第四章 第二話
ヴォーグの増援の声に反応して、団長が振り向く。ヴォーグらとほとんど歳に変わりはないだろう、精悍さが溢れ、金の目に光る眼光は鋭い。
「戦況はどうなっている?」
「聖王の命!? 応援が来てくれましたか! 私は団長のヴィレン・イシュトです。貴方、名はなんと?」
「戦魂騎士団のヴォーグ。後は俺の従士、聖騎士団二名、戦魂がもう一人だ」
そこに、伝令役の兵が駆け寄り、何かを伝えた。団長の顔が翳る。
「戦魂騎士団ですか。心強い。しかし、それだけ、ですか? ほかには? 今は人数でもこちらが押されているんですよ!? それに、今しがた、北の外門が落ちました。かなり、まずいことになっています」
「俺たちだけで、充分だ。それに兵は、お前たちがいる」
ヴォーグの自信を持った声音に、ヴィレンも不安が薄れる。
「はい。わかりました、これからの兵の統率は貴方に一任します」
「わかった。それでは、負傷者と、レイナ……俺の従士を門の中に入れたら、橋を上げろ。守りに回っていては身動きが取れない」
「ですがそれでは、ここに残っている兵は?」
「大丈夫だ、見捨てるわけじゃない。……聞け! バレイルの兵たちよ!」
戦場でもよく通る声で、声を張り上げる。唐突のことにヴィレンが驚き耳を塞ぐ。
「今から橋を上げる! だがここにいる者も生き残れ! 生きることを最優先しろ。戦うのはその後で良い! 街にいる側も、同胞を守りたかったら必死に援護しろ! 俺たちが、全てを潰す。我等が手で勝利をつかむ! そして……生きて杯を交わせ!」
『……オォーーッ!!』
バレイルの兵が一丸となる。はるか遠く、城壁や街を隔てた北側にまで伝播していく。空気が変わり、こちら側が圧倒的なのではないかと感じるほどだ。たったこれだけで、ここまで士気を上げることが出来るのかと、団長ヴィレンは驚嘆する。
「ヴィレン、兵を率いて北を経由して東側に固まれ。味方にその背を預けろ」
「あなたたちだけで戦うおつもりですか!?」
それは、普通の人間には考えられないことだった。たった四人で、一つの都を滅ぼそうとする軍勢に立ち向かうことなど。それは、一人が一個大隊にも匹敵する働きをするということに他ならないからだ。
「そうだ。心配するな、もし俺たちが倒れたら、お前たちが戦え。衰えた敵を潰すのはたやすい」
自分の命など顧みない発言。だが、死ぬことはありえないという、気迫と自信に満ちていた。
「わかりました」
「それと、俺の合図と同時に、全員、中に戻れ」
「わかり……はい? 引き上げる? なぜです?」
命令の意味がわからないといった抗議の声を上げる。
「やつらは、ディートの軍は、二度立ち上がる。聖王軍側が大敗を喫している理由だ。……そろそろ時間がない、とにかく、合図をしたら引き上げろ、太刀打ちできない。後のことは、俺たちに任せろ」
戦況は、刻一刻と変化している。説明の時間までは取ることが出来なかった。
「了解しました! 無事を願います!」
敬礼をして、馬に跨り駆けていった。
「無事で、いてくださいね?」
レイナが負傷した兵を引き連れた一団と門の方へ駆けていく。その最中も負傷者に気を使い、自らの心配はしない。
「クーガ、お前は北に回れ、その足で、敵が大量になだれ込む前に、片付けに行ってくれ。出来るか?」
「モチッ!」
ピョンと飛び跳ねながら、勢いよく返事を返す。
「ではアーリアは西側を頼む。南側は一番敵の量が多い。俺は城壁の中を、クーゲルは外側を潰してくれ。頼んだ」
だんだんとヴォーグは体の内側の箍をはずしていく。戦うものへと、人ならざるものへと変わっていく。
ヴォーグの、外見は変わることはない、だが、それを包む雰囲気が、研ぎ澄まされていく。
「わかった」
「てめえに言われなくてもそうしてらぁ」
「では……行くぞ」
完全に力を解放した。ヴォーグの左腕の死痕が、金属を透過して篭手越しに蒼い光を淡く輝かせる。
ヴォーグは、その意識に飲み込まれないように注意しながらも、殺すことへと意識を集中していく。
だんだんと、クーガの顔が恐怖に染まっていく。
「……うッ…………あっっ!!」
突然、クーガから刃が振るわれる。左手の篭手でヴォーグは受け止めると、クーガが途端に手を引っ込めた。
「やはり、お前は勘がいいな……。大丈夫か?」
質問に対し、クーガの動きが少しの間止まる。ヴォーグの言葉に、絶望の色を感じたから。
「ん……いや、ごめんね! そっちこそ大丈夫?」
クーガは、恐怖していた。ヴォーグから滲み出した、殺意よりも、もっと黒く堕ちた、あえていうなれば死気のような物を感じ取っていた。
そして、本能的に、死から逃れるために刃を振るっていた。
だが、ヴォーグの体に刃が触れた途端、より濃縮された、死、その物が、五感へ流れ出してきた気がして、クーガはさらに戦慄していた。
「あぁ、大丈夫だ」
「ん、じゃあ、行ってくる!」
逃げるようにしてクーガが駆け出す。その後を追うようにアーリアも駆け出した。
「てめえ、気味悪いぜ、なんだよその魔力の量は? 化け物か?」
ヴォーグの魔力の量は、数多の戦場を駆けたクーゲルでさえも、そう言わしめるほどだった。
ぴりぴりとした感覚が空間に広がり、空間がまるで黒く沈んでいくかのような錯覚を覚える。
