を撫で下ろして捜索再開と、通りに足を踏み出した途端に、後ろから

  大声で名前を呼ばれた。


  「惣次郎ー、待って下さーい!」 


  南佐が後藤家門弟の間を分ける様に駆け寄って来た、惣次郎が口を塞ぐように

  指を当てるがもう遅い。


  「おやおや、天城の烈火じゃねえか、久しぶりだなあ、」


  四谷が振り返りしな近寄って来る、そして南佐の髪を掴んで、ぐいっと自分に

  引き寄せた。


  「やめて!痛い、何をするんですか、離して!」


  「へええ、異国の女子とは烈火も趣味が良いじゃねえかよ、この女子は手前の

   イロ(情婦)かい?」


  「だったら何だってんだ、四谷さん、いくらあんただって他人の女に手を出し

   ちゃあ恰好悪すぎるぜ、南佐の髪を放しなよ!」


  「嫌だ、つったらどうするね?へへへ。」


  周りを取り囲むようにして集まった門弟たちも合わせて笑う。


  野次馬もぞろぞろ集まって来て様子を伺うが、四谷の蛮行を知っているせいか

  止めに入れない。


  「痛いですって!」 南佐が四谷の頬に平手を食らわせた。


  「俺に手を上げるか!このアマがぁ!」 


  激昂した四谷は、南佐のみぞおちに拳を打ち込んだ、南佐の意識が飛んで、膝

  から崩れ落ちた。


  「南・・佐・・、、 ・・もう、許さねえぞ!この糞侍が!」


  惣次郎が四谷に飛び掛かって2,3発殴り、地面に投げ飛ばす、そして馬乗り

  になって、さらに顔面を殴打する、その形相の凄まじさに、後藤の門弟たちも

  一瞬ひるんだものの、寄ってたかって惣次郎を取り押さえた。

  地面から、ゆっくりと立ち上がった四谷が、口元を手で拭う。

  手元にべったりと付いた血を見て、四谷は小刻みに震え出し、それに合わせて

  笑いを零した。


  「くく、くくく、はははは、お前ら、惣次郎をしっかりと押さえ付けておけ!

   この俺様に血を流させるって、上等だよ・・

   どうにも死にてえみたいだからよ、ここで息の根止めてやるぜ!」


  倒れた時に、腰元から抜け落ちた刀を拾うと、刃の胴を見せつける様に引き抜

  いた。

  そして切っ先を野次馬の方にぐるりと向けて野次馬たちをけん制する。


  「手前ら、これは烈火が仕掛けた喧嘩だ!

