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2.悪役令嬢…?

「あたしのモノになれよ、アリス。気の済むまで側に置いて、愛でてやるよ」


 それは主人公の台詞じゃないし、悪役令嬢が耳にするものでもない。

 はずだった。


 ※


 転生前、元の世界では、藤原さんはクラスの人気ものだった。彼女の周りにはいつも、男女問わずに人が集まっていた。でも今は、

「――勘違いしないでくれる? 私、あんたに興味ないの。次に半径五メートル以内に近づいたら、そのニヤけた顔を殴りとばすぞ。わかったら、退け」

 攻略対象のイケメンを、悪意を持って払い除けた。


 元の世界では、彼女は長く艶やかな黒髪を伸ばして、いつもにこやかに笑っていた。この世界の『任意の主人公』のイメージとぴったり重なった。


 でも今は、ある日を境に、その髪をバッサリ切り捨て、燃えるような赤に染めていた。それでも学園のイケメン貴族たちは、まず彼女に接触しようとする。持ち前のポジティブさで乗り越えようとする。

「と、とつぜん押しかけて、申し訳なかったね。君が怒るのももっともだ」

 百億万ドルのはにかみ系のイケメン王子が、前髪をさらっと上げながら、口にする。

「では後日、あらためてまた……」

「失せろ」

 藤原さんは容赦がない。「おら、あっちいけ」と、駄犬を追い払うように払いのける。はにかみイケメン王子が「……」と、三点リーダー的な沈黙を守って退散フェードアウトする。周囲の空気は氷点下まで凍りついた。

「信じられませんわ。あの庶民……」

「しっ、聞こえますわよ。でも、あぁいうのも、ちょっとイイかも……」

「ぬ、抜け駆けはいけませんわ!」

「ではまず、公平にファンクラブを作ってから――」

 貴族のお嬢様たちの、なんだか妙なひそひそ声が聞こえてきて、私の胃もしくしく泣いた。

「まったく、ジャマなモブ共だわ。あんたもそう思うでしょ。アリス」

「……ぁ、う……」

 この状況で私の名前を呼ばないでください。みんながこっち見てます。どうか私も無視してください。というか前の学校だと、私なんて気にも留めてなかったじゃないですか。

「なに、迷惑?」

「そ、そんなことないですっ」

「じゃ、ご飯食べに行くよ」

「は、はい……」 

 とぼとぼ、お弁当袋の巾着を持って、彼女の背中に従った。


 先月、五月の連休が明けた直後だった。

 乙女ゲームの主人公こと『藤原春奈』さんは、あしながおじさんと呼ばれる男性からの援助を受けて、ゲームのシナリオ通りに転校してきた。

 ここで、本来はクラスを仕切っていた悪役令嬢の私――『大鹿アリス』が、あの手この手で『藤原春奈』を、学園から追放しようとするのだけど。


「――やっと、本物の人間に出会えた。嬉しいわ、大鹿さん。

 あんたの様なウジの虫ケラでも、作りものより、幾分マシね」


 絶対に勝てるわけが、ありませんでしたとさ。


 だいたい、クラスを仕切るどころか、入学一月後には、トイレでお弁当を食べる身分に落ちぶれていたのだ。そもそも、主人公に関わると碌な目に合うはずがないと、彼女の事もスルーしようと思っていたぐらいだ。

 でもまさか、悪役令嬢の私のみならず、主人公である藤原さんもまた、この世界に転生していたとは思わなかった。


 ※


 学園の〝食堂〟は、好きな食べものを自由に取るバイキング形式だ。

 お昼に生徒で込んでいると、部屋の端が見えないぐらいに広い。男子がパンを買い争う光景もないし、パシリで買い出しに走る生徒もいない。自販機のコーヒー牛乳が目前で売り切れになって「テメェだけは許さん……!」と世紀末なバトルが起きたりもしない。

 貴族の生徒たちは、誰もが悠々自適に料理をとって席に着く。需要も供給もしっかりと余裕があった。

 食事の席も基本は自由席だけど、生徒の間には暗黙の了解があった。恋人の男女が食事をとる時は、別の場所に移動するというものだ。そこは静かな中庭であったり、文化棟に建てられた東屋だったりした。


「あ、あの、藤原さん……」

「なに?」

 私たちは部室にいた。公立の学校でありがちな、プレハブ小屋とはワケが違う。水道と電気が通っていて、人が十分に住める広さと空間がある。

「この学園の〝お約束〟を、その、知ってますか?」

「お約束? ……あぁ。恋人は昼休み、二人で好きな場所で過ごすってアレ?」

「は、はい。そうです」

 部室の外観は、大正時代にありそうな、古めかしい煉瓦造りの建物だ。1LDKほどの広さがあって、中の家具や設備には、現代式のリフォームが施されている。

「じゃあなに。私とあんたは、恋人同士ってことになんの?」

「一応……フラグ、立っちゃうかな……って」

「フラグって?」

「え、あぁ……その、ルートに入るための選択肢を、そう呼ぶんです」

「ルート? 選択肢? 数学のアレじゃなくて?」

「み、道順のことです。次はお話がこっちに進みますよっていう……」

「あぁ、つまり伏線を回収したとか、そういう話?」

「は、はい……そういう、感じです……」

 この世界の元となったゲームでは、相手にどのキャラを選んでも、誰かと二人きりで昼食を食べた時点で、学園中に噂が広まる。そして、そこから個別ルートに派生していくのだ。

