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深夜の縁  作者: 人仁
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深夜のコンビニは出会いの場 1

 第1話  深夜のコンビニは出会いの場~1

 

 その人影を見つけた時、俺の背筋は真夏にもかかわらず冷たいものでなぞられたかのようにぞっとした。

 深夜、駅前のコンビニの前で、『クリームたっぷりシュークリーム』となんのひねりもない文字がプリントされた包装を破ろうとして、ふと、コンビニの入り口の横に設置してあるごみ箱に目を向けた矢先の出来事である。3つ並んだごみ箱の先に、背中の中間あたりまで黒い髪を垂らした女性が、膝を抱えてうずくまっていたのだ。

 時間帯もあって、まさか幽霊か?と真っ先に浮かんだ。長い黒髪の女性というのがまたテンプレであり恐怖を煽る。ビビってシュークリームを落としそうになる。 しかし、よく見ると二本の足はしっかりと生えていて、コンビニから漏れるわずかな光に照らされた姿は半透明などではなかった。

 ほっと胸を撫でおろす中、今度はこんな時間にどうしたんだろうと不審に思う。今は深夜の2時前だ。地味な普段着で手にコンビニの袋を下げた、いかにも夜食を買いに来ましたスタイルの俺とは違い、女性は仕事着と思われる紺色のスーツ姿で体育座りをして顔を両膝にうずめているため、そこにいる理由がパッと思いつかない。ただ、傍らには女性のものと思われる白いハンドバッグがどうぞ盗んでくださいと言わんばかりに置かれているのが不用心でならなかった。

 どこかで飲んで酔い潰れているのだろうか。それとも終電を逃して帰るに帰れず途方に暮れている?或いは男に振られて打ちひしがれているとか。焦燥感を漂わせている丸まった背中から推理する。どれもありえそうだった。良い理由でないことだけはわかる。

 少し迷ったが、どんな理由にしろこんな夜更けに女性が一人で座り込んでいるのはいろんな意味で心配だったので、ひと声掛けることにした。

 「大丈夫ですか?」

 無難な言葉を選びおずおずと話しかけると、女性はゆっくりと顔を横に向けた。 20代前半か、まだ成人していないかくらいだろうか。化粧っ気のない整った顔は幼い印象を受け、美人というより可愛らしい。あいにく女性は眉を吊り上げてふてくされたような表情をしていたが、それでもどこか愛嬌を感じさせる。細められた目とすぼんだ口が笑顔の形になればきっともっと可愛いだろうに、と少し残念に思う。

 女性は俺の問いに答える気配をみせずこちらをただじっと見つめてきた。中腰でいる俺のつま先から頭までを一通り視線が通り、最終的に膝のあたりで目線を留める。何かついているのかと俺も見てみるが、特に何かがついているわけではないみたいだった。

 「あの、大丈夫ですか?」

 伝わってなかったかと思いもう一度言う。ついでに目線の高さを同じにしようと膝立ちになる。一瞬目があったが、すぐにそらされてしまった。

 「私、エンコーとかしませんよ」

 不意に女性が口を開いた。

 エンコ―?って、援助交際のことだろうか。

 「いや、別にそんなつもりじゃ……」

 突然の物言いに慌てて弁解しようとすると、女性はそれを遮って口早に続ける。

 「ナンパもお断りです。会社帰りに疲れたから休んでいるだけなんで、ほっといてください」

 それだけ言うと、女性は再び膝の中に顔をうずめてダンゴムシのように丸くなってしまった。俺は口を開けたまま、あっけにとられて目を瞬かせる。

 ここにいる理由は一旦置いておくとしよう。態度が悪いのもまあ、機嫌がそもそも良くないみたいだったからよしとする。問題なのは女性はどうやら俺のことを援交かナンパ目的で話しかけてきたと思っている点だ。俺にはそんな趣味も度胸もないのに、実に不名誉な誤解である。思わず眉間がピクリと痙攣をおこした。すぐにでも肩を掴んで、違うから!と大声で否定したくなる。

