汚泥に咲く双華、隻眼の修羅
空は煮え切らない鉛の色に濁り、かつての首都「東神京」は、剥き出しの鉄骨を晒す巨大な墓標と化していた。
瓦礫の陰、汚泥の中で瑞々しさを残す十五歳の双子、アカリとヒカリが、野犬のような男たちに蹂リョウされていた。
アカリの服は無惨に引き裂かれ、その白い肌には泥にまみれた汚い手形が、消えない呪印のように幾重にも重なっている。
「やめて……お願い、殺して……!」
勝気だったアカリの瞳からは光が失せ、泥を噛む唇からは血が滲む。
その隣で、ヒカリはあまりの恐怖に精神が乖離したのか、虚空を見つめ、ひくひくと喉を鳴らして「笑って」いた。
その光景を、リョウマは少し離れた瓦礫の上で、煙草を燻らしながら眺めていた。
助けるのではない。
ただ、煙の向こう側で繰り広げられる「家畜の営み」を、無機質な好奇心で見つめているだけだ。
男の一人がアカリの首筋に下卑た舌を這わせた瞬間、リョウマは短くなった煙草を弾き飛ばした。
「……あーあ。見てるだけで肺が腐りそうだ。美人のいない街ならまだしも、美人が壊れる音は、耳障りで仕方がない」
低い、湿度のない声。
男たちが顔を上げたとき、リョウマの瞳は彼らを「人間」として認識していなかった。
「その汚い手、今すぐ離しな。……もう手遅れだが、その子の肌にこれ以上指の跡が増えたら、あんたらの命じゃ、お釣りは出せないぜ?」
男たちが殺気を放った瞬間、世界からリョウマの輪郭が消失した。
「あ――」 言葉になる前の吐息が、血の混じった嗚咽に変わる。
男たちが反応するより早く、その頸椎が「乾燥した薪を折るような音」と共に次々と砕かれた。
一瞬前まで少女を汚していた肉の塊が、今はただの動かない汚泥の一部と化し、死に顔を無慈悲な土埃が覆う。
「……お兄さん、本当に……?」
アカリが震える手でボロボロの服を合わせ、涙の跡が残る頬を上気させてリョウマを見上げる。
リョウマは彼女を見ようともせず、返り血を払いながら歩き出した。
「よせよ。美人の涙と、小娘の感謝は、俺の性分に合わないんだ」
リョウマに導かれ、双子はガイアスの要塞へと辿り着く。
しかし、内部は「解体屋」のゼノが作り上げた地獄だった。
「ヒカリ、見なさい。あれは君たちのお父さんの友達だった男だよ」 廊下には、肉体を機械と繋ぎ合わされ、自我を奪われた「肉人形」たちが立ち塞がる。
「下がってろ」 リョウマが踏み込み、肉人形の関節を断った瞬間――切断面から、噴霧器のような音と共に紫色の煙が噴き出した。肉人形の体内に仕込まれた経皮吸収型の神経毒だ。
「――ッ、……、趣味が悪いな……」 至近距離で毒霧を浴びたリョウマの視界が、水槽の中から外を見ているように歪み始める。
三半規管が狂い、地面が泥濘のようにうねる。
「アハハハ! 素晴らしい! そのよろめき、その苦悶! 君の神経が私の毒に『解体』されていく!」 両腕の筋を斬られながらも恍惚と笑うゼノを背に、リョウマは吐き気を押し殺し、最深部へと足を踏み入れた。
最深部。
3メートルの怪物、ガイアスが立ち上がる。
「海道流……小賢しいハエが」 ガイアスが鉄柱を薙ぐ。
ゼノの毒で距離感が狂ったリョウマの反応が一瞬遅れた。
鋼の拳がリョウマの側頭部を掠めた瞬間、その衝撃の隙間に、かつてリョウマが守れなかった「誰か」の断末魔が、幻覚となって重なった。
掠めた拳の摩擦熱が、リョウマの右目の角膜を瞬時に焼き潰し、溢れ出た房水が煮え繰り返る。
「――ッ、……右目をくれてやるから、その汚い幻影を消せ」 右目からは赤黒い血が濁流となって溢れる。
ガイアスは止まらない。
巨木のような指がリョウマの肩を掴み、鎖骨が「生木をへし折る音」を立てて砕けた。
「……だが、捕まえたのは俺の方だ」 リョウマは激痛を殺意へと変換し、左目のピントをガイアスの胸甲に固定した。
「海道流奥義――『震天』」 内臓を液状化させ、暴君を沈黙させる。
リョウマは肩を掴むガイアスの指を斬り飛ばし、初めて刀を抜いた。一閃。 千切れた神経束がのたうち回り、ガイアスの巨体は、巨大な肉の塊として沈黙した。
静寂。リョウマは煮えた右目を袖で拭う。
「お父さん! お母さん!」 家族が泣きながら抱き合う。
アカリとヒカリ、その可憐な双子の少女たちは、変わり果てた両親の姿に声を震わせ、縋り付く。その光景を、リョウマは血に染まった隻眼で、どこか遠いものを見るように眺めていた。
「……さて。お別れだ」 リョウマは背を向け、朝日が差し込む出口へと歩き出す。
「待って、リョウマさん!」 アカリが呼び止める。
彼女は両親に縋るのを止め、死体が遺した銃を拾い上げ、その銃口をかつて自分たちを虐げた「世界」へと向けていた。
一方、ヒカリはリョウマが落とした、まだ火種が残る吸い殻を拾い上げる。 彼女はそれを大切にするのではない。リョウマが自分たちのために負った「傷の熱」を共有するように、その火種を自らの手のひらに強く押し当てた。 「あ……ああ、熱い……お兄さんと、おそろい……」 じくじくと焼ける肉の臭い。少女の可憐な瞳には、感謝ではなく、執着という名の狂気が宿っていた。
「私たち……これから、どうすればいい?」 リョウマは立ち止まり、一瞬だけ沈黙した。
唇が僅かに動いた。直後、それを塗り潰すように、血の混じった鼻歌が壊れた笛のような音色で響く。
「……知らねぇよ。お前らが勝ち取った『自由』だ。泥を啜ってでも、勝手に生き延びな」
出口の先、朝日に照らされたのは、希望ではなく、鮮明に浮き彫りになった死体の山だった。
リョウマは、自分が救ったはずの少女たちが「自分という毒」に侵され、壊れていくのを背中で感じながら、隻眼のまま歩き出す。
彼はまた、自分の刀が背負った「業」をより深くその身に刻み、果てしない地獄へと戻っていく。




