キッコさん現る
「・・・だめだ。そっちに行ってしまったら…ダメなんだ!」
……!
…夢か。強烈な思いに目がさめた。
早くそうありたいと思っていた独り暮らし。
その時期が自分の思っていた時よりも早く訪れてしまった。
独り暮らしするには広過ぎる家。
今はそこに暮らしている。
自分が幼い頃に母が病気で死に、男手一つで育ててくれた父も、先日交通事故で帰らぬ人となった。
「ふう。なんか、嫌な夢だったな。」
ゆっくりと身体を起こし、直ぐに着替えて身仕度を整える。
コンビニで買ったおにぎりを軽く食べて、僕は外に出た。
自転車で、街をぶらついてみようと思い、宛もなく自転車を漕ぐ。
途中で、何だか寂れた神社が目に入った。
「こんな所に神社なんかあったっけ?
ちょっと願い事しようかな。親父の事もあるから」
僕は、賽銭は投げたりせずにただ、手を合わせる。
そうしてから僕は何気なく、神社の裏に回ってみた。
みると、この神社の軒下の奥に、綱がもう少しで切れそうな石が横たわっていた。
「……」
僕は無意識に、その石を立て直そうと潜って中に入り、石を立て直してみる。
だが、その時石に掛かっていた綱が切れたのだ。
その綱が切れた瞬間に、左足の付け根だけがやたらと冷たくなる感覚に襲われたけど、すぐに消えた。
何なんだろう?
石を立て直して、僕は再び自転車に乗って出発する。
そしてこの街の繁華街に到着する。
この繁華街は、駅前はアーケード付きの小売り店が立ち並び、端に行くと大手スーパーがある。
大手スーパーとは言っても、食料品が中心で、日用品や薬、衣料品は
扱いが無く、商店街のアーケードの方に、ドラッグストアや衣料品店、雑貨屋やパチンコ屋などが並ぶ。
うまく共存している地域だ。
そんな中、俺は小さな電材の店に向かい、コードや基板、本になる箱などを買って、家へと戻る。
「ただいま」
誰も居ないのは分かっている。
けれど、これだけは言う様にしている。
「はいなー」
…奥の方から声がした。
ん?何だ
誰も居ないはずなのに、女と思わしき声がしたのだ。
なんだと思い慌てて声のする方へ駆け寄った。
「誰だ…!」
僕の目に映ったのは、髪を結い着物を着た女性だった。
それが三つ指をついて座っていたのだ。
目の前にいる女をみて呆気けに取られた僕。
しばし、呆然となってしまう。
だけど気を持ち直して、目の前の女をみると、顔こそ日本人的なのに、着物に金髪という何ともミスマッチな出で立ちだ。
「な、なんだよアンタ。鍵は掛かっていたのにどうやって入った!」
これが、相手への僕の第一声だった。
すると、相手の女性は顔を上げ
「申し遅れました。あたいは閉じ込められていた所を助けて頂いた狐にございます。
名をキッコと申します」
…僕が助けた?それにキッコ?
何なんだ一体?
「おや!?『何が何だか分からない』という顔をしてますなぁ。あたいは、社にある石に閉じ込められて いた狐のキッコ。この度は助けてくださりありがとうございます」
そう言って「キッコ」と名乗る女は再び深々と頭を下げる。
さっき、言葉の中に「社」と「狐」を言っていた事から、人間でない事だけは判断出来る。
そして、僕は稲荷神社で石を立て直した事を思い出し、
「…まさか、稲荷神社の石に封じ込められていたと言うんじゃないだろうな?」
と、質問すると
「そうでございます」
と答えた。
別に助けたつもりも無く、突然現れた人外?は、一見すると悪い様には見えない。
でも、石の封印が解かれて出てきた奴ってのは大抵、何か悪いもんだと相場が決まって居る。
僕はそう思う。
「あのさー。キッコさん?僕は助けたつもりなんて無いよ。偶然だよ」
「何と!偶然とな?」
「うん。ぐーぜん」
僕が冷たく言うと、キッコはいきなり″しな″を作った。
「よよよ。あなたに助けられてやっと外界に出られましたのに。恩返しだってしてませんのに」
「…恩返しとかいいから…。それにしなを作るなよ」
こいつ、本当に何なんだ?
