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第四十四話「透明な証明」

朝露が蜘蛛の巣を宝石のように飾る道を、自転車のチェーンが軋む音と共に進む。理子の家の玄関前に着くと、彼女が水色のパジャマ姿でゴミ袋を提げていた。襟元から覗く鎖骨の窪みが、文化祭の夜隼人と修理したプロジェクターの光跡のようだ。


「美羽ちゃん、朝からどしたの?」

リビングに通されると、テーブルの上に開かれた『思春期ガイドブック』が目に入る。ページの隅に隼人の名前が落書きされているのが、胸の鼓動を早める。


「実は私...」喉がカラカラに渇く。「前世が男だったような気がして...」


理子がミルクを注ぐ手が止まり、冷蔵庫のモーター音だけが響く。窓際の風鈴が、修学旅行で買ったものではなく、隼人が作ったものだと今気付く。


「そっか...」突然理子が膝を乗り出した。「じゃあ検査しよっか」


「検査?」

「女の子かどうか...確かめるの」


彼女の指が私の手首を掴む。保健室の聴診器より鮮明に、脈拍が伝わってくる。隣の部屋で目覚まし時計が鳴り始め、文化祭前夜の打ち合わせを思い出す。


「まずはここ」理子の指先が鎖骨をなぞる。「男の人は骨がゴツいって書いてあった」

窓から差し込む朝日が、汗の輪郭を浮かび上がらせる。リボンの結び目がほどけ、肩に髪が触れる感覚が隼人の工具箱の匂いと重なる。


「次は胸郭の柔軟性...」手の平が肋骨に沿う。「ほら、女の子は呼吸が浅いんだって」

吸い込んだ息が途中で止まり、プールで溺れかけた時の記憶が蘇る。理子の親指が鳩尾を押した瞬間、隼人が配線図を説明する声が耳朶で再生される。


「美羽ちゃん、汗かいてる...」

指先が首筋を伝う水滴を追う。教科書で読んだ交感神経の説明が、皮膚の下で実感として脈打つ。理子の小指が耳たぶに触れ、「ここが赤くなるの、女の子の証拠だよ」と囁く。


「でも...」声が裏返る。「隼人くんと作業してる時も...」

「そういう時はね...」理子の息が頬に当たる。「膝の裏を押さえるの」


教わった通りに膝窩を押すと、腰がくにゃりと崩れる。人体模型の関節を外されたような脱力感。「ほら、男の人ならこんな反応しないでしょ?」


「次は骨盤の...」

ソファに押し倒される。理子のひざが大腿部に触れた瞬間、文化祭で隼人と運んだ段ボールの角が腹に当たった時の痛みを思い出す。


「呼吸、乱れてるね」

測定するように胸に手を当てられる。三十代の健康診断とは違う、生々しい生体反応。壁の時計の秒針が、隼人が工具を叩くリズムに同調する。


「ここが女の子の...」手が下腹部を撫でる。「敏感なところ」

電気が脊椎を駆け上がる。理子の指導と隼人の笑顔が混線し、生理用ナプキンを初めて買った日の恥ずかしさが蘇る。


「だめ...理子...」

「大丈夫、私が証明してあげる」

Tシャツの裾が捲り上がる。冷房の風が臍を撫で、隼人が修理した扇風機の首振り角度と同じ軌道を辿る。


「ほら...」理子の指が腰のくびれを描く。「男の人にはない曲線」

涙が頬を伝う。三十二歳の部下にプレゼンしていた自分が、十四歳の少女の身体で喘いでいる。


「最後の検査...」

理子が突然私の手を自分の胸に当てる。薄い布地の下で、小鳥の心臓のような鼓動が伝わる。


「美羽ちゃんと同じ...でしょ?」

彼女の体温が、隼人の工具箱の金属部分と同じ熱量を帯びている。壁に貼られた楓先生の写真が、優しい目で見守っている気がする。


「分かったよ」震える声が絞り出される。「私...女の子なんだ...」

理子がそっと涙を拭う。「当たり前じゃん。だって...」その囁きが耳朶に染み込む。「隼人くんを見る目が、完璧に女の子だもん」


窓の外で自転車のベルが鳴る。反射的に飛び起きた私たちの頭がぶつかり、痛さと可笑しさで泣き笑いする。理子のパジャマのボタンが外れ、中学一年の時に一緒に買った下着が見える。


「ねえ、美羽ちゃん」

整理解されたリボンを結び直しながら理子が呟く。「私達、本当は...」

その続きは、突然鳴った隼人からの着信音に消される。


「工具の貸し出しリスト、今日中に...」

電話の向こうの声に、股間が熱くなるのを感じる。理子が私の耳元で「ほら、反応してる」と囁き、くすくす笑う。


「大丈夫です...今理子ん家で...」

嘘をつく声が妙に甲高い。理子の指が腰のくびれを刺激し、教科書で学んだ女性ホルモンの作用を実感する。


「そういえば七瀬さんも...」

隼人が理子の名前を口にした瞬間、理子の手が私の腿を締める。二人の鼓動が風鈴の音に同調し、保健室の人体模型が嗤っているようだ。


電話を切ると、理子が真っ赤な顔で「ずるい...」と呟く。彼女の胸の鼓動が、私のそれと完璧にシンクロしている。


帰り道、自転車を押しながら理子が突然立ち止まる。「もう一回だけ検査する」。路地裏の塀に押し付けられ、唇が耳朶に触れる。


「女の子の証拠...教えてあげる」

その囁きと共に、腿の内側を撫でられる。隼人が校庭で拾ったイチョウの葉が、突然舞い落ちてきて首筋に引っかかる。


「ほら...」理子の笑みに、楓先生の面影が重なる。「こんな反応...男の人にはないでしょ?」

夕陽に照らされた路面の水たまりに、確かに少女同士の影が揺れている。


帰宅した部屋で鏡を見つめる。頬の紅潮、乱れた髪、緩んだリボン——全てが紛れもない十五歳の少女の証拠だ。隼人から届いた「七瀬さんと何話してた?」というメールに、初めて少女らしい嫉妬を覚える。


布団に入り、理子に教わった方法で自分を確かめる。指先が敏感な部位に触れるたび、隼人の工具の音が脳裏で響く。三十代の記憶が霧散し、今この瞬間の体温だけが真実だと悟る夜更けだった。

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