第9話 『元いた世界に戻される』
『夜明け前、誰にも見られない場所で(後編)』
フライヤーの油音が静かに落ち着いていく中で、店長が口を開いた。
「……あー、ごめん。ちょっと緊急事態が入った」
カインは反射的に振り返る。
「えっ、急にどうしたんですか?」
「取り敢えず、ちょっと行こうか」
軽い口調だったが、店長の顔は少しだけ真剣だった。
(いやいや、“ちょっと”って何!? 緊急って言ったのにテンションが軽すぎる!)
ツッコミを飲み込みつつ、カインが困惑している間に、店長はロッカー室から戻ってきた。
手には紙袋ともう一着の制服――そして、何か小物の入ったジップ付きの袋。
「はい、着替えて」
「え、いや、なにこの装備……普通の夜勤じゃないですよね!?」
「夜勤も人生も、いつ何があるかわからないからね。コンビニだし」
(それ言ったの店長だからな!?)
制服はやや動きやすい仕様で、なぜか妙に身体に合っていた。
そして、渡されたのは――付けヒゲと黒縁メガネのセット。
「身バレ防止。異世界で地味に効くよ。バレたこと、ないから」
「いやいやいや! 逆にバレない方が怖いでしょ!?」
と文句を言いつつ、結局は言われるがまま装着する自分が情けない。
ヒゲとメガネのせいで、どう見ても怪しい中年男の風貌だ。
「……で、準備って、何の?」
「はい、これも持ってって」
店長が手渡したのは、コンビニで唐揚げ棒に使っていた竹串の束だった。
「なんで串……?」
「その串、最強だから」
「ちょっと待って!? 何言ってるかわかんないんですけど!?」
「とにかく、武器的な何かってことで。ほら、開いたよ」
その瞬間。
店の奥、いつもは在庫室へと続く壁に、淡い青光りの“扉”が出現していた。
扉の向こうから流れてくる空気は、土と煙と――獣のような匂いを含んでいた。
どこか、見覚えがあるようでいて、しかしまったく知らない村のような場所。
家々が低く連なり、誰かの悲鳴が遠く響いている。
「……あれは……」
「魔物に襲われてる。人手が足りない。
君の串の出番だね」
「いや“串の出番”ってなんだよ!?」
それでも、カインは言われるがままに、その扉の前へ立った。
「本当に、俺でいいんですか」
「他に行ける人、いないしね」
「そんな理由かよ!?」
「だいじょうぶ。“自覚のない救世主”ってのが、いちばん強いんだよ。
君ならきっと、串で何とかする」
「いや無茶振りだろ!! ……はあ、もう……」
カインは小さく息をつき、手の中の串を見つめた。
ただの竹串。けれど、今はそれだけが頼れる“武器”。
ヒゲメガネ姿のまま、扉の向こうへと一歩――踏み出した。