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4.会話

その日の午後は珍しく、仕事が早く片付いた。

シオン様は書類を脇に避けて、背もたれに身を預けた。

「ねえセレス、ちょっと聞いていい?」

「はい」

「今月提出された北部の税収報告、例年より数値が低いんだけど。何か思い当たることある?」


仕事の話だった。

私は少し考えた。

「北部であれば、今年の春先の霜害が影響しているかと思います。三月の気象記録を確認しましたが、例年より二週間ほど遅霜が続いていました。麦の収穫量が落ちていれば税収に響きます」

「へぇ、気象記録まで見てたの?」

「税収の変動を見るときは一応確認しています。農業依存度の高い領地は特に」


シオン様は少し目を細めた。

「ちなみにだけど、それだけじゃないんだよね、北部の場合」

「……交易路の話ですか」

「そう」


私の中で、興味が動いた。

北部の交易路については、以前から気になっていたことがあった。もともと地理と交易史は好きな分野で、学生時代からよく本を読んでいた。

「ヴェルタ峠の迂回路が整備されてから、北部の交易コストが上がっているはずです。本来の峠が使えれば三日で済む輸送が、今は五日かかる。その差が物価に出ているかと」

「正確には五日と半日ね。馬の疲労を考えると休憩を挟まないといけないから」

「……そこまで把握していらっしゃるんですね」


素直に感心した。

シオン様は宰相候補だから当然といえば当然だが、それにしても細かい。交易路の実務的な数字まで頭に入っているとは。


「迂回路の整備にかかったコストを考えると、そもそも工事の判断が正しかったのか疑問があるんだよね」

「私もそれは思っていました」

「え、セレスもそこまで考えてたの」

「当時の判断経緯を記録した文書が資料室にあったので、少し読んでいました。工事を推進した派閥と反対した派閥の議論が残っていました」

「……それは読んだことなかったな」


シオン様が身を乗り出した。

「どこにあるの?」

「資料室の西側、古い棚の下から三段目です。表題が地味なので見落としやすいかと」

「おっけ、後で見てこよ」

シオン様は手元の紙に何かを書き留めた。


私はふと思った。

この件について、もう少し聞いてみたいことがあった。普段は話せる相手がいなくて、頭の中だけで考えて終わっていたことが。

「あの、シオン様」

「うん」

「迂回路の問題は今後も続くと思うのですが、抜本的な解決策として、北部三領の合同出資で新たな峠道を整備するという案は現実的でしょうか」

シオン様は少し黙った。

考えている顔だった。

「うーん、財政的には厳しいね。北部三領、今年は全部税収が落ちてるから。ただ……長期的に見れば投資対効果は十分あると思う。問題は誰が旗振り役をするかだね。三領の関係があまり良くないから」

「三領の関係については、五年前の水利権争いが尾を引いているんですよね」

「わ、それも知ってるの」

「水利権と交易路は連動していることが多いので。水利権の文書も読んでいました」


シオン様はしばらく私の顔を見ていた。

何か言いたそうな顔だった。


「……セレスって、どこまで読んでるの」

「気になったものは大抵」

「仕事で必要な範囲を超えてない?」

「ほとんど趣味です」


シオン様はふっと笑った。


「そっか」

それから少し間があって、シオン様が口を開いた。

「じゃあ聞くけど。三領の関係を修復するために水利権の再調停という形で王城が介入する案、どう思う?」

それは考えていなかった案だった

一瞬、頭が動いた。


水利権の再調停。王城が中立的な立場で介入することで、三領の関係改善の糸口にする。

同時に峠道整備の協議の場も設ける。一石二鳥になる可能性がある。

「……面白い案だと思います。ただ再調停を持ちかけるタイミングが難しい。三領のうちどこかが損をすると感じた瞬間に話が壊れます」


「だからこそ今年、三領全部が税収不振という共通の痛みを抱えているうちに動くべきだと思うんだよね」

「な……なるほど……」


思わず声が出た。

全領地が苦しい今だからこそ、協力する動機が生まれる。確かにそうだ。


「……シオン様は、いつからこれを考えていたんですか」

「ん? 税収報告を見たのが今朝だから、さっき」

「さ……さっき、ですか」

「うん」

私はしばらく黙った。

今朝報告書を見て、さっき思いついた。


私が資料室の文書を読み込んで、頭の中で何週間もかけて整理していたことを、シオン様はその場で繋げてしまった。


やはり彼は、本物の天才だ

前々からわかっていたことだった。

でも改めて、目の前で見せられると。


「……一つ聞いてもいいですか」

「うん」

「東部の交易記録と北部の問題、実は連動していると思っているのですが、シオン様はどうお考えですか」

シオン様の目が、少し光った気がした。

「どういうこと?詳しく聞かせて」


私は口を開いた。

気づいたら、夕方になっていた。

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