第7話 『客がいない深夜』
時刻は、午前二時。
まごころマートのレジ前には、カインと――店長だけがいた。
深夜のコンビニという場所は、時間の流れがどこか奇妙に感じる。
人も、音も、外の風さえ止まっているような静けさの中で、
冷蔵庫の小さなモーター音だけが淡々と響いていた。
「……唐揚げ、揚げます?」
「いや、今はいい」
カインは小さく答えると、スツールに腰掛け、視線を宙に泳がせた。
「……最近、変なんです」
「ほう?」
「お客様の顔が、前世の人に見える。
“フィアナ”のような気がして――でも、そんなはずないって思うのに……」
ぼそぼそとした声だったが、店長は遮らずに聞いていた。
ただ、コーヒーマシンの前でのんびりと紙コップを温めながら、黙っていた。
「笑ってくれていいですよ。断罪された貴族が、今さら庶民の暮らしになじもうとして……。
でも、また同じ人たちが目の前に現れて、なにか取り戻そうとしてきて……」
「……怖いんです」
言葉が、ぽつりと落ちた。
唐揚げ棒じゃない。処刑でもない。
“思い出すこと”が――“誰かに思い出されること”が、なによりも怖いのだと。
店長がカウンター越しにカインの方を見た。
その目は、いつものヘラヘラしたものではなく、どこか遠くを見るような色だった。
「思い出されるのが怖いのは、きっと“赦されない”って思ってるからだよ」
「……」
「でも不思議だよね。君が忘れたいのは、“誰かを傷つけた記憶”で、
君に会いに来てる人が思い出してるのは、“誰かを好きだった記憶”かもしれないんだ」
「……なに、それ。店長、誰なんですか。
あんた……まさか、神様ですか?」
唐突に尋ねると、店長はくすりと笑った。
「さあ、どうだろうね。
でも一つだけ確かなのは――“君は、誰かに会いに来られる側”になったってことさ」
その言葉に、カインは少しだけ息を飲んだ。
「前は、自分が何かを変えようとしてた。
でも今は、君のいる場所に、誰かが来る。君に何かを伝えたくて」
「……会いに来る、ね」
目を伏せたカインの胸の中に、小さな何かが波紋のように広がっていった。
それは恐怖でも、後悔でもなく――たぶん、願いに近いものだった。
「……怖いままじゃダメなんですか?」
「怖いままでいいよ。でも、唐揚げくらいは揚げておきなよ。
誰かが、あたため直してくれるかもしれない」
「……はは、うまいこと言ったつもりです?」
「うまくないよ、コンビニだし」
そんな会話のあと。
カインは無言でフライヤーの前に立ち、油を温めはじめた。
じゅわっ、と音が鳴る。
油の跳ねる音は、どこか心の中に火を灯すように響いていた。