テーマ 「冒険者」 真面目なへっぽこ1話、本当に真面目1話
壱 そして冒険の旅は続くのだ
とある王国の港町。貿易の船が数隻浮かぶ。薄曇りの空の下、桟橋を歩く人影もまばらだ。そろそろ夕暮れも近い。
大陸の他の港から連絡船が着いた。わずか二人の人物がこの地に足を下ろした。海岸線に近い山並みを見つめて息を吐く。
一人は若者だ。白いケープをまとい、腰には宝物を散りばめた長剣が下がる。彼は傍らの老人に声をかけた。
「見るが良い、ポーケ男爵。あの山にこそ魔物が潜み、私に退治されるのを今か今かと待っておろう」
「はいはい、ツコーミ殿下」
男爵は僅かに残る髪を撫でつけた。
「早く王都に帰りたいもんですわ。もう殿下のお守りも、この年寄りにはきつくて」
「お守りではない。そなたは誉ある従者である」
彼らは海を背に歩き始める。
小さい町ながらも、中央の広場では市が開かれていた。
ツコーミは通りすがりの婦人を呼び止めた。
「勇者がこの町に降臨したぞ。退治すべき魔物はいずこ?」
彼女はしげしげと彼のケープを見た。襟元には王家の紋章だ。
「あ~もしかして噂の王子ちゃん?」
「うっ、なぜバレた? 私の威厳は隠しようもないのか」
男爵はやれやれと首を振った。
「白いケープは王族の証ですからなあ…」
ツコーミはこれを無視した。婦人に言う。
「バレては仕方がない。でも王子ちゃんは無いだろう! 例えば勇者様とか」
「じゃあ英雄ちゃんで。中央広場のレストランに行って下さいな。台所にでっかい魔物が出たって、そりゃもう大騒ぎ」
「よし。やはり私は必要とされる存在なのだ。参るぞ、従者」
教わった道を行く。ツコーミは背後に従うポーケに行った。
「あの呼ばれ方はどうにかならんのかな。どこでも、大概あのように呼ばれるぞ」
「親しまれてるって事でイイんじゃないですか?」
「では仕方がない。愛されているのだな」
狭い区域だ。すぐにその店は見つかった。ツコーミは思いっきりドアを開けた。大声で叫ぶ。
「皆の者、もはや恐れる事は何もない。かの勇者、魔獣退治のツコーミがやって来たぞ!」
夕飯にはまだ少し早い時間帯だ。店内はがらがらだ。数人の客が目を丸くした。ツコーミはずんずんと店内を横切る。
「ほお、この人数しか客がおらんとは悲惨な。台所の魔獣のせいだな。この私が退治してくれよう」
カウンターの中から、小太りの店主が走り出た。顔が真っ赤だ。
「ちょっと! あんた! 余計な口を叩かんでもらおうか。まだ晩メシの時間じゃないし、ウチは衛生的に営業しているんだから! ただでさえアレが出て来たせいで」
ポーケが無言でツコーミのケープを指さした。
店主は大きくため息を付く。
「はあ~あの勇者さんね。はいはい、了解。台所を見たいの?」
「やぶさかではない」
裏手のドアを開く。石の床の台所だ。釜では火が燃え盛り、山と積まれた籠にはてんこ盛りの野菜。忙しく夕食の下ごしらえ中だ。エプロンの男女がぽかんと口を開いて手を止める。店主が肩をすくめた。
「あの王子ちゃんがご来店だ」
ポーケが頭を下げる。
「お忙しいところ、お騒がせして申し訳ありません」
ほう、あれが噂の…と従業員たちが言葉を交わした。
「魔物はいずこ? 恐るべき魔獣よ、出でよ!」
長剣に手をかけた。鞘ごと手にする。束で壁や床をどんどん叩き始めた。彼の後を、頭を下げながらポーケが従う。
…チュウ…
かすかな鳴き声がした。
手の平ほどの灰色の塊が飛び出した。まだ幼体らしい。隠れる場所を上手く見つけられず、振動に驚いて飛び出してしまったようだ。
「そこかぁ! 正体見たり! 我が剣にひれ伏すのだ!」