飄々とした感じで皮肉をクーゲルが言う。
「あぁ、そんなものだ、あまり近づくな。魔力に呑まれる」
敵勢をみつめながら、無愛想にヴォーグは返事をする。
「呑まれる? どういう意味だ?」
どうやらクーゲルは魔力の力をあまり知りえていない。何よりもその力を人が経験することが稀で、ほとんどの書物には書かれてはいない恐ろしさだったが。
だが彼は、無知が故に愚かに恐怖を抱かないのではなく、自らの力に自信を持ち、ヴォーグに負けはしないという挑発じみた態度だった。それが虚勢ではなく、実力も備わっていることが、ヴォーグには心強く感じた。
「聞いておけ。早く行け」
「わぁったよ。んじゃ、行ってくるわ」
走り出しながら、右肩に手を当て、そこを中心に蒼い光がほとばしると、黒き鋼を右腕に紡いでいった。
それは大気中の法力と魔力を複雑にまぜ、鋼を作り出す技術だった。その技術は、銀翼天使の修行でも身につくもので、黒き鋼は普通の金属とは比べ物にならない強度を持つ。
まるで霧のような黒い粒子がクーゲルの腕に集結していく。
その形状をヴォーグが把握できないまま、回りを蹴散らしながらクーゲルは敵の中に消えていった。
バレイルの兵が去っていき、こちらに向かって敵兵が進軍を開始し始めた。
「敵よ……聞け!」
一斉に注意がヴォーグに向き、歩が緩む。
「この戦いが終わったとき、争いのない世が来たとき、お前たちは、戦うことをやめることが出来るか! 剣を捨てることが出来るか!」
ヴォーグの放った問いから、少し間をおいて、敵の武官らしき人物が戦列の前に出た。
「何を戯言を! 我等は戦いが終わろうとも剣を持ち続ける。支配するためには、力が必要だ、そして我等は上に立つ」
なぜ、ここまですんなりと、最悪の答えを出すのかと、ヴォーグは憮然としていた。
今もこうして、争いが消えなかったことが、無念だった。
やがて、争いを消そうと、決意を固める。
「それでは、争いは、消えない……」
独り言のように、小さくつぶやく。
「その命を……斬る。その堕ちた思いは俺が背負う、魂は天へ上れ!」
左腕の死痕を刻まれた下腕部が、力を発揮するために内側から張り裂けるような鋭い痛みを放つ。その原因を内に納め続けて自我が狂いそうになるよりはまだましだと思え、やはり、自分は戦うことしか出来ない物だともヴォーグは思っていた。
小刻みに震える左手を、握り締める。篭手の内側から、黒い血が零れ落ちた。
そして、ヴォーグは、目の前にあるもの総てを殺す、剣となった。
漲る殺気に一瞬たじろき、完全に敵の前進が止まるが、やがて恐怖に駆られたように、波となって、押し寄せてきた。
それに対し、ヴォーグも構えを取る。ディートによって仕込まれた剣術の構え。
大きめに足を開いた体の左側面を正面とし、左肘を顔の前に突き出し、それ越しに敵を見やる。片手で握られた大剣は、後ろ下段に回し、地に着かないように握りこんで少し浮かせた。
「フッ……!」
正面から敵の集団にかち合うとともに、右足で踏み込みながら、片手のみで剣を振り下ろす。
予想外の間合いから振り下ろされた剣に、二人の兵が一気に巻き込まれ、鎧の材質を無視して両断される。
そこから右へ足を運びながら側面を切り上げる。さらに振り返りながら打ち下ろしの斬撃を背後に加えた。盾や剣を構えて防ごうとするが、それさえも無視して、刃はすり抜けるように貫通していく。
その刃に収束された膨大な量の魔力は、剣閃に紫紺の軌跡を輝かせた。
その輝きは、戦場の中においても、禍々しい異彩を放っていた。
総て、何の抵抗も無く、一刀で葬っていく。
それがヴォーグの左腕に刻まれた死痕、『刃を閃く者』の力、空間を絶ち斬り、消失させる力だった。
空間そのものを魔力で斬るが如く消失させるため、全てを両断し、防ぐものは無いに等しい。
軌跡が敵陣の中で弧を描くたび、屍は増えていく。
「ば……化けモッ……!?」
言い終える前に刃を振るう。聴きたくはない言葉を耳にして、思わず立ち止まっていた。
その一瞬、背後に気配を感じ、避けられないと判断し、大きく前に出る。
背中を大きく横に切られる、致命傷ではない。もし、横に飛んでいたのなら、ヴォーグの胴は二つに分かれていただろう。
なぜ、止まっていた?
ヴォーグは、心の内で自問した。
壊すことしか、殺すことしか出来ない化け物なんて、ずっと前からわかっていたはずだ。
この力は、ディートに与えられた。総てを、破壊するためだけの、壊すことしか出来ない俺には、お似合いの、力。
……そうか、ディートか。あいつが、率いた兵だから、それが今のディートの意志だと感じて、悲しくなっていたのか。
ディート、今は、俺のことを、本心からそう考えているのか? 死と血しか生み出さないと?
答えるもののいない問いを心の中でつぶやく。
いや、彼は、答えている、血塗られた手、と。彼は、自分に嘘はつかなかった、きっと今でも。だから、それは、本当に彼の意思だと、ヴォーグは考えた。
なぜか、その事実を冷静にみつめている自分がいた。
そして、感情に飲まれずに、冷静な面で、理性的に、殺戮衝動が働いていく。
殺すことが、俺に出来る最大の救いならば、殺す、殺そう、殺したい。
生きているから、総て、敵だ。
与えよう、唯一であり、最大の、救いを。