「ごめん、つまりどういうこと?」

「わ……私と藤原さんが、明日から、恋人同士になるかもっていう――」

「頭は大丈夫?」

「で、ですよねー! ……ごめんなさい」

 蒸し暑くなりはじめた梅雨の季節。快適なエアコンの風にあたりながら、私立探偵のドラマに登場しそうな応接間に二人で、向き合う形でお弁当を食べている。

(……正直、ここなら一年中、ひきこもって暮らせる自信があるなぁ)

 転生した自分の部屋は、あまりにも広くて、落ち着かないのだ。

「ねぇ、アリス。あんたさぁ、このご都合主義満載の世界にいて、マジメにガチで楽しかったりすんの?」

「……ふ、普通です……わたし、どこ行っても、あんまり上手くやれないので……」

「あー、あんた昔からぼっちだったもんね。ってか、敬語やめて?」

「ご、ごめんなさ……ごめん……」

 もそもそ、お弁当を食べる。私のお弁当箱は重量感のある漆塗りの箱だった。藤原さんのは、昔の私も使っていたような、プラスチックのランチボックス。

 でも中身は似てる。たわら型のおにぎりに、卵焼きに、ウインナー。胡麻和えのほうれんそうに、つぶつぶのコーン。きんぴらごぼう。

「はぁ。元の世界に帰りてぇわ」

 藤原さんが嘆息する。

 私はなんて言えば良いのか分からずに、お茶を飲んだ。

「アリスは?」

「え?」

「帰りたくないの? 元の世界に」

「……え、えと、あの、か、帰りたい、です……」

「私に話し合わせてるわけじゃなくて?」

「は、はい、じゃなくて、うん。え、えっと……ゲーム……」

 つい口からこぼれた。ろうそくに火がついたみたいに、恥ずかしくて、頭の奥まで熱くなった。

「な、なんでもないです……」

「ゲームみたいな世界なんでしょ、ここ。よく知らないけど。貴族とか平民とか、ワケのわかんない区別があるしさ」

「う、うん」

「あんたみたいなオタ系って、こういう世界が好きなんだと思ってたけど?」

「それは……」

 確かに好きです。癒しでした。でも、

「フィ、フィルターを、ね……」

「フィルター?」

「うん。透明な薄いフィルターを通して、ながめてる感じだった……割と、普段の毎日を過ごしてる時と、あんまり変わらなくて……」

「じゃあなに。あんた、元々の世界もキライじゃ無かったわけ?」

 藤原さんが聞いてきた。彼女の言葉はとても早く、鋭い。

 私はだいぶ迷ったけれど、うなずいた。

「うん。キライじゃ、なかったよ」

「ぼっちで、他の生徒からは陰口叩かれて、トイレでご飯食べてたのに?」

「……そ、それはそうなんだけど……」

 陰でなにか言われるのはつらかった。でも、

「一人でいる事自体は、キライじゃないの。十分耐えられるっていうか、トイレでご飯を食べるのも、正直に言うと割と平気。だって家に帰ったら、ゲームもマンガもあったし、勉強も簡単だから……」

 藤原さんの言うとおり、私はぼっちのオタだったし、コミュ障だったけど。人はそれを「寂しいやつ」と笑うかもしれないけれど。

「割と、現実には満足してたんだと思う」

 だから、

「……私も帰りたいな。マンガとか、ゲームとか、アニメがある世界が良いな。自分が直接体験するんじゃなくて、もう一度、透明なフィルターを通じて、眺めるだけで済む世界に帰れたら、良いな……」

 喉がカラカラに乾いた。

 私は昔から、物事を説明するのが苦手だ。「なにを言ってるか全然わからない」と口にされる事が多かった。 

 その点、恋愛ゲームは素敵だ。

 二つの選択は明確な正解と間違いに分かれていて、なにも考えず、さくさく進む。現実の週末に余った時間も消化できる。

「だったら、アリスは」

「えっ?」

「この世界に転生してから、週末はなにやってんの」

 ごはんを食べ終えて、お弁当箱のフタを閉ざしながら、藤原さんは聞いてきた。

「それは、その……なんにもしてない、かな」

 ぼーっとしてる。時々は外に出て買い物にも行ったりする。けど、私が望むような商品は置いてない。結局は本屋さんに寄っても、ベストセラーになっているのは『ロミオとジュリエット』の完全コピー誌みたいな、身分差を描いた悲恋もの一択だ。

 買って帰れば、一応は目を通す。マジメに読んだりもむするんだけど、結局は、半分ぐらい過ぎたところで、飽きて積んでしまう。


 はぁ、ギャルゲーやりたい……。乙女ゲーもやりたい。ゲームやりたい。

 マンガ読みたい。ラノベ読みたい。深夜アニメを片っ端から録画したい。


 頭の中をからっぽにして、ベッドの上で仰向け、うつ伏せになってを繰り返して、ごろごろしたい。途中でトイレに行きたくなって、そのまま便器に座って携帯ゲームを握りしめ、時間を忘れて小三時間ぐらいプレイする。

 それぐらいプレイすると、最初はツンツンしていた美少女が、二人きりで頬を赤らめせて「アンタの事が好きだって言ってんの、バカ!」とか言ってくれる。あるいはイケメンから唐突に「おまえの事が好きだぜ」と告白される。トイレで。CGのコンプと差分の回収作業に走る時も、トイレは便利だ。


「わ、私も、やっぱり元の世界に帰りたい、帰りたいよ……っ!」

「あ、そろそろ教室に戻る時間ね。じゃ」

 藤原さんは言って、お弁当箱の巾着を掴み、さっさと部室を出ていった。


 たぶん、私と彼女の間に、フラグは立たない。

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