第7話「天護者」
アリスたちが円卓広間で話をしている間、セレネたち三人は聖大樹の内部に沿って作られた螺旋階段を下りていた。
そして外へと続く巨大な木扉がある玄関ホール、そこを見下ろすことの出来る階段の踊り場で待機している。
階下からだと真上を見上げなければ天辺が見通せないほど巨大な扉は、踊り場からであれば辛うじてその高さが窺える。
それは日中であれば常に開かれており、出入りするためにわざわざ開閉する必要は無い。
そのホールの中央には扉と同程度の大きさを誇る守護天使の彫像が設置されており、聖大樹内部に住まう者以外にもアマルガムの住人などが祈りを捧げにやってくる。
「守護天使サマってどの種族にもいるんだっけ?」
その様子を手すりに頬杖を突きながら眺めていたヴァルは、ふと大天使の彫像を横目に口を開いた。
その問いかけにセレネも巨大な彫像に視線を向けて返答する。
「はい。すべての種族にそれぞれ一体ずつ、信仰対象となる守護天使様がいます。そして種族の中で選ばれし者がその加護を身に宿し、民を導くとされていますね」
「守護天使様についても【天護者】についても……。絶対勉強したはずなのに、なんで覚えてないの……」
天護者とはセレネが説明したように、その身に守護天使の加護を宿す者のことを指す。
その力は絶大なもので、司る力にもよるが地形を変貌させてしまうほどの破壊をもたらしたり、死せる命を数多掬い上げる奇蹟さえ起こすとされている。
王の資質がある者や英雄と成る者が至るケースが多いものの、血統などは関係なく守護天使の寵愛を受けた者がその運命を背負うこととなる。
「いや~、そういう小難しい話ってすぐ忘れちゃうんだよね。別に誰が何を信仰しようと、おれは変わらないし」
ため息を吐くシャルに向かってあっけらかんと答えたヴァルは、再び守護天使の彫像に視線を戻した。
「天護者って、言っちゃえば種族における最高戦力なわけじゃん?
けどウチの天護者は長年継承されずに止まってるのもったいないよね。候補者にその予兆が出てるのにさ」
「…………ヴァル」
その低い声を零したのは普段気だるげな声音で話すシャルであった。
声の方へ眼を向けたヴァルは、彼女が浮かべる表情に少しだけ驚いた様子だった。
「それ、本人の前では絶対に言わないで」
眉根を寄せ、普段は纏うことのない怒気を孕んだ声色で彼の発言に注意を促す。
「流石のおれでもそこまで空気読めないわけじゃないよ。踏み込んじゃいけないラインくらい弁えてる」
一気に重苦しくなった空気を察したセレネは冷や汗を浮かべ、すぐさま二人の間に立って別の話題を振った。
「そ、そういえば最強と謳われる【皇金の妖精】も長年、天護者が不在だそうですね。それなのに他国の侵略をものともしない国力には驚かされます、よね……」
焦った彼女は普段よりも早い口調で言葉を紡いだため、最後の方は息が切れかけてしまったようだ。
そんな彼女の様子に思わず吹き出したヴァルは、薄い笑みを称えたまま返答した。
「そうらしいよね。天護者なしでもずっと最強なんて、絶対に関わりたくないね」
「同感……」
セレネのおかげでシャルも普段の気だるげな様子に戻り、重苦しい空気が取り払われた。
「あっ、ここにいたのね、みんな!」
ヴァルたちがいつも通りの雰囲気に戻ったタイミングで、螺旋階段の上から声が降ってきた。
三人がそちらへ視線を向けると、レアルスを伴ってアリスが階段を下ってくるところだった。
「討伐から帰ってきてすぐのところ悪いんだけど、中立地帯に行くわよ」
「え~~、もう本日の営業は終了でしょ~」
「その、いったい何をしに行くのでしょうか?」
踊り場にたどり着いたアリスは三人の輪に加わり、これからの予定を告げた。
彼女の言葉に舌を出しながら嫌そうにするヴァルに対し、セレネはその意図を問い返した。
「中立地帯にある灰エルフの村落が次々に襲撃されているとの報を受けた。その救援として俺たちが向かうことになった」
「めんどう……。どこの種族がそんなことしてるの……」
レアルスが淡々と説明すると、シャルが襲撃者に対して辟易したような表情を浮かべる。
それに対してアリスが答えを返す。
「襲撃者は金エルフらしいわ」
「「「えっ」」」
◆ ◆ ◆
アマルガムより南西の森の中。
増援の指令を受けたアリスたち【燼魔精隊】は灰色の毛並みの巨狼に跨がり、中立地帯南部へと急行していた。
グリーズヴォルフ。
それが【灰燼の妖精】が長距離移動の手段として共生する狼の名だ。
生まれた頃から騎士団で教育され、正式に団員となった者に一頭与えられる。
主人の命令を忠実に聞き、時には共に戦うこともある騎士団の団員にとってかけがえのない相棒といえる存在だ。
「あ~~、なんでよりによって金エルフなのかなぁ……」
そんなグリーズヴォルフの背に揺られながらヴァルは項垂れていた。
その横を同じく相棒の一匹と共に駆けながら、アリスが彼に活を入れる。
「文句ばっかり言わないで、ヴァル。伝令によれば敵の数はたった四人だそうよ。私たちは五人いるんだから問題ないわ!」