そうこうしてると
ピンポーンと、家のインターフォーンの電子音が鳴る。
「健太郎?居るんでしょ?ご飯作ってあげるからー。入るよー?」
…ッ!
この声は幼なじみの養老美徳だ!
独りのはずの僕にこんな所を見られたらマズい!
非常にマズい!
全く。なんて時に来るんだ。
「ちょっと!キッコさん!お客さんが来てるんだ!どこか 隠れて!…そうだ。ここだ!」
僕は、キッコさんの両肩を押さえて風呂場に誘導して、身を隠させた。
そうしてから玄関に向かう。
「待たせた。美徳」
「どうしたの?息上がってるよ?」
「何でも無いって!」
「本当?それならいいけど。健太郎さ。最近はロクなもん食べてないでしょう?ご飯作りに来たよ」
そう言って、僕こと五井健太郎の幼なじみである養老美徳は、スーパーの袋をひとまず床に置いた。
「すっげー助かるよ!ささ、こっちこっち!」
「どうしたの?油汗掻いて?何か変よ?」
「どうもしないって!」
そう言いながら僕は、さっきキッコさんとしたのと同様に、美徳の肩を押さえながら台所に誘導した時だった。
「ふぎゃーっ!あちいーっ!」
と、風呂場から声がした。
その声に気がついた美徳。
「なっ、何?誰の声!?何が起きたの?」
美徳は、声のした風呂場の方に駆け足で向かう。
これはヤバい。非常にヤバい!
僕は美徳を追いかけた。だが、遅かった。
バターン!
美徳が勢いよく風呂場の扉を開けるとそこにはシャワーから出ているお湯を止めようと必死になって居るキッコさんの姿が有った。
その光景を目撃した美徳は、事態を収拾しようと、濡れながらも、キッコさんに割ってはいり、シャワーの栓を止めた。
濡れた美徳をみて僕はタオルを差し出す。
それを受け取る美徳。
「けんたろー?」
次の瞬間、美徳の拳が僕の腹をめがけて炸裂した。
「ぐほっ!」
美徳のボディーブローが僕の腹にヒットする。
「…少しは手加減てものをしてくれよ…」
美徳が、タオルで濡れた髪の毛や腕の所を拭きながら言う。
「あらら?けんたろー?これはどういう事かしら-?」
美徳が、髪にかかったタオルを手でおさえながら、もう片方の手でキッコさんの方を指差す。
「さて、どういうことでしょう?」
「シラを切ろうとするんじゃないの!どうしてこんな所に、お湯をかぶって熱がってる金髪の女が居るかを聞いてんのよ!」
「美徳サン?冷静にね?話を聞いてくれ」
「……」
「実は、近くの稲荷神社で倒れいた石直したんだけど、その石を直した時に綱が切れたのはおぼえてるんだが。
何だか切れた綱と関係あるらしくて『助けて貰った』って。それでいきなり家に上がり込んでたんだよ。
それで、この人は実は狐で、キッコさんと言うそうなんだ…」
「続きは?」
「もう、言い切ったぞ」
「えっ!?健太郎。まだちゃんと聞いてないの?」
「そうだよ!こっちだって会ってから間もないんだからな」
「あっそう」
「キッコさん。僕たちにもっと詳しく聞かせてくれよ?」
僕は困りはて、話しを向こうに振る。
「なぬ?話しとな?そうか。お主には大して話せて無かったものなー。それじゃあ、居間にでも移動せぬか?」
「そうか。分かった」
そう言われて僕、美徳、キッコさんと続いた。
そうして居間に入る。
「そこに、座ってたもれ」
キッコさんがそう言うと何故か、僕と美徳は思わず正座で座ってしまった。
「では、こほん」
キッコさんが呼吸を整える。
「あたいは、人間が享保と言ってる年号の時代に、神社に閉じ込められてしまってのう。しかし、そなたのお陰でこうしてしゃばの空気を吸えてるのじゃ」
「閉じ込められた理由って?」
