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戦争予約

コメディです。笑ってください。

『プリン大戦争』


 これは俺、水野孝太郎と江藤光雄が大学で起こした大戦争。おんぼろ寮全体を巻き込み、スイーツの世界地図を一変させるきっかけを作ったものだ。しかし、この大戦争は世間に知られていない。なぜならこの戦争の当事者は四人。当時は、自らが世界の中心にいるとは思いもよらず、振り返ってみて初めて世界を変えていたことに気が付いたからだ。

 俺はこの事実を後世に遺すために筆を執った。俺たちの若さゆえの愚かさと、しらずに駆け抜けた、かけがえのない時間。

 一年で最も暑い季節。確か、八月の出来事だった。




『気が付いてしまった』


『これまで歩んできた人生は間違っていたのだ』


『この道だと信じた道は』


『どこにも繋がっていない』


『それでも、それがわかったとしても』


『この道しか知らない』


『こんな愚かで卑しい人間に』


『誰か…………』



 艶めかしい黄金色の肉体。プラスチック容器に包まれていても、その魅力を遮ることはできていない。その下には敷き詰められた黒い溶岩。口に含まずとも、とろける甘さを想像できてしまう。

 ピリピリと蓋を開ければ、月のクレータを思わせるわずかな凹凸。空に浮かぶ月に想いを馳せながらシルバースプーンの腹を押し付ける。柔らかくも、確かな弾力が俺の全身を揺さぶった。はやる気持ちを抑え、ホワイトディッシュの上へとカップを導く。

 そして、ひっくり返した。

 黄金色の肉体も黒い溶岩も、重力に逆らい容器に張り付いたままだ。その柔らかい肉体に似つかわしくない力強さ。たとえ古びた卓袱台の上であったとしても、いつもため息を漏らしてしまう。いつまでも見ていたいと思うが、俺は底に聳え立つ楔を、外す…………。


 プルンッ……。


 左右に二度三度大きく揺れ、黒い溶岩の一部が黄金色の肉体に影を落とす。大きな揺れから小さな揺れへと変わり、止まる。プラスチックという外壁に包まれていた肉体は惜しげもなく陽光の元にさらされた。

 思わず、生唾を飲み込む。


『食べたい……』


 もはや我慢の限界だった。固く、固く握りしめたシルバースプーンを、穢れのない肉体へ突き入れた。

 黄金色の肉体を黒い溶岩と共に掬い上げ、唾液溢れる口内へと導く。舌の上を踊る肉体と溶岩。混ざり合い、絡み合い、溶け合っていく。口内に痺れるような甘さが広がってから、コクリと喉を鳴らした。得も言われぬ甘さが頬を緩めた。


 パチ、パチ、パチ。


 まばらな拍手が鳴り響いた。開け放たれた玄関で江藤光雄が俺を見下ろしていた。


「大変甘美なお時間をお過ごしのようですね」


 と光雄は嘲笑するような笑みを見せた。モデルのような体型にその仕草はひどく様になっていた。半袖半ズボンという出で立ちを除けばだが。


「この四畳半のお部屋はさも過ごしやすいのでしょうね。水野さん、私はここに押し込められたら気が狂ってしまいそうですよ」


「お前は狂っているよ。それはこの四畳半に押し込められたことと関係はないな」


 大学近くのおんぼろ寮。風呂なし共同和式トイレ、家具は冷蔵庫と卓袱台が一つ。本棚も洋服ダンスもないため、真夏でも壁にはコートやジャケットがかかっている。もちろんエアコンなんて代物は存在せず、窓と玄関を開け放っていたため光雄に現場を見られてしまった。

 光雄は俺の言葉を聞いてさらに笑みを深めた。


「残念ながら、私の部屋をあなたのものと一緒にしないで頂きたい。あなたと私は格が違うのですから」


「ふん、馬鹿馬鹿しい。お前の部屋は五畳あるというだけだろう。その程度の格など吹けば飛ぶようなものだ」


 強がってはみたものの、覗かれた恥ずかしさは薄れない。ガハッと咳払いをしてみた。


「それで、随分暇のようだな。そこに突っ立って何をしている?」


「なあに、そろそろ決着をつけようと思いましてね」


 と光雄は言ったが、俺には何のことだか見当がつかない。すると光雄は手に握っていた赤い物体を掲げた。それは、牛乳プリンだ。


「私の愛する牛乳プリンこそ、プリン界に存在するすべてのプリンにおいて最高のプリンであることを、いい加減認めていただきましょう」


 それを聞いて、俺は大きく息を吐いた。


「その議論は尽くしたはずだ。俺はプッチンプリンこそが至高のプリンだと思っている。しかし、趣味嗜好の違いによって至高のプリンは異なる。お前が牛乳プリンを至高のプリンだと思うことを止めはしないとな。わかったらさっさと出て行け。俺とプッチンプリンの逢瀬を妨げるな」


