第28話「瞳の封印」
「あはは! 灰被りらしい姿になってきたわね!」
灰に塗れて蹲るアリスを哄笑するシエルは、背中の翼を羽ばたかせながら黒雷の剣の切っ先を彼女に向けた。
「惜しかったわね、あと一歩でアタシの翼を斬れたっていうのに。その姿、アタシのこれよりさらに魔力の燃費が悪いんじゃない?」
アリスは痛む身体をゆっくりと持ち上げながら、シエルの言葉を心の中で肯定していた。
今のこの状態は保って四半刻。
命がけの戦いであればそこまで保たない可能性があるうえ、ダメージを負った現状ではその時間も削られているだろう。
これが守護天使の力を正式に継承した【天護者】であればそんなことは無いのだろうが、アリスは力を自覚してほんの数日なのだ。
ここまで力を扱えていることさえ奇蹟に等しく、そのうえアリスにはもう一つ枷がある。
「というかお前、【燼炎】使ったら錯乱してたのはどうしたのよ?」
「……克服したのよ」
「嘘。あれはそんな簡単に治るようなもんじゃ無いわ。……その眼ね」
シエルの問いをごまかそうとしたものの彼女はそれを否定し、アリスの双眸を見遣った。
流石は【皇金の妖精】の王族であり、天護者だとアリスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
彼女の言う通り、灰色を見ると錯乱する状態は完治したわけではない。
フィオディスとの試行錯誤の末、瞳の封印を左眼だけ一時的に解除することで発作が生じないことを発見したのだ。
さらにアリスの半天護者化は瞳の封印を解いた状態でしか起こらず、その封印の一時解除にも制限時間がある。
ゆえにアリスが本気で戦闘を行える時間は限りなく短い。
そのうえ戦いの中で負傷すればその時間は更に早まっていくだろう。
「だからなに……? 私は貴方に勝つためなら魔力も、命も燃やして戦うわ」
灰に塗れ、全身を支配する痛みに耐えながらアリスは細剣を構え直した。
細められた双眸には闘志の炎が灯っており、逆境に置かれながらも彼女の戦意は露ほども衰えていない。
「あぁ……。だったらアタシは、お前を焼き尽くす雷になってやるよっ!!」
その整った顔貌に哄笑を貼り付けたシエルは地を蹴り、アリスの元へと駆け出した。
「雷だって燃やしてあげる……。私の炎はすべてを焼き尽くすのよっ!!」
互いに駆け出し、真正面から鈍色の細剣と黒雷の宝剣をぶつけ合った。
衝撃波と共に、互いの背後に黒雷と、黄雷纏いし灰炎を迸らせる。
仰け反る身体を無理矢理立て直し、アリスは下方からの突き上げを、シエルは上段からの斬り下ろしを繰り出した。
転瞬、稲妻のように閃いた互いの攻撃が相手を掠める。
アリスは左肩を斬り裂かれ、シエルは首の左側面を浅く抉られた。
それをものともせず、二人は次なる一手を相手に叩き込まんと剣を振るった。
それから【灰燼の妖精】と【皇金の妖精】の美しき少女たちは嵐の如き剣閃を幾度となく繰り出した。
それはまるで天空の流雲と雷光がせめぎ合っているようだった。
あいにく雷は黄金とはほど遠い漆黒だったが、それでも翼を有する少女たちの剣舞は遙か高天の事象のようだ。
観測者がいれば、言葉を失ってしまうほど神々しい光景だったに違いない。
「はあぁぁぁぁ!!!」
「くたばれ、灰被りっっ!!」
互いに致命傷はすんでのところで回避しているものの、全霊の剣舞は魔力を燃やし続けていた。
先にアリスの翼が一枚失われ、その後しばらくしてシエルの一翼も雷と化して消失した。
「「はぁ、はぁ……」」
互いに満身創痍で、肩で息をしている二人はとうに限界を超えていた。
「いつの間にかこんなとこまで来てたのね……」
久方ぶりに間合いが開いたことで周囲を確認する余裕が出来たシエルは、ふと波の音が聞こえることに気が付いた。
命を賭した剣舞を繰り広げる内に、いつの間にか【蒼海の妖精】の領域である海の間際まで戦いの舞台を移動していたらしい。
アリスから見て左手側、シエルから見て右手側に広大な海原が広がっている。
