第三章 第四話
段々と意識が戻る。ゆっくりと重いまぶたを開けると、靄の中に人影が写る。
「気が、つきましたか?」
「ん、ああ、なんとかな、え〜と…」
クーゲルは頭の中に白く霞がかかったかのようにだるい意識を、少しだけ休んで明瞭にしていった。
「まあ、ありがとうな、おかげで助かった」
「お礼なら、ヴォーグに言ってください。応急処置が適切だったおかげで、直しやすかったですし」
「あいつになんかいわねえよ」
ふてくされたようにクーゲルはいい、それにレイナが微笑した。
なぜかレイナの言葉に違和感を感じ、それを整理しようとクーゲルはしゃべりつつ頭を回転させる。
「そんなにヴォーグを嫌がらないでください。あの人は優しいんですよ?」
クーゲルは案外と簡単に、その違和感に気がついた、どうということはない小さなことだが、その疑問をつく。
「やけになれなれしくねえか? いつもヴォルトカルグ様なんて長ったらしく言ってたのにヴォーグなんてよ?」
ただ相手の呼び方の違いだけ、いつもはなぜか従士と騎士の関係以上に堅苦しい会話をしているのに、今はそれが無く、それ以上に親しい感じがしていた。
「えっ、あ、そうですね。内緒にしておいてください」
勤めて冷静な態度をとる。唐突過ぎる変化は、逆に疑問をあからさまなものにした。
「いや、つうかさ、あんたとヴォーグってどういう関係なんだ?」
「従士と騎士ですが?」
そっけなく答え、レイナは質問を流そうとする。
「嘘をつくなよ、もっと深いだろ?」
ふー、とレイナが息をつく、どうやら観念したようだ。
「古くからの同志です」
「恋人とかじゃねえのかよ?」
茶化すように、率直な意見を述べる。
「違います…。そんなことは考えたことも」
なぜか、その言葉に嫌悪するかのように視線をはずした。
「じゃあ、あいつとディートの関係は知ってるか?」
「同じ、同志でした」
驚くべき事実に、少し、クーゲルは反応するのが遅れた。
「詳しく、聞かせてくれるか?」
「分かり…ました」
過去を思い出し、レイナは、今にも泣き出しそうな沈痛な面持ちになる。
何かを祈るように、何かを償うように、一時目を閉じる。
「ヴォーグの理想は、我は我が手に託される人々のために身を捧げん、というものでした」
すっと目を開くと、レイナはその、ひどく澄んだ藍の目で、クーゲルを見つめた。
「あんな、戦場で殺し合いをやってるようなやつがか?」
「そんな風に言わないでください、救おうとしているんです。でも彼は、自らが救おうとしたものほど、時の定めのように、その手から零れ落ちてしまうんです。たとえ、ほかの誰かを殺めてでも」
「確かに、そうだな、あいつはそういう力の持ち主だ」
ヴォーグが、死をもたらすと忌み嫌われる堕血者であることをクーゲルはうすうすと感じていた。
「そしてディートは、ヴォーグの手から零れ落つる者を受け止めることの出来る人でした。いえ、それ以上に、その呪縛から解き放とうとしていました。彼の理想は、平和な世界、誰もが出合える世にしようというものでしたから」
髪をかきあげると、何もかもを諦めたかのような嘲笑がかすかにもれた。
「もう少しでした。あと少しで、その理想は実現するかもしれなかったんです」
「だが、結局は変わらなかった、どちらかといえばさらに悪くなってるな」
今の状況を皮肉げに言われる。
さらに彼女の表情は暗くなる。
「無理だったんでしょうか。理想も、あの人たちのそばにいることも…私さえいなければ…」
本当にいやな顔をして、本当にいやなことを言ってきていた。
少し、殴ってやろうかと、身構えたが、それもやめた。
自分が生きる意味を無くした、絶望を通り越した表情だった。それが、彼女の今の、本来の表情。
クーゲルは、自分の前でそんな顔をしてほしくないと思った。
そのため、話題を変える、というより進ませようと考えた。
「昔のことなんてわからねえよ。簡単に自分のこと否定してんじゃねえ。んで、話を進めたいんだが、そんなやつが何で世界征服みたいな馬鹿なこと企んでやがんだ?」
「すいません、少し話がそれましたね。彼は、独りで歩んでいます。誰も望まない、命あらぬ理想の道を。孤独を無くそうと、孤独を歩んでいます」
いろいろと、めんどくさい関係の三人のようだ。
「命あらぬ理想か・・・。そんなものは、確かに、望まないな、そんなもので、孤独は無くせるのか?」
