グロウアップ
俺は踵を返そうとして、ふとその足が止まり、ふと悪魔の声が脳裏を過ぎる。
―――二度と、会えないものと思え。
……上等だ。あんなクソ親父、頼まれたって会いたくなんかない。
そう、頭では分かっていても足は進まない。
俺は為すすべ無く、その場に座り込んだ。
◆
エルの爺さんは、隙あらば俺に何か言ってきてた。
あれは買い出しに付き合わされた、その帰り道だったか。
『―――テトよ、神は言った。“隣人を愛せ”と。……もしお前が正しく人間で有りたいのなら“縁”に感謝を忘れるな。隣人とは“縁”で結ばれた者の事なのだから』
『じいさん……。無神論者が、説教かよ。有り難みが無さすぎるんだが』
『信じて無くとも、常識だ。エルの友と言うならば、そのくらいは知っておけ』
『てゆーか、縁って何処までだよ? この道端ですれ違う程度じゃ、縁なんて言わんだろ?』
『それは、お前の器によるな』
『……』
……道を行き交う奴らなんて、知ったこっちゃねえよ。
だけど、クソ親父は、……間違いなく俺の縁者だ。
俺は意を決して立ち上がり、ドアノブを掴んだ、……と、その時。背後から声が掛けられた。
「―――テオラドール? なんでこんなトコに居る? どこ行ってやがったんだ?」
振り向いた先に居たのは、乱れたシャツに、申し訳程度に胸当てを装備した俺のクソ親父。
「……こんなトコって、自分の家に来ちゃいけねえのかよ?」
「……。……そうだな。ひとまず中に入れ」
そして俺は、促されるがままに親父と家の中に入った。
◆
「座れよ」
椅子に腰掛け、酒瓶の栓を切った親父の言葉に、俺は首を振った。
「なんでぇ、せっかく俺が席を勧めてやってるってのに……」
「親父、俺は出ていく。もう、この家には帰らねえ!」
俺は、酒を呷る親父に叫んだ。
それは、今まで何百回と言おうとして、かつて一度も喉から漏れたことのない言葉。
「あん? 何ガキ見てえなこと言ってんだ? オメェなんかが、どこに行けるっていうんだよ?」
「……俺は約束したんだ。とある奴を守るって。約束を果たすために、俺は出ていく。どこへだって行く」
「……とある奴って、金髪のバケモンの事か?」
俺は親父のその一言に目を見開いた。
「知らねえ訳ねえだろ。悪ガキ3人組にプラス1人。かの有名な冒険者バロックの孫とつるんでるってのは、有名な話だ。盗るならもっと上手くやれよ。被害者出し過ぎなんだよ」
「っ」
「―――……でな、俺が今しがた出掛けてた理由がそれだ。お前の行方を知らないかと、事情聴取に呼び出されてた。金髪の化物とお前、この崩壊したグリムポリスで、指名手配されてるぞ?」
「は? 指名、手配?」
訝しむ俺に、親父はニヤリと笑った。
「しかも、随分な高額だ。金髪の化物に金貨20、お前には金貨5枚だと」
その笑顔に、見覚えがあった。
うまい話や、楽な仕事を見つけたときに見せる、勝ち誇った様な笑い。
俺はとっさに身構えた。やっぱりこんな奴の顔なんか、見に来るんじゃなかった。―――さっさと街を出るべきだった!
―――カンッ
親父が、テーブルに酒瓶を打ち付けた。
「見つかんなくて、ラッキーだったじゃねえか。……だが、油断すんなよ? もう玄関と入り口は張られてる。2階の窓から屋根伝いに出ていくんだな」
?
「え? ……俺を突き出す気じゃ?」
「はあ?」
俺と親父の目があった。
「……親父、いつ俺に自分の飯は自分で稼げとか、邪魔だから出てけとか、……気分任せに殴ってきたり……っ」
そんな親父が俺をかばう? あり得ねー。
呆然と親父を見る俺に、親父も目を逸らせながらボソボソと言った。
「……子育てなんぞわかるわけねえだろっ! 女みたいに優しくあやすなんて出来るか! 俺は俺のやりたい事があるし、お前ばっかに手を焼いてらんねえし、……躾けで殴ることもあるだろ? まあ、あんま効果なかったから、最近はもう放ったからかしにしてたが」
「……」
―――……信じらんねえ。
こいつ、あれで“躾け”と言い切る気か?
……もう、何かいろいろ脱力した。ホントにさっさとこんな家、出てってれば良かった。
「テオラドール、この家にある、好きなもん持ってけ。俺からの門出だ」
「は?」
「くだらねー親の自覚はあったが、まあ、お前に金五枚の価値がついたんだ。金五枚! そりゃ誇って良いことだぜ。俺のガキにしちゃ上出来だ! 何でも持ってっていいぞっ」
がっはっはっと虚しく笑い、背を丸める親父。
「―――……いらない」
こんな奴から、何を貰えっていうんだよ?
金も無い。力も無い。もう、若くだって無い。
「そう言うなよ。そうだ! ロングソードはどうだ? 対して高いもんじゃねえが、俺の冒険で大いに役に立ってくれてる、百戦錬磨の剣だぜ」
―――対して手入れもされてない、ロングソード。
「いらない」
「じゃあ、今日の俺の稼ぎは? つっても、2、3回程度の飯代しかないが……」
「いらないって言ってるだろっ!」
「っ親らしいこと、なんかさせろよっ!!」
「!?」
堪らず吐き捨てた俺の言葉に、親父が信じられない言葉を吐く。
酒瓶を握りしめたまま俯く親父。
「……何言ってんだ、親父。……今更、親父ぶるなよ」
「……」
長い沈黙の後、親父がポツリと言った。
「そりゃ、……そうだよな。……そうだな。……行けよ」
俺は親父に言われた通り、2階への階段を昇った。
チラリと横を向けば、頭を垂れる親父が居る。
―――俺は、ここへ何しに来た?
俺は親父に叫んだ。
「っ、感謝してるっ!」
「……?」
顔を上げ、不思議なものでも見るように、目を丸くして俺を見る親父に、俺は続けた。
「俺も親父を“いい親父”だったなんて、欠片も思わない! 記憶にある母ちゃんの方が、よっぽど“いい親”だった」
「……」
「―――っだけど、今日までオレを捨てなかった家族は、アンタだけだった!!」
「……当たり前の事だ。……そんな事で……」
「親父、ありがとう。じゃあなっ!」
「あっ、おいっ!! テオラドールっ!!」
俺は走り出した。
親父の静止の声が聞こえたけど、無視した。
いわゆるこれは、“言い逃げ”って奴だ。
―――だけど、今更親父の顔なんか見れるか!
何か、俺の顔が熱いんだよ。
しかも油断すると泣きそうな程、心臓がドキドキしてる。
親父は大嫌いだったのに、……大嫌いだったのに。
2階の窓をそっと抜け出し、空が明るみ始める暗い街を、俺は走った。
―――なんてこと無い。ありがとうって言ってきただけだ。
だけど何か、俺はもうこの先何があっても、振り返らないで真っ直ぐ進める気がしたんだ。