ツコーミはソレを追いかけ回す。パニックになった子ネズミは、縦横無尽に走り回った。籠が倒れ、野菜が飛び散る。ツコーミは調味料の棚に突進し、ガラスが割れた。調理台の上からまな板と包丁が滑り落ちる。従業員たちも、悲鳴を上げつつ右往左往だ。
ポーケがさっと裏口の扉を開けた。子ネズミはすかさず飛び出す。
「殿下、魔獣は去りました」
「おう、そのようだな」
ツコーミは息を整えた。剣を腰に戻す。声も高らかに宣言する。
「皆の者、安心するがよい。脅威は消え去った!」
あなたが脅威だ、と誰かがこそっと言った。ポーケはていねいすぎるほど頭を下げる。店主に歩みより、数枚の金貨を握らせた。
「こういう事で…」
「しょうがねえな。あんたも大変だなあ」
「私は男爵なんですけどねえ、一応」
「あっちは第七王子だろうが」
間違っても王位継承はない。しかし王の御子である。潤沢な資金を提供され、生活の保障はバッチリだ。一生を遊んで暮らせる。
その人生は有為なのか。
ツコーミが出した答えは「勇者になる」。国民の為に、魔獣退治の冒険に出たのだ。そして各地で名声を上げれば、王族の中でも一目置かれる存在になるだろう。その為に各地を放浪しているのだ。第七王子がたった一人の供とあっちこっちに出没するのは、何しろ目立つ。それに直系の王族に何か粗相があっては大事だ。すぐに彼の旅の話しは全国に浸透したのだった。
二人は店を出た。
空の色は茜に闇が混ざり始めた。まもなく一番星が瞬くだろう。
「では殿下、そろそろ今夜の宿を探しましょうかねえ」
「今回の魔物も、大した事は無かったな。もっと手応えのある敵はおらぬものか。こう…みんなが、つい私にひれ伏しちゃうような強大な悪いヤツとかさあ…」
「いやいや。殿下にお怪我が無いのが一番ですよ」
「そんなに私は弱くない。よし、明日からも冒険の旅は続くのだ!」
長い影が地面に長く伸びた。
…続くんかい!……
ポーケは心の中でツッコミを入れた。
そう、長い旅路はまだまだ道半ばだった。
弐 冒険商売
とある王国の最果ての地だ。賑やかな町を背に黄砂の大地を越えると、巨大な岩山にたどり着く。まるで世界の果てかのように地上にそびえる。そこには鋭い爪と牙の化物が棲むという。日暮れ時になると、猛々しくも悲し気な咆哮が轟く。
「今日も啼いているわ」
強い風がジェニカの茶色の長い髪とスカートを乱す。籠には細い茎の野草が少し入っているだけだ。岩山からいつも強烈な風が吹き下ろす。麓は乾いた地だ。砂色の幹をした低木がまばらに生えているばかり。街道からも遠く、主な産業もない。僅かな人々が身を寄せ合って暮らす。
(きっと怪物のせいね)
その姿を見た者はいない。訪れる者の命を容赦なく奪うからだ。怪物は地下に眠る貴重な宝物を守っているそうだ。逆に言えば、奴を倒す事が出来れば世界を全て手に入れられるほどの財宝を手にできる。村に伝わる言い伝えだ。
何度となく怪物を倒すべく勇者が岩山を訪れた。だが帰った者はいない。
灌木の陰から村の男が現れた。赤毛のヤーコプだ。まるで待ち伏せしていたかのようだ。
「ジェニカ、感心だね。今日もお手伝いか」
彼はジェニカの腰に手を回そうとする。身をよじって避けた。彼は露骨に眉をひそめた。強引に籠を奪う。そして腕を掴んだ。
「何だよ。手伝ってやるって」
それから引きずるように集落へ向かった。
「ジェニカは十六歳になったか。結婚する年ごろだな。俺はどうだ?」
「まだ考えられないわよ。あなたは十五歳も上だし、離婚したばかりよね?」
「はあ? 男の俺から誘ってやってんのに、その言いぐさは何だ」
「父さんは私が決めていいって言ってる!」
