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2過去


 それは今より二十年ほどさかのぼる。


 王にも認められ、国民からも応援される白泉の騎士ギルドラードとイビエラ姫は夫婦となり、王都で仲睦まじく暮らしていた。

 爵位と領地をたまわっていたギルドラードは、イビエラを館に迎え、充実した騎士職での活躍と、穏やかな夫婦の日々、ささやかであるが幸せな毎日を送っていたのだ。

 唯一憂いといえば、子が授からないままに壮年を過ぎてゆくことであった。とはいえ、ギルドラードは子を望むよりもイビエラ姫と共にあることを大切にしていたし、イビエラは毎月ずれることなく月のものが来ても、決して涙をギルドラードに見せはしなかった。


 そんな折、二人は、館の近くにある野原まで馬に相乗りして、爽やかな風を楽しんでいたある休日のこと。

 帰りの道中の森にて――……突然に出会ったのは、巨大な魔物だった。


「ギルドラードっ!」

「静かに」 


 濃紺のマントの後ろに愛妻を隠すようにして、騎士は剣を抜く。

 対峙するは、大人が見上げるほどの大きさをした、ぬめぬめとした黒い肌の魔物であった。

 四つ足のそれは裂けた口をしており尖った牙をみせる。けれどそこから出て来る舌は獣というよりは蛇のように長く、先はチロチロと二股にわかれてうごめいている。のっぺりした頭部に四つついている目は濁った赤色をしており、裂けた口をぐわりと開くたびに不自然に歪んだ。

 

 ギルドラードはここまでイビエラを乗せてきた馬が恐れをなして去っていく気配を感じた。

 あの馬が無事に館までたどりつけば、主人のない馬に危険を感じ取った兵士たちが捜索してくれるだろうとギルドラードは算段をつけつつ、魔物と間合いを取る。


 ビチャリッ。


 魔物は、腐った肉のような異臭を放つ液を二人に向かって吐きだした。

 咄嗟にギルドラードはイビエラを抱き寄せて裂けるが、その液がかかった草は音を立てて瞬時に溶けた。

 生き物を溶かす魔液を吐き出す魔物に、ギルドラードは眉を寄せた。

 背後ではイビエラが震えている。だが気丈にもギルドラードにすがりついて身体の動きを止めにくるようなことはせず、ぐっと息をつめて恐怖を抑えているようだった。

 ギルドラードは妻イビエラの安全が守られるすべを考えつつ、剣を構えながら魔物とじりじりと間合いをとった。 

 魔物の状態や外見から召喚獣、しかもなかなか強い性質のものと見定める。足をにじり動かして魔物との距離をはかりながら、イビエラがマントの影になるようにする。

 そうして魔物の視界から消すように意識しながら、小声で言った。


「イビエラ。私が魔物を引き付けますから、あの木の影に!」


 この森は、王から賜った特別な領地。聖なる魔法の管轄の中の、安全な場であるはずだった。

 そこにこれほどの醜悪で巨大な魔物が突然出現するとなると、あきらかに偶然の出会いとは考えにくい。つまり、ギルドラードかイビエラ、もしくは二人共の命を狙う者の仕業であると推測できた。

 相手の目的がわからない以上、イビエラを馬に乗せて館に返すのは難しい。

 離れた時を見計らってイビエラが攫われては最悪な事態になってしまう。ゆえに馬が魔物に恐れてここを逃げ去るように、そして館に自然と戻るよう仕向けたのだ。

 かといって、ずっとここで来るかどうかわからぬ救援を待つのは難しい。

 生き物を溶かす液をまき散らすこの魔物が、次にどんな攻撃をしかけてくるかわからない。召喚獣は、過去に召喚された記録が残っていない魔物であると、対策の練りようがないのだ。

 イビエラをかばいつつ、この魔物を倒すしかなかった。

 

