エピローグ
***
暖炉のある部屋に甘いクリーム煮の匂いがたちこめている。
薪のはぜる音の中、しわがれた老婆の語りが消えてゆく。
唐突にはじまり、唐突に終わる物語に、最初きょとんとした顔をしたのは、暖炉の火で頬を真っ赤にした少女だ。
「ねえ、物語はそこでおしまいなの? 奇跡は起こらなかったというの? おばあさま、二人はどうなったの?」
「さあて、ねぇ……。わたしも、婆様から聞いた話はここまでだったんだよ」
白いエプロンにしがみつく少女の頭をゆったりと撫でて、腰のまがった老婆は微笑んだ。
少女は不服そうに顔をふくれっつらにした。
「そんなのないわ! ギルが先に死んで、残されてしまうっていうの?」
「さあどうだろうねぇ。呪いによればギルの寿命はあと三年。だけど、そもそも二人は老いているしねぇ。もしかしたらエラの方が先に病気にかかるかもしれないだろう。わたしもいろいろ考えたものだけど、語れる物語はここまでさ」
「変なお話。結局、その若返りの薬なのか、媚薬なのか、何のために登場したかわからないじゃない」
「ははは。ほんと、あんたは物語の分析がすきだねぇ。将来は学者か何かかね」
「違うわっ、小説家よ、本当よ!」
「はいはい、ほらシチューをあったまったよ。テーブルの用意をしよう」
祖母に促され、テーブルの用意をしはじめた少女だったが、突然「あっ」と声をあげた。
「どうしたんだね」
「あたし、思いついたわ。そうよ!」
「唐突にどうした?」
「エラとギルの物語! そうよ、きっとあのギルが飲みほした薬はじんわりと効いてきたのよ。身体に巣くう呪いを時間をかけて解いていったのよ」
「そうかい?」
「そうにきまってるわ! そうしてね、きっと三年なんかより、もっともっとながぁく二人で暮らして、めでたしめでたし、なのよ!」
「ほう、そうかいそうかい」
祖母は孫の少女の言葉に頬をほころばせた。けれど、無邪気な孫の言葉に微笑みはしても、その言葉そのものに頷きはしなかった。
――……いつまで生きたら、めでたしめでたし、なんだろうねぇ……。
そんなことを想って、笑みをうかべたまま、暖炉の上に飾る、随分前に亡くなった夫の姿絵に目をやった。
エラとギルの物語はこの地方では、「媚薬」という言葉がぼんやりとわかる年頃になれば聞かされる物語だ。
もちろん誰が語っても、最後ははっきりしない。
この腰が曲がった老婆もまた、娘時代に祖母からこの話を聞かされた。
聞かされた当初は、そんなギルの生死がはっきりしない結末に、歯がゆかったりした。若かったのだ。
――今は、わかる気がするねぇ……。
生きていたか、生きていなかったか。
どちらかひとり、残されたのか、残されなかったのか……。
わからぬからこそ、また孫に語り継ぐことができるというもの。
そういうこともある。
……夢をみることができるということさ。
そうして老婆は目を閉じる。
何度も想像した、二人の姿を。
老婆だけが心に広げる、物語の最後を。
***
「ギル様……ギル」
「どうしました」
「いま、ここにいることすべてが、奇跡、ね」
ギルは片眉を上げた。
「訂正です」
「まぁ、なぜ?」
「今だけでなく、過去からすべて……貴女に出会えたことから、すべて奇跡ですから」
甘い言葉とうらはらに、仏頂面に近い厳しい顔つきでそんなことを真面目にいう男の隣に。
そう、今も、その妻はゆるやかに微笑んでいる。
それが金に輝く髪の青春の頃であるのか。
白髪に光をうける、皺深き頃のことであるかなど――……人が人に語り継ぐ物語には必要なき、”正解”。
ただ答えはそれぞれの胸の中で。
すべてはゆるりとした時の中で。
呪いだけが解けて――……。ほどけてゆくのだから。
「そうさね。きっと、おまえも見つけるだろうよ」
「なあに? なにか言った、おばあさま」
「……いいや」
――……きっといつか。
まだ少女の孫も、孫自身の物語をみつけるだろう。
孫なりの、人の愛し方を、みつけることだろう。
孫なりに、何かを手に入れて、そこに夢と勘違いを知ることだろう。
そうして――孫の夢を共に飲み干してくれる者があらわれるのだとすれば……
ものがたりは、きっとめぐってゆくだろう。
fin.