「何か悪さをしたからじゃない?」
「はははっ!そこのおなご。面白い事を言うのう。あたいは人間相手に化かそうと悪戯はしておったよ。
じゃが、これには競う相手がいてのう」
「競う相手?」
「そうじゃ。狸のポン太郎という奴じゃ。そいつと、人間相手に妖怪などに化けてばかしおってたんじゃあ。
じゃが、ある日を境にポン太郎の姿が、待ちあわせ場所にいても幾度も幾度も見えんなった。暫くして仲間の狸があたいに伝えに来たんじゃ。証乗寺の和尚と合戦をくり広げて負けたとな」
「ええっ!?」
僕と美徳は驚いた。
「でも、合戦って?」
「享保狸合○ぽんぽこ?」
美徳が冗談混じりに言う。
「なんじゃそれは!?…合戦と言うてもなぁ。何も槍や刀を持って人間と流血をしたんではないぞ。その時は、寺の坊さんと囃子合戦を繰り広げてたそうでなぁ。ポン太郎はお腹を破いてあの世にいっちまったんじゃよ。それで、証乗寺の坊さんはポン太郎を供養してくれたそうじゃ」
「あの昔話って本当にあったんだ」
僕は思わず感嘆した。
「…じゃが、頭のポン太郎を失った事で他の狸たちの統率が崩れてのう。
人間を化かすのがまして怪我をさせただけでなく、必要以上に畑を荒らすようになっての。人間の怒りを買ってしもうて。同じように人間をばかしていたあたいはとばっちりを受けたんじゃ」
「それでどうなったの?」
僕は質問した。
「捕まって、傷をつけられたあとに直ぐには殺されず縄に繋がれたまま放置されてのう。あたいは餓死したんじゃ」
「キッコさん。幾ら妖力が残っていても、死んだら何もならないんじゃない?」
美徳が言う。
「そうじゃな。死んでから幾年かの事は知らんのじゃ。じゃが、人間が供養してくれる様になってからは、身は無くとも意識だけはついて
来るようになったのじゃ。供養されて石があったお陰でのう」
「じゃあ石に閉じ込められてからも外を見ていたとか?」
「お主は察しがよいのぉ。時々お参りに来る人間相手にその心や姿を覗いては見て、沢山知ったぞ。『時代』というものを。
いつの時代か、凄い轟音と伴に人間があちこち逃げ惑うのをみたが、あれはちいと惜しかったのう」
「『惜しかった』ってなんで!何でそんな事を言うんだ!?」
「『爆弾』とか言うので石と縄が吹き飛んでくれればその時に外界へ出れたのじゃが?この辺りには、飛行場というのがあるらしく、そこには『爆弾』とやらが落ちたそうじゃが、こっちまでは影響が無くてのぅ」
「何でそんな事知ってるんだ!?」
「言うたじゃろ?人間の心を覗いたと」
「う…」
「それで知る事ができたしの」
「ちょっと!人の心を覗き見してどうしようとしてるのよ!」
美徳が、強い口調で言い、拳で床を叩いた。
「あたいは今も人間をばかすのが面白くてのぅ。
その『時代』の事柄を吸収して、いかに人間を化かして楽しむか?そのために、変化する人間の心を読み取ってきたんじゃよ。それが生きがいになったのじゃ。
で、ようやく外界に出れたのじゃが。人間が逃げ惑うていた時代よりも随分と華やかになったようじゃのう?」
「そりゃあ、戦争は終わったから」
「『戦争』か」
この時、美徳が肘で僕をつついてきた。
そして、ひそひそ声で話す。
「ちょっと。健太郎」
「うん?」
「言っている事が本当なら、キッコさんってかなりの曲者よ。話しを聞くとまだ人間にイタズラしようと企んでるようにしか見えないし。それに妖弧だし。封印し直したほうがいいよ」
「なんだそりゃ。封印しようにも方法が分からないじゃんか!」
「うーん?」
「『イタズラ好き』は引っ掛かるけど、そんなに悪くは見えないし」
