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25. カラオケ 前編 ~密室2~

 歩き始めると、マサキの視線がふと、リサのスカートに落ちかけて止まる。

 ベージュの布が歩くたびにわずかに揺れて、膝の上で軽く波打つ。


(……短い)


 すぐに視線を上げる。


(いや、何見てんだ)


(見ないのが正解だろ)


 そう何度も頭の中で繰り返すのに、視界の端だけが勝手に引っ張られる。

 気づけば、リサの歩幅に合わせるのが少しだけ難しくなっていた。


 ◇   ◇


「松前くんどこで服買ってるのー?」

「ユニクロ」

「えっ、そーなんだ。ユニクロ高くない?」

「あんま服買わないから……」

「そっかぁ、あたし数欲しいからGUが多い」

「でも如月さんが着ると高く見えるよな」

「いやいやいや」


 カラオケに着くまで他愛もない話を続けながら歩いていく。リサは楽しそうにマサキの横顔を見つめていた。


 ふわっと揺れる髪が光を拾って、歩くたびに肩のラインが柔らかく動く。

 白いカーディガンの下に見える体の線は、細いのに妙に存在感があって、無意識に視線が引っ張られそうになる。


 マサキはすぐに視線を前に戻す。

 見てしまったあとにどう反応すればいいか分からない。

 それでもふとした瞬間に、スカートの裾が軽く揺れるたび、2人きりで出かけるという現実がじわじわ重くなる。


(可愛い女の子と2人で出かけるとか……)


 本来なら、もっと浮ついた気持ちになるはずなのに、実際はそれよりもずっと落ち着かない。

 逃げ場のない距離感。

 なのに、隣にいるのがリサだからか、嫌だとは思わないのが一番厄介だった。


(こういうの、1回くらいは……いや、むしろ1回しかないだろ)


 普通の青春っぽいこと。

 そういうのを自分がしているという実感が、遅れて追いついてくる。


 リサはそんなマサキの内心など知らずに、楽しそうに歩幅を合わせてくる。

 小さく跳ねるような動きのたびに、スカートが軽く揺れ、そのたびにマサキはほんの一瞬だけ呼吸を詰める。


(見ない)(見るな)


 そう思いながらも、完全には目を逸らしきれない自分がいる。

 横では、リサが何も気にした様子もなく、ただ楽しそうに笑っていた。


「そういやさ……」


 珍しくマサキの方から話題をふる。リサはなんとなく身構えた。


「親睦会でカラオケ行ったとき、如月さんは歌わなかったよね。歌うの好きじゃないんじゃない?」


 リサは少し考えてから答える。


「好きじゃないわけじゃないんだけど。あんま上手くな……いや、下手なんだよね」


 これからカラオケに行ってバレるので言い直す。マサキは


「なら……今日、カラオケで良かった?」


 リサは一瞬だけ視線を外してから、少しだけ照れたように笑う。


「純粋に歌ってる松前くんが見たいんだよね」


 マサキはその言葉に、わずかに目を動かす。


「なんかあの時の松前くん、別人みたいでカッコよかったし」


 思い出しているのか、少しだけ遠くを見るような目になる。


「そういうの、もっと見たいっていうか。知りたいっていうか」


 言い終わってから、はっとして少しだけ顔を赤くする。


(また言いすぎたかな……)


 でも今度は言い直さない。ただ、小さく笑ってごまかす。


 マサキはすぐには返さない。


(別人、か……)


 頭の中でその言葉だけが残る。

 ふと、思い出す。彼女の載っているファッション雑誌のページ。

 ページをめくったときの、あの違和感。


(……あれもそうか)


