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第3話「妖精の箱庭」

 灰燼の妖精(コクマー)の首都 アマルガム。


 街には濃灰色の枝に白灰色の葉を茂らせる巨木が立ち並んでおり、その太い幹の外周に打ち付けられるように家々が建設されている。


 この街では住居の高所化に伴って木の幹を中心とした螺旋階段が取り付けられ、独特な景観が生み出されてた。


 家々が樹上にあるのは灰エルフの国土が【灼燼しゃくじん灰域はいいき】から吹き付ける灰によって少しずつ侵蝕されており、生存圏が狭まってきていることが原因だ。


 そのため安全な首都の人口密度が高く、樹上に住居、地上に商店や飲食店などを配置することで居住者の上限を増加させるという対策を取っている。


「おっちゃん、カエルの串焼き一本ちょうだい! 釣りは取っといて!」


 商店街にあたる路地の道行きでヴァルが焼きもの屋台の前で立ち止まり、店主に向かって代金として硬貨を指で弾いた。


 彼の言う通り、串焼き一本を買うには少し高めの代金だ。


「いつも悪いね。今日も精隷獣せいれいじゅう討伐かい?」

「そうそう、ぱーっと片付けてきたから安心して! あ、食う人いる?」


 屋台の店主の問に明るく答えたヴァルはカエルの串焼きを一本手に取りながら、ふと思い至ったようにアリスたちの方に振り返った。


「私はいいわ……」


 アリスは彼が持つカエルの串焼きに眼を落とすと、顔を引きつらせながら断った。


 レアルスは瞑目し、セレネは視線を逸らし(眼が隠れていても分かるほど)、シャルはガン無視と、他の面々も言外に不要と主張している。


「好き嫌いは良くないぜ~? ただでさえウチは食料不足気味なんだからさ」


 歩みを再開したヴァルがカエルの串焼きを頬張りながらもっともらしいことを言う。


 確かに灰エルフの国土は灰の降り積もった土壌が大半を占めている。


 そのため食糧問題は常に付きまとうのだが、バリボリと骨を噛み砕く凄まじい咀嚼音が気になって話がほとんど入ってこない。


「そ、そうなんだけど、ちょーっと苦手かなって……」


 その様子を見ながら返答したアリスは引きつった顔のままだ。


 そんな彼女にヴァルは食べかけの串焼きを差し出す。


「食べたことないでしょ? 試しに一口食ってみなよ」

「えっ、ちょっ……!」


 半身を失ったカエルの串焼きを急に近づけられたアリスは、身体を後方に仰け反らせた。


 それを見かねたセレネがあわあわしながらも助け船を出す。


「む、昔のエルフたちは、お肉などの動物性の食物を忌避して食さなかったんですよね……」

「それって、すっごい大昔のことじゃなかったっけ……?」


 その言葉にシャルが反応したことで、ヴァルはアリスに差し出したカエルの串焼きを引っ込めた。


 それに安堵した彼女は小さくため息を吐く。


「大昔どころではない。この【妖精の箱庭】が創造される前、俺たちの遙か遠い先祖が中つ国と呼ばれる世界で生きていた頃の話だ」

「今となってはこうして……」


 最後の一片を頬張ったヴァルはそれを咀嚼して飲み下し、言葉を続けた。


「何でも食うようになってるよね」

「ヴァルは、何でも食べ過ぎだけど……」

「何でも食えた方が得じゃん? 嫌いな物多い方がよっぽどキツいっしょ」


 あっけらかんとそんなことを主張しながら、彼は手中に灰色の炎、【燼炎じんえん】を灯して用済みとなった木製の串を焼き尽くした。


「てかその中つ国って世界も実際あったんかな? 二万年近く大昔のことだから生きてるエルフも見たことないし、おとぎ話って感じ」

「確かにエルフの寿命は中つ国にいた頃、『永遠』と称されるほど長かったそうですね……。ですが今は五千年生きているエルフも稀です……」


 今は妖精歴一八一三三年。


 妖精の箱庭が創造されてから、エルフをもってしても途方もない年月が積み重ねられている。