 ギルドラードは顔は魔物にむけたまま、片手で腰の袋に手をやる。爆撃の魔法が込められた護り玉の数を指でたどると、三つ。

 その一つをつまむと、もう片方の剣をもつ腕を振り上げた。魔物が剣を追ってに四つ目の頭部を向けた瞬間、空いた足元に爆撃の護り玉を投げつけた。

 バンッというはじける音と共に、土や枯れ葉が舞い上がり、煙があがる。

 そのあいまに、ギルドラードはマントの後ろに隠していたイビエラを背後の大きな木の方へと追いやる。


 音に反応したのか森の鳥が一斉に飛び去る羽音がした。

 目の前の魔物は足への衝撃のためか、裂けた口をさらに大きくあけ、長い二股にわかれた舌を震わせながら大きな声をあげる。

 ギルドラードは抜いた剣を構え、唸る魔物の真正面に立つ。

 魔物が牙を見せて威嚇しながら突き進んでくる。四つの目がぎょろぎょろとそれぞれに動き、どこに焦点を合わせて来るのか、捉えにくい。

 ギルドラードは頭部ではなく魔物の足の動きと向きに集中した。同時に、イビエラを行かせた大木とは逆の方に足を進め、魔物の注意が自分に向くようにわざと剣をちらつかせる。


 ギルドラードの剣の動きに反応してか、地鳴りの音とともに魔物が向かってきた。

 先ほどの爆撃の護り玉によって爪を傷めたのか、すこし足の動きが左に傾いているのが聞き取れる。

 ギルドラードは、動きのにぶい方の足側から攻めることを定め、態勢を整えた。

 そんなギルドラードに向かって直進してきた魔物は急に止まり、身体を震わせたかと思うと、怒ったように腐臭のする液を吐き出してきた。ギルドラードは液を交わすようにして跳躍し、逆に魔物にぐっと近づく。そして至近距離から、自身のマントを魔物の四つ目に向かって投げつけた。

 魔物がマントをよけようと頭部を振る。

 その瞬間、ギルドラードは一度跳躍し剣で魔物の頭部と胴体の継ぎに剣を刺さんと、剣を振り上げた。

 刹那。

 ギルドラードの騎士として研ぎ澄まされた耳が、鎧が打ち合うような高音を捉えた。

 咄嗟に音の方に顔を向ける。ギルドラードは、こちらを心配げに見つめるイビエラ姫の金髪の向こうに、緊縛の呪の構えをした覆面の男をみとめた。

 男は、今まさにイビエラを狙っている。

 ギルドラードは空いた方の手でナイフを握り、投げつけた。

 

 森に男の叫び声があがる。

 覆面の目の部分にぐさりと刺さったナイフ。それを押さえてのたうちまわる男。

 

 だが、その次の瞬間、イビエラの高い声が森に響いた。


「あぶないっ! ギルドラード!」


 魔物がギルドラードに牙をむけたのだ。

 イビエラの声に応じる如く、ギルドラードは今にも液を吐き出そうとする魔物の大きな口の下側に回り込んだ。黒い頭部の下側、顎の裏にしゃがみこんだギルドラードは瞬時に剣を持ちかえると、上向きに剣をいっきに付きあげた。

 顎下から魔物の口を一貫するギルドラードの白刃。

 磨かれた剣が魔物の口を突っ切り、頭部の四つの目の合間から切っ先が飛び出る。

 

 ぐががががぁぁぁぁあ……


 地鳴りのような魔物の声。

 イビエラはあまりの轟音に耳をふさぐ。

 ギルドラードは剣を放し、そのまま魔物の身体の下から這い出で身を起こし、すぐさま腰の袋から爆撃呪を込めた護り玉、残り二つを手にした。

 そして、剣に貫かれ開いた口が閉じぬ魔物の口に、それらを放りこむ。


「イビエラ、離れてっ!」


 ギルドラードが大声を出す。

 魔物の中からバチバチと何かがはじける音がする。

 ギルドラードとイビエラが魔物から距離を取ろうと駆けだした。


 その時だった。

 魔物の四つの目が、突如赤い光線を出した。

 魔物の皮膚の上に文様が浮かび上がる。


「呪いの文様かっ!」


 ギルドラードは目を見開いた。

 その文様は、呪いの文字。古き書に残る、死と引き換えの呪詛の文様。

 魔物を召喚した物が、魔物の死の時に発動するように込めていたのか、そもそも召喚されたときの契約だったのか。

 今のギルドラードに知る由もない。だが、目の前で死に瀕した魔物から、禍々しき呪いが発動するのだけは理解できた。それらがいっきに周囲にいる自分達に遅いかかることも。

 