二人は海に平行して相対する形で互いに息を整えていた。
疲労困憊の身体に吹き付ける潮風が心地よく感じる。
「いい加減、終わらせましょうか……」
「あぁ、もうお前の悪あがきにはうんざりよ。灰さえ残らず消し飛ばしてやるわ……」
瞼を閉じて深く息を吐いたアリスは細剣を顔の前で立てて構え、特徴的なオッドアイでシエルを睨み付けた。
対するシエルは黒雷の宝剣を肩に担ぎ、片方の口端を持ち上げながら宣言した。
口を閉ざした二人は自身の身体に残る魔力を一気に解き放つ。
互いに背に残る翼は一枚。
これが消失した方が敗者となるのは必定だと、彼女たちは理解していた。
周囲に熱波を放つ黄雷を纏う灰炎と、大気を焼く黒雷が互いの得物に収束されていく。
莫大な魔力が洗練された証拠に燃焼音と放電音が弱まっていき、彼女たちの耳には潮騒の音さえ聞こえていた。
灰燼の妖精と蒼海の妖精の領域境は、広大な灰の大地が突如蒼き海へと変化する。
砂浜などは無いため、深い渓谷に海水が満ちているような光景が広がっているのだ。
そのため波が何度も大地の側面に打ち付けられて一定のリズムを刻んでいるのだが、それが崩れて大波の予感を周囲に漂わせていた。
アリスもシエルも、次の波音が最後の打ち合いの号砲となることを理解していた。
「「…………」」
そしてそのときは訪れる。
潮騒と共に巨大な波が迫り、灰の大地に激突して凄まじい水飛沫を吹き上げた。
頭上数十エトルまで吹き上がった海水が降り注ぎ始める中、彼女たちはぐっと地面を踏み締めた。
『『キュオォォォォ!!!』』
しかし彼女たちが地を蹴る寸前、降り注ぐ水飛沫の合間から巨大な影が灰の大地に突っ込んできた。
それは視界を覆い尽くすほど巨大な鯨型の精隷獣二体であった。
彼らはアリスとシエルをそれぞれ獲物として狙っているらしく、凶悪な顎を開いて迫ってきていた。
蒼海の妖精の領域を満たしている海に棲まう精隷獣は、このように地上の生物を獲物とみなして襲いかかってくることがある。
「邪魔」
「ちょっとどいて」
まるで建造物の如き巨体が迫っているにもかかわらず、二人ともそちらを一瞥さえしなかった。
視界の端で精隷獣が突っ込んできたことは理解しつつも、互いに自身を狙う個体に向けて細剣と宝剣を振り抜いた。
アリスを狙っていた個体は灰炎の刺突に貫かれ、黄金の雷に焼かれた。
一方シエルの方は黒雷の剣に両断され、真っ二つになった亡骸に漆黒の雷撃傷が一瞬にして広がった。
両断された亡骸は空中で塵と化し、雷に焼かれた精隷獣の亡骸は地面に叩きつけられた。
そして灰が降り積もる大地が爆散する。
「っ……!!」
波が大地を叩く音の代わりに、瓦礫と化して地面が吹き飛んだのを合図として二人は同時に動いた。
精隷獣の亡骸が通電していたことによって砕け散った瓦礫は雷を帯びており、アリスは自身が纏う雷と共鳴させることで強力な磁力を生じさせた。
それを利用して瓦礫と瓦礫の間を文字通り雷の如く高速で移動し、シエルとの距離を一直線に詰めていく。
「消し飛べ」
「っ……!?」
灰炎と黄雷を纏う鈍色の細剣を引き絞りながら瓦礫の横手に躍り出たアリスは、眼前の光景に絶句した。
シエルは黒雷の宝剣を引き絞り、アリスの出方を完全に読んでいたかのように切っ先を彼女の方へ向けていた。
そして二人の間に漆黒の魔法陣が展開され、そこに向けてシエルは刺突を放った。
それを自身も刺突で迎え撃とうとしたアリスは、凄絶なる怖気が背筋に迸ったため強引に地を蹴った。
刺突の軌道上から磁力によって急激に遠ざかった直後、シエルの剣の切っ先が魔法陣に触れた。
刹那、アリスの視界を漆黒が塗り潰した。
否、正確にはシエルの剣に収斂されていた膨大な魔力が魔法陣を介することで指向性を持ち、黒雷の砲撃として射出されたのだろう。
その軌道上に浮かび上がっていた瓦礫が完全に消失し、空間にぽっかりと穴が空いたような光景を創り出す。
