悪役たらない令嬢
ゲームも、ラノベも、アニメも存在しないはずの世界線。
日曜の朝八時に、その例外が存在した。
貴族たちが大勢住む、日ノ本の都庁。
広大な敷地面積を有した邸宅の一室で、私は胸を躍らせていた。
「……あと一分」
ふかふかの座布団を抱えて正座で待機。服は着ている。自室には最高峰の解像度と、クリアな音響を伴う巨大な液晶テレビが置いてある。隣には自分で組み立てたスチールラックに、録画用のデッキモニターと、動画編集用のハードディスク。
保存したデータは、ノートパソコンにもバックアップを取っておく。
「あと十五秒」
壁に飾ったアンティーク時計の針が進む。短針が八時ちょうどを指した。
「――追い詰めたぞ! ダーク・ジェネラル!」
CMが終わって、映像が切り替わる。画面左上に「8:00」の表示。
「貴様の命運もここまでだッ!」
「クックック。ようやく来たか。遅かったな、虹色戦隊ナナレンジャーよ!」
巨大なスクリーン上に映されるのは、休日の朝恒例の、ご長寿『特撮ヒーロー物』だ。
オタクが生きていく必需品となる娯楽物が根こそぎ排除されたこの世界。唯一の例外となる一時間の為だけに、毎日を生きてると言っても過言じゃない。
「我が野望は、まもなく成就される。人間共は、我らが暗黒生命体、ダークマターズの糧となり、永遠に無に還るのだ……ッ!」
「そのような事はさせるものかッ! みんな、行くぞッ!」
「わかってる! 今こそ機霊獣を召還すべき時だなッ!」
「応よ!」「わかったわ!」「俺に任せな!」「早く終わらせてカレーがたべたいぜッ!」
『虚数領域展開! 第七七七項目限定解放! 実数世界にコンバートッ!』
六人のレンジャー達が虚空に手を伸ばす。手首にはめた販促用の時計――あるいは、世界の量子空間の座標域を検索してアクセスする『メモライズ・ウォッチ改Ⅱ』が輝いた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
次元が歪む。天照・白虎・朱雀・玄武・黄龍の名前を冠したロボットが現れる。
それぞれのパーツが変形して、合体して、デカくなった。
「いいだろう。最終決戦といこうか、ナナレンジャー! ハアアァァッ!」
悪の大幹部の体も膨張する。両者共に超巨大化して、街のどまん中に現れる。
両者は荒々しくバトルして、その度に、作られたセットのビルが派手に崩壊する。
「放送も終盤だから、遠慮なく破壊してるなぁ……格好良い……」
メタ的な事を言ってしまうと、特撮アニメの予算は常にカツカツだ。なので放送初期は、派手な立ち回りなんかを行っても、意外と物を破壊するシーンは少ない。後で使いまわす時に修繕費がかかってしまう。
でも、番組が終わる終盤になると、そもシーンを使いまわす必要もなくなるので「これで最後だ! 派手にブッ壊してしまえ!」と言わんばかりに、大暴れする。
火薬も盛大に使う。ボスキャラの手から、派手な爆炎が立ちのぼり、ナナレンジャーのロボに直撃して火花が散る。もうもうと粉塵を立ち込めながら、立ち上がる。
どうして、朝八時のアニメ枠だけが許されたのか?
それは、ゲームのエンディングのひとつに起因した。
この世界の元となった、乙女ゲームの主人公が、俳優の貴族と結婚するルートがある。彼は『日曜朝アニメ』の重要キャストとして登場し、その番組を、主人公の一家が団らんしながら見て終わる。というパターンがあったのだ。
シナリオの意図としては〝主人公が幸せな家庭を築いて終了〟というものだけど、おかげで、私は仕様上の隙間をついて、この世界でも一部のアニメを堪能できているわけだ。
書店に並ぶ色恋沙汰の文学小説よりも、興行収入がすごいと言われる大作映画よりも、日曜朝の三十分に流れる、荒唐無稽な戦隊ヒーローと、魔法少女の話の方が、おもしろい。
「――これで終わりだ、俺たちの勝ちだ。ダーク・ジェネラル」
「フッ……強くなったな。コースケよ」
「なっ、何故俺の名前を!? ……まさか貴様はッ!?」
「そうだ。私は、おまえの――兄だ!」
「なんだと!」
(つづく)
実は兄弟でした。お父さんでした。というネタは、すでに使いまわされている。
本人には衝撃の展開でも、見ている方は「知ってた」となるパターンが多い。それでも私は十分に満足した。続く魔法少女アニメ『マジカル☆シュビーゲル』も心の底から楽しんだ。
ED曲が流れ終わる。「らいしゅうも、またみてね!」のテロップを見送るのと共に、私は深い喪失感に苛まされていた。
「はー今週も見終わっちゃったよ……」