   俺はこの無礼者を成敗した、そうだな!」


  野次馬らは震えあがって後退りをした、逃げ出す者もいる始末だ。


  四谷は目線を惣次郎に戻すと、しゃがみ込んで惣次郎の顔を覗き込んだ。


  「お前が売って来た喧嘩だ、死んで本望だろ、言い残した事はあるか?」


  「刀が無えと喧嘩も出来ねえのかよ、糞が! 絶対に手前だけは許さねえ・・

   地獄の底まで追っかけて恨みを晴らしてやるからな、

   忘れるんじゃねえぞ!」


  そう言って四谷の顔に唾を吐いた。


  四谷は顔に付いた唾を拭うと、立ち上がり、惣次郎の顔面を蹴った。


  顎につま先が綺麗に入って、惣次郎は昏倒し、けいれんを起こす、

  薄れゆく意識の中で、惣次郎は南佐に、柳水に謝った。


  『御免・・御免よ・・結局俺は何にもなれなかった、名人にも棋聖にも・・』



  その時ぼんやりとしか見えない目に人影が映った。

  目の前に手を広げて四谷との間に立ち塞がっている、誰だ、女の子、見覚えの

  ある着物に短い髪・・・優奈だった。


  「・・優奈・・お前・・・・」 言いかけて、惣次郎は意識を失ってしまった



         「惣様に手を出さないで!」


  四谷は割って入った優奈に驚き、後ろに飛んだ、そして思わぬ邪魔者に敵意を

  向ける。

  刀を握りしめたまま、優奈に歩み寄り、刀の切っ先を喉元に当てた。

  すうっと一筋の血が流れる、そこにいる皆が目を覆った。


  「お嬢ちゃん、いけねえや、そいつはいけねえ・・邪魔建てするんなら、

   お前も死んじまうぜ、それでも良いってんなら、そのまま立ってなよ、頭と

   胴を切り離してやるぜ・・」


  四谷がぐいと前に足を踏み出した瞬間、優奈が刀の胴に掌底を当てて向きを変

  えた、そして目にも止まらぬ速さで四谷の膝に蹴りを入れる、

  鈍い音とともに四谷の膝は砕けた、間髪入れずに前のめりになった四谷のあご

  今度は膝を入れる、またもや鈍い音がして顎が割れた。

  四谷は、堪らず転げまわる、折れた歯が口の中で引っ掛かり上手く呼吸が出来

  ない。


  「がはっ!がはっ!うえっ! はあはあ・・くひょギャキいいいいいいい!

   へ前ら、にゃにぼうっと見てんら!このギャキをひゅかまえとけええ!

   げはっ!げほっ」


  慌てて門弟たちが優奈を取り囲み、じりじりと近寄って行く。


  そして一斉に飛び掛かった。


  電光石火、という表現がぴったりだった、最初の4人は飛び上がった優奈が回

  転しながら放った蹴り、旋風脚に薙ぎ払われ、後の3人は掌底で顎をカチ上げ

  られた所に、腹部に正拳突きを食らって、悶絶した。


  暴漢どもを叩き伏せ、仁王立ちする優奈に、野次馬らが驚喜きょうきして喝采を送る

  優奈は周りに会釈して、惣次郎の元へ歩み寄ろうとしたその時、優奈は糸の切

  れた人形の如く崩れ落ちた。


  「あ、あ・・惣様・・惣様を護らなきゃ・・あたしが・・護らなきゃ・・」


  優奈は這いずる様にして惣次郎の元に行こうとするが、思うように手足が動か

  なくなっていた。


  それに気付いた四谷が、刀の鞘を杖代わりにして、ふらふらと優奈に近寄った


  鞘で優奈をつつくが、優奈はもう振り返る事すら出来なくなっていた。


  「へ、へへ、へ・・この糞ぉガキぃ、勝手ぇにくたばりやがっ・・たぜぇ、」


  四谷は優奈の後ろ襟を掴んで、惣次郎とは逆の方に投げ飛ばした、そして門弟

  らに顎で合図をして、優奈を羽交い絞めにして無理矢理に立たせた。


  周りの野次馬から悲鳴とも怒号ともつかぬ声が上がる。


  「うるせえぞぉ!何と言われようとこのガキは生かしちゃおけねえぇ・・

   だが、先ずは烈火の息の根をとめなきゃあなぁ・・」


  刀を拾い上げ、惣次郎の方を振り返った時、門弟らが四谷に声をかけた。


  「四谷さん、後ろ、後ろ!」


  「んだぁ? 何だってぇ?」



  振り返った四谷の目の前に、それはそれは大きなワシミミズクが居た、


  「うひゃあああああ!あああ!」驚きの余りに四谷は、腰を抜かした。


  そのワシミミズクは、いきなり四谷の顔面に鉤爪を突き立て、眼球を二つと

  もえぐった。


  「ぎゃあああああ!目が、目がああああ!」叫びながらのたうち回る。


  辺りは騒然となり、優奈を掴んでいた門弟たちはおろか、野次馬まで建物の

  陰に隠れて、この大きなミミズクの挙動を注視した。

  通りの中央には、のたうち回る四谷と、惣次郎、南佐の3人だけだ、

  ミミズクは優奈の脇に立って、くちばしでつんつんした後、南佐の所へ行き、背中

  に乗ったり、頭を嘴でつついた後、飛び去った。


  すぐに、南佐が目覚めて辺りを見回す、倒れている惣次郎の元へ先ず駆け寄り

  息がある事を確認すると、ぴくりとも動かない優奈の元へ慌てて駆け寄った。


  「優奈ちゃん、優奈ちゃん、お願い、目を覚まして!お願い、」


  反応するように優奈の瞼が開いた。


  「南佐姉・・ごめんなさい・・あたしが飛び出して行ったばっかりに・・

   ・・・

   あたしね、あの家が大好きだよ・・楽しくて、あったかくて・・えへへ・・

   ・・・

   皆、良い人ばかりで・・


   惣様に本当の姿を見られて、つい人型になっちゃったらね・・

   戻れなくなっちゃったんだ・・ 


   それでね、もしかしたらあたし、本当に、人間になれたかもって・・


   ・・・夢を見たんだ、初めて・・


   あの家の子になって暮らしてる夢・・ああ・・楽しかったな・・


   師匠や皆には上手く言っておいてね・・


   大丈夫だよ、あたしは死んだりしな・い・から・・」


  

