第108話 『ローザ頑張る』
ローザの家の奥に、鈍い光を放つ魔法陣が浮かび上がる。
封印を解いた瞬間、部屋の空気は重く、冷たく――まるで地下深くの洞窟のように沈んでいった。
「……来おったか」
ローザは、杖の先に紅い符文を刻みながら呟く。
黒い煙が渦を巻き、次第に人の形を取る。
髪の毛のように細い闇が、床を這い、壁をなぞり、光を喰らっていく。
『この我を封じた愚か者どもは……すでに滅んだと思っていたが、まさかこの時代に封印を破るとはな』
その声は低く、しかし不思議な艶があった。
姿を完全に現したのは、古代の衣を纏った少女の幽鬼。
彼女の瞳には、まるで永遠の夜を閉じ込めたような闇が宿っている。
藤咲さんが身を引く。
「……この子が、“嘆きの少女”?」
「そうじゃ」
ローザは立ち上がり、杖を床に突き立てた。
「封印を壊す気などなかったがのう、ちょいと興味が湧いたもんでな。
まさか生き残っとるとは、ワシも想定外じゃ」
『封印を解いたのならば、貴様も同罪よ。滅びを受け入れろ』
ローザは涼しい顔のまま、指を鳴らした。
途端に、黒煙が迫る。
だが次の瞬間、煙はピタリと止まる。
「なっ……?」
ローザの杖の先から、透明な糸のような光が無数に広がっていた。
それは、封印陣の名残を再構築していたのだ。
「ほっほっほ。古代の封印式を使ってくるとは、愚直じゃのう。
“七重の刻環”――なつかしいのう」
ローザは杖を回し、指先で小さく印を結ぶ。
そのたびに光の糸が再構成され、封印陣が複雑に絡み合っていく。
『……何者だ、貴様。』
「“何者”か? 昔は“千の封印を解く魔女”と呼ばれた事もあったわい。
もっとも、今はコンビニ店員じゃがな」
「おい、さらっと物騒な肩書きが出てきたぞ」
カインが後ろから小声で言う。
「師匠、そんな危ない経歴初めて聞きましたよ!」と一二三先輩も焦る。
ローザは笑いながら杖を突く。
「さあ、始めるかの。“知恵比べ”としゃれこもうじゃないか」
黒い幽鬼は唇を歪めた。
『面白い……我を再び封じられるとでも?』
「封じるとは言っとらん。“説き伏せる”と言ったんじゃ」
ローザが杖の先を地に叩く。
その瞬間、部屋全体の本が動き出した。
壁に無数の古書が浮かび上がり、封印式の構文が空中に流れ出す。
「こ、これは……?」藤咲さんが辺りを見渡す。
「“知識界”じゃ」
ローザが答える。
「この場では、思考がそのまま現象に変わる。
ワシの様な魔術師にとっての“真なる決闘場”じゃ」
幽鬼もまた、空中に紋章を描いた。
『愚かなる現代の魔女よ。知識で我に挑むか。ならば、古代の真理で塗り潰してくれよう――!』
光と闇の文字が衝突する。
空間が波打ち、机が浮き上がる。
魔術理論と魔導構文の応酬――だが、それは剣や炎よりも遥かに速く、深い戦いだった。
「師匠、やっぱりすごい……」一二三先輩が呟く。
「でも、どっちが勝ってるんだ?」とカイン。
「勝負はまだじゃ」
ローザはにやりと笑い、両手を広げた。
「古代封印術の理屈は“閉じる”ことにある。
じゃが、ワシは逆じゃ。“解く”ことで支配する」
その瞬間、ローザの杖がまばゆい光を放ち、
黒い封印式を一瞬で解きほぐした。
『な……何をした……?』
「お主の“呪い”を解いただけじゃ。
魂の残滓を見ればわかる、哀れなもんじゃの……」
ローザが静かに人形へ視線を戻す。
「お主の本体は、封印ではなく“祈り”によってこの形に留まっておった。
呪われておるんではなく、願われておるんじゃ」
人形の瞳が潤む。
「願われて……?」
「そうじゃ。かつてお主を置いていった少女は、後悔しておった。
“いつか誰かに拾われますように”と。
その願いが、妖精の力を呼び寄せ、魂をこの形に繋ぎ止めたのじゃ」
黒い幽鬼の輪郭が、ふっと揺れる。
『……そんな、こと……』
「お前は呪いなどではない。忘れられた祈りの形――“残響”にすぎん」
ローザは杖を地面に突く。
光が走り、幽鬼の姿がほどけるように消えていく。
最後に残ったのは、優しい少女の笑みだけだった。
『――ありがとう。これで……ようやく……』
静寂。
そして、魔法陣が完全に消えた。
人形は机の上で小さく震える。
しかしその瞳には、もう怨念の影はなかった。
「……終わったのか?」カインが呟く。
「終わったのう」
ローザは腰を伸ばし、ため息をついた。
「封印を解くより、説き伏せる方が骨が折れるわい」
藤咲さんが人形を手に取る。
「これで……もう、あの子も安心ですね」
「まあ、そうじゃな」
ローザはにやりと笑う。
「ただし、あの子……コンビニに戻りたがっておるようじゃ」
「ええぇぇ!?」一二三先輩が叫ぶ。
「今度は“マスコット”として働きたいそうじゃ」
カインが頭を抱える。
「……トラップ仕掛けないマスコットなら、まあ……」
「それでも罠っぽいの作りそうですよね」と藤咲さん。
「ふむ、まあ“客寄せ”にはなるじゃろ」
ローザが笑う。
「“からくりマスコット付きコンビニ”……悪くない商売じゃ」
カインたちは無言で顔を見合わせ、同時にため息をついた。




