第24話「決戦前夜」
アリスが目覚めた翌々日、つまり皇金の妖精との抗争があと一日に迫った日。
シャルを除く【燼魔精隊】の面々を連れてアリスとフィオディスは【灼燼の灰域】に訪れていた。
アリスが宿す守護天使の力のコントロールと鍛錬のため、なにもない荒野であるこの場所が選ばれたのだ。
「うん。いいんじゃないかな、アリスちゃん」
アリスの眼前で笑みを零したフィオディスは灰と赤の炎を纏う鈍色の曲刀を払って腰の鞘に収めると、ぎぎぎと音が鳴りそうなほど不自然な動きで背後を振り返った。
フィオディスは自身の側頭部、目の高さに突き出された灰炎と黄雷を纏う鈍色の細剣の切っ先が指す地平線を見遣った。
「というか、死ぬかと思った……」
彼女の背後から数百エトル先までの地面に、神が線を描いたかの如き真っ直ぐな斬痕が刻まれており、それは灰色の残火と黄金の雷電を迸らせていた。
半分とは言え守護天使の力を纏って戦っていたアリスが生み出した光景に、流石のフィオディスも頬に冷や汗を伝わせていた。
「ありがとうございました、フィオさんっ!」
そんなフィオディスの側頭部に、細剣を突き出していたアリスは満面の笑みでお礼をした。
そして得物を横薙ぎに払ってから鞘に収めると、纏っていた灰炎と雷が完全に収束していった。
「どうだったかしら、ヴァル。これで信用してくれる?」
振り返ったアリスの背で黄金の雷が弾け、そこに現れていたものが消失する。
そして自身の背後で一連の戦闘を見ていたヴァルに問いかけた。
遠方から彼を見つめるアリスの瞳は右が灰色、左眼が眩いほどの金色のオッドアイに変化していた。
「いや~、こんなの見せられたら文句言えないでしょ」
ヴァルはアリスの問いかけに後頭部をかきながら苦笑いを浮かべた。
そして真剣な表情に戻ってアリスを見つめ返した。
「この前はごめん、感情のままになじって……。シャルのことで頭がいっぱいで、アリちゃんのこと全然考えられてなかったよ……」
俯きがちになりながらも謝罪してきたヴァルに、アリスは小さな笑みを浮かべながらかぶりを振った。
そして左眼に手をかざして瞼を閉じながら返答する。
「いいえ、私の方こそ自分の心に刻まれた傷ばかり気にして、貴方の心の痛みに気付いてあげられなかった」
そう零したアリスはかざした手をそっとおろし、瞼をゆっくりと持ち上げた。
するとさっきまで金色に染まっていた左眼が右眼と同じ灰色に戻っていた。
「だけどごめんなさい……。シエル・アルムレクスを殺すことは私には出来ないと思う。嘘でも殺すと言えば良かったのかも知れないけど、仲間である貴方を欺くことは不義理に思えてしまったの……」
灰色に戻った双眸を伏せながら、申し訳なさそうな弱々しい声で語った。
自分の意思は曲げず、ヴァルに折れてもらうような形となったことにアリスは引け目に感じているのだ。
事実、アリスとヴァルは円卓広間での決裂以降、今日まで一切口を利いていなかった。
どちらかといえばヴァルがアリスを避け続けていたのだが、それを強引にこの場所に連れてきたのだった。
「……いいよ。正しく在り続ける、それがアリちゃんだもんね」
「ヴァル……」
アリスの言葉にヴァルは柔らかな笑みを返した。
そしてぐーっと背伸びをしてから自身の肩を抱きながら身をよじらせる。
「それにおれはセレねーさんの熱い抱擁で——」
「あっあっ…! ヴァルくん、それは内緒です……!」
「あ、そうなの? でもおれは忘れないよ、心まで暖めてくれるような温もりと、あの柔らかさを……!」
「も、もう……! わたくしだって怒るときは怒るのですよ……!」
ヴァルの発言に頬と耳先を紅潮させたセレネは、逃げ出した彼を追うように駆け出した。
「セレネちゃんはいっつもヴァルくんに翻弄されてるね」
「セレネは純真で、天然なので……」
微笑ましい追いかけっこを繰り広げる二人を見遣りながら、アリスとフィオディスは苦笑いを交わす。
