夜明けまでの孤独
エルの家に走り込んだ俺は、勢い良くその扉を締めた。
ドアの外から酒場の女将の怒声が飛んできたけど、もう、怒鳴り返す力も無い。
だけど、
逃げ切った。
「―――へ、やったぜ」
俺は、荒い息を付きながら、小さく言って笑った。
そしてふと、まだエルの手を握っていることに気づいて、慌てて放した。
俺は、ナイフの形に戻した鎌をポケットに入れ、立ち上がり、台所へ行く。
水瓶からカップに水を組むと、それをまだへたりこんで荒く息をつくエルに差し出した。
「……ほら、飲めよ」
「ット……、私に、もう構ってはいけない……の、です……」
ゼーゼー吐息を付きながらなにか言ってくるエルを無視して、俺はエルの隣に座った。
「何でだよ。このままじゃだめだ。あの化物、絶対また来るぜ」
「……っ、私も化物、なのです。化物同士、何とかします、から」
「何言ってんだよ。エルは化物じゃねえだろ?」
俺がそう言うと、エルがなぜかジトリと睨んできた。
「―――……ホントに、聞いてなかったですか?」
「聞いてねえ。斬る前に、“月がなんたら……”とかいってたっけ?」
俺がそう言うと、エルは深いため息を付きながら、悪魔が言ってたと言う話をしてくれた。
ホント真面目だよな、こいつ。
◇
そして、話を聞き終わった俺は、エルに言った。
「で、エルは、記憶にないが、実はそのヴァンパイアって魔物で、たまに俺が食いたくな事がある。病気かと思ってたら違ったってか?」
エルはコクリと頷いた。
俺は頭を掻いた。だってそんな突拍子もない話、信じられるはずが無い。
「薬を飲みゃ抑えられるんだろ? 別に大したことねーじゃねーか。そもそも、あんな怪しいやつを信じるな」
「……でも、」
「仮にそうだったとしても! 俺は、ずっとエルと一緒に居たが、全然危険はなかったし、今後もそんなことあるわけ無い。……お前はどっち信じるんだよ? あの変な奴か? それとも俺か?」
俺がそう聞くと、エルは頬を膨らませながらボソリと言った。
「……その聴き方はズルいです」
「その言い方は、俺を信じるってことだよな?」
「……」
俺はエルの言葉知りを捉え、にししと笑った。
エルは水に口をつけながら言う。
「しかし、今後もあの変な人に襲われることを想定するなら、情報が不足しすぎているです。……あの鎌の事や、ヴァンパイアの事を少し調べないと駄目ですね」
その言葉で俺は、ポケットにしまったままのナイフを思い出し、それをエルに渡した。
「これな。爺さんの形見、すげーもんだったじゃねーか。おかげで助かった!」
正直これが無きゃ、多分エルを助けられなかった。
俺はまた、爺さんに1つの感謝を重ねた。
「調べもんなら、俺が昼間図書館でも行ってきてやるよ。エルは例え雨の日でも、昼間は外に出られないからな」
俺がそう提案してやると、エルはほっと口元を弛めて言った。
「ありがとうです。テト」
……久しぶりに笑った顔見たぜ。
「……っお、おう。気にすんな」
俺は妙に照れくさい気分になって違う話題を探した。
「そ、そう言えば、お前パズルする時間なくなったことだし、空いた時間にそのナイフの使い方練習しろよ。また、いつあの化物に襲われるかも分かんねー事だし」
「そ、それもそうですね。どうやって使うですか?」
俺の話に、エルはすぐ食いつき、ナイフを見た。
「俺もなんかイメージなんだけど、そのナイフの中に、でっかい岩みたいなマナがあるんだ。それに俺のマナを込めて繋げる感じ?」
マナとは、この世界にある魔法の源の力みたいなものだ。
マナはこの世界のあらゆる物に含まれていて、それを俺達人間が持つマナと共振(?)みたいな事をさせて、魔法を使う。
ダンジョンで取れるマナ結晶を使えば、更にその効果を高めることもできる。
―――因みに、その質量を例えたとき、人間本来が持つマナの量は“砂粒”で、魔石は“砂粒から小石”くらい。……そしてこのナイフが、“巨岩”だった。
