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第一話「初めての朝はパニックフルコース」

目覚めた瞬間、違和感が首筋を駆け上がった。天井のシミの形が違う。布団の匂いが母親の柔軟剤じゃない。そして何より――胸元が妙に軽い。


「…あれ?」


声が出た瞬間、飛び起きた。自分の喉から出たのは、確かに少女の甲高い声だ。視界がぼやける。右手を震わせながら顔に触れると、頬に小さな突起を感じた。泣きぼくろ…?


パジャマの裾をめくる手が止まらない。へその下はつるんとしている。太ももは細くて、膝小僧が妙に突出している。そして何より、胸元に手を当てた時の平坦感が全てを物語っていた。


「冗談だろ…」


押し入れの鏡に飛びついた瞬間、悲鳴が喉に詰まった。映っているのはボサボサのショートボブの少女。左頬に涙型のほくろ。推定身長140cm台。どう見ても中学一年生だ。


記憶が一気に押し寄せる。昨日の夜、終電を逃して神社の階段で転んだこと。「女の子として人生やり直せたらなァ」と呟いたこと。あの時、暗闇から聞こえた老人の笑い声…。


「まさか本当に…!?」


クローゼットを開ける音がドアを破りそうだ。女子服しかない。リボン付きブラウスにチェックのスカート。鞄はピンクのランドセル。頭を抱え込みたくなる。


「制服…どこだ!?」


引き出しを漁る手が突然止まる。鏡に映った自分が無意識に片足立ちでパンツを穿こうとしている。男の頃の癖だ。慌てて正座するも、フリル付きの下着が腿に絡みつく。


「こんなの戦場じゃねえか!」


声に出した瞬間に自分で凍りつく。今の言葉遣い、完全にオッサンだ。この口調で学校に行ったら終わる。深呼吸を三回繰り返した頃、廊下から足音が近づいてくる。


「みうー! 入学式遅れるわよ!」


見知らぬ女性の声。ドアが開き、私を見下ろすのは三十代半ばの女性。記憶の奥で「母親」というラベルが点滅する。彼女の視線が私の半裸に注がれた。


「…またベッドで着替えして。早く制服着なさい」


無造作に放り込まれた衣類の山。ブラウスのボタンが多すぎる。リボンの結び方がわからない。スカートのフックが背中に回ってて絶望する。母親が呆れながら近づいてくる。


「今日は緊張してるのね。赤ちゃん返り?」


首元に触れる指先が妙に慣れた動き。あっという間にリボンが整う。昔からこうだったのか? 記憶が曖昧だ。ふと母親の左手を見ると、薬指に白い跡がある。離婚の痕…?


「行きましょ」


駅までの道で気づいた。ランドセルが重い。背筋がぐにゃりと曲がりそうだ。スマホを探す手が空を掻く。この時代、小学生は持ってないのか。時刻表すらわからん。


「新入生は体育館に集合ですよ」


校門で声をかけられた男性教師に、思わず「はい課長」と返しそうになる。体育館の檀上で校長の話が頭に入らない。周りの女子がきらきらした目で談笑しているのが異様に眩しい。


「隣のクラスに幼なじみがいるんだ」


突然話しかけてきたのは、整った顔立ちの男子。名札に「小野寺隼人」とある。記憶のどこかで「委員長タイプ」という分類が作動する。


「あ…そう」


「桜井さん、なんか緊張してる? 袖のボタン外れてるよ」


ぎくっ。自分で確認できない背中のボタン。彼の指先がさっと触れて直す。女子の歓声が耳元で爆発する。これはヤバい。元オッサンの心臓が女子中学生仕様に耐えられない。


「ありがと」


声が裏返る。隼人が不思議そうな目をした瞬間、チャイムが鳴り響いた。立ち上がる際にスカートが膝に張り付く。女子たちが自然にプリーツを整えるのを真似するも、手順がわからず逆にしわくちゃに。


「あのね…」


袖を引く柔らかな手。ふわふわのツインテール少女が微笑んでいる。名札は「七瀬理子」。


「トイレ行くなら一緒にどう?」


最大の試練が突然訪れた。女子トイレの個室で用を足しながら、壁の落書きを読む羽目になる。「〇〇くんLOVE」だの「担任ウザい」だの。元オッサンの魂が叫ぶ。ここはスパイ活動の現場か!


「桜井さん、大丈夫? 顔真っ赤よ」


鏡の前で手を繋がれる理子。頬に当たるリボンの触感。ふと気づくと、自分が無意識に男子トイレの方へ歩きかけてる。理子に引き戻される体が、軽やかに宙を舞った。


(これから三年間、生き延びられるのか…?)


式が終わり、帰り道で空を見上げる。雲の切れ間から、どこか遠くで老人の笑い声が聞こえた気がした。

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