 しかし冷静に考えてみると、相手は女性だからそう思ってしまうのも仕方がなかった。男に声を掛けられれば身構えもするだろう。善意かどうかは俺にしかわからないのだから、自己防衛としてきっぱりと言い切った彼女の対応は誰から見ても正当だといえる。

 ただ、いくら正当と言えど誤解であるなら修正はしておきたかった。主に俺の名誉のために。

 「下心とかはないんで、ほんとに。こんな時間にどうしたのかなーと思っただけで」

 「さっきも言いましたけど、会社帰りに疲れたから休んでいるだけです」 

 丸めた身体の隙間からくぐもった声が返ってくる。

 「だったら早く帰って家で休んだ方がいいですよ。家は遠いんですか?なんなら送りますよ」

 言ってから、しまったと思う。下心があると思われても仕方がない発言だった。

 「ここから近いのでお気になさらず」

 言葉遣いはあいかわらず丁寧だったが、案の定危険を察知したかのように身体に力が込められる。警戒心を高めてしまったようだ。というか近いんだったらなおのこと家に帰って休みなさいよ。それともわずかな距離を歩く気力もないほど疲れ切っているのか。

 床についても一向に眠れなかったから気晴らしに散歩がてら夜食を買いに来ている俺だが、本当なら一刻も早く寝なおして少しでも疲れを取らなくてはならない。数時間後にはまた仕事に出かけなくてはならないのだ。道端で出会った猫のようにあからさまに拒絶されているみたいだから、下手に関わらず放っておくべきなのかもしれない。

 しかしそれでは彼女が無事家に帰れたかが気になってしまってまた寝れなくなってしまいそうだった。俺は気になることがあると寝られなくなるのだ。それに顔が割れている以上誤解を与えたままでいるのは避けたかった。彼女の言葉に偽りがないのなら、俺と彼女の生活範囲はもろにかぶる。街中でばったり出くわすこともあるだろう。もしそうなったら、その時彼女は援交ナンパ野郎に出くわしたと思うだろうし、俺はそう思われてることを表情から察することになって、苦い思いをするだろう。これほどお互いにとって嫌な再会もそうない。

 話しかけた以上、彼女のためはもちろん、俺が平穏な睡眠を獲得するためにも、お互いの保身のためにも、誤解を解いて彼女が家に帰るまでを見届けなくてはならない。

 それにはまず彼女に抱かせてしまった警戒心を解く必要がありそうだ。なにか糸口が掴めないか、頭をひねる。

 ふと、手に持っていた袋が目に入った。

 「あ、食べます?これ」

 夜食用に買ったシュークリームをコンビニの袋から取り出して差し出してみる。餌付けみたいで気が引けたものの、疲れた時には甘い物が一番と聞くし、警戒心を解くにしても有効な手だろう。

 女性が盗み見るように目だけを外に出し、俺の持っているものを確認する。ぴくりと肩が揺れた。しめしめ反応あり。これで受け取ってくれれば少しは心を開いてくれることだろうと淡い期待を持って動向を見守る。

 「……いりません!」

 しかし女性は何かを断ち切るように首を横に振って言った。

 「あ、そう……」

 肩を落とす。簡単にはもらってくれないようだ。街角のティッシュ配りじゃないんだからそりゃそうか。

 仕方なく手を引っ込めると、ガサッと包装が鳴るのと同時に、一瞬女性の目が俺の手元に向けられたのを、俺は見逃さなかった。いらないと言いつつも気にはなっているらしい。食べるのはよしておこう。

 「あの、大丈夫なんで帰ってください。私ももう帰りますから」

 女性は突き放すようにそう言うが、立ち上がる気配はなかった。鵜呑みにして俺が去ったとしても、ずっと座っていそうだった。

 「そんなこと言ってる間に援交目的の誰かにまじで連れていかれてしまいますよ」

 「ここコンビニなので、なにかあれば飛び込みます。向かいに交番もありますし」

 「飛び込む暇なんてくれないと思いますけどね。交番も今、人いないみたいだし」

 道路を挟んだ向かいにある交番は、電気はついているものの中に人の姿は見受けられなかった。パトロールに出ているのか裏にいるのかは知らないが、これでは連れ去られそうになったところで助けは期待できない。コンビニだってレジに立っていたのは女性だった。もしものことがあっても通報するのが関の山で、間に入って助けてはくれないだろう。

