ルナエクリプス①
「はわぁ―――っ! 返すです!! なんでそんな事をするんですかぁ!」
思った通り、エルはパズルを取り戻そうと、俺を追いかけて家を飛び出してきた。
サングラスにターバンを巻いて、なんとも暑そうな格好。空はまだ明るいが、もう日は入り、エルにとっての辛い時間は終わったはずだ。
俺は後ろにエルが付いてきてるか、チラチラと確認しながら、街の外へ向かった。
エルは体力がない。
別に、エルの運動神経が悪いと言うわけではない。一瞬の瞬発力は、俺の目から見ても凄まじいものだが、それさえ凌げば、すぐに体力が切れる。
現に今だって、ぜぇぜぇと荒い息を吐き、ふらつきながら俺を追ってきてる。
やがて、街から少し離れた、砂漠の砂丘の上で、俺は走るのをやめた。
「テトっ!!」
すぐに怒りの声が飛んできた。
いたずらの成功した俺は、笑いながら、エルのパズルを山なりに投げた。
「ほらよっ」
「はわゎ!」
慌ててそれをキャッチしたエルは、ほっと一息つくと、再び俺を見た。
サングラスで見えないけど、多分俺を睨んでるんだろうな。
「っ冗談にしても、程があるです!」
「だって、今日は8年に一回の月食ってゆーじゃねえか。見てやろうぜ」
「げ、げ月食?」
エルは驚いたように眼鏡をずらし、空に浮かんだ満月を見た。
「なんだよ、知らねえのか?」
俺の呆れ声に、エルはサングラスをかけ直し、口をへの字にしてこちらを見る。
「だから何なんですか。私はもう帰るです!」
「そう言うなって。せっかくここまで来たんだ。ちょっと位見て帰ろう、ぜっ!」
「はわっ!わわ、わわわわ! な、何するですかぁ!」
スタスタと俺の脇をすり抜けて、街に帰ろうとするエルに、俺は頭のターバンを押さえつけて、サングラスを毟り取ってやった。
その拍子に、巻いてあったターバンが解け、その中から金色の流れる髪が溢れ出した。
頭では“しまった”と思いながらも、俺の目はその光景に目を奪われる。
―――やっぱキレーだな……。
俺は、風が吹いただけでも流れるように揺れる、膝まではある、ブロンドの髪を見て思った。
「なにをっ するんですかぁ!??」
見惚れていると、エルが慌てて飛びかかってきた。
俺も我に返って、それを避け、エルの本体に意識を移した。
―――……そこで、俺の思考がフリーズした
「いい加減にっ……」
更に、俺に文句を言おうとする、エルの言葉も詰まる。
俺の、驚愕する顔を見て。
俺は、夕闇の微かな灯りの元でも、はっきりとそれを見た。
「……エル……、お前、その目は何だ?」
エルの目は、澄んだ水を思わせる、薄いブルーだった。
……だけど、闇の迫る微かな残照の中で映し出されるその色は、鮮血の様な
紅。
「っ! 返してです!」
エルは俺からサングラスを奪おうとするが、俺は反射的にその手を避けた。
エルは諦め、悔しげに目をそらせながら、ぶつぶつと言う。
「―――っ、病気のせいです。おじいちゃんが死んで、すぐくらいから、日が暮れると目が紅くなるようになったのです。朝になって、日が昇れば、また元に戻ります。……痛くは無いですが、この目の色は、“不吉”と言われているのです……」
エルはそう言って、目を細めた。
それは、世界中で最も有名な言い伝えの1つ。1000年前、邪神がこの世に放ったと言われる、最悪の化物、深淵。そして、それが愛した女、鮮血の瞳の骸、ラウ。
赤目といえば、動物と人が混じった亜人である“アニマロイド”や、アルビノ種の中に、稀にそう言った奴も居る。
但し、そいつ等は尽く嫌遠され、場合によっては迫害すらされた。
俺は頭に疑問を浮かべながら、絞り出すような声で言った。
「……病気って、そんな事……嘘だろ?」
夜だけ目の色が変わる? あり得ないだろ。
俺は、何かとんでもない事をしてしまったような気がして、サングラスをエルに差し出した。
「病気です。病気なんです! もうっ、構わないでください!!」
エルは目に涙をためながら怒鳴り、はたき落とす勢いで、俺の手からサングラスを奪った。
……俺さ、お前の爺さんが死んで、凹んで引きこもってるだけかと思ってた。
なのに、お前の身に何が起こってるんだ?
俺はふと、自分の手が震えていることに気付いた。
エルはボロボロと涙をこぼしながら、歯を食いしばり、サングラスさえかけず、逃げる様に駆け出した。