死神と少女
「殺して」
彼女の言った言葉を許すことができなかった。私の名は144。死神だ。
死神の世界では番号呼びが普通である。勿論死神家業をしている以上ノルマもある。
最近は死期を向かえようとしている人間を他の業者に取られもしている為、業績が上がらず上司に怒られたばかりである。
「クソッ、何荒れているんだ私は……」
そう言って私は歩きながら缶の泥酒を飲み干した。魔界三丁目の異形BARで酒を浴びるように飲み、今宵もまたフラフラと現世へ向かう。
この頃は社会に絶望する者はあらかた殺してしまった為、ターゲットが不在の場合が多い。あくまで現地調査のようなものだ。
「あの少女……泣いている」
私はカーテンをしていないマンションの一室の窓から見える一人の少女を目撃し、フワフワと浮く足を玄関先の縁に置いた。
ようやく獲物が発見できてはやる気持ちを抑えられず、自らの身体を透過して家の中へ侵入。たちまち少女の部屋まで潜り込み、彼女の背後に立った。
「こんな世界滅んでしまえばいい」
彼女の悲痛な声がベッドに吸収された。私はすぐさま鎌を彼女の首元へ向ける。
慈悲はない。彼女自身が崩壊を望んでいるなら仕様がない事なのだ。
「誰……?」
私は危うく声を漏らしそうになったが、必死に堪えた。
彼女にはその鎌の冷たさが伝わってしまったのか?そんなはずはない。
確かに霊感のある者なら多少は分かるのかもしれないが、普通の人間なら絶体に分からないはずである。
「後ろに誰かいる……」
遂に気付かれてしまった。この獲物、鋭い直感を持っているのか私の存在に気付いている。末恐ろしい餓鬼だ。
確かに身バレする危険性を持ってしてもこんな獲物を誰も狙うはずがない。私も諦めその場から立ち去ろうとしたが、その時だった。
「死神さん?」
半分恐怖半分無邪気で振り向いた彼女は私を指差した。死神は気付かれてはならぬ職種なのだ。このまま魂を抉り取る他無い。
「悪く思うな、餓鬼」
「殺して」
「何だと?言われなくとも」
「早く殺して!」
大粒の涙を流しながら彼女は訴えた。今まで死神の正体を見た人間共は沢山見てきたが、大概は恐怖で恐れ慄くか失神するかのどちらかである。
何も恐怖もせず自ら殺してなどと懇願する人間を見たのは生まれて初めてだ。逆に私が不気味さを覚えた。
「アンタ死神なんでしょ!?早く殺して!」
「事情が変わった。私も生者に頼まれて殺しをしているような職じゃないのでね」
「じゃあ何?アンタの職業は只の飾りだって言いたい訳!?」
これには流石の私もカチンときた。好んで死を要求するような甘えたの餓鬼に煽られるほど私は格が下がった訳ではない。
「いいか糞餓鬼。私は与えられた"仕事"を行っているだけだ。お前に頼まれてする殺しじゃない」
「じゃあアンタも私の親と同じね」
「何を言っている」
「人を騙して、自分の価値観を押し付けて、自分は何も悪くないと正当化する薄汚い大人と同じって事!」
私は更に苛立ちを覚えたが、絶対に鎌を振るうという事は無い。今ここで彼女の欲望を満たすということは私にとって敗北を意味する。
「そんな安直な理由で死を望むのか?馬鹿馬鹿しい」
「違う!生きてても何もいい事無い!今ここで死を望んでいる私を殺さないアンタの方が馬鹿馬鹿しいじゃない!」
「大声出すな、家族に見つかるだろ」
「家族は今働きに出てる。父はヤクザ事務所、母は風俗店」
流石の私も少し引いた。この女は世の中の闇という闇を背負って生きてきたのだ。その華奢な身体で背負うにはあまりにも重すぎる。
「言いたい事はわかった。だが何故生きるのが嫌なのかの根本的な理由になってないだろう」
私がため息を吐いて問うと、彼女は重い気をゆっくりと鎮めた。
「私は親が俗的な仕事ばかりしてるから小さい頃から虐められてて、苦しい毎日を送ってた」
「そんなもの逃げるか闘えばいいだけの話だ」
「聞いて!奴らは私が女だからって抵抗できないように言葉責めしてくるのよ!?そうじゃなくても殴る蹴るなんて当たり前だし」