 しかし、女性は動じていなかった。

 「平気です。よくここにいますけど、怪しい人に声を掛けられたのは一度しかありませんから」

 「なんだ、一度とはいえあるんじゃないですか。ほら、こんなところに座り込んでるのは危険……」

 まてよ。

 「それってまさか俺ですか?」

 「……」

 女性は答えなかった。否定しない時点で間違いなく俺だ。

 「だから援交目的でもナンパ目的でもなければ、やましい気持ちもないですって。コンビニに夜食を買いに来ただけの一般市民です」

 「その割には絡みますね」

 「そりゃ深夜に女性が一人で項垂れてたら心配もするでしょう。何か疲れている以外に別の理由があるようにも見えますし。力になれるかはわかりませんが、話くらい聞きますよ」

 優しく語りかけるように言うと、女性は顔を傾けてこちらを向く。目だけはすねたようにぷいとそらされる。

 「……おせっかい」

 「まあ、否定はしませんが自己満足でもありますよ。このまま家に帰ってもあなたのことが気になって寝られなくなりそうなので」

 「それ、口説いてるんですか」

 女性の視線が動揺したようにさまよう。

 「え?ああ、いや深い意味ではなく、そのままの意味で」

 「……」

 「どうです。話してみません?無理にとは言いませんけど」

 女性は考え込むように口を閉ざした。所詮は初対面の人間だから、話してもいいと思ってくれる確率は低い。ましてや異性で、援交容疑をかけられている奴の申し出である。

 だめもとで言葉を待つ。

 「他人の愚痴なんてつまらないですよ」

 中腰に疲れ屈伸をしていると、女性が唇を尖らせて呟いた。予想外で驚くも、話してくれそうな雰囲気に嬉しくなって笑顔で答える。

 「面白い話を期待してるわけじゃないんでつまらなくても関係ないですよ。あなたの気が晴れてくれさえすればいいです」

 「時間、いいんですか」

 「ちょうど寝られなかったから、俺にとっても気晴らしになってちょうどいいです」

 明日、いや、今日も仕事があるから悠長なことも言っていられないが、心残りをなくすためなら致し方ない。まあ深刻にならずとも、愚痴が始まれば平気で三、四時間しゃべり続ける俺の上司じゃないんだから一時間もあれば吐き出しつくすだろう。

 「わかりました。……それであなたが納得するなら」

 渋々といった口調が返ってくる。ようやく顔が完全に起き上がり、身体に込められた力が緩んだのがわかる。

 「ありがとう」

 なぜか俺が礼を言っていた。

 「あ、隣いいですか?」

 話を聞いている間ずっと中腰のままは辛いと思い女性の左隣を指さす。女性は「どうぞ」と短く了承してくれた。

 真横はさすがに図々しいと、30cmほど距離を取って腰を下ろす。昼間のうちに熱せられたせいか、コンクリートと設置している尻が少しだけ熱い。日中だったらとてもじゃないが座れない暑さだろうなと思っていると、ああ、そうだと手に持ったままだったシュークリームのことを思い出し再度女性に差し出してみる。

 「食べます?ちょっとぬるくなってるかもしれませんが」

 クーラーの効いた店内から蒸し暑い外に出されたことで、シュークリームの包装も汗をかいていた。

 「変な薬とか入ってないですよね」

 女性が疑る目でシュークリームを見る。

 「ついさっき買ったばかりですって、なんならレシート見ます?」

 提示する気満々で言うと、女性は膝を抱えていた手をおずおずと伸ばして、シュークリームを受け取ってくれた。

 「……頂きます」

 「どうぞどうぞ」

 安堵する俺をしり目に、女性は袋の外側を入念にチェックしだした。穴が開いていないか包装を軽く押しつぶしながら耳元に近づけて空気の漏れを確かめている。まあ、いいけどね。