村を統括する長は父だ。ヤーコプは舌打ちした。籠を押し付けるように返す。それから足早に自分の家に向かった。
ジェニカは息を吐いた。
「ただいま」
土埃で白くなった壁の家々が並ぶ。ジェニカはその中でもひときわ大きな家の扉を開けた。土間には人影があった。白髪交じりの父の前に立つのは、二人の騎士だった。彼らの足元には、ここでは貴重な花が撒かれている。歓迎の印だ。
二人はジェニカに丁重に礼をした。どちらも細身で、闘士というよりも普通の貴族のようだ。一人の騎士は、白いケープを羽織った金髪の若い男だ。青い宝石を胸につけ、腰の長剣にも紋章付きの見事な飾りがほどされていた。
彼と目が合う。深い水のような青い瞳だ。ジェニカの胸がとくんと鳴った。父が彼らを紹介する。
「閣下、娘のジェニカです。ジェニカ、この方々は王都からいらした。ポワイエ公爵閣下と従者の方だ。閣下、お部屋の準備をします。お二人で間違いございませんね?」
「はい、ここに来たのは二人です」
この村には宿はない。だから客人は、一番大きな住居であるここで迎えるのだ。土間には厚い絨毯が敷いてある。
今度はポワイエが尋ねた。
「先ほどの続きですが。生還した者はいないのですね? それならば、なぜ怪物の話しが伝わっているのでしょう?」
「冒険する方々は、道案内及びポーターとしてこの村の者を雇うのです。我らは命を懸けてまで宝物を望みませんし、最前線に行きませんからな。卑怯と仰られようとも、何としてでも逃げ帰って来ます。怪物との戦いは、彼らの目撃談です」
「なるほど」
「あなた方も、村人を連れて行かれますね?」
「いいえ。私たちだけで向かおうと思っています」
父の唇に力が入った。不機嫌になった証拠だ。
「岩山はどこも似たような景色です。迷われたら戻れませんし、亀裂が多いのです。深い隙間に落ちる恐れがあります。それに…申し上げにくいのですが」
軽く咳払いをする。
「ろくな産物のないこの村にとっては、雇っていただくのは生活の助けになります」
「分かりました。それではお願いしましょう」
ジェニカが彼らを客用の部屋に案内した。小さいながらもリビング付きの寝室だ。ベッドは二つ。トイレと、入浴用の桶が置かれた小部屋もある。簡素な内装ながらも旅館のようだ。
「こちらです。夕食の時間になったらお呼びいたします」
ポワイエが室内を見渡した。
「この部屋は、まるでいつでも客を迎えられるようですね」
「ええ。宿みたいなところです」
「そして冒険者は帰らない…ですか」
「はい。でも…ぜひ無事にお帰りを…」
ポワイエはじっとジェニカを見た。彼女がたじろぐほどだ。だが彼は凪いだ海のように微笑んだ。
「我々は荒っぽいマネはしません。相手の出方次第です。だから帰って来ますよ、お嬢さん」
頬が熱くなるのを感じた。ドアを閉める時、ポワイエの言葉が聞こえた。
「あの声が止んだな。どうも気になる音なのだ…」
獣の唸りの事だろう。
帰還する初めての人になって欲しい。ジェニカはそう願った。
まもなく食堂に一同が揃った。大きなテーブルには十人以上が座れるが、席についたのは客と父と兄のジョンだ。二歳年上で、妹とよく似た瞳と髪である。ジェニカと母は給仕の為に立っている。食事はパンと山菜がわずかに浮かんだ薄いスープだけだ。母が頭を下げる。
「お粗末で申し訳ございません。たまには肉もあるのですが…なにぶん作物が育たないのです」
「お気になさらず」
カトラリーは使い込んで黒ずんだ木製だ。窓辺に置かれたランプが黄色い光を部屋に投げかける。シェードは見事なガラス細工だった。
ポワイエは壁に目をやった。
「良い絵が掛かっていますね。没後に値段が急上昇した画家の作品だ」