 教室で見るリサと、誌面の中のリサ。

 同じ顔のはずなのに、まるで別人みたいだった。触れられないものみたいに見えた。


 マサキは少しだけ視線を下げる。


「……似てるようで違う気はする」


 リサが反応して顔を向ける。


「え」


「オレも、雑誌に載ってる如月さんが……別人に見える」


 リサの目が少しだけ見開かれる。


「学校で見るのと、全然違う……遠い感じがする」


 リサはそれを聞いて、一拍だけ黙る。


「遠い……遠いか……。分かる……あたしも松前くんが遠く感じた」


「いや、オレは近いだろ」


 即答みたいに返ってくる。

 その温度差に、リサは一瞬だけきょとんとして


「松前くんが歌ったとき、みんなすごい注目してた。そこだけステージあるんかと思った。あれはなんていうか……」


 うまく言葉にできなくて、手が少し宙を泳ぐ。


「急に遠い存在になった。松前くんからしたら急ではないかも知れないけど、それだけあの場をもってかれたんだよ、みんな」


 マサキはその言葉を、少しだけ間を置いて受け取る。


「普通のカラオケで、あんな一瞬で聴く空気にさせるって……すごいことだと思う。だって、あの曲……そんな有名じゃないはずなのに、みんな聞き入ってたよ」


「いや……買いかぶりすぎ……」


 マサキは言葉を探す。最後がほんの少しだけ濁る。


「でも実際にそうだったんだもん。あたしがもっと聴きたいって思ったのも本当だし、歌に対しては自信もっていいのでは?」


「歌は……好きだけど……。オレみたいなやつの……聴いてくれるの変だと思う」


 その言葉に、リサが少し困ったような顔になる。


「いまあたしのこと変って言ったの?」


「………言った」


 マサキは、何も悪びれずにそう返す。

 リサはむっとした顔のまま、少しだけマサキを睨む。

 その空気を気にした様子もなく、マサキは続けた。


「わざわざオレの歌が聴きたいって誘ってくるの変だろ。上手い歌が聴きたいなら本家を聴けばいい」


 リサは一瞬だけ言葉を飲み込む。

 それから、小さくため息をついて――


「分かってないなぁ。松前くんニコニコの歌ってみたって聴かないの?」


 少しだけ呆れたような、でもどこか楽しそうな声。

 マサキは軽く視線を上に向けて考える。


「たまに聴く」


「じゃあ分かるよね」


 リサは少しだけ身を乗り出す。


「同じ曲でも、誰が歌うかで全然違うの」


 言いながら、自分の胸の前で手をぎゅっと握る。


「その人の声や独特の雰囲気が好きだった場合、なに歌っても響くんだよね」


 そのまま、まっすぐマサキを見る。

 ほんの少しだけ照れを含んだ目。


「だから歌ってみたコンテンツって今でも人気なんだよ」


「如月さんがニコニコ好きなのは、まぁ分かった」


 マサキのその一言に、リサは一瞬だけきょとんとする。

 それから、じわっと頬を膨らませた。


「そこじゃない!」


 思わず一歩踏み込む。距離が、また少し近くなる。


「大事なのは声とか歌い方とか雰囲気。松前くんの歌が、あたしにとってそれだったの」


 静かに、でもはっきり。マサキの目を見る。


「如月さんがそこまで言うなら……まぁ、悪い気はしないけど」


◇     ◇


 カラオケの店は、駅から少し歩いた場所にあった。

 平日より人が多い。


「12時10分に予約した如月です。ちょっと早く来てしまってー」


 リサが受付で軽く会釈しながら話す。

 その横顔は、さっきまでの柔らかい笑顔とは違い、どこか"外向きの顔"に切り替わっている。

 白いカーディガンの袖口から伸びる腕が細くて、動き一つ一つが妙に整って見える。歩いているだけなのに目を引くのは、顔立ちだけじゃなく、全体のバランスが綺麗だからだとマサキは思う。


 マサキはその少し後ろ、壁際に立ったまま視線を落とす。


(個室で2人きり……当たり前か)


 今更そこに気づいて、じわりと緊張する。


「大丈夫だって、こっち」


 リサが振り返る。

 廊下を進んで、奥の小部屋へ。


 扉を開けると、思っていたより広い。しかし、女の子と2人きりとなると


(……狭い)


