いにしえの女帝
〈Sideテト〉
やっとの思いで、俺はエルの所まで這い上がり、悪魔が嗤いながらエルの腕を掴んだ瞬間、俺はエルの肩に飛びついた。
思った通り、小さくて、軽いエルの身体は、俺の落下に耐えきれず後ろへザリザリと砂の上を滑った。
悪魔が悔しげな顔で舌を鳴らすのが見えた。
「ちっ、重力場解除っ!」
途端、俺の身体がまた砂に引き寄せられ始め、砂を巻き上げながら無事着地した俺は、そのまま勢いを殺す事なく走り出す。
当然、エルの手を引いて。
悪魔に何かされたってのは分かってたんだ。
そのくらいで、すっ転んでやるかよっ!
「っテト!!?」
驚いて俺を呼ぶエルと、悪魔の声が被った。
「逃がすか!!」
悪魔の叫びと同時に、俺達の足元の砂がうねり、盛り上がった。
砂は幾筋もの棒のように伸び上がり、気付くと俺達は、砂の鳥籠のようなものに閉じ込められていた。
「……な、何だ?」
全方位砂の柵に囲まれた俺が、うめきを上げた。
悪魔はこちらにゆっくりと歩き始め、せせら笑いながら、俺に言った。
「少年。―――……お前、もしかしてその子が好きなのか?」
一瞬、俺の頭に血が上った。
「―――っ馬鹿野郎! っんなわけあるか!」
そんなんじゃねえ。エルは、大事な“仲間”だ。
柵を掴んで吠える俺に、悪魔はおかしそうに頷く。
「そっか。なら良かった。もしそうなら、初の失恋になるところだったぞ? ……なあ、ルナ・シー・エル厶女王陛下」
「!?」
悪魔がそう言うと、エルは目を見開いた。
そして言う。
「陛下……? そんなの、知らないです……。……でも、なんでエルの秘密の名前を知ってるですか?」
秘密の名前?
お前はエルじゃ? ……いや、きっと、あれだ。俺が“テオラドール”って名前を“テト”と名乗ってるとか、そう言うことだろ。
何だよ“秘密”って、大袈裟な。
悪魔は翼をたたみ、檻の前で立ち止まると、溜息をついた。
「そっか。……可哀想に、もう記憶まで捨てちまったのか。―――良いだろう。少し、昔話をしてやる。なに、ほんの5000年ちょい前の話しさ」
そう言うと、悪魔は、聞いてもないのに、何かを語り始めた。
……いや、だがこれはチャンスだ。何か、逃げる手段を考えるんだ!
俺は、そう思い、そっと檻から手を離し、エルの手を握ると、ポケットの中を弄り始めた。
◆
―――昔、黒い女神が言った。
“常闇の支配者を創ろう。夜の世界に置いて、その力は無尽蔵。ウルフの血を従えさせ、時に、吸血コウモリの姿を取ることができ、その唾液には呪いを宿す。そして、その姿は麗しく、月を写す黄金の髪、鮮血の如きその唇、何者にも侵されぬ白い肌を持つ。闇の、覇王だ”
そして、二体の“ヴァンパイア”の始祖がこの世に
創られた。
男体と、女体。
二体は夜の世界へと解き放たれた後、それぞれ違う行動を取り始めた。
男のヴァンパイアは、暗い森の深くに根城を造り、夜な夜な人の生き血を啜った。
女のヴァンパイアは、人間達のとある国の都に行き、そこで、一人の幼い姫君となり変わり、その国を自分の餌場とした。
……その姫君の名前こそ、“ルナシェルム”。正確な名前は、“ルナ・シー・エルム”。
かつて勇者さえ手玉に取り、大帝国を築き上げた女帝の名だ。
「―――そして、貴方御本人でもある。ルナを冠する、姫君……」
そう言った時、悪魔の目が見開いた。
続いて、その腹から、赤黒い血が吹き出した。
―――俺が、悪魔の作った砂の檻を細切れにして、ついでにその腹の皮を一枚切り裂いてやったからだ。
ざまーみろっ。