少しレイナが考え込む、
「魂がめぐり合うとも、言っていました。意味は、よくわかりません。でも、それが、今のディートの理想なんだと思います」
「敵の事情はわかった。もう一つ気になんのが、ヴォーグのほうなんだが。ディートは殺さない、止めるとかなんとかいってたが、やっぱ、親友だからか?」
今までの話で、大体の事情をクーゲルは理解したが、念のためということで、聞いていた。。
「彼はディートに言われたんです、もし、自分が道を違えそうになったら、そのときはヴォーグが道を指し示してくれ、と。だから、止めようとしています、理想を、本当に実現するために」
どうしようもなく互いを信頼した約束だった、どちらかが間違えれば、相手がそれを命を賭してでも正す、いわれたほうはそれを認めて素直に従う、ただの友情だけでは、簡単に出来るものではなかった。
「でも、それはもう、無理なんじゃねえのか? あいつは、まだ一回しかあったことはないが、止められない気がするぜ?」
その約束を裏切ったディートに対し腹立たしげに思う、だが、いまだ決意の固まらない、ヴォーグに対しても怒りを感じる。そのあざけりに対しレイナが怒りと悲しみを帯びた声で、
「なら、あなたには出来るんですか!? 大切な人の意志を貫いて、願うのは一緒にいることなのに、ほかに守る者もいないのに、ただその人のために、その人を殺すなんてことを…」
一番大切な友が、自分の討つべき人。世界と天秤をかけたら、傾くのはその人のほう。
そんな人間を、果たして、自分は殺せるのか、しばらくクーゲルは悩んだ。
「…。確かに、つらいな。矛盾ばかりだからな。だけど俺だったら、ディートを殺す、躊躇いはするが、それでも殺す。友が最大の罪を犯そうとするなら、それを止めるためにだ。」
その人を思い、その人の生に固執し、過ちを犯させるのか、その人を思い、過ちを犯す前に、殺して止めるかの違いだった。
そして、ディートは、後者を望んでいるかもしれない、とクーゲルは思った。
「お前を守るためにも、ヴォーグはディートを殺すんじゃねえのか? だから、結局そんなこと言っときながら、するんだろうよ」
ヴォーグの守りたい者、それは、目の前にいる彼女のような気がする。かつてから同志であるのならそうだろう。相手に伝えず、むしろ隠しているが、二人は思いあっているようにクーゲルは感じ取っていた。
「彼には、ディートしかいません。私では、その役目は、果たせませんから…」
だがいきなり、ヴォーグが守りたいはずの本人から、それをやや意味がわからない理由で否定する。
「…果たせない? どういう意味だ?」
「私からはそのことはいえません、言いたく…ありません」
クーゲルが聞き返したが、ずっとクーゲルに向けられていた視線が、地面にそらされた。
話しかける言葉がなくなる。無理やりにでも聞いてもよかったが、彼女の雰囲気に、話すことが出来なくなった。
レイナは話の間、ずっと暗い表情でいた、過去も、ディートも、ヴォーグも、全てが不幸なことだったかのように。
クーゲルは、きれいな女性が、そんな顔をするのは嫌いだった。
そしてまた、暗い表情から、あの、周りを不安にさせない為の作られた笑顔に変わった。なぜか、その顔のほうが、今はクーゲルの目には悲しく映った。
そんな顔を見るのももちろんいやだった。だが、自分ではちゃんとした笑顔を生み出すには力不足だった。あまりにも彼女のことを知らないと、クーゲルは感じた。
「すいません、それだけは言えないんですよ。クーゲルさんも気がついたことだし、みんなにそのことを伝えて、もうそろそろ、私も休憩しますね。後、次の命令が伝えられました。ここから東の、砦都バレイルに向かい、その地の守護だそうです」
話題をそらし、この場から離れようとレイナはした。
「バレイルかあ…。久しぶりだな」
クーゲルも、食い下がるようなことはせず、その話題に関心をむける。
「昔、訪れたことがあるんですか?」
「そこは、俺の、故郷だからな。…やっぱり、あそこも巻き込まれちまったか。ぜってぇあの野郎、叩き潰してやる!」
「そう…ですね、頑張ってください。でも今は、十分に、体を休めてください」
そういって、彼女は部屋から出て行った。
クーゲルも、横になって考え事をしていたが、やがてまどろんでいき、眠りについた。