 ドアが閉まる音が、やけに近く感じる。


「どっちに座る?」


 リサが聞く。


「……どっちでも」


「じゃあ隣でいい?」


「どう見ても一人掛けだろ」


「ふふ、じゃあこっち」


 軽く笑って、リサは入口側のソファに腰を下ろした。

 店員が来たときに対応しやすい位置。そういう判断が自然にできるあたり、妙に慣れている。

 座った瞬間、スカートの裾がふわりと揺れて、脚のラインが一瞬だけ形を変える。

 マサキは視線を逸らすが、その動きの気配だけが頭に残る。


 マサキも向かい側のソファに腰を下ろした。


「松前くん、お昼抜いてきてくれたよね?」


「まぁ……言われたから」


 リサは嬉しそうに小さく笑う。

 そのままテーブルのタッチパネルに手を伸ばして、メニューを開いた。


「どうする?軽め?それともガッツリ?」


「任せる」


「いいの?」


「如月さんの方が分かってそうだから」


 その一言に、リサの手が一瞬止まる。ほんの少しだけ口が尖る。


「……あたしが食いしん坊だって言いたいの?」


「食べるの好きって言ってたし、如月さんの勧めるものは間違いないと思ってる」


 リサは一瞬だけぽかんとして、それからふっと力が抜けたみたいに笑う。


「なにそれ、フォローになってないよ」


 文句を言いながらも、どこか嬉しそうにメニューをスクロールする。

 ぽんぽんと注文を確定して、タブレットを置く。そしてリサは


「あのね、あたし松前くんに歌ってほしい曲のリスト作ってきたの」


 カバンの中からスマホを取り出すと、画面を開いて、ちょっとだけ得意げに見せる。


(準備してきたのか……)


 そこには曲名がずらっと並んでいた。


「歌えそうなのあったら教えて、入れてくから」


 少しだけ考える。


「……じゃあこれ」


「やった」


 リサの声がぱっと明るくなる。

 その笑顔はさっきまでの"外向きのリサ"じゃなく、少しだけ素の色が混ざっていた。


 膝の上に置いたスマホを片手で支えながら、リサがタブレットに手を伸ばす。その動きに合わせて髪が揺れ、肩のラインがわずかに動く。何でもない仕草なのに、やけに目に残る。


 リサはさりげなくタブレットを自分の手元側に引き寄せていた。

 マサキに渡すでもなく、完全に独占するでもない。けれど、操作権だけは自然な流れのまま自分側に残した。

 ただ「操作が得意だから自分がやるね」と言えば成立してしまうくらいの、軽い合理性に見える。

 リサは手際よく曲を入力し、最後に決定ボタンを押した。


 ◇   ◇


 イントロが流れ始める。


「あ、マイクマイク」


 リサがタブレットを手にしたまま立ち上がる。しかし

 リサの膝に乗っていたスマホが落ちかけた。

 マサキは身を乗り出し、反射で手を伸ばした。


(つかんだ)


 と思った瞬間。テーブルに足が引っかかり、体勢が崩れた。

 リサの方に、重心がずれる。


(げ)


 間に合わなかった。


 リサが「わっ」と声を上げる。

 気づいたら。

 顔全体が柔らかいものに埋もれている。


「んむ……っ」


 肌色で、柔らかくて、いい匂いがする。

 これがなんなのか、頭で処理する。


(これは……如月さんの……)


 理解した瞬間、無意識に呼吸が荒くなる。

 顔が胸に挟まれ、呼吸がしづらい。

 あまりに柔らかすぎる。


 リサは動けない。

 マサキの頭が、胸の上に乗っている。

 けっこうな重さがあった。

 パニックになりながらも、マサキの頭を支えようと腕を回そうとする。

 しかしその手は中途半端に空中を彷徨う。


(う、うそでしょ!?松前くんがあたしの胸に…埋まってるだけど?!)


 頭の中で叫ぶ。でも身体は硬直して動かない。

 自分の胸の中で、マサキの息が当たるのを感じる。熱い。


 息を吸うたびに、柔らかい部分が震えている。


 マサキは、その感触の中で


(まずい、まずいまずいまずい……!!)


