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第22話「七色の極光」

 気が付くと二人はすべてが灰色に塗り潰された空間に立っていた。

 感覚的に魔法による幻術の類いだと推測できる。


 周囲を見回してみるも何も存在せず、アリスは隣のレアルスに声をかけようとした。


 しかし彼が顎でアリスの背後を示したため、彼女はそちらに振り返る。


「台座……?」


 そこには隣り合う形で木製の台座のようなものが設置されていた。


 その上部の面には手の平型のくぼみがあり、それぞれ大きさが異なっていた。


 それに歩み寄った二人は目配せし、それぞれ自身の手の大きさに合いそうな方の台座に触れた。


 それによって彼女たちの魔力が台座に伝達され、それが下方に流れることで魔力が空間全体に広がっていった。


 そして灰一色だった空間に景色が生まれ、そこが聖大樹内部のとある一室であると認識するのに時間は要さなかった。


「ここは、母の部屋か……」


 周囲を見渡したレアルスが小さく呟く。それに頷きを返したアリスも同意見であった。


 簡素ながらも本や調度品が綺麗に整頓されたこの部屋は、眠りにつく前のフィルシアが自室として使用していた部屋だ。


 幼い頃にこの部屋で絵本の読み聞かせをしてもらったり、一緒に寝た優しい思い出が脳裏に過ってアリスは小さく微笑んだ。


 隣のレアルスを見てみると相変わらずの仏頂面で、何を考えているか分からないな、などとアリスが考えていると二人の間を灰髪の女性が通り過ぎた。


「えっ……!?」

「母上……」


 二人の間を抜けて正面に立った女性はフィルシア・グリーヴァその人であった。


 彼女は柏手を打つと柔らかな笑みを称えながら口を開いた。


「レアルス、アリス。ここにいるってことは何か困ったことが起きたのよね?」

「フィルシア、母さま……!」


 眼前のフィルシアの元に駆け出そうとしたアリスを、レアルスが手で制する。


 それに困惑したような表情を返したアリスだったが、フィルシアが次の言葉を口にしたことではっとする。


「レアルスは大丈夫だろうけど、アリス。貴女は私のところに飛び込もうとしているのでしょうね。でもこれ、映像記録だから会話は出来ないの、ごめんね」


 フィルシアは顔の前で手を合わせて苦笑した。


 彼女に心を見透かされたアリスは赤面し、踏み出そうとしていた足をそっと引いた。


「レガウィア様が私の魔力結晶を渡したってことは、たぶん結構な緊急事態だと思う。だから必要な話だけ伝えるわね」



 そうして可愛らしい苦笑を収めたフィルシアは真剣な表情に戻り、アリスの記憶の封印についてレガウィアたちが語ったことと大方同じ内容の話をした。


 そして表情に陰を落としながら記憶を封印したことについてアリスに謝ったものの、すぐに仕切り直して二人が求める情報を語り始めた。


「アリスの封印が破れるか解けるかして、皇金の妖精(ティファレト)の守護天使が貴女の中に眠っていることを理解したと思うのだけど……。

 きっと力の扱い方が分からず困っていると思う。私も最初はそうだったもの、仕方ないわ」


 笑みを浮かべたフィルシアは、瞑目しながら小さな頷きを繰り返す。


「レアルスが教えてくれればすぐなんだろうけど、あの子口下手だからちゃんと教えられるか不安なのよね……」

「言われてるわよ」

「この人の言うことを真に受けていたら疲れるだけだ」


 頬に手を当てて困った風に言うフィルシアを見て、アリスがおちょくるようにレアルスに視線を遣った。


 しかしそれを飄々と躱した彼はフィルシアの言葉の続きを待った。


「それにレアルスに、ううん、他の人だとしても万が一継承が済んでいないってことも考えられるものね。私が死なずに誘拐・監禁なんてされてたらそうなるかも知れない、私美人だから」