「いいのかなぁ?」
その時だった。
ぐうぅ~~。
僕のお腹が鳴る。
「そう言えば、腹減った…」
「あっ!?夕食の材料!」
「お主。腹の虫が鳴りおったか」
キッコさんがちょっと笑う。
「うるさいっ!」
「…そうじゃなぁ。だいたい話す事も出来たし、支度するか?そこのおなごよ?」
「私は美徳!」
「みのりか。じゃあ支度を手伝おうかね?」
「狐が出来るの?」
「おお。作れるぞ。これでも、人間を知る為に、人間に化けて、少しの間一緒に生活しておったでの」
「人と一緒に?良く、バレなかったな?」
「それで、どうしたのよ?」
「一応、畑仕事を手伝ったり、炊事洗濯など持ちつ持たれつの生活をしておったんじゃが。これまた、狸の奴に正体を明かされる羽目になって、捨てられたのじゃよ」
「どうしてそこまでの事をしたの?」
美徳が疑問を投げ掛ける。
「はやく人間になりたい(笑)」
「茶々を入れないの!」
バシン!
俺は美徳にはたかれた。
「美徳だってさっき、言ってたのになー…」
「人間に近づこうとしたのは確かじゃよ。そうすれば、適わぬ人間を越えて、いじめられんし、共存も容易くなると思ってのぉ」
「共存?」
「ん。享保と言われた時は、人間同士で争う事はほとんどなくなったのじゃが。その、前の時代がのう…」
「前の時代?」
「戦国時代とか?」
「戦国時代?そう言っておるのか?」
「うん。まあそうだけど。って長々と話しをしちゃったわね。支度しないと。じゃあ、健太郎は向こうへ行ってて?邪魔だから!」
「はぃ?何で?」
僕は、キッチンから追い出されてしまった。
しょうがない。TVでもみるか。
「ポチッとな」
僕はTVを点けた。
そして、キッチンでは…。
キッコがキョロキョロとモノ珍しそうな顔をしながらも、美徳の支度の手伝いをしていた。
「みた事のない食材ばかりじゃのう。どれも旨そうじゃあ」
「…みてないでこれ、切ってくれます?」
美徳にそういわれて、野菜を手渡されたキッコさんは、包丁を手にとりリズミカルに刻んでいく。
「へえー。上手なんだ」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
野菜を刻み終わってキッコさんがいう。
「みのりや。米はどこで炊いておるんじゃ?かまどが見当たらんのじゃが」
「えっ!?かまど?ああ、炊飯器ね」
キッコさんが何を言いたいのか分かった美徳は、炊飯器を指差し、
「キッコさん。今はこれで炊いて居るのよ」
と、言ったのである。
美徳が指差した炊飯器にキッコさんは目を見開き、驚いているようだ。
「なんと!これで米が炊けるのか!?昔のかまどとは大違いじゃの…くんくん…ほう、確かに煙りから米の香りがするわい!」
「キッコさん」
「うん?」
「あと、これのへたをとってガラスの器に盛り付けてくれますか?」
「おう。分かった」
用意された小さなゴミ箱に、キッコさんはヘタを捨てて行く。
ヘタを五個ほど取ってガラスの器に入れた所で、キッコさんは器を手にとり、持ち上げて目線の方までもって行く。
「透明で、模様の入った綺麗な器じゃなぁ。それに何だか涼しげじゃ」
「キッコさん。ガラスはみた事無いの?」
「これは、初めてじゃ」
「そうなんだ」
その時、
シュー。ジュワーッ。
鍋のお湯が吹きこぼれた。
「きゃっ。お湯を張りすぎた!」
美徳は、ガスコンロのスイッチを慌てて切った。
「何を茹でておったのじゃ?」
キッコさんが質問する。
「ハンバーグよ」
「はんばあぐ?なんじゃそれは?」