 女性は一通り確認し終え安全だとわかると、包装を破りシュークリームを口に運び始めた。一口食べるたびに皮の隅からでろっとクリームがあふれ出し、包装の中に漏れ出していく。クリームたっぷりの名に恥じない商品だった。

 女性はそのまま無言で半分ほど食べ進めて、ようやく包装の内部にクリームの海が広がっていることに気づくと、うわっ、と言って顔をしかめた。その顔もクリームの脅威にさらされていた。

 「左頬にクリームついてますよ」

 「ええっ」

 コンビニの袋からおしぼりを取り差し出すと、女性は急いでそれを受け取り、頬を拭った。

 「取れました?」

 確認させるように左頬を向けてくる。俺が頷くと、安心したようにシュークリームを再びかじり始めた。クリームがほとんどはみ出しているせいで、はた目には皮を食べているようにしか見えなかった。

 最後のひとかけらを食べ終えおしぼりで口元を拭うと、女性は袋の中に残ったクリームを憎々しげに見ながらゴミをひとまとめにして、手を伸ばしてすぐ横のゴミ箱に放った。

 シュークリームの効果はなかなかのもので、女性の表情からはとげとげしさが薄れ、落ち着きが見られた。

 「ごちそうさまでした」

 「いえいえ。それで、どうしたんですか?」

 さっそく聞くと、女性は膝に顎をのせて身体をロッキングチェアのように前後ろに揺らし始めた。「そうですね」と、語り始める。

 「今日、上司に叱られたんです。あ、今日も、ですね。しょっちゅう叱られてるので。ただ、今日のはなんか納得がいかないというか、あそこまで怒る必要はないんじゃないかって、もやもやしてたんです」

 「なんで怒られたんですか?」

 「私の仕事、デスクワークが主なんですけど、全然終わらなくて休憩時間も返上してやってたんです。そうしたら上司が私のところにやってきて、勝手なことはするなって怒るんです。何に対して怒っているのかわからなかったから、なにがですかって聞いたら、休憩時間に仕事するな!俺が怒られるだろ!って怒鳴られて」

 なるほどね。なんとなくその後の女性の心情が読めた。

 「ひどくないですか?別に休憩時間に仕事するくらいいいじゃないですか。会社のためにやってることですし、誰にも迷惑かけてないんですから。大体、新人に仕事を振りすぎなんですよ。普通にやって終わるわけないじゃないですかあんな量!」

 目がキッと鋭くなる。徐々に声までも大きくなっていった。相当鬱憤が溜まっていることがわかる。

 「そもそも上司だって、たまに休憩時間に自分のデスクでパソコン弄ってるんですよ。私に勝手なことするなって言っておいて、自分はしてるって矛盾していると思いません?その場は一応謝りましたけど全然納得できないです。しかも、去り際になんて言ったと思います?」

 「さあ、なんだろう」

 「『これだから新卒はいらないって人事にくぎを刺したのに』って。なにそれ!私のこと?そんなこと本人を前にして言います?意味わかんない!」

 「ま、まあまあ落ち着いて」

 ヒートアップしていく気を、どうどうとなだめる。そうしつつも俺の顔は引きつっていた。いくらなんでも上司にあるまじき発言だ。そりゃあ怒るのも仕方がない。

 女性は、ふう、と荒々しく息を吐いた。

 「……そういうわけで、釈然としないまま仕事が終わって、ここで悶々としていたんです」

 「なるほど。ちなみに、いつからいたんですか?」

 女性が腕時計を確認する。

 「1時間くらい前になりますね」

 「相当、考え込んでいたんですね……」

  苦笑いが漏れる。にしてもコンビニの店内からは死角になっている関係で店員に不審がられないのはわかるが、その間よく俺以外の通行人に声を掛けられなかったものである。入り組んだ位置にあるコンビニならまだしもここは駅前のメインとなる大通りに面しているコンビニだ。一時間もあれば深夜と言えどそれなりの人数が通りかかるし当然視界にも入ったはずである。今だって、死にそうな顔をしたサラリーマンが一人とぼとぼと目の前を歩いていくし、ごみ箱の横で座り込む俺たちを面倒そうに一瞥もした。誰も心配に思わなかったということだろうか。はたまたごみ箱の横で座り込む女性を不気味に思ってスルーしたのか。