  「ちょ、ちょっと優奈ちゃん!だめ!優奈ちゃん、優奈ちゃん!」


  南佐の目から大粒の涙が零れ落ちる。

  南佐は動かなくなった体をきつく抱きしめた。

  薄暮の中、南佐は紫色の空を見上げて叫んだ、


  「うう・・うあああああああ!」



  野次馬がぞろぞろと戻って来る、そのうち何人か恐る恐る南佐に近付いて、

  声を掛けた。


  「この子、死んじまったのかい? あんたは知らないだろうけど、この子が

   いなかったら烈火もあんたも殺されてたよ、凄い戦いぶりでさ、そこの侍

   と棋士の連中を、みんなやっつけちまってさ、最後は急に倒れちまって、

   残念だよ。」


  「うう・・う、死んでません!優奈は死んでませんから!」


  すると野次馬の間を掻き分けて、一人の女子が近寄って来た。


  「ちょいとあんた、その子、優奈だろ、あたしはその子の知り合いさね、

   少しばかり御免よ、」


  そう言って優奈の胸に耳を当てた。


  「あらあら、まだ助かる見込みがあるじゃないか、ささ、ここはあたしに任

   せなよ、名医の所に連れていってやるから。」


  南佐は二度返事でこの女子に優奈を任せたが、この女子が優奈の素性を隠す

  為に此処に来たのは間違いなく、優奈が二度と、人間として天城に戻って来

  る事は無いだろうと思った。

  