 ゆえにエルフたちが中つ国に住んでいた頃から現存しているという、古ぼけた歴史書以外でその事実を確認する術はないのだ。


「……あっ! ちょうど学院の公開授業がやってるみたい。久々に見学してみましょうよ、レアルス」

「この後は報告に戻るだけだからな、構わない」


 話の流れからアリスがそんな提案をレアルスに投げかける。


 それを仏頂面で了承したレアルスは一行が向かう先に目を遣った。


 そこにはあまりにも巨大な灰色の【聖大樹】が聳え立っており、その前の広場ではなにやら授業が行われているようだった。



 聖大樹。

 それはすべての種族の首都に存在する、天辺が見通せないほどの巨木だ。


 その葉はそれぞれの種族の色を反映しており、眼前の大樹には白灰色の葉が茂っている。


 かつて世界の中心に聳え立っていたとされる【セフィロトの樹】が枯れ落ちた際、その残骸が風に乗って各地に散り、芽吹いたのが聖大樹だと言い伝えられている。


 あまりにも巨大であるため、大多数の種族が城のように活用しているのだという。


 灰エルフもその例に漏れることなく、国の運営を司る【司祭階級】の者や、国を護る【戦士階級】の者が住まう場所となっている。


 その聖大樹の根元に位置する広場で、四十歳にも満たない幼子たちが机に向かって勉学に励んでいた。


 中つ国でエルフたちと共存していた人間たちの物差しで測るとすれば、彼らは五・六歳程度の年齢だ。


「今日は半年に一度の公開授業の日ですね。とはいえ緊張せず、いつも通りしっかりと聞いてくださいね」


 生徒たちの机が置かれている場所から一段高くなっている教壇の上で、眼鏡をかけた美しい灰髪の女性教師が柔和な笑みを浮かべた。


 授業を受けているのは灰エルフの中では比較的裕福な子供たち。


 彼らは種族の未来を担う可能性を秘める者として、高等な教育を受ける権利を有しており、この中から未来の司祭や戦士が輩出される場合が多いのだ。


「さて、前回の授業ではこの世界、妖精の箱庭の成り立ちから私たちエルフが十一の種族に分かれたところまでやりましたね。

 今回は今日こんにちにおける種族の対立構図について学んで行きましょう」


 教壇の上の女性教師がこれから行う授業内容を説明しつつ、解説のために懐から木製の短杖を取り出した。



 その様子をアリスたちは生徒の後方にある一般聴講席、その更に後ろに陣取り、邪魔にならないよう立ち見をしている。


「やっぱり歴史の授業だったわね」

「公開授業は誰でも聴講できるからな。歴史の授業の比率が高い」


 聖大樹の根元の広場で行われる公開授業は、誰でも聞くことが出来るため教育を受けられない子供や、学ぶ意欲のある大人が参加可能だ。


 ただし、質問などを行うことは進行の妨げになるため生徒以外には許されていない。


「それに時期もちょうど良かったわね。ほとんど最初のあたりの授業だわ」


 現在は【灰の月】の上旬で、アマルガムにある学院の授業課程が始まる時期だ。


 暦は一年を通して十一に分かれており白の月、灰の月、黒の月、青の月、赤の月、金の月、緑の月、橙の月、紫の月、虹の月、無色の月の順で巡っている。


 種族同士は敵対しているものの、いつの頃からかそれぞれが冠する色によって暦が定められていたのだ。



「ではこちらを見てください」


 眼鏡の女性教師は背後に設置された水晶板を杖でこつんと叩いた。


 するとそこに縦長の地図が映し出され、十色の魔力光がばらばらに灯った。


「これが妖精の箱庭の全体図です。そして色分けして灯した魔力光がそれぞれの種族を示しています」

「せんせー! 種族は十一に分けられたといっていたのに、どうして色は十個なのですか?」

「はい、いい質問ですね。順を追って説明していきましょう」


 元気の良い生徒の質問に笑みを返した彼女は、水晶板に映し出された地図の最北端に灯る白い魔力光を杖で示す。


「ここが光を司る【白天の妖精(ケテル)】が住まう領域です。首都はハウライトといいます」