エルが、俺の話を聞いて、首を傾げながらも実践を試みる。
「……よく分からないですが、こうでしょうか?」
「そう、そしたら、自分の思った形をイメージするんだ。これは、結構ぶれやすいから、かなり集中力がいるぞ」
「むぅ―――……」
エルが目を綴じ、なにか念じるように唸っていると、ナイフの形が変化を始めた。
ムニムニと蠢き、やがて形が固定させ、それは現れた。
―――俺が出したものと同じ、三日月の巨大な鎌だった。
「……って、何で俺と同じやつなんだよ。お前、レイピアとかの方が得意だろ。何でこんな鎌……?」
「いっ、一度見たやつの方が、イメージしやすかっただけなのですっ!」
「いや、いいんだけどよ。ま、形を他にも変えれるみたいだし、また練習しようぜ」
「あ、はっ、はい! お手数おかけしましたですっ」
俺はビシッと背筋を伸ばしながらそんなことを言うエルを笑いながら、立ち上がった。
「あ、帰るですか?」
「おお、お前、飯もまだだろ? 俺も腹減っちまったから、一回帰るわ。また明日にでも来る」
「は、はいっ! よろしくなのです!」
ったく。昼間は来ないでだの何だの言ってたくせに、現金な奴だ。
「じゃあな! また明日」
「はいっ! おやすみなさいなのです」
俺は、笑いながらエルの家を出て、そっと扉を締めた。
明日は忙しい。図書館に行って、調べものもしなきゃいけない。本当に、爺さんに読み書きを習っといて良かった。
サンキュー、爺さん!
俺は、自分の家に向かって走り出した。
◆◆
俺は、自分の家に忍び込むようにして入った。
ゴミの整理されていない、汚い部屋のテーブルの上に、クソ親父と知らない女が、服を着たまま合体してた。
俺はそれを無視して、2階へ上がる階段に忍び足で進んだ。
だがもうちょっとと言うところで、女が俺に気付いた。
「ちょっとっ! 子供がいる!!」
「あ? ……あぁ、俺のガキだ。気にすんな」
俺はなるべく空気になって、無言でまた階段へ進もうとした。
「無理よっ! 子供がいるなんて聞いてないわ! 私帰る。ちょっと離れてっ」
そう言って、身をひねる女をクソ親父は押さえつけながら言った。
「―――帰って来んなよ。ほんとにオメーは、どうしようもねえな? テオラドール」
「……っ」
俺は、自分の名前が嫌いだ。
三流冒険者に限って、自分のガキに、全く見合わないような大層な名前をつけたがる。マックも、キキもそうだ。
親父なんか、クソ喰らえだ。
「出ていけよ。ここは俺の家だ」
俺は無言で家を飛び出した。
心の中じゃいくらでも罵れるのに、口には一言だって出て来ない。
―――あれはあんな人間なんだ。俺の親父は、あんな人間なんだ。
期待するな。諦めろ。無駄なんだよ。
―――もう、別にどうだっていいんだ。
俺は、何処の誰のかもしれない民家の屋上によじ登り、空を見上げて横になった。
早く明日になんねーかな。久々にエルと約束したんだから。
そーいや、マック達どうしたかな?
変な化物に遭遇してなきゃいいけど……。
俺はふと胸に不穏を感じ、また身を起こした。
そして、まだポツポツと灯る街の明かりを見つめた。
別に変わった事なんて何一つ無い。あの砂漠でのやり取りが、夢だったんじゃないかと思う程に。
―――砂漠の夜風は冷たい。
俺は風に当たらないよう、また身を低くしようとした。
―――何だあれ?
その時、妙なものが視界に映った。
街の明かりがぎりぎり届く、砂漠の外側。
砂漠の砂が盛り上がり、……人間みたいな形になった。
「―――……ウソだろ?」
俺は思わず独り言をつぶやき目を擦ったが、その人間みたいな奴は、街に近づき、柵をすり抜けてくる。
しかも、一体じゃない。砂は生きてるように形を作り、一体、また一体と街に侵入してくる。街の奴らは気づいていない。下手すりゃその砂人形に挨拶を返す始末だ。
―――やっぱり、あれは夢じゃなかった。
俺は身を低くして、屋根伝いに、俺達のアジト“ゴミ山”に向かい、走りだした。