ひとしきりそれを眺めた後、荒野に刻まれた破壊痕を黙して見つめていたレアルスに声をかけた。
「レアルス。私がヴァルと向き合えたのは貴方のおかげよ、ありがとう」
「俺は何もしていない。事実を述べたまでだ」
「貴方ならそう言うだろうと思ったわ。けど私はこれまでずっと、貴方に支えられてきた。きっとこれからもたくさん迷惑をかけると思うけど、そのときはよろしく頼むわね副隊長」
不敵な笑みで宣言したアリスに、彼はほんの少しだけ口角を持ち上げて笑ったように見えた。
「いったい何の宣言だ……。まぁ、今も隊長業務のほとんどは俺が遂行しているしな、これからも迷惑をかけられるというのは間違いないだろう」
「なんですって~!? 燼魔精隊の隊長は私なのに!!」
「あっはは! 自分で迷惑かけるって言ったのになんでキレてんのさ~」
レアルスに揶揄われたアリスは地団駄を踏みながら言い返し、それを見ていたフィオディスが腹を抱えて笑っていた。
こうして燼魔精隊内のわだかまりは解け、灰燼の妖精全体が決戦の日に向けて着々と準備を進めていっていた。
抗争まで、あと一日。
◆ ◆ ◆
決戦前夜の夜明け間近、アリスは相棒のグリーズヴォルフと共にアマルガムの街路を静かに歩いていた。
誰も彼もが寝静まっているため、街には明かりも人の気配も一切無い。
東の空が少し明るくなり始めているが、それが周囲を照らすまであと数時間はかかるだろう。
「ごめん、みんな……」
アリスは遠方に見える聖大樹に振り返ると、眉尻を下げながら小さく謝罪の言葉を零した。
彼女には仲間たちに隠していたことがあった。
それは先の戦いにおいて敗北した際、シエルに耳打ちされた内容だ。
あのとき語られたのは悪魔の力についてだけではなく、抗争をしかけることとその裏で取引をしないかという誘いだった。
シエルはあの時点で【惨禍の渓谷】を抗争の舞台にすると宣言しており、その一方で別の場所でアリスを待つと言っていたのだ。
そこに一人で現れればシャルの傷にかけられた呪いを解いてやるとも語っていた。
罠だと分かっていながら、アリスはその誘いに乗ることにした。
だがみすみす殺されに行くつもりはなく、罠だった場合は当初の予定通りシエルを倒してシャルの呪法を解くつもりでいるのだ。
落ち合う場所は位置的に灰エルフが背後を取られる形となる場所だった。
そのためもしレガウィアたちにそれを伝えれば、そちら側に人員が割かれて惨禍の渓谷側の負担が大きくなることは明白だった。
それを防ぐため、アリスは単身シエルの誘いに乗ることにしたのだ。
アリスがシエルを受け持つことで仲間たちにかかる負担が減るのだから、彼女がそれを選択するのは必然であった。
「よし、もういいかしら?」
アリスがたどり着いたのはアマルガムの東門。
彼女は街を抜けたらグリーズヴォルフの背に乗り、一気に目的の場所まで向かおうと考えていた。
相棒の背を撫でながら、見上げるほど大きな石門を潜ろうとするとその外側に人影が揺らめく。
門の外には精隷獣や他種族対策の衛兵が常時待機している。
アリスもそれは当然の如く理解していたが、明日に控えた抗争のため外に出ると言えば通れるだろうと考えていたのだ。
シエルとの邂逅は抗争の核心ともいえるため、嘘をつくわけではないとアリスは自分に言い聞かせてそのまま直進した。
もし止められそうになったら魔法を使って一気に駆け抜ければ良いだろう、そう考えたアリスの眼前に現れたのは思わぬ人物たちであった。
「どこへ行くんだ?」
「えっ……」
石門の陰から現れたのは三人。
アリスから見て右手側からレアルスが、左手側からセレネとヴァルが現れたのだ。
予想外の事態にアリスは困惑し、言葉を失ってしまっていた。
「アリちゃんが何か隠してるってレアさんが言ってたけど、ホントだったね~。幼なじみって凄いね」
「アリスさん……。決戦前夜にいったいどうしたのですか?」