 それから杖の先端を左、地図上の北北西にずらして黒い魔力光の部分を指す。


「次にここが闇を司る【黒獄の妖精(ビナー)】の領域。首都はガレナといいます。そして……ここはどこか分かりますね?」


 彼女は黒エルフの領域を示す黒の魔力光と線対称の位置、つまり北北東に灯る灰色の魔力光に杖の先端をかざした。


 すると最前列右方に座していた少女が手を上げながら元気よく答える。


「はい! 私たち【灰燼の妖精(コクマー)】が住んでいます! そしてここはアマルガムという街です!」

「よく出来ましたね。そう、ここがいま私たちの住んでいる場所です。そしてこの三国は【カリクス】と呼ばれる同盟を結んでいます」


 眼鏡の女性教師は灰色の魔力光が灯った位置をトントンと叩いた後、白・黒・灰色の光が灯る北部を円で囲った。


 水晶板を杖でなぞることで生じた軌跡が煌めく線として残り、三国を強調する。


「どうめい?って何ですか?」

「はい、以前の授業でセフィロトの樹が枯れ落ち、十一の種族が対立するようになったと学びましたね?」


 彼女の問いかけるような口調に生徒たちが小さな頷きを返す。


「確かに当初はすべての種族が敵対していたのですが、それぞれの力の差が浮き彫りになってきた頃、強い国に立ち向かうために弱い国同士が手を取り合ったのです。

 すべてが弱い国同士という条件に当てはまる訳ではないのですが、そうして生まれたのが同盟です。身近な表現をするのであれば、お友達になったということになります」


 その説明を聞いていたアリスは苦い笑みを浮かべる。


 同盟を結ぶイコール友達とはよく言ったもので、駆け引きやら何やらでそう簡単な問題ではないのだ。


 しかし幼い子供たちに理解させるためには適切な表現なのだろう、と納得する。


「その同盟はカリクスを含め四つ。

 東北東の【蒼海の妖精(ケセド)】と東南東の【颯碧の妖精(ネツァク)】による【トリフォニウム】。

 西北西の【赫焔の妖精(ゲプラー)】と西南西の【燈礫の妖精(ホド)】による【ペクーニア】」


 他の同盟を説明する前に北部を囲んだ線に一度触れると、それが赤色へと変化する。


 そして東部の二国を青い線で、西部の二国を緑の線で囲み、それぞれが同盟関係にあることを示す。


「そして南の【葬紫の妖精(イエソド)】と南端の【幻虹の妖精(マルクト)】による【スパタ】。

 これが現在における妖精の箱庭の勢力図になります。カリクス以外の国の首都も試験に出ますので、今後の授業で詳しく説明しますね」


 南部の二国を紫の線で囲んだ後、眼鏡の女性教師は水晶板の端を叩いて総括する。

 そして紹介を省いた国の首都について補足を加えた。


「あれ? 真ん中の【皇金の妖精(ティファレト)】は同盟に入っていないんですか?」

「はい、その通りです。彼らは世界の中心で周囲を敵国に囲まれながらも、圧倒的な力を有することから一国のみで他国と渡り合えるのです。ゆえに現状最大勢力の種族とされています」


 少年の質問を肯定し、金エルフの立ち位置を明確にした。


 そして彼女は再び振り返って水晶板の端をコツンと叩く。


「そして最初に質問があった、十一の種族に分かれたはずなのに、光の色が十色なのはなぜか」


 彼女は北部三国の真南から皇金の妖精(ティファレト)の領域にかけて広がる空白を杖の先端で示し、説明を続ける。


「現在においては中立地帯と呼ばれるこの場所は、かつて【虚無の妖精(ダアト)】の領域だったとされています。

 しかしいつの頃からか彼らは忽然と姿を消し、この領域の森は住まう種族によって色を変える中立地帯として変遷していきました」


 眼鏡の女性教師は中立地帯を魔力光の軌跡で四角く囲んだ。


 しかしその図形は北方三分の二程度を囲んだのみであった。


「ただし、皇金の妖精(ティファレト)の領域に面する三分の一ほどの領域は、ほとんど侵攻によって支配されているため、彼らの領土といって差し支えない状況です。それによって他の種族よりも領域が狭いという短所を補っています」