「いやいや、たった四人で自警団と派遣された騎士団・魔道士団の人たちを圧倒してるってことでしょ? 明らかにとんでもない奴らじゃん」
「しかも狙いはアリスさんって……。なんで狙われてる当人が増援に向かってるの……?」
根拠のない自信を掲げるアリスに正論を投げつけるヴァル。
そんな彼の隣でグリーズヴォルフの背に揺られるシャルは、襲撃者の目的を聞いて眉根を寄せながら視線を背後のレアルスに向けた。
ちなみに彼らは前列の左からアリス・ヴァル、シャル。
後列の左にレアルス、右にセレネという隊列を組みグリーズヴォルフの背に乗って森の中を駆け抜けている。
「敵の狙いが自分だと知らされて、そいつがじっとしていられると思うか?」
話の水を向けられたレアルスは、前方を走るアリスの背に目を遣ってシャルに問い返す。
「……レアルスさんの言うことなら聞くかなと」
「最高司祭様たちの言葉さえ聞かないのにか?」
「それは無理だ、しんど……」
まさかの返答に半目になったシャルはため息を零した。
「ちょっと二人とも、私を駄々っ子みたいに言わないでくれる?」
どの口が、とセレネ以外の全員が思ったものの、胸の内に留めて言葉にはしなかった。
代わりに口を開いたのはセレネであった。
「アリスさんはわたくしたちの身を案じていただいたのですよね? 仲間を慮る心、それがアリスさんの隊長たる所以なのではないでしょうか」
「セレネ、貴女って本当に私のことを分かってくれているわね……!」
口元に微笑を称えながらアリスを評価するセレネに対し、彼女は感激したように肩を震わせながら振り返った。
他の三人は無感情にその様子を眺めている。
「あ、まずい。アリちゃん前」
「え? ——って、きゃぁぁぁ!!」
ふと前方を確認してグリーズヴォルフの脚を止めさせたヴァルとそれに倣ったシャルの前で、アリスとその相棒が一瞬にして姿を消した。
否、彼女たちは姿を消したのではなく、突如として現れた断崖から遙か下方へ落下していったのだ。
アリスはセレネの方に振り返っていたため、グリーズヴォルフに制止の指示を出せなかったのだ。
「だ、大丈夫ですか、アリスさん……!?」
「大丈夫~!! いきなり落ちたからちょっとびっくりしただけ~!」
常よりも声を張って崖下のアリスに声をかけるセレネ。
見事着地を決めたグリーズヴォルフに跨がるアリスは、手を振りながら崖上の四人に自身の無事を伝えた。
「よそ見してたからそのままダイブしちゃったのかぁ……」
「この子たちにとっては、このくらいの高さ関係ないもんね……」
相棒の背をさすりながら、崖の際から下方のアリスたちを見下ろす双子は納得したようにこぼす。
グリーズヴォルフは凄まじい脚力を備えており、自身の体高の何倍もの高さを跳躍するため着地に耐え得る体構造をしているのだ。
それゆえに主人であるアリスの指示がなかったため、崖が現れてもそのまま突き進んでしまったのだ。
「目標の地域まではこの下を進んでいった方が早い。俺たちも降りるぞ」
「りょーかい」
相棒であるグリーズヴォルフの背に跨がったまま、崖下をのぞき込む双子の隣に並んだレアルスは南西の方角に眼を向けながら指示を出した。
それに間延びした声でヴァルが返答するや、四人それぞれを乗せたグリーズヴォルフが崖の際から跳躍した。
アリスが落下した時とは異なり、主を気遣い時折崖の凹凸に着地を繰り返しながら順調に崖下へと降りていく。
彼らにも当然性格があり、アリスの相棒は彼女同様にわんぱくなきらいがある。
「レアルスさん、この谷って五八年前の大抗争の爪痕なんですよね……?」
「あぁ、金エルフと虹エルフの【天護者】同士がぶつかったのがこの場所だ」
グリーズヴォルフの背で大きく揺られながらも谷全体を眺めて問いかけるシャルに、対するレアルスも淡々と説明する。
この辺りは昔、何の変哲も無い森だった。
しかし天護者同士の戦闘よって、これほどまで高低差のある地形へと変貌したと言われているのだ。
「【惨禍の渓谷】だっけ? 天護者ってハンパないよね~」
「どれほどの魔法がぶつかり合えばこのような破壊が起きるのか……。想像も出来ませんね……」
アリスが落下し、他の四人が下降しているこの場所は惨禍の渓谷と呼ばれている。
最も高所から低所の落差は約五十エトル、幅はその数倍はある大規模な地形となっている。
中立地帯からアマルガムの方向、つまり北東方向へと数キルエトルほど長く伸びる痛ましい爪痕は、住まう人々を伴って数多の村落を消し飛ばした。
ゆえにこの場所が惨禍の名を冠しているのだ。
「二人の天護者の全霊がぶつかり合った結果だろうからな。単独でこれほどの破壊をもたらす者はいないだろう」
そうレアルスが締めくくり、崖を下降していた四人が谷底へと到着する。
そこへアリスと相棒のグリーズヴォルフが歩み寄ってきた。
「じゃあ行きましょうか」
そして南西方向に向き直りながら笑う。
しかし待っている間に渓谷の光景を眺めていた彼女は、心中で在りし日の追想を行っていた。