「これは、その……。あぅ……」
この三人を言いくるめることも、振り切ることも不可能と判断したアリスは両手を挙げて降参の意を示した。
彼らには自分がこれから行おうとしていることを正直に話すことにしたのだ。
「そんなの危険ですっ……! たった一人でシエルさんのところに行くなんて……!」
「まぁ確かに? 惨禍の渓谷の方が陽動で、アリちゃんが向かう方にあの三人が全員集まってたら終わりだよね」
「いや、それはないだろう。俺たちの戦力をもってすれば扇動された中立地帯の金エルフたちなど一網打尽だ。
シエル・アルムレクスがアリスを誘い出したのは援軍が望めない状況を作り出し、少数での戦いに持ち込んで確実に殺すためだ」
レアルスは先日の戦いでフィオディスたちが援軍に来た光景を思い浮かべながらそう語った。
シエルが最も嫌がるのはフィオディスやラズエルといった実力者の邪魔が入ることだ。
それを防ぐためには惨禍の渓谷の方にも戦力を割かねばならないため、鎧騎士の軍勢を生み出すウィラーニャは確実にそちらへ動員されるとレアルスは推測していた。
「確実とは言えないが、これからアリスが向かう場所にはシエル・アルムレクスとローグ・ファティネルの二人がいるだろう」
そして彼は仏頂面のままアリスを見つめ、平坦な声音で宣言した。
「だから俺もお前に同行する」
「えっ!? ちょっと待ちなさいレアルス! 副隊長の貴方までいなくなったらダメでしょ!」
「それを隊長のアリちゃんが言うかな?」
「うぐっ……!」
レアルスの発言に反論したアリスだったが、横からケラケラと笑うヴァルに指摘され、返す言葉を失った。
「ふふっ……それもそうですね。けれどレアルスさんと二人で行くのであれば、わたくしは止めません」
「セレネまでっ!」
「まぁ当然でしょ。レアさんがいるのといないのとじゃ安心感が違うっていうか……」
「隊長は私なのに~~!!」
皆の反応に地団駄を踏んだアリスを見て、セレネが微笑み、ヴァルが肩を揺らして笑った。
「隊長のくせに勝手なことしすぎなんだよなぁ」
「全部終わったらお前の責任として報告するからな」
「なっ……!? ……はぁ、もう分かったわよ。この抗争に勝たなきゃ責任もなにもないものね」
仲間たちの言葉に目を見開いて驚いたアリスだったが諦めたようにため息を吐く。
そして戦いが終わった後、レガウィアたちから折檻を受ける未来を想像して憂鬱な気持ちになった。
「そうと決まればさっさと行くぞ。シエル・アルムレクスを倒して、全部終わらせるんだ」
レアルスは門の外に向き直りながら指先で十字を切り、格納魔法を展開した。
するとそこから灰色の毛並みを持つグリーズヴォルフが飛び出してきて、レアルスの元に寄り添った。
「……えぇ。言われなくても……!」
眼前で背を向けるレアルスの言葉に、アリスは灰色の長髪を払いながら強気に答えた。
そして相棒のグリーズヴォルフと共に一歩踏み出す。
「ヴァル、セレネ。そっちは任せるわね」
「わかってるって」
「はい、お二人もご武運を……」
すれ違いざま、アリスは残るセレネとヴァルに笑いかけた。
その表情には彼らへの信頼が滲んでおり、二人は笑みを称えつつも力強く頷いた。
「いくわよ、レアルス。シエルを倒して、この抗争を終わらせるわ!」
その声と共に各々の相棒に跨がった二人は、一気に加速して北東方向へと向かっていった。
残されたセレネとヴァルはその背中から視線を切り、聖大樹の方向へと向き直った。
「さてと、二人のことどう説明しようか?」
「それは……いっそ知らないふりでも……」
「おっ、優等生のセレねーさんが珍しいね」
「そういうわけにはいきませんよね……」
「真っ先に怒られるのおれたちじゃない? はぁ……、損な役回り引き受けちゃったな~」
後頭部で手を組みながら大股に歩くヴァルと、この後のことを考え萎縮して猫背になったセレネの姿を昇り始めた陽光が照らしていた。




