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第9話「邂逅」

 妖精歴一八一三三年、【惨禍の渓谷】。


 アリスたちは谷を南西へと下っていき、ようやくその切れ目へとたどり着いていた。


 まるで荒野のような渓谷から一転、この世界【妖精の箱庭】に点在する、どの種族の領域でもない深緑の森林が再び姿を現した。


 【颯碧の妖精(ネツァク)】の領域の木々も緑ではあるものの、あちらは黄緑であるため違いは一目瞭然だ。


「さてと、村落はこの辺にもいくつかあったはずだけど……」


 惨禍の渓谷を超えた中立地帯の入り口付近。


 この一帯は青エルフの村落が多いものの、二・三個は灰エルフのものもあったとアリスは記憶している。


 情報によれば金エルフたちは本領域から北東へ、つまりアマルガムの方向へと向かいながら村落を襲撃していたという。


「っ……。アリスさん、あちらの方向から大きな音が……」


 アリスの背後から声をかけ、右方に眼を向けるセレネ。


 彼女は誰も聞き取れなかった微細な音を感じ取ったのだ。


 盲目ゆえセレネは他の感覚が非常に鋭く、特に聴覚は音の反響で何がどこにあるか、どんな形状しているかなどを把握できるほどらしい。


「急ごう、一人でも多く同族を救わなきゃ……!」


 セレネの言葉に頷きを返したアリスは他の面々にも視線を遣り、彼女が音を聞き取った方向へグリーズヴォルフを走らせた。




 雷光が迸り、簡素な建造物が吹き飛ばされた。


 立ち向かう者たちは、多種多様な魔法によっていとも簡単に無力化されていく。


 黄金の鎧を纏った騎士が逃げ惑う民を斬りつけていく。


 灰エルフの村は阿鼻叫喚に包まれていた。


 ならず者は金の襲撃者に立ち向かい、あっけなく打ち倒された。

 女子供は泣き叫び、老人は腰を抜かしてその場で祈りを捧げている。


 そんな中、瓦礫と化した建物の上で麻のフードを被った金エルフが一人のならず者の胸ぐらを掴み上げていた。


 彼は両足が地面から離れそうなほど締め上げられている。


「アリス・フォティアって女を知ってる? お前ら灰エルフの騎士団にいるはずなんだけど」

「しっ、知らねぇよ! それに俺みたいな奴が騎士様のことなんて知ってるわけ——」


 刹那、雷鳴が男の返答を塗り潰す。


 そして一瞬のうちに黒焦げになった男を、声色からして女であろう金エルフが手放した。


 瓦礫の山に落下した彼の身体は帯電しており、時折痙攣していることから一命は取り留めたらしい。


「はぁ、ローグ……。ホントに灰エルフの騎士団にいるの、そのアリスって女?」


 ならず者の一人を雷撃によって戦闘不能にした女が、鬱陶しそうに麻のフードを払いながらため息交じりに問いかけた。


 彼女は肩口まで伸ばした眩い金髪を頭の一方、左側頭部で結わえており、髪と同色の瞳を爛々と輝かせている。


 眼光の鋭さから獰猛な肉食獣のような印象を受けるが、端整な顔立ちと纏う雰囲気から近寄り難い美女、というのが適切だろう。


「間違いないと思うんだけどなぁ。ただ、中立地帯のはぐれ者が騎士団の編成、しかも【百刻ハンドレッド】の若造たちのことなんて知らないのも無理ないかも……」


 その問いを受けたのは瓦礫の山の側で彼女を見上げていた、麻のフードを被るローグと呼ばれた青年。


 彼は大きく肩を竦ませてわざとらしい反応を返した。


「まぁわざと騎士団っぽい奴らを逃がしたから、援軍が来るのも時間の問題——」



「シエルッ! 後ろだ!!」



 ローグの声によって咄嗟に振り返ったシエルと呼ばれた少女。

 しかし彼女の表情に焦燥はなく、片手に黄金の雷を纏っていた。


 そしてシエルはそれを振り返りざまに黄金の雷剣へと変化させ、背後から迫り来る何かにいつでも対応できる構えを取った。


 そんな彼女の視界に映ったのは烈風を纏う灰色の影。


 その影は針のような細剣を弓の如く引き絞りながら、シエルの元へと跳躍していた。



 アリスは眼前に捉えた金エルフの少女へと突っ込むように、グリーズヴォルフに加速の指示を出した。


 そしてその背から跳躍しながら抜剣し、風魔法を全身に纏いながら細剣を引き絞った。


 金エルフの少女の足下には黒焦げの灰エルフの男が転がっており、眼前の金エルフが襲撃者だと断定しての行動だった。


「吹き飛びなさいっ!!」


 眦を決して放たれた裂空の刺突と、それを迎え撃つ黄金の雷剣が激突する。


 転瞬、周囲の瓦礫を吹き飛ばすほどの暴風と、大気さえ焼き尽さんとする雷光が生じる。


 風を纏う細剣と雷光迸る直剣が数秒間拮抗したところで、状況に異変が生じる。


 アリスの下方に黄金の液体が凝集し、突如として黄金の重装騎士が現れたのだ。


 その騎士は手に携えた大剣を振り上げ、アリスに斬りかかってきた。


「なっ……!?」