「熱いから、箸で取り出してお皿に盛ってくれますか?」
美徳にそう言われ、箸を取り出してお皿に移すキッコさん。
しかし…。
美徳が念のため見てみるとパウチを切っておらず、ハンバーグを「置いた」状態であった。
「これは…手間かかりそうね」
美徳は包丁を使ってハンバーグのパウチを切り開けて、皿に盛りなおす。
そしてキッコさんが刻んだ野菜も盛り付けた。
少し手のあいたキッコさんは、ご飯をよそおうとしてしゃもじを探す。
「みのりや。しゃもじは何処じゃ?」
「目の前にあるじゃない?その白いのがそうなんだけど?」
美徳が目を向ける。
「おお、これか。しゃもじの形をしてるな!」
キッコさんがしゃもじ専用の水入りスタンドから取り出す。
「なんじゃ?このしゃもじは?木で出来ておらんのじゃな。何なんじゃ?それに凸凹がたくさん付いておるぞ!?奇っ怪な」
「(奇っ怪って。キッコさん、あなたもなんだけど)キッコさん。それはその凸凹がある事で、ご飯がくっつき難い様にして有るのよ。使ってみたら分かるわ」
「さようか。それじゃ早速」
そう言って、出されている茶碗にご飯を盛るキッコさん。
「ほう、これは。木のしゃもじより米粒が残らんのう。よく出来ておる。よし。あと、ふたり分じゃ」
そう言って、計3人分のご飯を盛ったキッコさん。
そして、美徳は味噌汁を3人分よそい、それをテーブルに移す時、そのご飯の盛り方に驚いた。
「んっ!?なにこれ!?」
そこには、茶碗に山盛りになったご飯が置かれていた。
その量たるや、某牛丼チェーンのメガ盛りを超える、超ド級のものである。
それをみた美徳は
「ちょっと!キッコさん。これ、どういう積もりよッ!」
そう言って、盛られたご飯を指差した。
そしてキッコさんが答える。
「どうって。ふつうに盛ったのじゃがのう?」
「普通?これがふつう?多すぎよぉーっ!」
「はい?これが多すぎるのか?おひつが無いから、きっちり3等分すれば良いと
思っておったわ」
「…ちょっと、キッコさん。どいて!」
「なんじゃい!」
美徳が、キッコを押しのけて炊飯器の中身を見る。
「ああーっ!?空っぽだぁーっ!4合は炊いたのに!」
「なぬ。4合じゃと?少ないのう…」
「今の時代、4合でも多いわよ!」
「多いとな?あたいの時は、1升は一度に炊いたもんじゃ。それをおひつに移し、夜まで保たせたんじゃがの」
「…今の時代、おひつなんて殆んど使わないわ。炊飯器に保温機能があって、温かいお米を食べれるから」
「保温機能?温かいまま?」
「…っ!!」
キッコの質問の多さや、美徳自身が驚くのに疲れた美徳は、それに気がついて、自分が落ちつく様に心がけた。
「いい?キッコさん。今の時代は炎の代わりに『電気』というのでお米を炊いて、温かいまま保管できちゃうの。それだけじゃない。
この灯りや、冷蔵庫や電子レンジだって。電気があるから使えるんだよ」
「…電気かぁ。摩訶不思議じゃのう。その電気とやらで、沢山の事が出来るのじゃな。
しかし、味噌汁を作る時は、炎を使っておったが?何故じゃ?」
「水から沸かす場合は、火を使ったほうが早いからよ」
「あれで米は炊けぬのか?」
「やろうと思えば出来るけど。ずっと見なきゃいけないし、それだと、味も落ちるし」
「んー?そうか今時の人々は、手間を掛けられんのじゃな」
「手間とかじゃなくて、他の事も手を出せるから、食事の準備とか早く出来るのよ」
「ほほう」
キッコさんは納得したのか、あとはもくもくと、夕食の準備の手伝いをした。
一通りの事が終わり、夕食の準備が整う。
「みのりや」
「何です?」
