悪役令嬢だけど、裏ではいろいろピンチです。
貴族と平民の概念がある、日ノ本と呼ばれる国。
「執事」「侍女」と呼ばれる職業もまた、公のものとして存在した。
この二つの職業は、平民の人達にとって人気が高い。
人気が高いということは、給与と出世率が高く、競争倍率も高く、試験は困難を極めるということだ。理由の最たるものをあげるとすれば『平民が貴族に昇格するチャンスがある』からだろう。
平民が貴族になるもっとも確実な方法は、貴族と結婚することだ。
その為には、なんらかの形で近づく機会を獲得せねばならないし、優秀な人間であるということを見込まれる必要もある。それを実践できる職業が「執事」と「侍女」なのだった。
イメージ的には『テレビ局の女子アナが、プロ野球選手と結婚して金持ちになったよ』という感じで良いだろう。
ともかく、この世界では一般的に「執事」と「侍女」と呼ばれる職業があって、平民の人達には、一種の花形というイメージで浸透しているわけだった。
そんな世界で、しずえさんは、十六歳でメイド長になったと聞く。これを転生前の基準で言うならば、小学生が飛び級でハーバード大学に入学した。というレベルですごいらしい。
悪役令嬢である私の『大鹿家』もまた、古来より代々、世界を影で牛耳っているが、その実態は限られた一部の権力者のみに伝わっており、あらゆる意味で謎が多い。という、中学二年生が考えた「ぼくのかんがえたさいきょうのそしき」というレベルですごいらしい。
つまり「しずえさんはすごくすごい」ということだった。
朝、学校に出かける前に、しずえさん達の働く庭先に寄ってみた。お屋敷には、私たちの暮らす住居区と、炊事洗濯を行う家事区域で分かれている。
「あっ、しずえさん。いたいた」
「お嬢様、どうなされましたか?」
よく晴れた日の朝。しずえさん達は洗濯物を干していた。物干し竿には、私たち一家を含めた衣類一式から、ベッドのシーツなども干され、まとめて気持ちの良い風に揺れていた。
人が服を着て生き、なにかに包まれて生きる限り、どんな世界に転生しても、この光景だけは変わらないんだなと思ったりした。
「昨日、お屋敷の方で姿を見なかったので、ちょっと気になって」
「申しわけございません。昨日は私の不手際で、少し体調を崩しておりました」
「そうだったんですか。今日はもう、大丈夫なんですか?」
「はい。ご心配をおかけしました」
しずえさんがロングスカートの前に両手をそえて、丁寧にお辞儀してくれる。たったそれだけなのだけど、自然で楚々とした態度にうっかりすると見惚れてしまう。
「それとお嬢様、お気づかいは大変ありがたいのですが、このままでは学園に遅刻されますよ」
「だ、大丈夫です。まだ時間に余裕がありますから」
「左様ですか」
伝えると、しずえさんは少し眉をひそめた。
「しかし大鹿家の長女たるもの、お嬢様はもう少し胸を張って生きるべきですね。いっそ他人を見下し高笑いする勢いで、優雅に意気揚々とご登校されてもよろしいのですよ?」
「ぜ……善処します」
時々はこうして遠慮のない毒を吐かれることもあるのだけど。このアンバランス差もまた、しずえさんの魅力の一つなのかもしれない。
「それじゃ、学園の方に行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ」
しずえさんがもう一度、お辞儀してくれる。私も軽く会釈して、広々とした表玄関の方へと向かうことにした。
アリスお嬢様が家を出たのを確認してから、浴室へと向かった。
最上級の檜で作られた浴槽の手前、脱衣所のところで、予定通りに作業をしていた執事と遭遇する。洗濯物の衣類を詰め込むカゴを元の場所に置きながら、私は問いかけた。
「本日は〝粗大不燃ゴミの日〟でしたね。始末する物はありますか」
「はい。第一倉庫に片付けておいた、壊れた冷蔵庫が対象です」
「業者が回収に来るのは、十時からでしたね」
「そ、それが、先ほど連絡がありまして。これから回収車で直接〝こちらまで来る〟と……」
「は?」
つい、疑問が口をついて出た。
一体なにを言っているんでしょうかねぇ。この底辺無能クズは。
「も、申し訳ございません。メイド長!」
威圧したつもりは、まったくなかったのですがねぇ。まだ若い――と言っても実年齢は私より上の、ゴミカス無能な底辺執事は、気弱なメンタルを表層に出し、おろおろと私の顔を窺っていた。死ねばいいのに。
「別に貴方を責めているわけではありませんよ。ただ、あまり時間がないのも確かです。対応には私が直接赴きます」
「しかし……先日のお怪我がまだ……」
「なんのことですか? 貴方は引き続き、家の事を頼みますよ。いいですね?」
「……しょ、承知しました……本当に申し訳ございません」
条件反射で謝罪を繰り返す奴ほど無能だ。その頭を下げる一秒を、もっと有意義に使った方がマシだろう。私の時間を奪い、お嬢様の身に危険を迫らせたこと、心の中で懺悔しろ。
乙女ゲームの世界には、さらりとスリルが紛れ込んでいる。
