終焉の序章②
「テ、テオッ!」
苦しげな、エルの声が聞こえた。
地に伏したまま確認しただけで、大人が15人……いや、もっとだな。
俺は混乱したまま、地に伏しもがいていると、キキがまるで宥めるように話しかけてくる。
「アンタは、人間だ。出ていく必要はない。妙なナイフは捨てて私達と居よう? テオは仲間だ」
「エルだって仲間だろ!?」
「違う、化物だ。人間に似た姿だからって騙され無いで。エルはは初めて逢ったときから、ちっとも成長してない。その割に、あの身体能力はいくら爺さんに仕込まれてたからっておかしいよ」
「お、俺達だって、爺さんのおかげで強くなったっ!」
「……あの爺さんだっておかしかった。耄碌しかけで勇者より強いなんて、おかしいだろ? 気付きなよ、テオラドール!」
俺は頭に来て叫んだ。
「その名前をっ、呼ぶんじゃねぇっ!!」
その時、……エルの声がした。
ただそれはあのエルじゃない、何か歪で、邪悪な何か。
「……く、テオラドール。いい名前ではないか」
「「「「!!!?」」」」
その場に居たもの全てが、弾かれたように、縄を打たれた小さなエルを見た。
厩の馬たちもまるで化物から逃げたがるように、竿立ちになり暴れている。
エルが頭を上げ、辺りを見回す。
―――全てを見下す、その視線。
―――その瞳は、昨日見た、鮮血の緋色。
「……久々に目覚めてみれば、なんじゃ?」
その場にいるだけで押し潰されそうな圧迫感に冷や汗が出る。
青い瞳のエルが言っていた言葉が脳裏を過る。
―――夜の覇王。
まさにその通りの威圧だった。
皆が沈黙する中、エルが首を傾げて自分を縛り上げる隣の男に尋ねた。
「バロックはどうしたのじゃ?」
「……な、なにを言っている? 去年死んだだろう?」
「……そうか。存外弱かったな。―――……まあ、奴は妾の眷属の中では凡夫も良いところ。忠誠心以外では何ひとつ突出せなんだ、出来損ないだったからの」
エルはそう言うと深いため息をついた。
……いや、爺さんを出来損ない?
……アイツは本当にエルはなのか? エルは爺さんが大好きがった筈だ。
―――……なんだ? アレは。
「とは言え、バロックは死に際に、なかなか良い物を残してくれたようじゃな」
アレがそう言うと、アレの身体を捕えていた縄が、まるで細い糸のようにプツンと切れ、その足元に落ちた。
「な……、馬鹿な……?」
「本性を現したのかい!? エル!!」
縄を握っていた男はその場で腰を抜かし、キキがアレを睨む。
アレはキキの鋭い視線を受け流し、手を掲げた。
途端に、キキと言わず、その場にいた全ての人間が俺のように、地に頭を押し付ける。
「ガッ!?」
「うあっ!!」
「―――……ふん、頭が高いわ」
同時に俺の体が開放され、アレは音も無く俺に歩み寄った。
地に這いつくばる俺に、エルだった物が金の髪を揺らしながら、俺を見下ろす。
「のう、テオラドールとやら。妾に忠誠を誓うか? ならば、その血、真っ先に喰ろうてやる」
「なっ、なにを……。お前は誰だっ」
俺は、震える声で必死に言った。
ただ睨み上げる俺に、エルだった物の眉間にシワが寄る。
「……チッ、バロックめ。肝心な事を話しておらんのか。……ま良い。妾はルナシェルムぞ。亡国の女帝にして、夜の覇王じゃ」
ルナシェルム……? 違うだろ。お前は……。
「エルは?」
「……エル? 妾が眠っておる時に、戯れに置いた妾の事か? 随分とそのままごとが気に入っておるようじゃ。心配するな、アレも妾よ」
―――……そんな筈ない。エルはどこだ?
お前がエルを“アレ”呼ばわりするんじゃねえよ。
「さて。まだ時は来ておらぬようだが、テオラドールよ。お前が望むなら妾はお前を喰らう事ができる。我が眷属となり、永遠の時を妾に仕えさせてやるぞ」
「っ」
言葉を詰まらせていると、遠くから、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
「望め。妾と共に居たいのであろ? その血の芳香、妾に心酔している証じゃ」
「……お前じゃない……。俺は、エルがっ……エルを、エルを返せ!!」
途端、ルナシェルムの口元に浮かんでいた笑みが消えた。
そして、つまらなそうに視線を反らせた。
「つまらん。バロックめ、とんだ節穴だったようじゃな」
「……っ」
コイツは爺さんとどんな繋がりがあった?
そしてふと気づく。爺さんは、エルを大切にしながら、この化物の存在を知っていた。
その上で、俺をエルのそばに居させた。
―――……爺さんは、俺に何をさせようとしてたんだ?
分からない。
わからない。
信じてたもの全てに裏切られて行く。
―――月が、一瞬陰った。
俺の頭は混乱して、現実を受け入れられないのに、事態はどんどん動いていく。
―――目の前に、昨晩会った化物が舞い降りた。
そしてそのままルナシェルムに跪く。
驚く俺を他所に、ルナシェルムはただ口の端を釣り上げただけだった。
「お目覚めになられましたか。プリンセス」
「……ルシファー」
白骨の翼の化物。亡者を統べる者、ルシファーだった。
―――最悪だ。
ルシファーは、ルナシェルムの足元に散らばるロープに目を留め、困ったように笑う。
「……オレがお救いしたかったのに、御自身で解かれたようですね」
悪魔を従えるルナシェルム。
その力で屈強な大人達や仲間だったキキを、為す術なく地に這わせるルナシェルム。
―――……嘘だろ?
エルはどこいった?
俺は、化物と化したエルを、ただ唖然と言葉もなく見つめた。