「さっきから、ガラスとやらに入った赤い実が、気になって仕方ないのじゃ。すごく良い香りがするでのぅ。一つ位食べてみては駄目かのう?」
「つまみ食いは、行儀悪いですよ?」
「あちゃー」
つまみ食いをしようとしたキッコさんをみて美徳は思った。
つまみ食いをしようとするなんて、本当に江戸時代の人かしら?もっと行儀の良いイメージがあるんだけど。そして。
「健太郎。ごはん出来たわよー」
美徳が健太郎を呼んだ。
「待ちかねたよ。腹減って仕方なかった!」
三人は椅子に座る。
「いただきます」
と、健太郎と美徳は軽く手を合わせて、お箸を取ろうしたその時だった。
キッコさんのほうをみるとまだ手を合わせて何やら言っている。
「すべての生き物と、作ってくれたお百姓さんに感謝を捧げ。いただきます」
と。
これをみて、感心したふたり。
「どうしたんじゃ?お主等。そんなに珍しいか?」
「いやあ。ちょっと感心してしまって」
「そうなのか。これが普通だと思うが。お主等、『いただきます』しか言って無かったなぁ。情けない」
「えー!?」
「何を驚いておる?あたいだって、内心驚いておるよ。ずいぶんと略しておるのじゃな」
「それは。今は『いただきます』だけってのが普通だし・・・」
と、俺は答えた。
「ふむ」
それから、しばしもくもくと箸を進める三人。
「この、はんばあぐというのは美味しいのう。肉もそうじゃが、ついているタレが、甘辛い感じで旨い」
キッコさんは、頬に左手をついてうれしそうに語る。
「気に入りましたか?」
「おお。気に入ったともさ」
もう少し食事の進んだ所で、美徳の箸が止まる。
「…もうムリ」
美徳が小声でいう。
それに気のついた僕は、美徳の方に目をやる。
すると、美徳はおかずのほとんどは食べていたが、ご飯が半分以上残っていた。
「もうダメ。食べれないわ…」
そういうと、美徳は急に席を立った。
それをみたキッコさんが
「これこれ。食事中に席を立つでないわ。行儀の悪い!」
と、注意した。
「だってー。多いよー?それと、勿体無いからタッパーに移そうとしたのに」
「タッパーねぇ。それより、席に座り直さぬか?」
「何で座り直さなきゃいけないの?キッコさん」
「『ごちそうさまでした。』と言っておらんじゃろう!?」
これに気のついた美徳は慌てて
「ご、ごちそうさまでした!」
と言うのであった。
「まあよし」
キッコさんは一瞬目をつむり納得する。
僕はどこか、妖怪でありながらも、律儀な面のあるキッコさんの姿を知った。
それから美徳は、タッパーを出して、残りのご飯をつめた。
タッパーの容器が二つあって、まだ空の容器をみたキッコさんが、それを自分に渡す様に頼む。
「健太郎や。それを取ってくれぬか?」
そして、容器の四方八方をみながらさわり、つついたりしていた。
「柔らかい。ぐにゃぐにゃしておる。
これがおひつの代わりなのか?」
「そうなのかもね」
美徳は、そう言いながら、残りをタッパーに移し、冷凍庫に入れる。
僕の方も、いつもの倍以上あるごはんは食べ切れ無かった。
俺は普段一度の量は多くても、お代わりはしないから。
「お主もか。育ち盛りなんじゃから、しっかり食べんと」
「キッコさん。昔の人ってどれだけ食べてたんですか?」
「どの位かか?そうじゃなぁ。もう一回り大きなお椀にいっぱいじゃ」
「そうなんだ」
そして、美徳が質問する。
「キッコさん。おかずについてなんだけれど。そのー、昔ってどうだったの?例えば、夕食とか」
そんな質問をされて、キッコさんはしばらくテーブル周りを見る。
そして。