「はぁ……」


 実母が満面の笑みで自慢げに語る姿に、レアルスはこめかみに手を添えながらため息をついた。


 彼女は天護者ファヴロスとして灰エルフを治めながらも、誰とでも打ち解ける気さくな性格をしていたため、非常に民から慕われていたのだ。


 ただ、冗談交じりに話してはいるものの彼女の推測は的を射ており、二人が求める答えを示してくれる予感がしていた。


「アリスが継承したのは他種族の守護天使。だからもしかすると種族ごとに力の使い方が違っていて、灰エルフの天護者ファヴロスのやり方じゃ駄目かもしれないから先に謝っておくわね」


 そうしてフィルシアは守護天使について、天護者ファヴロスについてを語っていった。



 二人はこうして守護天使の力を行使するための手段を知る、という目的を達成した。


 そして説明を終えたフィルシアは一息つくと、真っ直ぐにアリスたちの方を見て儚げに微笑んだ。


 彼女からこちらは見えていないはずなのに、しっかりと目線が交錯したような気がする。


「レアルス、アリス。これを見ているってことは多分、私があなたたちを守ることは出来ない状況になってしまっているのだと思う。でも、貴方たちなら危機を乗り越えられるって信じているわ」


 まるで同じ空間にいるかのように、フィルシアは二人に語りかける。


 そして両手を大きく広げて何かを待つように黙っていた。


「レアルス」


 その意図にいち早く気が付いたアリスは、レアルスの手を引いてフィルシアの元へと歩み寄った。


 レアルスが困惑したように先導されると、二人を包み込むようにフィルシアの両腕が彼らの身体に回された。


「だって貴方たちは私の子供たちだもの……。みんなで危機に立ち向かって、乗り越えた先でまた笑い合ってね」


 眼前のフィルシアは幻影であり、触れることも体温を感じることも出来ないはずなのに、二人は彼女から温かなものを感じていた。


 それが心に染み渡ると共に、フィルシアの自室だった空間が、鍍金を剥がされていくよう徐々に灰色の空間へと戻っていく。


「フィルシア母さま……!」


 それに伴ってフィルシアの身体も透き通っていき、優しい笑みを残し灰色の光となって消失した。


 アリスはその光の残滓に手を伸ばし、掴んだそれを自身の胸に抱き寄せた。


 それはアリスの手中で消失してしまったが、彼女はフィルシアから勇気をもらえるような気がしてそうしたのだった。


「レアルス……。絶対に勝つわよ。なんたってフィルシア母さまが信頼してくれているんだから!」

「……あぁ」


 映像記録ではあるものの動いて言葉を発している母に会ったというのに、レアルスはいつもの仏頂面のままだ。


 しかし常の彼と比べると、その横顔からどこか晴れやかな印象を感じ取ることが出来た。


 それから灰色の空間が剥落していき、周囲が塗り潰されたような漆黒に染まる。


 そうして意識が現実に引き戻されるのだろうと推測した二人だったが、突如として眼前の漆黒に亀裂が生じ、そこから()()の極光が漏れ出した。


「なに、あれ……?」

「あの光、まさか……!」


 やがてその光は亀裂を押し広げるように強まり、漆黒の空間を七色で塗り潰した。


「くっ……!」


 鮮烈な光を直視しないように、アリスたちは眼前に手をかざしてそれを遮る。



「ようやくたどり着いたんだね、アリス・フォティア」



 やがて光が収まると、そこには人型の揺らぎが存在していた。

 状況的に亀裂から出現したのだろう。


 弱まった七色の光を背景に立つそれは、輪郭のみがぼんやりと象られている。


 笑みを浮かべているのか剥き出しにされた歯だけがはっきりと見えた。


 声も老若男女が入り交じったような不気味なもので、眼前の人物らしき揺らぎが誰なのかまったく分からなかった。


「アリス、いつでも迎撃出来るようにしておけ。意識領域だとしてもやられれば精神に影響が出かねない」