「複製です。昔、町の市場へ出かけた折りに買い求めました。何せ痩せた土地の暮らしです。贅沢はできません」
ジェニカが口を挟んだ。
「うちにも立派な物がありますわ。父さん、ほら、ステンドグラスのお部屋にご案内したら? カトラリーも銀製があるじゃない。食事だって、いつもはこんなのじゃないし」
父の唇に、また力が入った。
「母さんが作った料理に文句を言うな。美術品だって複製ばかりだ。公爵閣下、お忘れ下さい。久しぶりの客人を迎えて、娘は見栄を張りたいようだ。お恥ずかしい限りです」
「何を言っているの? そのランプだって骨董品で」
母が笑った。大きく手を振る。
「おやめなさいな。自慢話など、はしたないわよ」
そこまで言われては黙るしかない。
ポワイエはやはり穏やかに微笑んでいた。兄のジョンは、目を上げずにスープをかき回しているだけだった。
岩山へ出発したのは、翌日の午後遅くだ。ポワイエの希望である。声が響いている時に向かいたいそうだ。
同行するのはヤーコプとジョンだ。二人は布のバッグを背負っている。荷物は水や食料だ。また腰には護身用としてハンマーとナイフをぶら下げた。夜に供えてランプも持参だ。
ジョンは無口だった。ヤーコプが背を叩く。
「お前はガイドするのは初めてだったな。緊張するな。大丈夫だ」
何度か経験のある彼は、余裕のある笑顔だった。
岩山へは歩いて一時間ほどかかる。空は赤く染まり始め、あの獣の叫びが響き始めた。一行は激しく吹き荒れる風になぶられながらも進んだ。ようやくたどりついた時、もはやポワイエと従者は軽く息を切らせていた。
岩山に道はない。黄色い岩を踏みながら急峻な斜面を登る。少し広い場所に出た。周囲を断崖が取り囲む。登れそうにはない。ただ、幾つかの狭い裂けめがある。そこなら体を横にすれば進めそうだ。
恐ろしい声はさらに大きく強い。
従者がポワイエに尋ねる。
「ここまで来れば充分でしょう。引き返しましょうか?」
「いいや。現場を見たいな。音がするのはこっちか…」
ポワイエは背後のジョンを振り返った。
「魔物と言われる存在は、この奥にいるのですか?」
ジョンは無表情に頷いた。父と同じく、気分が口の周辺に浮かぶ。力が入っているようだ。
「はい、おそらく。でも先に行っていただけますか? 魔物が出たらその…私は逃げたいので…」
「いいですよ」
ヤーコプと従者は広場に残る事になった。
通路が狭すぎる。ポワイエが先頭に立った。次いでジョン。後ろから進路を提示する。
二人は一列になり、岩を避けながら進んだ。狭い空間を突風が通り過ぎて低い音で鳴った。
「思った通りだ」
「何がですか?」
「私は地質学者でしてね。この地方の獣の声の噂が気になっていました。似たような音は、この近くの山でも聞こえます」
やがてまた違う広場に出た。ごうごうと風が渦巻く。お互いの声が聞こえないほどだ。
ポワイエはジョンに確認する。
「獣が啼くのは夕暮れだけですね?」
「はい」
「怪物の正体が分かりましたよ。上空に激しい気流があるのでしょう。空気の流れがこの岩山にぶつかり、強い風がこちら側へ吹き下ろすのです。この岩山には似たような細い通路がたくさんありますね。そこを風が通りぬけて広い場所で共鳴し、増幅します。笛の原理です。だから風が強まる夕方にだけ聞こえるのだと思います」
闇が迫る視界ながらも、地面が黒く汚れているのが見て取れる。
「これは?」
不審そうなポワイエの問いにジョンが答えた。
「かつての冒険者たちが息絶えた場所です。このように」
振り上げた彼の手にはハンマーがあった。大声は風にかき消された。