「そうじゃな。今よりもずっと質素なもんじゃなぁ・・・」
「質素?」
「そうじゃ。おかずといえば、たくあん、めざし、豆腐やらでなぁ。たくあんともう一品位じゃった。やっぱりご飯が主でなぁ」
「ふーん。それって『一汁一菜』ってやつ?」
「ちがわい。寺じゃあるまいし。食い物の種類がそんなに多くはない。それ故米を多く食べておったんじゃ。」
「へえ~」
「…ちょっと」
「ん?」
「ちょっと。お皿片付けるからどいて!」
美徳が、僕とキッコさんの間に割って入る。
そして手早く皿を重ねとり、シンクに置いた。
その後で、冷凍庫の牛乳を取り出し、砂糖も出した。
「健太郎。テーブルの端のイチゴを配って」
…ガラスの器に入っていた赤い物は、イチゴだったのである。
僕は、苺の入った器を手にとり、席の前に配る。
「おお。これはさっきの!」
キッコさんの目が輝く。
「いい香りじゃのー」
キッコさんは苺の近くに鼻を近付ける。
「そう言えば、この赤いのの名前を聞いて無かったのう。これは、なんと言う食べ物なのじゃ?」
「苺って言うんだ」
「いちご?どこから入って来るのじゃ?出島か?健太郎や?」
「出島って。大和国でも作ってるから」
僕は思わず「おいおぃ」と手を振る。
「なぬ!?大和?都(京都)のほうで作っておるのか?」
「あー。都じゃなくてこの大和国全国でって言おうとしたんだけど」
「そうか。この時代は全国でいちごを作っておるのじゃな。してこれはどこのじゃ?」
「どこのだろう?ねぇ、美徳。この苺さぁ。どこのか分かる?」
「どこかって?ちょっと待ってね」
そう言って、台所に戻った。
美徳は、ゴミ箱から捨てたパッケージを探すハメになり、何で私がこんな事をしなきゃならないのかと、少し嫌な思いであった。
美徳は、ゴミ箱からパッケージを見つけ出した。
それには「とち○とめ」
と書いてある。それで栃木県だと分かった美徳は
「栃木県だよ」
と答えた。
するとキッコさんが
「とちぎ県?どこらへんじゃ?」
とまた質問する。
この質問攻めにちょっと呆れた僕は、キッコさんに聞いてみた。
「キッコさん。キッコさんは、稲荷神社に封印されてる間に、人の心を読んで学んだんじゃ無かったのかよ?」
「お?学ぶには学んだんじゃが。そのう、相手の願い事しとる心を読んだのであって、あまり深く心を読む事はせんかった。それ故に、物に関しては疎いのじゃ」
「…それにのう、お参りにきた者の願いがくだらない物も多くて、一時は心を読むのを止めていたな」
「『下らない』ってどんな?」
「んー?それはな。おなごの『私の二股がバレませんように』やら『あいつが大学落ちます様に』とか『あの店が潰れますように』だの。負の願い事が非常に多かった事じゃ」
この事を聞いて僕は、キッコさんがイタズラ好きで、お稲荷さまに何か有ったから、
そういう人たちばかり集まったんじゃないのかと思った。
僕は
「でもちゃんとした願い事もあったんでしょう?」
とも質問する。
「そうじゃのう。健康の願いや豊作の願い、繁栄の願いはあったのう」
「それじゃあ、その時代の物事を知るのはダメだったんですか」
「そう…じゃな。しかし、どうしても相手から知りたい事があった時、目の前の者の
心に問うた事もあった。
それで、果物のみかんやばなな位なら知っておる」
「へ?相手の心に語りかけたんですか?やってはいけ無い事じゃあ無いの?」
「あたいとて、知りたい事もあるのじゃ。語りかけたら、驚く者は少なく、答えてくれる者もいたのじゃ。」
それって明治時代とか?」
「んー。戦争後10年位じゃったかの?」