 彼女は説明を終えると水晶板を一度叩く。

 すると同盟や中立地帯を囲っていた光の軌跡が消失した。


 そして地図の内側寄りの八割程度を囲む円を描いていく。


 その下端、つまり南の二割程度は円ではなくT字のような形を取っていた。


「ほとんどの種族は国土の中に精隷獣せいれいじゅうが跋扈する【危険域】を有しています。

 それがいま囲んだ部分の内側。大体首都から数キルエトル離れたところからこの線のあたりまでが危険域にあたります」


 女性教師は水晶板をとんとんと叩きながら語っていく。


 先ほどアリスたちが精隷獣せいれいじゅうを討伐してたのはこの危険域の中腹あたりだ。


「この危険域よりも更に外側へ向かっていくと、強固な魔術結界さえ意味を成さない【破魂域はこんいき】と呼ばれる絶死の領域が広がっています」

 

 恐ろしい説明に、生徒たちが生唾を飲み込んだのが後方のアリスたちにもありありと伝わってきた。


「我が国で言えば【灼燼しゃくじん灰域はいいき】と呼ばれる領域ですね。国によって破魂域はこんいきに侵入した者が受ける負荷は異なりますが……」


 彼女は一度言葉を切り、双眸を細めて続ける。


灼燼しゃくじん灰域はいいきで言えば魔力を焼尽され、耐えがたい魂の乾きを味わいながらやがて肉体も灰と化す、と言われています……」


 一気に温度が下がった女性教師の声音で説明された破魂域はこんいきの危険性に、生徒たちは大半が堪えきれずに身を震わせていた。


「なので絶対に近づいてはいけませんよ。というか魔術をきちんと習得していない年齢では危険域に入るだけでも著しく体調を崩すので、その先へ進むことは叶わないとは思いますけどね」


 彼女の声色が元に戻ったことで安堵した生徒たちは、彼女の忠告に心の底から従うように何度も頷く。


 しかしその中で一人の少年がゆっくりと手を上げた。


「はい、どうしましたか?」

「先生は先ほど危険域について『ほとんどの種族は』と前置きして説明を始められました。ということは危険域がない国もあるのでしょうか?」

「素晴らしい観察力ですね」


 その生徒の質問に感心した眼鏡の女性教師は、水晶板に振り返って皇金の妖精(ティファレト)の領域に杖先を向けた。


「その通り。世界の中心に位置する彼らは危険域を持ちません。他の国は自身の危険域と他国への対策、そのどちらも取らなければなりませんが、彼らは他国だけ相手取れば良いのです。

 これも周囲を敵国に囲まれながらも、列強を誇り続けている理由かもしれませんね」


「なんかちょっとずるいかも……」

「そうだよね、金エルフの国だけ危険な場所がないなんて」

「確かにそう思えるかも知れませんが、北以外の全方位をすべて敵国に囲まれていることは凄まじい威圧感となっているはずです。それは他のどの国にも知り得ぬものでしょう」


 ざわつき始めた生徒たちがその言葉で押し黙る。


 どの方向からいつ攻撃を仕掛けられるか分からない状況が、いかに厳しいものかを少し理解したらしい。


「それに皆さんが生まれる以前の話ではありますが、ほんの少し前までは領域西部に【黄金郷】と呼ばれる疑似危険域が存在していたのですよ」


 笑みを称えながら金エルフの首都から少し西方、赫焔の妖精(ゲプラー)燈礫の妖精(ホド)との領域境のちょうど中間あたりを杖で示した。


「六千年以上前に突如として発生したそれは黄金のピラミッドを中心に、それを守護するように数え切れないほどの黄金の鎧騎士がひしめいていたそうです。

 ですが三五年前にこれまた突如として消失し、皇金の妖精(ティファレト)の領土から危険域は消失したのです」


 眼鏡の女性教師が説明を終えるのを見計らっていたように、聖大樹のくぼみに取り付けられた大鐘楼が高らかな音を街中に響き渡らせた。


「さて、では今日はここまでとしましょう。今回の講義でおおまかに現代における種族間の対立は理解していただけたかと思います。

 次回以降は同盟の成立についてや他国の首都、それにすべての危険域についてなども詳しく説明していきますね」


 次回の講義内容を大まかに伝えた眼鏡の女性教師は杖の先端で水晶板を叩き、表示していた妖精の箱庭全土の地図を消した。


 地図が消えたことを合図として生徒たちの間に流れていた空気が弛緩し、講義が完全に終了した。


 それを横目に、アリスたちは聖大樹への歩みを再開させる。

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