広場に残った従者は、帳面を出した。懐中時計で時間を確認する。そして風の強さを書きつけた。ヤーコプが尋ねた。
「怪物は退治できそうですか」
「いいえ。そのような対象ではなさそうですね。これは自然現象のようです」
彼はふと手を止めた。
「閣下の疑問ももっともだ。魔物でないなら、なぜ冒険者は生きて戻れないんだ…?」
振り返った時には、目の前に刃が迫っていた。声も出せずに彼は倒れた。
ヤーコプは自分のバッグを開いた。それから従者のペンダントや剣を外した。高級そうな靴とケープも脱がせる。全てバッグに放り込んだ。
鋭い悲鳴が上がった。ジェニカだ。彼女はこっそりと彼らを追っていた。暗がりに紛れて、小さな木陰に忍んで来たのだ。
「ジェニカ、どうして来たんだ? そんなにあの男が気に入ったのか?」
「そ、そんな…。それよりも…。ヤーコプ! 何があったの?」
「怪物に襲われたんだ。俺は岩に隠れてやり過ごしたんだよ」
「公爵様は⁈ どこ? あそこね!」
ジェニカは彼の視線を追った。通路に体をねじ込んだ。少し進むと、奥が見える。ポワイエは倒れ、彼の周囲の地面が濡れている。視線に気が付いたジョンがのろのろと顔を上げた。軽く首を振る。ジェニカに歩み寄った。耳元に囁く。ヤーコプからは見えない位置だ。
「えっ、聞こえない」
風が言葉をさらって消えた。
ふん、とヤーコプが鼻を鳴らす。ジェニカに目をやった。
「最初からこの手はずなのさ」
暗闇が迫る。ジョンが一人でやって来た。ジェニカを軽くヤーコプの方へ押しやる。自身は裂けめから出なかった。岩にかけた指が震えている。倒れた従者に眉をひそめた。
「ヤーコプ…刺したのか…」
「ああ。騎士にしては弱っちいな。そっちは?」
「ハンマーを使った…。倒れて動かない」
「兄さん!」
妹の非難めいた声を兄は無視する。爪を噛んだ。
「よし、ジョン。頑張ったな」
ヤーコプもハンマーを握った。それで岩壁を叩く。破片が飛び散った。少し大きな欠片を持ち上げる。じっくりと眺めてからバッグに押し込んだ。バッグはぱんぱんに膨らんでいた。ヤーコプ自身と彼の荷物には、全て赤い飛沫がついていた。
ジェニカの声が震えた。
「あなたは…その方を…」
「怪物にやられたと言っただろう。遺品を持ち帰るだけだ」
それから肌着だけの動かぬ体を引きずる。広場を横切った。地面に新たな黒い筋ができた。近くの狭い隙間に押し込む。どさり、と音がしたようだ。そこは深い穴らしい。
ジョンが言った。
「ヤーコプ、先にジェニカを連れて帰ってくれ。俺はこれから公爵閣下の始末をする」
「ああ。ヤツの物は高級そうだ。ネコババするなよ」
二人は顔を見合わせた。意味ありげに頷きあう。無言のままだ。
ジェニカは二人に背を向けた。一気に駆けだす。何度も岩に躓いて転んだ。自分の息が耳についてうるさい。
(どうして…どうして…)
何度も繰り返した。
すぐにヤーコプに追いつかれた。腕を取ろうとするのを振り払う。その繰り返しだ。闇が迫る不毛な地を一気に村まで戻った。
そのままヤーコプはジェニカの家まで来てしまった。
昨日は公爵を迎えた客間で父が待っていた。その前にヤーコプがバッグを下ろす。
「ただ今戻りました。ジョンはまだ作業があるそうです。慣れないから手際が悪いんだろうな」
父は頷く。中身を確認し始めた。母が数個の籠を持って来た。服や宝飾品ごとに分けていく。流れるような行動に、ジェニカは唖然とした。
「父さん! 母さん! こうなるって知っていたの?」
母はジェニカを制する。
「あなたは冒険商売も知らないくせに、勝手に付いて行ったのね」