「戦争後10年もしたら、この地域の人間も、豊さを取り戻した様でなぁ。お供え物が次第にされる様になって。嬉しかったのう」
「そのお供え物ってどうしたんですか?まさか、食べたの?」
「あほ言え。あたいは妖怪じゃあ。喰えはせんかったよ。それよりも、お供え物をしてくれる人間の気持ちがなぁ。嬉しかった」
「へえー。それで、お供え物はどうなったんですか?腐ったりとか?」
「お主もこだわるのう。そんなに知りたいか?」
「はい」
「そうじゃなあ。長い目で見れば、お供え物はいろいろとあったかのう。お花だったりお酒だったり
。お揚げとか。あとはみかんにばななじゃな。
それを夜になって稲荷神社の管理者が引き取りにきたり、カラスがついばんだり。野犬もおったなぁ。
あとたまに、人が来てその場で食って散らかしたりなぁ」
「へぇ。そんな事が。…うん?待てよ?管理者がいたなら、キッコさんを封印してた石や縄の状態を見ていたハズ。直すと思うんですけど?」
「それなら。管理者の神主のじいさんはひと月に2回しか
来んでのう。この間の大きな地震から、お主に直されるまでの間には来なかったなぁ。
ずぼらな神主じゃて」
「ずぼらって。その神主さんが単に忙しかったからとか・・・」
「どうだかのう?しかし、あたいの封印が解けた時一回りしてみたが、荒れておったぞ。近いうちに確認してみると良い」
「キッコさん。ずいぶん長話してるじゃない?イチゴは?食べないでいいの?」
美徳が話しに割って入ってきた。
「う、困る!」
「あーあ。健太郎も質問しすぎだよ」
「そうかな?」
「さぁさぁ。イチゴがぬるくならないうちに食べるわよ」
「そうじゃな」
「そうしよう」
先ずは美徳から苺に手をつける。
キッコさんは美徳の手元…ちょっと特殊な苺用スプーンをみていた。
「ほほう」
使い方が分かった見たいで、ちょっと尖った先端に苺を差して、キッコさんは口に持っていった。
「ほお。何とも言えない甘さじゃ!うまい!」
キッコさんが笑顔になる。
そして、もう一つをキッコさんが口に頬ばろうとした時に美徳が言う。
「キッコさん。ちょっと待って。苺のもっと美味しい食べ方が有るのよ。試してみない?」
「もっと美味しくなるのか!?それを食べてみたい!」
キッコさんのテンションが上がった見たいだ。
美徳が、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
「スキムミルクは…ないかー。じゃあ後はお砂糖っと」
そして砂糖を取り出す。
そして美徳が手本?を見せる。
「牛乳をかけて。それからお砂糖をかけて」
そういいながら、苺用スプーンを苺の上に持っていき、苺を潰す。
そして、牛乳がピンク色に染まった。
それを見たキッコさん。
「わあ!なんでいちごを潰すのじゃ!勿体無い!」
「いいから、いいから。キッコさんもやってみて?」
「むう。…みのりの言う事、信じてみるか」
そう言って渋々、キッコさんも苺を潰した。
キッコさんの器にある牛乳もピンク色に染まる。
僕はと言うと、二人よりも砂糖をかけるのはかなり少なくして
苺を潰した。あまり甘いのは苦手なのである。
そして美徳が先ずは口に運ぶ。
「う~ん!美味しい!」
それからキッコさんが、潰した苺を口に運ぶ。
潰した苺には、牛乳と、まだ溶け切っていない砂糖が絡んでいた。
「おおっ!これはまたまた甘露な味わいに!気にいったぞ」
何だか凄く嬉しいみたいだ。
「じゃあ次は。その
つゆを飲んでみて?」
「おう」
とは言ったりしたものの口を付けない。
「…あれ?」
美徳がいう。
続く