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前半終了 プッチンプリンの行方

 飛びかかろうと身構えたその瞬間、蝉の声が小さく聞こえるほど無機質な音が鳴り響いた。互いに動きを止め、音の主を探すように視線を彷徨わせた。音の主は冷蔵庫に置かれたストップウォッチだった。

 急に世界が遠のいたように感じ、忙しなく鳴るストップウォッチの音に耳を傾けた。


 音が止まった。光雄が止めたからだ。

 ああ、ありがとう。さすがに耳障りだった。そんなことを考え、頬を伝う汗を手の甲で拭った。


 プッチンプリンを探しているときはあまり意識していなかったが、蒸し風呂のような室内で汗はいくら拭っても零れ落ちてくる。手の甲は頬と同じぐらい濡れてしまい、半袖を無理やり頬に押し付けた。それもすぐに湿ってしまいどうしようか悩んでいると、目の前に白いタオルが差し出された。


「お使いください」


 光雄が差し出したタオルは洗い立てのようだ。柔軟剤の香りはしないものの顔をつけると程よく洗剤の香りがした。

 俺は泣いていた。流していたのは涙だった。俺は静かに涙を流す人間だったことに驚き、不思議なほどに頭は冷静であった。かつて兄にプッチンプリンを食べられたときも、このような泣き方はしなかった。あの時と今の自分を比べてみても、プッチンプリンに対する情熱に違いはないはずなのに。


「……光雄、プッチンプリンは冷蔵庫にあるのだろう?」


 俺はタオルから顔を引き剥がして言った。気を付けたつもりだったが声が震えてしまう。


「お前がそこに隠したのだろう?」


「そういうことですか」と光雄は納得したようなため息を漏らした。


「先ほどの暴挙はそれが理由だったのですね。どうぞご覧ください」


 開かれた冷蔵庫には整然と並んだ牛乳プリン。一つだけ蓋が空いているのは光雄の食べ残しだろう。プッチンプリンの姿はどこにも見当たらない。


「やはりプッチンプリンの絆など、この程度といったところでしょう。寄せ集めて価値を高めたところで、仲間の危機を救うこともできないのですから」


 高らかな笑い声もどこか遠いもののように感じられた。


「一つだけ、教えてくれないか」


 言葉が震える。さながら、スプーンで弾いたプリンのように……。しかし言葉にプリンの逞しさはない。


「お前は、プッチンプリンを、どこに隠したんだ?」


「そういえば、どこに隠しましたかねぇ」


 光雄はとぼけるような口ぶりで室内を歩きまわった。吊るしてある服のポケットを確かめ、本棚の本を無作為に取り上げ、窓の外を眺めもした。

 いい加減しびれを切らしそうになったとき、光雄の手が不自然に動いているのに気が付いた。シャツのボタンをまさぐるような動作。ちょうど、お腹を壊した時にするように円を描いて――――――。


「まさか!」


「ようやく気づきましたか」


「貴様ぁぁぁ! プッチンプリンを食したのか!」


 俺は飛び上がった。


「牛乳プリンを愛するお前が! プッチンプリンを見下すお前が! どうしてプッチンプリンを食すことができる!」

 

 俺に胸倉を掴まれても光雄は軽薄な笑みを浮かべた。


「おぉいしく、頂きましたよぉ。私の胃袋に収まっているとも知らず、部屋の中を探すあなたの後ろ姿ときたら。滑稽を通り越して、呆れてしまいましたね。プッチンプリンとの絆を信じている? 私に食べられる悲鳴すら聞こえず何を言っているのかぁ」


 頭に血が上った俺は胸倉を掴む手に力を込めた。だが俺の意思に反し右手に力は入らなかった。


 光雄は、ルール違反を犯していない。互いに決めたルールの中で、俺を欺いた。光雄は自らの腹の中にプリンを隠し、それを感じることもできず一方的な絆を振りかざしていた俺は、確かに滑稽で愚かだ。

 今の俺に至高のプリンを語る資格はない。いかにプッチンプリンが優れていようとも、俺が未熟であるがゆえに、至高のプリンへの道を整えることができなかった。それは認めようもない事実だ。

 空のプラスチック容器に囲まれる、そんな満たされない感覚が俺を包んだ。


「そうそう水野さん」


 うなだれる俺に、さらに恐ろしい言葉を光雄は零した。


「プッチンプリンの楔、ですか? あれ面倒でしたから、そのまま頂きましたよ」


「今、なんて言った?」


「おや、聞こえませんでしたか? 楔ですよ、楔。面倒ですねぇ。いちいち皿の上に落とさないといけないなんて。そのままスプーンでほじくらせて頂きましたよ」


 楔。硬質なプラスチックの愛から飛び出していくプッチンプリン。巣穴から飛び出す若鳥を彷彿とさせ、成長するために欠かせない儀式だ。

 儀式を行わずプッチンプリンを食すなど、未熟な青い果実を蹂躙する行為に他ならない。

 しかし光雄に対する怒りは湧き上がってこない。俺の内に広がるものはかび臭い押入れを前にしたような後悔だ。


 プッチンプリンが弄ばれていたその時、俺はいったい何をしていた? どうしてプッチンプリンの悲鳴を感じ取ることができなかった?

 自らへの怒りと後悔が喉元にせり上がり、俺はシンクへと駆けた。しかし、溢れてきたのは大粒の涙であった。小皿が受け皿となり、敗北の証のように涙をため込んだ。


「情けない」


 頭上からため息を吐く音がした。


「本当に情けないですね、あなたは。いつまでそうやって泣いているつもりですか? 誰かが助けてくれるのを待っているのですか?」


「何をっ――――」


「戦いが終わっていないのに負けを認めて涙を流すとは。それで至高のプリンを語るおつもりですか? この程度の人間だとは思いませんでした。これではプッチンプリンも浮かばれませんね」


 そうだ。

 この戦いは終わっていない。俺は未熟で、プッチンプリンを至高のプリンに導けなかったかもしれない。しかし、プッチンプリンが負けることはない。いや、負けさせてはいけない。俺がこのまま挫けてしまったら、プッチンプリンの敗北となる。俺の未熟さをプッチンプリンに背負わせてはならない。

 涙を拭い、俺は笑った。


「まさか貴様に教えられるとはな」


 光雄も卑しく、しかし嬉しそうに笑った。


「言ったでしょう。私は偽りの冠などいらないと」


「次の戦いで必ずプッチンプリンの力を見せつけてやろう。俺の心には貴様に対する憎悪の炎が燃え滾っている」


 さながら、カラメルを溶かすバーナーのように!




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