第23話「胎動」
「…………はっ!」
気が付くとアリスは夕暮れを思わせる暖かな燐光に包まれた空間に戻ってきていた。
隣のレアルスも瞼を持ち上げ、神妙な面持ちで眼前のフィルシアを見上げていた。
「レアルス……?」
先ほどアルクスの口から語られた事実を知ったことで、レアルスの中には一つの仮説が立てられていた。
それはフィルシアが現状の仮死状態になったのは故意だったのではないかという推測だ。
レアルスは情を度外視して思考するのであれば、フィルシアは延命するのではなく命を落とすことで、灰燼の妖精のために守護天使を継承すべきだったと考えていた。
彼と同じくリアリストだったフィルシアなら、今思えばその選択を取るのが必然のように思えたのだ。
しかしそれを押してまで自身の延命を選択した。言い換えれば殺されることを拒んだ。
つまり自分が殺されることが天護者としての力の継承を滞らせるよりも、灰燼の妖精に不利益をもたらすと理解していたのではないか。
「レアルス!」
「っ……! どうした?」
しかしそれ以上の思考はアリスの呼び声によって断ち切られた。
思考の海から上がったレアルスは、端正な顔に心配そうな表情を浮かべている彼女に問い返した。
「さっきのアルクスって……」
「奴は多分……」
言葉を交わしながらアリスとレアルスは結晶内部のフィルシアを見上げた。
正確には彼女の胸に突き立っている七色の短剣を、だ。
その色彩から連想される種族の王がアルクスの主だと、短剣を見つめた二人は確信を深めた。
◆ ◆ ◆
中立地帯、【皇金の妖精】のとある集落。
「アリス・フォティア、ホントに【正義の大天使】の力を半分宿してたね。アルクスとかいう奴がシエルの妄想じゃなかったみたいで良かったよ」
「あ? ぶっ飛ばすわよ」
その一角にある酒場で、シエルは行儀悪くバーカウンターに腰掛けていた。
ローグは背の高い木製の椅子の後ろに立ち、背もたれに寄りかかって彼女と言葉を交わしている。
その周囲には金エルフのならず者が十数人倒れていてテーブルや椅子、木製のジョッキなどが散乱している有様だった。
事の経緯としては横柄な態度のシエルにつっかかってきたならず者が、あっさりと返り討ちにあったというようなものだ。
「でもそんなこと知ってるって、そいつ何者なの?」
「アタシの推測にすぎないけど、多分あれは【幻虹の妖精】の王の手下ね。あのタマムシども、何考えているんだか……」
シエルは今から一月ほど前、アリスたちと同じようにアルクスと名乗る揺らぎの人型から干渉を受け、アリスのことを告げられた。
兄が命を落とすこととなった抗争相手の言うことなど信じるつもりはなかった。
しかし彼が語った内容は守護天使の継承が不完全なシエルの現状と符号していたため、ダメ元で行動したのだ。
上の兄姉に勝負を挑んで打ち負かしたり、三五年前には【黄金郷】を踏破したりと数々の偉業を成してきたものの、守護天使の力が完全となることはなかった。
結果としてアルクスの言は真実で、なぜか【灰燼の妖精】であるアリス・フォティアの中に正義の大天使の力が宿っていることが分かったのだ。
「虹エルフの王……。信じがたいけど、確かこの世界が出来てからずっと生きてるっていう【天護者】だよね?」
「そうらしいわね。毒沼の向こう側の引きこもりのことだから詳しくは知らないけど」
幻虹の妖精の領域は世界の最南端に位置しており、その間には【葬紫の妖精】の領域とその危険域【紫怨の毒帯】が存在する。
妖精の箱庭の南方を帯のように横断する紫エルフの危険域は死者の怨念が毒沼と化したと言われており、生物が踏み入れば骨の髄まで溶かされてしまうような劇毒で満たされているのだという。