  「優奈ちゃんは・・もう・・無理なのですね・・」


  この言葉を聞いた女子は少し悲しい目をして、自分の耳を指でトントンと叩

  き、南佐から優奈を預かった。

  そして、背中におぶると、人混みを掻き分ける様に走り去った。


  インカムの向こう、エルモがしきりに状況を知らせろとわめいている。

  南佐は、はっとして、惣次郎の元へ駆け寄る、周りの人が水やら縁台やら持っ

  て来てくれて、やっと落ち着いたが、エルモに事の経緯を告げながら悲しみが

  込み上げて来て、また大粒の涙を零すのだった。


  後藤の門弟は、これ以上の追い込みをかける余裕もなく、余りの激痛に泡を吹

  いて失神した四谷を荷車に乗せて、周りの野次馬から逃げるように去って行っ

  た。


  そこに遅ればせながら到着した同心と岡っ引きが、下世話な野次馬たちから事

  情を大まかに聞いて、南佐から裏を取った後、四谷らの後を追った。



  南佐は、縁台に横になっている惣次郎の顎を手拭で冷やしながら、まじまじと

  その痛々しい顔を見つめて、自分の無力さを痛感する。


  蔵人から、さっきの女子が世里というアジャスターであり、優奈をラボに搬送

  する為に連れて行った事を聞いたが、優奈がもう助かる見込みが無いという事

  実が余りにも受け入れ難く、がっくりと肩を落とす他無かった。


  日はとっぷりと暮れ、往来は灯篭や提灯の灯りに人々が照らされている。

  人々は、それぞれに楽しそうな笑顔を見せながら、今日と言う日の平穏を噛み

  締めている様だ。


  南佐はぼんやりとその様を眺めながら、天城の皆に、この優奈という娘が二度

  と帰って来る事は無いと告げるのが、恐ろしく苦痛に感じていた。


  惣次郎が、ようやく目を覚ました、しばらく何が起きたか分からない風で、目

  が泳いでいたが、はっとして飛び起きた。


  「南佐、無事だったか、・・・優奈は、優奈はどこだ、四谷の野郎が何か手を

   出してんじゃねえだろうな、さっき俺の目の前に立って・・・」


  南佐は惣次郎に抱きついて、優奈がどうなったかを涙ぐんで話す、

  勇敢に暴漢共に立ち向かい、一度倒しはしたものの、体の異常により動けなく

  なってしまった事、そして偶然飛んで来たミミズクに救われた事、たまたま居

  合わせた女子が、後の面倒は自分に任せろと言って、去って行った事をまことしや

  かに惣次郎に話して聞かせた。


  惣次郎は思った、この話が嘘か誠かどうでも良い事で、南佐が言いたい事は、

  優奈がもう戻っては来ない、という事だと。


  惣次郎も南佐をきつく抱きしめた、二人は無言のままお互いの温もりを確かめ

  合うのだった。





  世里は、暮れなずむ街の賑わいの中、優奈をおぶって縫うように走っていく、

  やがて、路地裏の一軒家に飛び込むと、優奈を玄関の敷居の上に寝かせて着物

  を手早く脱がせ、自分も、するっと着物を脱いだ。

  そして世里が気合を入れる様にして息を吐き、優奈のみぞおち辺りに指を突き

  刺して、ぐりぐりと探る、すると優奈の体がモーフィングを起こして、みるみ

  る内に猿の姿に変わった。


  『やれやれ、強制モード変更って、どんだけ人間が好きかよ、エイプめ。』


  ビーストモードに戻った優奈を裏口から外に出して、自らもビーストモードへ

  形態を変える、世里の体も、瞬く間にワシミミズクへと変貌した。


  《なら、ちょっくらラボに戻るとするか、急いでも無理だとは思うけどね、》


  そう呟くと優奈を両足で、がっしと掴み、紫色の空を北西に向けて飛び立った





  高尾山のラボ入口にビーコンが出ている、それに沿って世里は高度を落としな

  がら滑空、進入した。


  待ち構えている九重に優奈を渡して、世里はビーストモードを解いて、人型に

  戻る。


  「九重さぁ、そいつもう駄目じゃん、搬送中ピクリともしなかったぜ。」


  「御託は良いから、お前はエナジースタンドで給電しておけ、」


  「あいよ、りょーかい、にひひ。」


  直ぐに蔵人も出て来て、優奈のチェックをする、

  一通り診ると目を伏せ、ため息をついた。


  「なんて間が悪い・・、惣次郎とポナンザが危険な状況で無ければ・・

   とりあえず、処置はしなければな、九重、頼む。」


  人型の限界稼働時間を超えると、人間のDNAが形状を保てなくなり、細胞内

  のミトコンドリアからソウルコードが剥がれてしまう、そうなると只の猿の形

  をしたロボットだ、起動しても優奈としての人格や記憶は失われて、結果的に

  優奈は死んだという事になる。

  それ故、アジャスターは限界稼働時間内に一度リフレッシュしなくてはならな

  い。


  九重がリフレッシュタンクに優奈を収容して、コンソールの幾つかのボタンや

  キーを叩いてスタートキーを捻る、タンク内の液体が泡状に変わり優奈を包み

  込んだ。


  心配そうな九重の肩に手を乗せて、蔵人が微笑んだ。


  「これ以上もう、俺たちが出来る事は無いのさ、エイプの戦闘能力は今後も

   必要になる、廃棄にはしないから安心して良いよ。」


  「・・蔵人、僕には分からない、何故にイコライザーたちがこうも将棋の名

   人などという、下らないものの為に使命を忘れ、世界を混沌に向かわせる

   のか・・」


  「ははは、突然何を言ってるんだい、分かり切った事さ、

   俺たちイコライザーや、君たちアジャスターが、ポナンザという将棋AI

   に魂をもらったからだよ、

   目の前に道があるなら、進みたくなるのが人の性なんだ、

   それは一度火が点けば収まらない山火事の様に、人の心を焦がして行く、

   いずれ君にも分かるよ、というより、君はもう知っている筈、

   柳水を想う、その感情の正体こそが、それなのさ、でなきゃ柳水の肉体を

   今も保存してないだろう? ははは。」


  「くっ、・・からかわないで下さい、あれは、その・・」


  「 愛、だよ、愛。」


  そう言って蔵人はコントロールルームに向かった。





                     続く

   


   


  




  

  

   







  


  





  






  






  


  

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