 「さっき、よくここにいるって言ってたのは?」

 「怒られてその上帰りが遅くなったりすると、ここに座って考え込んでいるんです。暗い気持ちのまま電気のついていない真っ暗な家に一人で帰るのが嫌なので。ここだとコンビニの店員さんが近くにいるのとお店の近くということで、安心できるんです」

 「はあ」

 暗い家に帰るのが寂しいのは俺も経験があるのでなんとなく理解できた。しかしだからといって店の脇に居座ろうとは思ったことがなく、結果あいまいな返事になってしまう。ああでも子供の頃家に一人きりの時、台風や雷が怖くて近くの店に避難しようとしたことがあったっけ。それと似た感じなのかもしれない。

 「えっと、とりあえず、あなたがここにこうしてる理由はわかりました。確かに、その上司の頭ごなしな態度と発言は、良くないですね」

 「ですよね!」

  女性が勢いよく顔を向けてくる。女性が背後に背負う怒りのオーラが増したような気がして、あまり共感しすぎると、明日からの上司との関係が危ぶまれそうだった。

 「でも上司の休憩時間に仕事をするなっていうのは間違ってはないですよ」

 「え、何でですか!?」

 即座に女性は口をへの字に曲げ不快感をあらわにした。コロコロ表情が変わる人は、見ていて飽きない。

 「だって休憩中に仕事をしたら、サービス残業と同じになっちゃうじゃないですか」

 「サービス残業?それって給料が払われない残業のことですよね。それとなんの関係があるっていうんですか」

 「休憩中だって給料が発生しないんだから、その時間に働いたらサビ残も同然でしょう」

 当然のことのように俺は言う。

 「えっ!?休憩時間って給料でないんですか?」

 「そりゃ会社の決めている働かなくていい時間帯に給料はでないですよ」

 知りませんでした、と女性が目を丸くさせ驚きの表情を浮かべる。普通入社時なり研修なりで説明がありそうなものだが。女性が忘れているのか、説明がなかったのか。彼女から聞いた上司の言動から俺の頭の中で構築された彼女の上司像からすれば、後者でもありえそうなのが怖い。

 「じゃあ、私は知らずにサービス残業をしていたってことですか?」

 「そうなりますね。勝手にってのもちょっとまずかったかと。そんな姿を役員に見つかりでもしたら、上司はサビ残させてるのかと疑われ責められてしまいますからね。そりゃあ注意もしますよ」

 注意の仕方は最悪だけど。

 「でも上司だって休憩中によく仕事してるんですよ?それはいいんですか?」

 聞かれるだろうと思った質問だった。似たようなことを何度か問われたことがあるせいか、耳が痛い。そうだよなあ、そうなっちゃうよなあ、と頭を掻く。

 「ほんとは決められた通りの時間に休憩を取るべきなんですけどね。言い訳になるかもしれないですけど、上の人間になると重要な仕事が突然舞い込んできたリ、会議だとか打ち合わせだとかで、休憩を取りたくても取れない時が出てくるんです。そういう時は、いたしかたなく休憩時間中でも仕事をすることは出てきちゃいますね」

 「だから仕方がないって言うんですか?」

 「いやいや。たとえそうであったとしても休憩を取らなくちゃいけないのは同じですよ。ただ決まった時間に休憩が取れなくても、ちゃんと時間をずらして休憩を取れば問題はないんですよ。その上司も、空いた時間に取れていなかった分の休憩は取っているはずです。もちろん末端の社員がそれを勝手にやるのはだめですけどね。それを許したら無法地帯になっちゃいますから」