それが途切れているのは彼らの首都マリアライトの南方のみで、唯一の同盟国である幻虹の妖精以外は敵国のど真ん中を通る必要がある。
そのため虹エルフの領域へ足を踏み入れようとする者は皆無と言って良いだろう。
ゆえに五八年前の金エルフとの大抗争以降、虹エルフの情報はほとんど出回っていない。
虹エルフの天護者の情報も古い文献からの知識で、嘘か誠かを知る者がいるのかさえ怪しい。
「まぁあんな奴のことはどうでもいいわ。アタシが探し求めてたものは見つけたんだもの、後はあの灰被りを殺すだけよ」
「でも虹エルフがまた天護者狩りを始めようとしているのなら、シエルが力を取り戻すことは思う壺なんじゃないの?」
「そんなもの、返り討ちにすればいいだけじゃない。本来の力を継承したアタシが虹エルフなんかに負けるわけないでしょ? というか今やっても負けないし」
「ははっ! シエルらしいね」
自信に満ちたシエルの言葉に笑みを返したローグは寄りかかっていた椅子から離れ、彼女の元に歩み寄っていく。
そして彼女の美しい顔にそっと手を触れた。
「でも無理はしないでくれ。君を失ったら、オレは生きる意味をなくしてしまう……」
困ったような笑みを称えながら漏らした言葉に、シエルは無言のままローグと視線を交錯させた。
そして小馬鹿にするように鼻で笑うと、頬に触れていた彼の手を払い、バーカウンターから飛び降りる。
その際、おまけにローグに向かって蹴りを放った。
「おっと……!」
「アタシが死ぬと思ってるの? 見込み違いも甚だしいわね」
腹部を蹴り上げられる寸前に身を躱したローグに、好戦的な笑みを向けるシエル。
彼女はローグの胸に人差し指を押し当て言葉を続ける。
「アンタは黙ってアタシについてくればいいの、分かった?」
「ッ……! あぁ、悪かったねシエル」
高圧的な態度でありながら、どこか信頼を感じさせる言葉にローグは打ち震え、瞼を閉じて小さく笑った。
「あ、他の女はそれで落ちるのか知らないけど、そのキザな感じアタシには刺さらないからね」
笑みを浮かべているローグを置き去りにするように、出口へと向かっていったシエルは手をひらひらと振りながら彼を揶揄した。
「まいったな……」
それに苦笑してほんの小さく呟いた後、ローグは彼女を追いかけていった。
「それで、中立地帯で腐ってたならず者たちは使えそう?」
「あぁ、それなら大方味方につけたよ。灰エルフが攻めて来るっていったらすぐに信じた」
「証拠もないのに単純な奴らね。まぁアンタの口が上手いのもあるか」
追いついてきたローグに振り返らず問いかけると、彼はシエルの期待通りの答えを返した。
「ラーニャの鎧騎士だけでも問題はないとは思うけど、陽動は数が多い方が引っかかってくれそうだしね」
シエルは前方を見据えながら酒場のスイングドアを乱雑に押し開いた。
そして外に出るとそこにはウィラーニャと鎧騎士、そして柄の悪い金エルフたちが勢揃いしていた。
「し、シエルちゃん……。絡まれてたみたいだけど大丈夫だった……?」
「あんな雑魚、一瞬よ」
「よ、良かった……。ローグくんも危ないときは守ってあげてね?」
「いや、ラーニャさん、オレの出番まったくなかったよ……」
レアルスの推測通り、シエルたちは中立地帯の同族を扇動して抗争に利用しようとしていた。
この場にいない者を合わせればその総数は約五千。
ならず者を中心に集められた軍勢は血気盛んで、今にも暴れ出しそうなほどだがそれをシエルの圧倒的な覇気が押さえ込んでいた。
灰燼の妖精と、皇金の妖精の第七王女 シエル・アルムレクス率いる急造の軍勢の抗争まで、あと三日。