 俺たちのプリンを称える言葉は大河の源泉のごとく。それだけを肴に何杯でも杯を交わすことができる。その中で牛乳プリンを愛する光雄は異端であった。光雄は牛乳プリンを高めるために躊躇いなく他のプリンを貶める。


『味で勝負ができないから外壁やフォルムにこだわるのです。所詮、人数の多いお子様を対象にした一山いくらの価値しかないのですよ』


 俺はそれらすべてに反論を繰り返した。


『プリンはまず見ることから始まり、同じ価値で多くの人に幸福をもたらすことがプッチンプリンの魅力だ』


 議論は平行線をたどり、冷戦状態に突入していた。お互い相手を論破するための決定的な一撃を持たず、最近では小さな諍いすらも起こらなくなっていた。

しばらく睨み合っていると、光雄は背に隠していたもう片方の手を現した。その手には二つのプッチンプリンが握られていた。

まさか、と思った時には遅かった。光雄の傍らには冷蔵庫がある。逢瀬に夢中になっていた俺の目を誤魔化し、プッチンプリンを奪うなど造作もないだろう。


「光雄! きさまぁ!」


「おっと、動かないでください。手を滑らせてしまうかもしれませんよ」


 言いながらプッチンプリンの楔に指をかけた。蓋をしたまま楔を外しては、完璧な肉体を現すことは決してない。その脅迫に俺は動くことができず、弄ばれるプッチンプリンを無力に見上げるしかなかった。


「怖いですね。そんな怖い顔をしないで下さいよ」


「外道が。牛乳プリンは仲間の大切さもわからないのか」


「群れを成して価値を高めようとする。そんなプッチンプリンを理解などできません」


「……いったい何が望みだ」


「いえ、そろそろこの勝負にけりをつけたいと思いまして」


「ならば牛乳プリンが至高のプリンで構わない。もうプッチンプリンを巻き込むな!」


「そうはいきませんよ。私はあなたに牛乳プリンが至高であることを認めさせたいのです。そんな偽りの冠などを欲しているわけではありませんよ。そこで……」


 と光雄は言葉を止めた。居心地の悪い間に、俺は思わず唾を飲み込んだ。


「私とゲームをしましょう」


 光雄は牛乳プリンを冷蔵庫の上に置いた。


「私はこれからこのプッチンプリンを寮のどこかに隠します。それをあなたが制限時間内に見つけることができたら勝ちです。見つけられなければ私の勝ち。どうです? 簡単な勝負でしょう?」


 俺たちが生活する寮は全部で四部屋の平屋建て。各部屋一人ずつ生活し、俺と光雄以外に二人のプッチンプリンを愛する同志が生活している。寮全体ということは、この争いの結末を同志たちにも見届けさせるということだ。個人的な争いで終わらせるつもりはないという光雄の覚悟が透けて見えた。

 光雄の覚悟は伝わるが、光雄の手の内が読めない中で提案に乗ることはできない。


「その勝負、俺が受けると思うのか?」


「……そうですか、残念です。それなら」


 光雄はプッチンプリンの底に爪を立て、プラスチックをひっかいた。あえて楔を避け、楽しげに俺の恐怖をあおっている。


「…………きさまぁ」


「あなたの大切なプッチンプリンがどうなってもいいようですね。どうやら、仲間の絆とやらもその程度ということでしょうか」


 幾度となく響く硬質な音が、俺から抵抗する意欲を奪っていく。握りしめいていた拳を俺は解くしかなかった。


「――――わかった。勝負を受けよう。ただし、」


 俺は一瞬の隙をつき光雄に近寄り、冷蔵庫の上に置いていた牛乳プリンを奪い去った。咄嗟のことで、その上プッチンプリンに気を取られていた光雄は反応できない。俺は対等の立場に立つことができ、人知れず安堵した。


「お前も同等の条件で俺と戦え。お前が至高のプリンと称えるのであれば、見つけられない道理はないだろう」


 光雄は眉を顰めたが、自分を鼓舞するように鼻で笑うと、元の堂々とした立ち振る舞いに戻った。


「……仕方ありませんね。ではルールを確認しましょう。一つ、プリンは寮内に必ず隠す。二つ、制限時間は十分間とする。三つ、ゲームの勝者は至高のプリンの称号を得る。これでいいですね」


「シンプルでいいルールだ」


 俺は大きく頷き、光雄は笑みを深めた。


「ではお互いにプリンを隠しましょう。十分後寮の外に出てください」


 俺が再び頷くと、光雄はゆっくりと出て行った。しばらく呼吸を整え、少し迷ったが冷蔵庫の奥に牛乳プリンを入れた。そして、食べかけのプッチンプリンを口に運び、隠し場所について思案することにした。大きく息を吐きだし、鼓舞するために膝を叩いた。

 この勝負、決して負けられない! プッチンプリン、うまい!


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