ジジイの夢①
夕日が沈み、残光が街を茜色に染める。
小さな俺が、親父に殴られ、泣きながら走って逃げていた。
―――ああ、知ってる。これは昔の俺だ。
そうか、これは俺の“夢”か。
そうだ。
あれは確か、母ちゃんが出てって、1週間後位の時だったか。
その日、俺が親父に殴られた理由は、ダンジョンでの稼ぎが少なかった上、気に食わない冒険者と鉢合わせたとか、そんなくだらない理由だった。
チビの俺は、街中を走り抜けて、仲間の居るゴミ山に向かってたんだ。
そして、たまたま向かいから歩いて来た冒険者とのすれ違いざま、ふと思い立って懐から財布を盗んだ。
―――ざまあみろ。
ムシャクシャしてやった。本当に下らない、そんな理由だった。
だけど背中から、かけられた言葉は、俺の想像もしなかった言葉だった。
「パンツが丸出しだぞ! 少年よっ!」
「……!?」
俺は自分の下半身を見下ろした後、驚愕に思わず立ち止まり振り向いた。
俺はパンツ一丁で街中に佇み、振り向けばそこに、2枚の布になった、元俺のズボンが落ちていた。
「―――っ!」
顔を赤らめる俺に、冒険者は言った。
「パンイチとは、なんと哀れな少年だろう? 財布があれば、新しいものを買ってやるんだが?」
ニヤリと笑う、真っ白い白髪をした、60歳位のジジイだった。
パンイチでジジイを睨む俺に、街の奴らの野次が飛ぶ。
「優しい爺さんじゃねえか! 買ってもらえよ!」
「……っ」
盗みがバレたのに、誰も俺を殴ろうとはせず、嗤うだけ。
今までも、盗みをしてバレた事は3回程あった。そしてその時は、その場で気を失うまで殴られた。
今は痛くはない。……だけど、そこに立ってる事が、どうしようもなく辛かった。
俺はジジイを睨みながら、財布を投げた。
絶対にキャッチできない筈の場所に投げたつもりだったのに、ジジイはすごく自然な動きで身を捻り、それを受け止めた。
「君が拾ってくれていたのか! お礼をしないとね。どれ、服を買ってあげよう」
「っいらねーよっ!」
そのまま俺に近づいて来ようとするジジイに、俺はそう叫ぶと走り出した。
だけど2歩目を踏み出した瞬間、俺の身体が宙に浮く。
「っな!? はっ、放せ! ジジイてめっ、降ろせ!!」
喚く俺に、ジジイは気にせず自分の着ていたマントを外すと、ニコニコと笑いながら、それを使って俺を“す巻”にした。
「ジジイではなく、せめて爺さんと呼びなさい。ズボンを買ってあげる約束だっただろう。ほら、パンツが出ていては恥ずかしいよ。買ってあげるまで、これで我慢してくれるかな?」
「ちょっと、やめっ……助けてっ!!」
す巻にされた俺は、思わず周りの大人達に助けを求め、悲鳴を上げた。
「ハハッ! いい格好じゃねえか!」
「優しいやつで良かったなあ! 親切には、親切で返して貰えよ!」
奴らは涙目で訴える俺を笑うだけ。
ジジイが、そんな大人達には聞こえない様な小さな声で、俺に囁いた。
「いいかい、少年。弱者に選択権は無いんだよ」
「!?」
「社会的弱者も、力学的な弱者も。まあ、君は両方だがね」
ジジイはそう言うと、軽く野次馬共に会釈をして歩き出した。
◇
ジジイは普通に洋服屋に入り、す巻の俺を店員に見せながら言った。
「この子くらいが着られるズボンを、ひとつくれないか」
「は、はい!」
店員は、す巻の俺にはツッコまず、何着かのズボンを持ってきた。
「これが良いか。さっきのズボンの色と似ている」
「金貨2枚と銀5枚になります」
「!?」
その額を聞いて、俺は驚愕した。
ガキの服、それもたったズボン一着に金貨2枚!?
―――今月は調子いい。1週間でもう銀貨2枚分も稼げたぜ。
親父がそう、酒を飲みながら機嫌よく笑っているのを思い出した。
そして、金貨とはその銀貨を何十枚か足した価値があるとも、聞いたことがあった。
ジジイは見たことの無い黄色っぽい貨幣を3枚店員に渡しながら、にこやかに言った。
「いい品なのに、それだけで良いのかい。ここは良い店だ」
「あ、ありがとうございます!」
店員は金を受け取りながら、深々と頭を下げた。
……大人が、頭を下げたなんて、初めて見た。
◆
店から出て、暫く歩いた空き地で、ジジイはやっと俺を降ろした。
「さあ、君のズボンだ」
そう言って大層な箱に入ったズボンを、ジジイは俺に差し出してきた。
俺はジジイを睨みながら言う。
「縛られたままじゃ、受け取れないだろっ! ……それに、そんなおキレイなズボン俺には似合わねーし、そんなもん履いて帰ったら、親父にまた殴られる。“どっから盗ってきた”ってな」
俺の言葉に、ジジイは何故か目を丸くした。
それからおもむろに箱を破り、ズボンを取り出すと、ジジイはズボンを破り、砂の舞う地面に擦りつけた。
「なにしてんだ!? ジジイ!」
「? 君が言ったんだろう。キレイなものより、ボロボロの方が良いって。不思議な子だ」
「っそう言うつもりじゃ……」
俺が穴の開いた、薄汚れたそのズボンに目を見張っていると、ジジイが言った。
「私は力があるから、君と違って、なんだって手に入れられる。どんな美しい物だってね。そしてそれを壊すこともとても簡単だ」
爺がまた、俺にその泥まみれのズボンを差し出す。
「さあ、君のためにあつらえた、君によく似合うズボンだ。後、ジジイではなく、爺さんと呼びなさい」
「―――っ」
何も言えなかった。
芋虫のように地面に転がる俺。
余裕の笑みを見せながら、一生手の届かないような物をいとも簡単に破り捨て、泥まみれのズボンが俺に似合いだと突き出してくるジジイ。
俺はその日、親父以上に大嫌いなジジイと出会ったんだ。
ジジイ回、もう一回くらい続きます