それも、割と重たいのが潜んでいる。
異世界ものではない、日常の学園が主体の場合。男性向けのギャルゲーよりも、女性向けのゲームの方が「ピンチ」になるシーンが多かった。
要は、主人公の身に危険がおとずれた際に、颯爽と登場したイケメンが身をていしてヒロインを救ってくれる。というシチュエーションが女性にとっては好ましいのだ。
逆に男性ユーザーは、意外と「ピンチの女性を助ける」というシチュに憧れない。何故かと考えれば、単純な話が「面倒くせぇ」からだった。
なので心情的で細やかな描写を描き、時にはモノローグを用いて異性を攻略する過程はギャルゲーに多く、反対に今の状況のみを描き、直情的な行動で問題解決を図ろうとするのは、乙女ゲームの方に多かったりする。
そして私が転生した乙女ゲームの世界は、割とそういうテンプレートに忠実だった。実際のところ、この世界で流れるニュース、あるいは新聞の一面をにぎわせる記事は、貴族のご令嬢の誘拐事件が非常に多い。時にはヤクザ同士の抗争なんかも、包み隠さず報道される。
だから、ぶっちゃけた話。
結構、いやかなり、物騒な世界だ。
でもね。女子というのは、いくつになっても、ドキドキ☆ したいのよ。乙女なのよ☆
「騒ぐなよ。貴族の嬢ちゃん。なにか一言でも声を出したら、指を落とすぞ」
そういう発言は、実際に、ご自身が誘拐されてからお願いいたします。
「おい、コイツの家に連絡入れてさしあげろ。対応が遅れたら、指を一本ずつ切り落としてやるってな」
「了解です。ところで兄貴、指じゃなくて目玉の方が良いんじゃないすかね。青くて目立つし」
冗談はやめてください。手足をキツく縛られて、目隠しをされた上で、それでも恋の予感がする変態さんのみでお願いします。ダウト。
「おれは耳がいいなァ。JKの耳をガバガバのピアス穴に開けまくってから、壁に飾ってやると、夜中にキラキラして、キレーなんですよぉ」
「おまえ、相変わらず耳フェチだよな。キメーわ」
どこかを絶え間なく移動する車内の中、げらげら笑う声が重なった。漏らしそう。
「まぁ、最低どっかは欠けることになるけどな」
「えー、それ今バラすんすかぁ。そこは、おとなしくしてれば、無傷で返してやるぜってのがテンプレじゃねーんすか?」
「バァカ。痛めつけねーわ、追い詰めねーわの強盗なんざ、実際いるわけねーだろ。要は生きてりゃいーんだしよ」
「ですよねー」
また、げらげら声が重なった。
私は恐怖の中、ひたすらに月曜日を呪った。
これだから月曜日は、これだから月曜日は……今日は木曜日だけど。
干物少女うずまるちゃんのように、家でおとなしく、あざらしパーカーを被って二頭身の生き物に変わりたい。コーラとポテチを堪能しながら、アニメ見てゲームがしたい。助けてお兄ちゃん。いないけど。ゲームも友達もいないぼっちだけど。
「あー、どうした? 現実逃避中か、お嬢ちゃん」
「………………」
こくこく、高速で頷くのが精いっぱいだ。
「なぁ、死にたくねーだろ?」
こくこく。
「だったら、おまえん家の連中に、素直に助けてくださいって、言えるよな?」
こくこく。
頭の中で何度も、何度も、反復する。助けてください。助けてください。助けてください。
「兄貴、電話繋がりました」
「おう。おら」
耳元に、冷たい携帯の感触がやってくる。反射的に口が開いた。助けてください。
「た――」
『お嬢様、しっかり口を閉ざし、できる限り身をぎゅっと縮めてください。舌を噛みますよ』
今朝、聞いたばかりの声がした。清楚な声の中に、容赦のない毒舌が泳いでいる。
『よろしいですね。できますね。はい、3、2、1、ぎゅっ』
ぎゅっ。条件反射で動作した。口元だけを強く結んだ。
瞬間、金属が悲鳴をあげる音と、強化ガラスがブチ抜かれる音がした。
げらげら声が、示し合わせた様に停止した。まるで独楽のように世界が回る。スリップ。壁、ガードレールか何かにぶつかる。強い振動がやってきて、身体が座席シートにぶつかった。
ぎゅっ。ぎゅっ。ぎゅっ。
それだけを考える。意識する。すると「べきぃ!」とすごい音がした。もしかすると、車の扉が丸ごと破壊されたのかもしれない。
「ご無事ですか、アリスお嬢様」
ぎゅっとした身体に、救いの両腕がやってくる。
「しず、え、さ……」
「はい。ご無事ですね。痛いところもありませんね。そのまま石のようにじっとなさっていてください。すぐに終わりますので」
見えない目隠しをされたまま、縛られた手首の縄がぶつっと切れた。続けて、ひょいと抱きあげられる。
「しばらく視界はこのままで。不自由だとは思いますが、ご了承くださいませ」
一体どうして、目隠しは取ってくれないのか。あまり考えたくはない。しずえさんに抱きしめられたまま、すぐに別の車に搬送された。しずえさんも付き添ってくれる。
「お嬢様、もしご希望でしたら、本日の記憶を消去することもできますが、如何いたしますか」
ごく自然に言われた。この世界のメイドさん、特にメイド長たるしずえさんは、基本的に万能すぎた。強すぎである。