成金令嬢、寮生との出会い。
サファイア寮の玄関をくぐった瞬間、アナスタシアは思わず足を止めた。
(なんとまぁ、元気がよろしいこと!)
アメジスト寮の静まり返った廊下とは対照的に、ここには活気が満ちていたのだ。
あちらでは領地経営論の課題について熱心に議論する声、こちらでは最新の経済書を貸し借りする姿。紙の擦れる音やインクの匂い、そして何より――全員の瞳が生き生きと輝いていた。
(……やっぱり、移籍できて運が良かったわ!)
思わず溢れた満面の笑みを隠すことなく、指定の部屋番号を確認しながら宿泊寮への階段をのぼった。
サファイア寮は、三人一部屋のシェアルーム制であった。完全個室のアメジスト寮では、広すぎる華美な部屋がむしろ孤独を感じさせたものだったが、ここでは誰かと空間を共有するらしい。
扉を開けると、二人の女学生が、それぞれのベッドに座りながら本を読んでいた。
「はじめまして。アメジスト寮から移籍してきた、アナスタシア・ロスベルクよ。」
アナスタシアの挨拶に、赤毛の方が反応する。黒い瞳をきらりと光らせ、そばかすの勝気な顔立ちの少女がにやりと笑った。
「あらあら、今話題の方のお出ましね。――ルーシー・オブライエンよ。木炭商をやっているオブライエン家の一人娘なの。あなたのことはかねてより、噂で聞いているわ。」
続いて、緑の瞳に細かいカールの金髪の少女が手を挙げる。
「マチルダ・モレル。経済誌を出している雑誌社の三女よ。どうぞよろしくね。」
マチルダのベッドの上には、経済誌と万年筆が置かれ、誌面の所々には付箋でマークされていた。
挨拶を終えるや否や、ルーシーが前のめりになった。
「――それで、本当のところ、リオネル氏とナタリー嬢ってどういう関係だったのかしら?
貴女、今や学園中でいっちばん話題の人よ。」
マチルダも興味深そうに顔を上げる。
「特に、去年の聖夜祭の時のこととかね。一部の女学生の間では、『冷酷な成金令嬢から真実の愛を守り抜いた!』だなんて言われているけれど。」
アナスタシアは軽く肩をすくめて答える。
「成金令嬢であることは事実よ。その他のことに関しては、私の口から語るのを許されていることは少ないのだけれど…………
貴女たち、最近のナタリー様のドレスをご覧になられて?」
ルーシーとマチルダが語ることに同意する形で、アナスタシアは学園内での二人の様子だけを語る。
リオネルとナタリーが中庭の木陰で囁き合っていたという噂を知っていること。
ナタリーが最近、ボディラインの出ないドレスばかり選んでいるという噂を知っていること。
あくまでも自分の話ではなく『婚約者の噂を耳にした令嬢』の立場を崩さないことで、祖父の『沈黙が最大の防御』という教えを守り抜く。
「――結果として、昨日両家の合意のもと、正式に婚約破棄という運びになったわ。」
そう締め括る時には、マチルダの緑の瞳がぎらぎらと輝いていた。
「なかなか面白い取材をさせていただけたわ。どうもありがとう。」
ルーシーも愉快そうに笑う。
「プラチナ寮も、穏やかではないのね!
そんなことより、私、貴女のその聡明さがとても好きになったわ。
――アナ、とお呼びしてもよろしくて?」
アナスタシアもつられて微笑んだ。
(あぁ、私はサファイア寮にこられて本当にラッキーだったわ。この寮生活は退屈しなさそうね。)
「ええ、勿論よ。婚約破棄されて、都落ちの成金令嬢になってしまったけれど……その分、面白い毎日をお届けできると思うわ。どうぞよろしくね。」