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第五話「文化祭とおにぎりの謎」

文化祭一週間前の放課後。教室が蜂蜜入り紅茶のような甘い緊張感に包まれていた。黒板に書かれた「模擬店案」の文字が、私の胃をぎゅっと掴む。


「絶対カレー屋さんがいいよ! 男子が玉ねぎ泣きながら刻むの見たいし」


「いや、わたしクレープ屋さんで手首のリボン結びたい!」


女子たちの賑やかな議論を横目に、私は消しゴムのカスを集めて小さな雪だるまを作っていた。ふと前方で隼人が委員長ノートを叩く音が響く。


「桜井さん、何か案ある?」


突然の指名に背筋が伸びる。男時代の会議体質が目覚め、手が挙がる前に口が動いていた。


「需要と供給のバランスを考えたら、手軽に食べられる軽食がいいです。例えばおにぎり屋さんなら初期投資が少なく、廃棄ロスも…」


教室がシーンとなる。理子が目を輝かせながら飛びつく。


「それいい! 具材アレンジできるし、みんなで握るのも楽しそう!」


賛同の輪が広がり、気付くと私が食材調達係に任命されていた。隼人が忍び笑いしながらメモを渡す。「桜井さん、やるじゃん」の囁きに、耳たぶが火照る。



翌日の家庭科室が戦場と化した。男子三名が米を研ぐ水飛沫で騒ぎ、女子たちが具材の切り方で悶絶している。私は炊飯器のスイッチを押しながら、ふと過去のコンビニ時代を思い出す。


「美羽ちゃん、この昆布の切り方でいい?」


理子が軍手をした手で巨大な昆布を振り回す。彼女のエプロン姿が何故か消防士に見える。


「そうそう、細切りに…ってそれ包丁の持ち方逆!」


自然に後ろから手を添える。理子の髪から苺の香りがして、ハンドクリームの匂いと混ざる。隼人がカメラを構えているのに気付き、慌てて距離を取る。


「記録用です。文化祭のアルバム用に」


彼の笑顔にカメラのレンズが曇りそうだ。ふとフラッシュが光り、私が昆布を切る手元が永遠に記録される。


炊き上がった米の匂いが教室を包んだ瞬間、女子たちのテンションが急上昇する。海苔を巻く音、ふりかけを振る音、ラップのビニール音が交響曲のように響く。


「桜井さん流の握り方教えて!」


男子が真剣な顔で近づいてくる。手のひらに塩をまぶす動作を実演すると、周りから「プロみたい!」の声が上がる。無意識にコンビニ時代のバイトテクを披露していたことに気付き、冷や汗が背中を伝う。



文化祭前日。保護者参観で母が家庭科室を覗きに来た。私がおにぎりを握る姿を見て、彼女が初めて泣きそうな顔をする。


「お母さんも手伝おうか?」


突然の申し出に、隼人が快くエプロンを渡す。母の握るおにぎりが妙に丸くて、私の記憶の断片が刺激される。小学校の遠足で渡されたおにぎりと同じ形だ。


「お母さん…これ」


「みうが小さい時、よくリクエストしてたでしょ。梅干し入りおにぎり」


頬に米粒がついたまま笑う母。離婚後初めて見たような表情に、胸の奥がざわめく。理子がこっそり母とのツーショットを撮影し、Vサインを送ってくる。



文化祭当日。模擬店の看板前で足がすくむ。「おにぎり庵」の文字の下で、私の手作りメニュー表が風に揺れる。隼人が肩でそっと押してくる。


「大丈夫。君ならできる」


理子が突然私の頭に手ぬぐいを巻きつける。「勝負の印よ!」と言いながら結ぶリボンが斜めになっている。鏡を見れば戦国武将のようだが、なぜか気分が高揚する。


「いらっしゃいませー! 具材お選びください!」


最初の客が楓先生だった。彼女が迷わず「ツナマヨ」を選ぶのを見て、理子の手が震える。おにぎりを渡す際に触れた指先が、なぜか悲しげに感じる。


昼過ぎ、予想外の大盛況に食材が尽きる。急遽近所の米屋に買い出しに行くことになり、隼人と自転車を走らせることになる。


「桜井さん、ブレーキの掛け方おかしくない?」


後ろ座席で隼人のシャツの匂いを感じながら坂道を登る。自転車がガタンと傾いた瞬間、思わず彼の腰にしがみつく。


「あの…もう大丈夫です」


降りた際にすれ違った主婦のグループが、にやにやしながら去っていく。隼人が耳を赤くしながら米袋を担ぐ姿が、妙に大人びて見える。


戻った教室で理子が飛びついてくる。「遅いよー!」と頬を膨らませる表情が、いつもの天然とは違うニュアンスを帯びていることに気付く暇もない。


最終販売時間、母が友人らしき女性連れで来店する。その女性が私の顔を見て驚いたような表情をするが、人混みに消えてしまう。


「今日の売り上げ、目標の三倍です!」


隼人の報告に拍手が沸く。疲労でふらつく足を引きずりながら片付けをしていると、楓先生がそっとお茶を差し入れてくれた。


「桜井さん、保護者の方に素敵なプレゼントあげてたわね」


母とのツーショット写真が文化祭アルバムの表紙になっている。私が米粒をつけたまま笑う顔は、紛れもない「桜井美羽」そのものだった。


終了後、誰もいない教室でおにぎりの残りを頬張る。塩加減がちょうど良く、ふと「これで良かった」と思える瞬間が訪れた。窓から差し込む夕日が、あの日神社で見た光と同じ色をしていた。

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