「お前が反応するから面白がってやってるものだろう。さっさと誰かに相談するか陰湿ではない方法でやり返せ」
「出来ないから死にたいんじゃない!お陰で私は不登校になって成績も個性も友達も全部失った!親も『お前だけはカタギの道に進んでほしかったけどな』なんて言ってくるしもう最低よ!」
「いい親じゃないか、大切にしてやれ」
「無理に決まってるじゃない!父親の方は毎晩の女連れてくるし、何度家の中が修羅場になったことか!もう嫌なの!日常における森羅万象が!」
彼女は遂に気持ちを抑えられず泣き崩れた。
ここまで現実と戦ってきてそれでも報われなかったのかと思うと、残虐さと無慈悲さを兼ね備えた人間界に生まれ堕ちた彼女を少しだけ哀れにも感じる。
「落ち着け」
「落ち着ける訳ない!」
言わば絶望の淵に落とされた人間はそう簡単に立ち上がれるものではない。
何度も心を折られ既に気力を失った奴など特にその傾向が強く、現世でも腐るほど存在する。
「辛かったのはわかる」
「何よ!?死神が同情するつもり!?」
「同情するつもりなんかある筈が無い。仮にも死神だ」
「じゃあ何が言いたいの!?言って!」
苦しみ悶える彼女だが、私は遂に職務放棄をする時が来たようだ。
「お前の恨む奴ら全員殺せば気が晴れるか?」
彼女は首を横に振った。
「私は殺す事しかできない。毎日ハードワークで勤務してても業績が伸びず部下でさえ鼻で笑う始末だ。こんな私を惨めだと思うか?」
彼女はまた首を横に大きく振った。それはお前なんかにわかる訳がないという意志の表れかもしれない。気にせず私は続ける。
「私も同じ境遇だ。死神始めたての頃から殺しの実績も無く今だからこそ仕事として成り立っているが、それでもホームの魔界ですら笑いのタネだ。お前と同じだな」
「煩い!出てって!」
彼女は次々と部屋のぬいぐるみや模型やらを私に向かって投げてくるが、勿論そんな物は私に効くはずがない。
「結局何が言いたいの……?」
ボサボサになった髪を戻しもせず美しい顔をちらつかせる彼女だが、私は微動だにせず答えた。
「どんなに辛い境遇でもお前は生きてるんだろ?さっさと身支度でもしてお前を一番理解する奴を探しに行け」
「そんな事しても何も変わらない!無駄なこと言わせないで……!」
「お前は1人で戦っている様に錯覚しているが必ず何処かにお前の仲間がいる。今度はお前がそいつに寄り添い痛み分けする番だ」
「痛み分けした所で惨めなだけじゃない!もう終わりよ!さっさと死んでやる!」
彼女を傷つけないように助言を与えたつもりだが、当の本人はその気遣い自体が苦痛になったらしくカッターナイフで己を突き刺そうとした……。
だが刀は身体を貫こうとしない。貫いたのは彼女の懐に転がっていたぬいぐるみだった。それは綿を吹き出しながら彼女を抱きしめる形で横たわっている。
「残念だが絶対にお前は今から死ぬ事はできない」
「どういう事……?」
「生き物にはどれも死ぬタイミングってもんがある……今お前がいくら身体にナイフを突き刺しても死ぬ事は無い。それは生命に対する侮辱だ」
「そんなの呪いに等しいじゃない!ふざけないで!」
「せいぜい生きる苦痛に悶えながら死ぬ事を楽しみに待っておくんだな。糞餓鬼」
「最低!アンタが死んじまえ!偽善者!」
これ以上の接触は私の身に毒だったので部屋をすり抜け、外へ抜け出した。
近隣の迷惑を考えず彼女の泣き叫び声が辺り一面に響いている。
いずれ彼女も泣き止み前に進む勇気を振り絞る事を祈りつつ、私は空を見上げた。綺麗に満ちた満月の輝きが闇夜を照らす。
「この次元で最も自分を正直に写し出すのは自然か……皮肉なものだ」
完全に酔いが覚めた私は空を切り裂き無理矢理次元の狭間をこじ開け、魔界へと戻る。
この世は復讐や憎悪の心で塗れているが、この頃はより多くの闇が生み出されている分より仕事が増えそうで一安心だ。
決して情けだとかそういうものは一切無い。私の名は144。死神だ。