割れた石が転がり出た。父が拾う。くるくると回して眺める。満足そうに微笑んだ。
「うん、これはなかなか良さそうだ。研磨させよう。ヤーコプ、ご苦労だった」
「ありがとうございます。もっと持って来たかったけど、ジェニカを送ってくれってジョンに頼まれたのでね」
父はジェニカに冷たい目を向けた。
「そんな顔をするな。これは村を守る為の作法なのだ。成人したら教わる事だ。あと少しで説明できただろうに、このような形で伝えるのは残念だ」
石をジェニカに示す。きらりとランプに反射した。白と緑だ。少し透明感がある。
「何か分かるか? オパールだ。この地域では、あの岩山だけに鉱床がある。それが外部に知られたらこの村はどうなる? 欲まみれの亡者どもや、威張り散らす貴族や軍に蹂躙されるであろう」
だから少しずつ掘り出して、目立たないように売る。貧しい生活を装う一方で、高価な絵画や骨とう品も買える。食事も、質素すぎる事はない。客が来た時だけパンとスープのみを出す。
そして古くから伝わる伝説も利用する。怪物が居るから、外部の者は登らせない。退治しようとやって来る勇者や冒険者は、怪物に殺された事にして始末する。喰われるのだから遺体は戻らなくて当たり前。身ぐるみ剥いで、深い谷間へ落とすのだ。彼らの所有物も貴重だ。これも現金収入の源になる。
「ヤーコプ、近いうちに若い者たちと町へ行け。そこで怪物に勇者が倒されたと噂をばらまくのだ」
「心得ております」
噂に引かれて、また冒険者がやって来るかもしれない。
宿代とガイド代を受け取り、更には命まで奪う。それがこの村の冒険商売だ。
ジェニカの膝から力が抜けた。岩山への往復だけではない。言い知れぬ疲労感が肩へ伸しかかった。その場に崩れ落ちる。
「そんな…そんな商売なんてひどい…。まるで私たちが魔物みたい…」
ヤーコプが笑った。口の片方だけ吊り上がった唇だ。
「村長、お願いがあります。ジェニカはもう十六歳で成人だ。嫁に下さい。俺の家には離れがある。そこで大切に囲って、村のやり方をじっくり教えますよ」
言いなりになるまで幽閉でもするつもりか。ジェニカは首を振った。
「そんな…イヤよ。イヤ! ねえ…母さん! 断って!」
母は俯いた。
「ここで暮らすなら仕方のない事なのよ」
ジェニカは手に顔を埋めた。慟哭が喉を過ぎる。ヤーコプが舐めるように見つめた。
「ではさっそく、今晩からでもジェニカをもらい受けます」
両親は硬い表情で顎を下に引いた。声のない賛同だった。
「…それにしてもジョンは遅いな」
彼らはまだ気が付かなかった。
軍馬のヒヅメが地を蹴る音を。
公爵家の紋章を付けた兵士の一団が近づいていた。
ジョンはポワイエを殺せなかった。初の仕事だし、冒険商売の継続を恐れてもいた。地面にこぼれた水は、ヤーコプに見られた時に誤魔化す為だ。暗がりならば血か水か色は分かりにくい。ヤーコプを先に帰したので見せずに済んだ。妹の耳に届かなかった言葉は『公爵は生きている。黙っていてくれ』だった。
彼らは揃って岩山を下りた。そして公爵家の私設軍の野営地へ向かった。村へは従者と二人で向かったが、万が一に備えて近くで待機させていたのだ。
ポワイエは怪物の存在に疑問を抱いていた。生還した者はいない。だがどうして彼らの最期が伝わってくるのか? そもそも名前さえ無い。本当に魔物はいるのか? 答えは出た。
闇が地上を覆った。岩山の風は止んだ。
だが間もなく別の咆哮が轟くだろう。それこそが、人の命を糧として生きた魔物の断末魔の叫びかもしれない。
お読みいただきありがとうございます。
壱の二人、もちろん大真面目です。多分。
今回で2025年版は終わりです。