この世界は、日曜の夜にサザエさんが流れない。だから「また月曜が来ちゃう……」という諦観と絶望の気持ちは、日曜の朝からやってくる。
「日常系アニメが終わった時も、こういう気持ちがやってくるんだよね……」
特にハマっていた深夜アニメが終わった時はつらい。
翌週になっても気づかなかったりする。
録画の準備をしおえて「さぁ今週もやってまいりました!」と、意気揚々とテレビを付けた瞬間に、アニーとジョナサンの軽快なトークによる通販番組が流れていたりするのだ。
「あっ……! 先週最終回だっけ……ののたんびより……」
先週までは、ゆるゆる、ふわふわとした、田舎のスローライフストーリーが、最終回を迎えていたという現実に直面する。同時に「なんの為に生きてたんだっけ?」と絶望する。
それぐらい、アニメは、だいじ、です。
オタにとって、生きる糧だ。水そのものだ。
とりあえず、そんな感じで空のRWにせっせと焼く。
編集ソフトで余計なCMは一秒刻みでカットカット。焼けたらケースに入れて、印刷したテプラに録画した日付とタイトルを入れて貼り付ける。あとは家の地下シェルターにある、超合金の金庫に入れておけば完璧だ。
「これで、ある日とつぜん、地震や津波が起きても大丈夫よね……」
地下シェルターには、独立した予備電源が設置されている。テレビも三台あるから、災害時も退屈しないで済むはずだ。安全にひきこもれるだろう。
これだけは、お金持ちの家に転生してよかったと思う。
そんな一心で黙々と作業を進めていると、自室のインターホンが鳴った。なんだろうと想いながら受話器を取った。
「はい」
『お嬢様、お忙しいところを失礼します』
「しずえさん? なにかありましたか」
ウチのメイドさんだった。
彼女は今年入ったばかりの人だ。ものすごく、きびきびと働く。
だけどこの時間帯は、残念な悪役令嬢が一匹、部屋で子供向けのアニメを真剣に見たり、編集作業をしているのは周知の事実なので、みんなあえて近づかず、そっとしておいてくれているはずなのだけど。
『外部の局番より、お嬢様あてにお電話が届きました』
「私にですか? アミャゾンの宅配だったら、昨日受け取ったと思いますけど……」
七色レンジャーのコスチュームが新しいのに変わったので、先日、変身グッズ一式をネット通販で購入したのだ。超合金の金庫の中には、それらも眠っている。
『失礼ながら申し上げます。お嬢様の中では、ご自身に来る連絡先で浮かぶのがまず、アミャゾンからの配達通知なのですか?』
「はい。だって他の人からの連絡なんてこないですよ。お父さまもお母さまも、普段は家に帰ってきませんし。たまに家にいても、見えなかったりしますから」
ゲームに出て来る親とは、何故かそういうものだった。
『お嬢様のご両親は、日ノ元の〝影の支配者〟の異名を持っておりますので』
「あ、なるほど……」
初めて知った。
「えっと……それで、電話はどちらからですか?」
『庶民の方です。藤原春奈様と名乗っておりました』
「ふ、藤原さんから……っ!?」
『えぇ。わたくしか、お嬢様の方から、折り返しご連絡をと伝えておきました。如何いたしますか?』
これは一体、どういうイベントなのだろう。
胸がちょっと、ドキドキした。フラグなの?
「あの、しずえさん……」
『はい』
「うっかり出向いたら、バッドエンドになったりしませんかね……?」
『お嬢様、おっしゃっている意味が分かりかねます』
「え、えっと……」
悪役令嬢は、基本的に『負け確』の存在だ。シナリオが中盤に入った辺りで、正義の陣営にやられるのがお約束なのだ。あと個別ルートによっては〝しっぺ返し〟を食らうというか、割とナチュラルに、ひどい目にあったりもする。
「主人公の誘い文句につられて、のこのこ出向いて行ったら、明日には地中海に沈められているかもしれないんです。私のゲーマーとしての記憶がそう言っています」
『お嬢様。失礼ながら申し上げますが、お嬢様は、アニメを見た直後は、言動が著しくおかしくなることが多々ございます。アニメの影響を受け過ぎなのではありませんか?』
「す、すいません……」
恥ずかしい。
『どちらにせよ、ご都合が悪いようでしたら、私の方からお断りの電話を入れておきますが』
「あ、そうしてください」
『承知しました』
さすがは、しずえさん。頼りになる。
人付き合いをして、フラグが立つなら、人付き合いをしなければいいじゃない。
目立ちたくない。誰のルートにも進みたくない。あるいは漠然と、透明なフィルターを通じて記号だけを埋め尽くしたい。あらゆる世界を俯瞰して見つめたい。
それが、ぼっちな私の、理想の生き方だった。