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第八話「聖なる夜のイチョウ模様」

クリスマスイブの午後、商店街のイルミネーションが神経質なまでに点滅していた。理子が抱える段ボール箱からは、焦げたバターの香りが漏れ出している。


「絶対成功させるから!美羽ちゃんオーブン見てて!」


理子のキッチンが戦場と化してから3時間。楓先生への手作りケーキは5回目の失敗を迎えようとしていた。卵の殻が床で星空を作り、小麦粉の粉雪が理子のまつ毛を白く染める。


「生地の泡立て方が…あっ!」


ミキサーが暴走し、生クリームのシャワーが天井へ。私は消火器を持つべきか迷っているうちに、理子がクリームだらけの顔で笑い転げる。


「これって…抽象芸術?」


その言葉に思わず吹き出し、同時に高校時代の飲み会を思い出す。先輩のサラリーマンたちが、同じように無謀なチャレンジをしていたことを。



教会前の広場に急ぐ足取りが重い。リュックに入った代替品のショートケーキが、理子の挫折感と同じ重さだ。隼人が配るろうそくの灯りが、彼の頬の傷を優しく浮かび上がらせる。雪かきの際の擦り傷だと知って、なぜか胸がチクッと痛む。


「点灯式まであと10分!」


生徒会長の声に群衆が沸く。理子が楓先生の姿を探す視線が、イルミネーションよりも熱い。ふと袖を引く力に振り向くと、見知らぬ主婦が懐かしそうな目で私を見つめている。


「あなた…もしかして桜井さん?」


冷たくなる背中。記憶の霧が晴れる瞬間――彼女は元の世界で隣の席だったOLだと気付く。だが次の瞬間、理子の悲鳴が空間を引き裂く。


「ケーキがっ!」


段ボールから転がり出た箱が、氷の上を滑り、メインの電飾ツリーへ直撃。パチンと火花が散り、一瞬街が闇に沈む。


「大丈夫!私が直す!」


なぜか駆け出したのは私だった。男時代の電気工事士のアルバイト経験が蘇る。ツリーの裏で配線を繋ぎ直す指先が震える。雪が襟元に染み込み、過去と現在が溶け合う。


「桜井さん!手を貸して!」


隼人が懐中電灯を咥えて現れる。その姿がなぜか消防士のようで、笑いが込み上げる。二人で修復するうちに、彼の手が何度も私の手の甲に触れる。


「3…2…1…!」


スイッチを入れると、ツリーが太陽のごとく輝いた。喝采の中、隼人が私の髪に引っかかった電球の破片を取る。その指が耳朶を撫でた時、鼓動がイルミネーションと同期しそうだ。



教会で催されたチャリティコンサート。楓先生のピアノ演奏に、理子が涙を堪える。彼女の握り締めたイチョウのペンダントが、月光に青白く光る。


「プレゼント…渡せなかった」


囁きに、私は鞄から救済策を取り出す。駅前の老舗和菓子屋で買ったイチョウ型の最中。理子の驚いた顔が、ゆっくりと笑顔に崩れる。


「先生!これ…私の気持ちです!」


楓先生が最中を受け取る指が、一瞬震えるのを見逃さない。彼女の首元から、理子と同じイチョウのペンダントがのぞいていた。


「七瀬さん」先生の声が霧のように柔らかい。「実は私も…」


その続きは聖歌隊の歌声に消える。理子の瞳に映るキャンドルの炎が、ゆらゆらと希望を灯す。



夜更けの帰り道、隼人が突然立ち止まる。ポケットから出した小さな箱が、赤いリボンで結ばれている。


「これ…桜井さんへ」


開くと中には、電飾ツリーの破片を封じたペンダントが。オレンジのLEDが微弱に脈打っている。


「今日の勇気のお守りってことで」


照れくさそうに頬を掻く隼人。その仕草が、なぜか男時代の同期を重ねて見える。ペンダントを握りしめると、かつての自分が持っていた社員証の感触を思い出す。


「ありがとう…課長」


聞き間違えたふりをして走り出す隼人。追いかける私の足跡が、雪の上で二重螺旋を描く。



理子の部屋でクリスマスケーキを頬張る。市販のケーキだが、なぜかしょっぱい。涙の味が混じっているのか、理子の感情が移ったのか。


「ねえ」理子が窓の結晶を指でなぞる。「あの主婦さん、美羽ちゃんの知り合い?」


氷の花がはじける音。私は最中の包み紙を細かく折りたたむ。


「前世の知り合いかもね」


冗談のつもりが、理子の目が真剣に輝く。


「それって…すごくロマンチック」


教会の鐘が遠くで十二響を告げる。雪雲の切れ間から、神社の階段と同じ星座が覗いている。


ふと理子が私のペンダントに触れる。「これ、光ってるよ」


LEDの灯りが天井にイチョウの葉を映す。私たちの影がその模様に飲み込まれていくのが、なぜか運命のようで仕方なかった。

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