 レアルスは一瞬にして鏡氷の魔杖を形成し、その先端を眼前の揺らぎに向けていた。


 それと同時にアリスの手元にも同じように氷の細剣を出現させる。


「あなた、いったいなんなの……?」


 アリスはそれを空中で握ると、空を切るようにその切っ先を揺らぐ人型に向けて問いかけた。


「う~~ん、そうだな」


 人型の揺らぎが首を捻る。


 そしてアリスたちが瞬きをした瞬間、忽然と姿を消した。


「っ……!?」


 再び瞬きをすると、それはアリスの視界を埋めつくすほど近くの真正面に突如として出現していた。


 細剣を突き出した体勢を取っている彼女の真正面、つまり自身の腹部らしき部分に刃が貫通した状態で、だ。


「アルクス、とでも名乗っておこうかな」


 串刺しの状態で平然と言葉を続けるアルクスと名乗った人型の揺らぎに、アリスは瞠目する。


 そして細剣を引き抜きそれから距離を取るように後方に跳び退いた。


「目的はなんだ。どうやってここに入り込んだ?」


 跳び退いたアリスを横目に、レアルスは鏡氷の魔杖を人型の揺らぎの側頭部にかざしながら問いかけた。


「すごい殺気だね、頭吹き飛ばされちゃうのかな? ……こんなふうに」


 刹那、レアルスの魔杖から無数の氷柱が生え伸び、アルクスの頭部を吹き飛ばした。


「レアルスっ! なんで……!?」

「違う……。これは幻だ」

「ご名答」


 その声はアリスの真横から聞こえた。


 驚愕しながらそちらに振り返ると、そこには無傷のまま歯を剥いて笑うアルクスがいた。


「僕はあくまで短剣に残された魔力によって生じた思念だ。君たちに干渉することは出来ないし、君たちから干渉されることもない。

 だからこうして話すことしか出来ないよ。さっき串刺しになったのも、頭を吹き飛ばされたように見えたのも幻だ」


 アルクスはくつくつと笑いながら語るも、ふと思い出したかのように肩の揺れを止めた。


「そうそう、目的とここに介入した方法だったよね。

 僕の目的は扇動。方法はフィルシア・グリーヴァの胸に突き立った短剣を媒介にして、彼女が残した記録に介入させてもらったんだ」

「扇動……?」


 理論は分からないものの、介入方法についてはなんとなく理解できた。


 しかし目的である扇動の意味が分からずアリスは鸚鵡(おうむ)返しでアルクスに問う。


「シエル・アルムレクスとアリス・フォティア、君たちをぶつけて殺し合わせること。それが僕に与えられた使命だ」


 返答は単純なものだった。


 アルクスはアリスの顔を指差しながら、歯を剥き出しにした不気味な笑みを深める。


「私たちを殺し合わせて、いったい何になるというの……?」

「簡単な話さ、【正義の大天使(ミカエル)】の力を完全なものに戻したいんだよ。そしてその天護者ファヴロスを殺し、すべての種族の天護者ファヴロスをその手にかけること。

 それが我が主である王の宿願なんだ。この【妖精の箱庭】が戦庭と化した一万年以上前からのね……」


 その発言から二人はアルクスの主、その正体に思い至った。


天護者ファヴロス狩り、エルフの寿命を遙かに超える長命の王……。お前の主は——」


 レアルスがその存在を口にしようとした瞬間、足下の漆黒が小気味の良い破砕音と共に砕け散り、二人の身体が浮遊感に包まれる。


「せいぜい殺し合ってくれ、アリス・フォティア。シエル・アルムレクスは殺さないといつまでも命を狙ってくるよ」

「お断りよ。私はもう誰も殺さない。シエルのことだって、何度でも返り討ちにしてやるんだから……!!」


 アリスは仰向けに落下しながら、上空の亀裂からこちらを嘲笑しているアルクスに向かって細剣の切っ先を向け、不敵に言い切ってみせた。


 すると落下の速度が増してアルクスの姿が遠退き、やがて視認できなくなった。


 それと同時に周囲の漆黒に段々と白光が混じり、二人の視界を塗り潰した。

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