 だからギルドラードは、魔物の視界に愛する妻が寸分も入らぬように、わざと魔物の四つの目の前に、自分の身を投げ出したのだった。


「ギルドラードっ!」


 妻の泣き叫ぶような声が響きわたるのと同時に、魔物は内部から一気に爆発した。

 そして飛び散った呪詛の文様は、まるで群れになった黒い羽虫がとぶようにその場をいちど旋回すると、最後の魔物の視界を占めたギルドラードの体躯に狙いを定め、彼の小さく開いた口に……一気にするすると入っていった。


 呪いの文字が、ギルドラードの身体の中に。

 するりと入り、どろりと騎士の中に根付いたのだった。

 



 ***




 その後――……。

 魔物を召喚したのは、ギルドラードの活躍をねたむ者と新たな闇の魔術を開発したい術師が手を組んだことであると露見し、犯人の捕縛は呆気なく終わった。


 だが、犯人は捕まったものの、召喚獣の死の呪いはすでに完成され、ギルドラードの体内に入ってしまていた。呪いは完全にギルドラードの身体に馴染み、解呪は不可能――その事実だけが残ってしまった。


 呪いを受けたがゆえに、ギルドラードとイビエラは、今後、子を授かることは禁忌であると、王城の聖魔術師に言い渡された。

 今後、万が一、呪いを受けたギルドラードの精を得て授かった子が、呪いを負っていないとは誰も保障が出来なかったからである。

 それまでに子を授からぬまま来たギルドラードとイビエラ。

 魔物の死と引き換えの呪いによって、強制的に「子を望んではならぬ」こととなった。

 イビエラの心の内でそっと秘めていた母となる夢は、そこで潰えた。

  

 さらにギルドラード達に試練が与えられた。

 最初の五年は、城の聖魔術師達の緻密な魔術をギルドラードに施したおかげで、表面的には何ら支障はなかったが、魔物の呪いを受けてから五年を過ぎたあたりから、夜にうなされることが多くなっていった。

 それとともに、鼓動を打つ心の臓の周囲に、不気味な文様が肌の下にちらちらと浮かび上がるようになった。

 

 王城の魔術師と薬師が協力して、さまざまな術や薬を試したがギルドラードの体躯に浮かぶ文様は月日をおうごとに濃くなる。衣服に隠れる胸から胴体だけではあったものの、その呪いの文様は、はっきりとギルドラードが騎士としてすでに期限が来ていることを突きつけていた。

 それを示すかのように、左手にしびれが出始め、激しい接戦をした後、心の臓が止まってしまうかのような激痛にさいなまれるようになった。


 その時点で、ギルドラードは騎士位を返上した。

 また闇の魔術を身に負った状態で城下にいるのはよくないと、自ら田舎で暮らすことにしたのだった。ギルドラードはイビエラと離縁することを考えていたが、イビエラは受け入れず、市井など知らぬ身ながらギルドラードと共にいくと譲らなかった。

 それ以後、二人はギルとエラと名乗り、ときどきかつての仲間の騎士が身分を隠してたずねてくるくらいの、田舎でのひっそりとした生活を送ってきた。

 呪いはギルドラードの身体の自由をじっくりと奪ってゆく。

 けれど、すくなくとも田舎住まいに身をやつして、この十年と少し、もちろん陰ながら周囲からの多大な協力もあって、二人で生きて来ることができたのだった。 


 そう、これが吟遊詩人の語る騎士ギルドラードとイビエラ姫の、歌にならぬ真実ではあった。





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