 女性の会社の自体がわからないから、俺の勤める会社を参考にして語る。内容自体は基本的なことだからよほどのブラック企業でなければあてはまるはずだ。

 「言われてみれば、就業時間中に少しの間いなくなることがあったかも」

 女性が思い出すように顎に手をやる。俺は靴の上を昇ってくるありをどかしながら言う。

 「であればその上司は一応規則を守っています。咎められるようなことはしていませんよね」

 「う……で、でも私だって仕事が多くて困っていたわけですし」

 「それを上司に訴えましたか?」

 「それは……してませんけど」

 「だったらまずは相談しましょうよ。困っていますって。そうすれば量を減らしてくれてたかもしれないじゃないですか」

 女性はばつの悪い表情を浮かべ、目を逸らす。意識して優しい口調を心掛けていたが、少し説教じみた言い方になってしまったかもしれない。

 一旦口を噤み、しばらく正面を向いて女性の言葉を待つことにする。俺が答えたのは上司の擁護ばかりで、彼女からすればたとえそれが正しいことでも気に入らないはずだった。すぐに理解しろと言っても無理がある。ゆっくり考える時間が必要だ。

 しばらく人の行き来がめっきり少なくなった風景を眺めて時間つぶしをしていたが、すぐに飽きてしまい、すぐ真後ろに飾られている雑誌の表紙をガラス越しに眺めることにした。

 パチンコ必勝法と題された雑誌のギラギラした表紙に目がちかちかしだした頃、女性がぼそりと言った。

 「つまり、私がいけなかったんですね」

 顔を戻すと、女性はうつむきがちで真剣な目つきをしていた。

 「私が勝手に休憩時間に仕事をして、私が無知だったから勝手に腹を立てていた。そして、揚げ足を取って勝手に恨んでいた。全部、私の独りよがりだったんですね」

 どうやら自分に比があったことを理解できたらしい。であれば、あとは思いつめないようにケアをしてあげなければ。

 「そうではありますけど、自分を責める言い方はやめましょう。俺から言わせれば、焦ってしまって手段を間違えただけ。休憩の仕組みを知らなかっただけ。上司の発言と行動の違いに疑問を持っただけですよ」

 あくまで今回のことは不可抗力であることを強調する。女性が顔を上げて、不安げな顔で俺をみる。

 「そんな軽い感じでいいんでしょうか」

 「自分のせいだっていちいち重く受け止めていたら、キリがないでしょう。いろいろ重なって今日はうまくいかなかっただけ。次からは気を付けよう、で終わり。それでいいじゃないですか」

 悪いことは深く考えれば考えるだけ、ドツボにはまる。考えなくていいところまで巡らせてしまう。そうなれば負の連鎖がいつまでも続いて、嫌なことが立て続けに起こるようになる。無責任に思われても、早めに鎖を断ち切ることが、社会の荒波をおぼれずにに渡っていく秘訣だ。

 「そう、ですね。その方が気が楽かもしれません。できるかどうかわからないですけど、そう考えられるように頑張ってみます」

 頑張るって。何もそんな力入れるようなことじゃないんだけどな。思わず笑ってしまう。

 「真面目なんですね」

 「いえいえ、そんな」

 手を大きく振り、目を見開いて否定する。謙遜するあたりやっぱり真面目だと思った。

 「それにしても、もし上司が怒るだけでなくその場でちゃんと説明もしていれば、あなたがこんなところで悶々とする必要もなかったのに。ここにいて仕事のことを悩んでいた時間は、不当なサービス残業として上司に抗議したほうがいいかもしれませんね」

 俺が冗談交じりでそう言うと、女性は、「あ、そうかもしれませんね」と小さく笑顔を覗かせた。柔らかくなった表情で笑う女性は、予想通り仏頂面でいるより何倍も可愛かった。その顔を見れただけでも、話を聞いてよかったと思えた。