それと同様に、大地が数百エトル先まで抉られたかのように消し飛んでいた。
一言で表すのであれば雷撃の砲門。
本来であれば何百人もの魔道士が束になってようやく放てるような極大魔法を、シエルはたった一人で、しかもこの土壇場で繰り出してきたのだ。
「よく避けたわね。……けど、次はないわよ」
「嘘でしょ……!?」
大地を彼方まで消し飛ばした雷撃が収まるや、シエルはアリスの方に向き直って剣を引き絞る。
その行動はつまり、あの絶大なる威力の砲撃を何度も行えるという証左だ。
何度も躱し続ければシエルの魔力が尽き果てるだろう。
だが瓦礫が落下し切ってしまえば、磁力による縦横無尽の機動は封じられる。
そのうえアリスの残存魔力の方がシエルよりもさらに微々たるものだった。
「逃げ回ったら負ける……!」
ゆえにアリスは覚悟を決めて細剣を強く握り締めた。
そして大地を蹴りつけて駆け出し、金翼を羽ばたかせることでシエルの方へと一気に加速した。
「来なさい、灰被りっ!!」
真正面から迫り来るアリスに対して、引き絞った黒雷の宝剣による突きを放つや、漆黒の魔方陣を介する砲撃が解き放たれた。
その直線上にいたアリスは、黄雷の磁力によって右斜め前方に浮かび上がっている瓦礫に引き寄せられた。
それによって彼女の左手側を黒雷の砲撃が掠め、灰髪の毛先を消し飛ばす。
アリスは磁力を最大限に活用し、そこから更に加速した。
吹き飛ぶ瓦礫伝いにシエルとの距離を詰めていく。
そして空中の瓦礫から地面へ、地面を蹴って黒雷の砲撃を放っているシエルの横手に躍り出た。
「はあぁぁ!!!」
黄雷を迸らせながら、灰炎を纏う細剣を刀身が霞むほどの速度で放つ。
砲撃が未だ収束していないシエルがアリスに対応することは不可能。
そのはずなのに彼女は口端を持ち上げて笑っていた。
シエルの表情にアリスは攻撃をためらいそうになる。
しかしすでに突き出した細剣を戻す方が大きな隙を生じさせてしまうと考え、躊躇いを振り払って攻撃を続行した。
「いい加減……」
シエルの元へと吸い寄せられるように進んでいく鈍色の細剣。
それを横目に彼女は右手で突き出した黒雷の宝剣をアリスの方向に薙いだ。
「くたばれよっ!!」
「っ……!?」
二条の稲妻が巻き付いたような特殊な形の剣は、滑るように漆黒の魔方陣を斬り裂き、迫り来るアリスの細剣を横手から叩いた。
甲高い音が瓦礫の舞い飛ぶ灰の荒野に轟く。
漆黒の魔方陣は凄まじい力を内包していた。
そのため再度出現させるには少なくない魔力、および呪力を消費するはずだ。
それなのにシエルは一切の躊躇いも無くそれを斬り裂き、アリスを迎え撃ったのだ。
その判断が功を奏し、アリスの高速の刺突は見事に往なされた。
そして大きく体勢を崩した彼女の真下から、黒雷の宝剣による斬り上げが襲いかかる。
体勢を崩されてがら空きとなったアリスの身体の正面に漆黒の斬閃が刻まれた。
腰から肩にかけて、斜めに斬り上げられたアリスは深紅の血玉を宙に撒き散らす。
「ぐっ……うっ……!!」
しかし表情を歪めて声を漏らしただけで、彼女に刻まれた斬撃は致命傷には至っていない。
アリスは完全に隙を突かれた。
しかし斬られる瞬間に後方、否、後方とも呼べぬほどほんの少しだけ後ろ方向へ磁力によって身体の重心をずらしていたのだ。
突進の推進力を殺しきれなかったことから取った苦肉の策であったが、なんとか致命傷だけは避けることが出来た。
アリスは傷口から血を零しながらも、全身から黄雷を迸らせて姿を消した。
文字通り雷光の如き速度で消失したアリスだったが、シエルの眼は辛うじてどの方向に動いたかを捉えていた。
シエルは振り上げた剣の切っ先をそのまま頭上に掲げ、そこに漆黒の魔方陣を再び出現させた。
そして剣を引き絞り、全身に黒雷を迸らせながら顔を真上に振り上げた。
「全部ぶつけて終わらせるぞ……」
まるで肉食獣を思わせる鋭利な金色の眼光が捕らえたのは、討つべき敵の姿。
「アリス・フォティアっっ!!!」