 アリスは視界の下端に突如として現れた騎士の姿に驚愕し、そちらに対応すべくすぐさま風の魔法を一気に膨張させる。


 それによって風と雷の均衡が破られアリスと金エルフの少女、両者の身体がそれぞれ逆方向に吹き飛ばされた。


 狙いを定めていたアリスが吹き飛んだことで騎士の剣は空を切り、勢い余って瓦礫の山を両断した。


 吹き飛びながらもその光景を目にしたアリスは、咄嗟に風魔法を強めなければ両断されていたのは自分だったと青ざめる。


 しかしそんな想像をしているうちに地面が近付いてきていたため、彼女は細剣の切っ先を突き立て勢いを殺した。


 十数エトルほど先に黄金の鎧騎士、その背後に青年らしき金エルフ、アリスに斬りかかったのとは別の鎧騎士と彼に寄り添うように立つ猫背の女。


 そしてそのさらに奥に、アリスと同じように雷剣を地面に突き立てて停止した少女の姿があった。


 アリスはそれを認めるや地面から細剣を抜き去り、前方を見据えながら立ち上がった。


 直後、アリスの背後から巨大な氷柱群が撃ち放たれ、金エルフたちに殺到した。


 だがそれを認識しても彼女たちは顔色一つ変えず、唯一動いたのは先程アリスに斬りかかってきた鎧騎士のみだ。


 騎士は大剣を振り上げ、飛来する氷柱を打ち砕いていく。


 小気味いい破砕音が連続して生じ、やがて殺到したすべての氷柱が粉塵と化して無力化された。


「アリス、あまり独断専行するな」


 氷柱が飛来してきた方向、つまりアリスの背後にグリーズヴォルフの背に乗ったレアルスが追い付き、少し遅れて他の三人も合流する。


 彼らはアリスの背後でグリーズヴォルフの背から降り、示し合わせたかのように灰色の燐光を灯した指先で十字を切った。

 

 すると彼らの手元に同色の燐光を伴う空間の歪みが生じ、それぞれの相棒たちがその中へと消えていった。


 これは格納魔法と称されるもので、別の位相にある部屋のような空間に物や、エルフ以外の生物を格納することが出来る便利な魔法だ。


 それを見たアリスは同じように格納魔法を展開し、歩み寄ってきた自身の相棒であるグリーズヴォルフをその中へと誘った。


「ごめん、でもこの惨状を見ちゃったら居ても立っても居られなくて……」


 レアルスの言葉に申し訳なさそうにするアリスだったが、その眼には襲撃者たちに対する戦意が見て取れた。


 彼女たちがいる場所は中立地帯にある灰エルフの村落の一つ。


 それが今や見るも無残な瓦礫の山と化してしまっているのだから、敵意を向けるのも当然だ。


「まぁこんな状況なら仕方ないよね。そんでアリちゃん、あいつらがそう?」

「えぇ、金エルフの四人組。一人多いみたいだけど、あれはきっと人じゃない……」


 シエルと剣を交えている際に斬りかかってきた鎧騎士は唐突に現れたため、魔法の類で作られたものだとアリスは断定していた。


 ゆえに眼前に立ちはだかる金エルフたちは四人で、事前の情報と合致する人数なのだ。


「お前が【灰被りの魔女】とかいう【百刻ハンドレッド】よね?」

「えぇ、他の種族からはそういう呼び方もされているみたいね」


 アリスの返答にシエルは口端を釣り上げる。


「私は【燼魔精隊グレイズ】の隊長、アリス・フォティア。

 あなたたちはいったい何者なの!? 私に用があるならこんなことしなくたって話を聞いてあげるわ!」

「ようやく見つけた、灰被り……。お前をずっと探してたわ」


 薄い胸を張りそこに手をかざしながら、真剣な表情で訴えるアリス。


 対する金エルフの少女は彼女の言葉を無視し、鋭い瞳を爛々と輝かせていた。


「アタシはシエル・アルムレクス。お前に奪われたものを取り返しに来たわ」


 シエルと名乗った少女は、雷剣の切っ先をアリスに向けながら不敵な笑みを浮かべる。


 それと同時に、ヴァル以外の面々が衝撃を受けたような表情を浮かべる。


「アリスさん……あの方は……」

「アルムレクスって……」

「お前たち、一瞬たりとも気を抜くな。奴は本領域の騎士どころではないぞ……」


 セレネとシャルが狼狽したように呟き、レアルスが眼光を常よりも鋭いものにして忠告する。


 アリスも表情を険しいものにしてシエルを睨み付けていた。


「さすがシエル。他の種族にも知られてるなんて、有名人だね」


 鎧騎士の隣に立っていた青年は、自身の後方にいるシエルの方に振り返りながら笑った。


 そして再びアリスたちの方に向き直ると、大仰に両手を開いて語り始めた。


「あちらに御座しますは我らが【皇金の妖精(ティファレト)】の正当なる王の血族、アルムレクス家の第七王女!

 大人しく頭を垂れるべきだよ、灰エルフの皆さま?」


 麻のローブの下で不敵な笑みを浮かべる青年は、軽薄な口調でアリスたちを挑発した。

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