 理性が、今さらフル回転する。

 息が苦しくなる。

 酸素を求めた鼻が、無意識に大きく吸う。

 甘い、石鹸のような香りが肺に染み込んでくる。


(あ、あたしが……なんとかしなきゃ……)


 リサは耳まで赤くなりながら、やっとのことで声を絞り出した。


「ま、松前くん……そろそろ、離れてくれると……助かるなぁ」


 震える声で伝える。

 その声が届いたのか、マサキはようやくハッとしたように顔を上げた。


「……っ!悪い……!」


 途端に、リサの胸元から温もりと柔らかさが一瞬にして消えた。

 マサキの顔は紅潮していて、息が乱れている。


「いや……これは、その……」


 言葉を探しているが、口から出てこない。

 リサは自分がどんな顔をしているか分からない。ただ、あまりにも恥ずかしい。


「本当に、ごめん……悪かった」


 俯きがちに謝る。


「い、いーよ。わざとじゃないんだし、事故だし」


 リサは動揺を悟られないように、明るく振る舞った。

 その一言だけでも、マサキにとっては救いになる。


 顔を上げた先に、リサがいる。

 明るくて、可愛くて、スタイルもいい。誰が見ても「特別」な女の子。

 でも――


「そうなんだが……ごめん。あんまり……き、気持ちよかったんで……堪能してた」


 その言葉は、あまりにも率直で、あまりにもストレートで。

 リサの頭の中で、その意味を処理するのに時間がかかった。


 一瞬、時間が止まった。


「へ……?」


 心臓が急に速く脈打ち始める。頭の中が真っ白になる。


(堪能してた……って……)


 マサキの態度に悪意がないことはわかっている。嘘をつけないことも知っている。

 だからこそ余計に厄介だった。


 マサキは呟くように


「ごめん……その、今の……ちょっと変な意味じゃなくて……いや違う、軽蔑していい……ごめん」


 リサは首を横に振る。


「や、別に。それでもいいよ?なんだったら、もう少しあのままでも良かったし」


 言ってから自分で凍る。


(いや、あたしなに言ってんの……?)


「それは冗談で言わないほうがいい……」


 マサキは一瞬だけ息を止めて、視線を落とす。


(オレみたいなのに下心丸出しで身体触られたら……最悪だよな)


(さすがに気持ち悪かっただろうな……如月さんに申し訳ない)


 それでも如月さんの顔から目が離せない。


「いや、冗談とかでは……フード頼んだから、店員さん来ちゃうと思って……」


 リサは顔を見せないようにして慌ててタブレットを操作し始めた。けれど、松前くんの言葉が頭の中でぐるぐる回って落ち着かない。


「でも……さすがに……わざとじゃなかったとはいえ……ごめん」


 マサキはリサの顔を真剣に見つめる。


「あ、謝らなくていいよ。あの……松前くんも男の子なんだなぁって安心した」


 リサはタッチペンを握りながら、努めて冷静を装う。


「如月さん、スマホ……」


 マサキがリサのスマホを差し出す。その動作は丁寧で、まるで壊れ物を扱うようだった。


「ありがと……」


 リサは受け取りながらも、まだ微妙な距離感に思わず苦笑いする。松前くんの顔はまっすぐ見られなかった。


 沈黙が訪れる。空調の音がかすかに聞こえる程度の静けさ。

 リサはちらっとマサキを見た。マサキは目を伏せたまま、ほとんど動かない。


 リサは思わず咳払いする。


「さっきの、最初からいれるね。ロックだから、この気まずい空気ぶっ飛ばしてよね」


 リサは曲名をタップする前に、ちらっとマサキを見る。

 マサキは微かに頷くだけで、まだ視線を合わせようとしない。リサはそれを確認してから、タッチペンを画面に押し付けた。


 再生ボタンが押され、部屋に電子的なイントロが流れる。

 マサキはマイクを手に取った。


 ◇   ◇


 あのクラス会のカラオケのときとは違う。

 これは、リサに聴かせるために歌う。


(いや、普通に歌えばいい)


 モニターを見る。歌詞が流れ始める。

 歌い出しの一小節。声が出た。


 如月さんが動きを止めた。気配でわかった。

 しかし、気にしないようにする。


 サビに入る。少しだけ声量を上げる。

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