 女性は溜まった負の感情を吐き出すように深呼吸をすると、すっきりした顔でぺこりと頭を下げた。

 「ありがとうございます。胸のつかえがとれた気がします。あと、エンコーだと疑ってすみませんでした」

 晴れて援交容疑からも解放である。

 「いえ、力になれたのなら嬉しいです。調子に乗って語りすぎちゃったのでウザかったかもしれませんが」

 「全然!何もわかってなかったんだなって、身に染みました。怒られたときからずっと、上司が私を目の敵にしているとばかり考えていましたから」

 「それは仕方がないですよ。上司の言い方があまりにも高圧的で常軌を逸してまたんですから」

 同じ会社で同じ立場なら一言言ってやることもできたろうに。それだけが歯がゆい。

 「あ、ちなみにでかい口叩いてましたけど、俺は入社したての頃、休憩のことを知っていながら仕事が間に合わなくて休憩中に無断で作業を続けていたことがあるんです」

 「え、そうなんですか?」

 「ええ。だからあなたの気持ちはすごいわかるんです」

 その時のことを話して聞かせると、女性は「わかります!わかります!」としきりに頷いて笑ってくれた。あまりにも嬉しそうにするものだから、自分の中で汚点とすら言えるような出来事も、不思議と笑い話のように話すことができた。

 ひとしきり話し終えた後、女性は唐突に質問してきた。

 「あなたも会社の上司的な立ち位置だったりするんですか?」

 「まあ。とは言っても位は一番下ですけどね」

 「あまり年も違わないように思えますけど、おいくつなんですか?」

 「25です」

 女性が嬉しそうに手を合わせる。

 「わー!私22です。結構歳近いですね。あ、でしたら敬語なんて使わないでください。私のほうが年下なんですから」

 「そう?じゃあ……そうしようかな」

若く見えるとはいえ初対面で実年齢もわからなかったから敬語で喋っていたが無事年下だとわかったことだし、女性の言葉に甘えて、恥ずかしさを感じながらも敬語を取り払うことにする。

 「それじゃあ、早く家に帰らないと。今日も仕事でしょ?」

 悩みを解決してあげられたことへの達成感を味わいながら、早々に別れを切り出す。ゆっくりと立ち上がり背伸びをすると背骨がミシミシと音を立てた。長い時間座っていたわけでもないのに、まるでおっさんだ。って、25はおっさんか。

 女性はもっと長い時間座っていたようだから、ちゃんと立てるだろうかと心配になって隣を見ると、女性はまだ膝を抱えて座ったままだった。

 「どうしたの?」

 立てないのなら手を貸すつもりでしゃがみ込むと、女性は期待と不安の入り混じった顔でもじもじとしながら言った。

 「もう少し、お話しできませんか?」

 俺は反射的にコンビニの時計を首を伸ばして見る。時刻は2時30分になったところだった。この上さらに話したがるなんて、相当夜に強い子なのだろうか。正直な話仕事のこともあるし目的は達成できたみたいなので早く家に帰って寝たかった。

 うーんと唸ると、女性は恥ずかしそうに髪をとかしながら続けた。

 「すみません。これも自分勝手ですよね」

 しつこく言い寄られるより控えめな態度で来られる方が罪悪感や良心、同情を刺激され断りづらくなるもので、帰るか付き合うかで揺れていた俺の中の天秤も、その一言で付き合うの方へと大きく傾いた。せっかくの女性からのお誘いを無下にするのも無粋だと思ってしまう。この女性、まさかわかってやってるのではないだろうな。もしそうだとしたらなかなかの魔性の女っぷりだ。駅前で高価な絵やつぼでも売りながら今のセリフをはかれたら、容姿も手伝って馬鹿な男は容易に落ちてしまうだろう。

 そうでなくとも、つられる男が一人ここにいた。

 「じゃあ、少しだけなら」

 「ホントですか!?」

 女性は、薄暗い中でもまぶしく見えるほどの笑顔を見せた。ビー玉のようなきらきらとした瞳が俺を捉えて離さない。つい数分前まで汚物を見るかのような目でふくれっ面をしていた人物とはまるで別人だった。

 やっちまったな、と思いながらも喜んでいるようだしいいかと諦めが入る。まあ、彼女にだって仕事があるのなら、ほどほどで解放されるだろう。

 俺は着実に短くなっていく睡眠時間と自分の意志の弱さから目を背け、改めて女性の隣に腰を下ろした。

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