第21話「地下墓所」
「ヴァルくん……」
聖大樹外縁部の階段。その踊り場にヴァルはいた。
設えられた手すりに組んだ腕を乗せて体重をかけ、遠方を眺めているようだった。
「セレねーさん……。おれのところに駆けつけてくれるなんて、惚れちゃうよ?」
弱々しい声音とは裏腹に、振り返った彼はおどけるような言葉を無理矢理吐いているように見えた。
「ヴァルくんは間違っていません……。ですが、アリスさんだって間違っていないのです……」
「なにそれ、どっちの味方なのさ」
そんなどっちつかずの発言にヴァルは苦笑を漏らす。
しかし彼女は真剣な面持ちで言葉を返した。
「わたくしはお二人の、いいえ、燼魔精隊の味方です……。だからお二人が対立するなんて嫌なのです……!」
漆黒の紗に覆われているものの、セレネの視線は真っ直ぐに自分を射貫いているのだとヴァルは悟った。
その真摯な言葉に彼は深く息を吐く。
「…………はぁ。セレねーさんはアリちゃんと一緒で真っ直ぐだなぁ……。俺にはまぶしいよ」
そしてその視線から逃れるように、再びセレネに背を向けながら羨望を宿すような声音を虚空に零した。
「分かってる、おれが謝れば済むことだよね。けど今回ばかりはシャルの命がかかってるんだよ……」
彼の肩は小刻みに震えていた。
セレネにはそれが感情を抑えているのだと明確に理解できた。
「たった一人の家族なんだ……!」
「はい……、分かっております……」
手すりの上で爪が食い込むほど拳を握り込んでいるヴァルに声をかけながら、セレネはそっと彼の元に歩み寄る。
「あいつを失ったらおれは……!」
「はい……、そんなことにはなりません……」
唇を強く噛み締めたらしく、ヴァルは口端から血を零しながら眉間に皺を寄せる。
セレネはそんな彼の背後に立つと、包み込むように優しく抱擁した。
普段軽い調子のヴァルだが、シャルを想う気持ちは誰よりも強い。
ゆえに彼女が深い傷を負っている現状は彼にとって相当堪えているのだろう。
「うっ、ぐっ……!」
その優しく、暖かな体温に堪えていた感情を爆発させたヴァルは声を漏らしながら涙を零した。
明るい普段の彼からは考えられない姿に、セレネも思わず顔を歪める。
しかし彼女の瞳からは涙を流す機能が失われているため、共に泣くことは出来なかった。
◆ ◆ ◆
聖大樹地下の大空洞へ向かうため、アリスとレアルスは長い螺旋階段を下っている。
道中、レアルスはセレネがヴァルに語ったような内容をアリスに語った。
「ヴァルが正しいことは私にも分かってる……。
あの場で嘘でも殺すつもりで戦うって言えば丸く収まったのも理解してる……。でも、どうしても出来なかった……」
二人の足音が反響する狭い階段で、アリスは声を震わせながら訴えた。
「……お前が嘘をつけないのは十分理解しているし、ヴァルの主張も間違っていない。だからお前がすべきことは一つだけだろう?」
「私が、すべきこと……?」
「絶対に勝つということだ。そうすればヴァル含め、誰も文句を言えない」
「そんなこと、言い切れるわけないじゃない……。実際、私は一度シエルに負けてるんだから……」
レアルスの極論に、アリスは沈痛な面持ちで事実を口にした。それによってより気持ちが落ち込んでしまう。
「お前はそんなに弱い女だったか? いつもの過剰なまでの自信はどこにいった。一度負けたくらいで折れるようなタマじゃないだろう?」
「そう……ね。勝って証明するしかない。信念を貫いて、仲間も守り抜くってことを……」
ずっと足下に落とされていた視線を持ち上げながら、アリスは正面を見据えて呟いた。
「それでいい。お前はわがままなくらいがちょうどいいからな」
「ちょっと、どういう意味よそれ……!」
先導するレアルスを追いかけると、ちょうど地下への階段が途切れて視界が開けた。
「あ、ついたのね。なんだか久しぶりに来た気がするわ」
長い階段を下り切って現れたのは半球形の広大な空間であった。
降りてきた階段分の高さほどにある天井には巨大な魔力結晶が設置されており、それは夕暮れを思わせる暖かな燐光で空間全体を照らしていた。
ここは聖大樹の真下に広がる地下墓所。
歴代の【天護者】や最高司祭、各団の団長など、国の重鎮たちが眠る場所である。
広大な空間には地面に突き立った十字架が等間隔に並んでおり、どこか凛とした厳かな空気が満ちている。
否、地面に突き立っているのは正確には十字架ではなく、聖大樹の根が絡み合って十字の形を取ったものだ。
これは死者の遺灰を封じた結晶を置いて祈りを捧げることで生じるもので、絡み合う根の中心部には結晶が納められている。
二人はその合間の通路を進んでいき、やがて空間の最奥にたどり着いた。
そこは本来葬儀を執り行う場合などに司祭たちが立つ開けた場所なのだが、現在は灰色の巨大な魔力結晶が鎮座している。
「お久しぶりです——」
結晶の中には灰色の長髪を広げながら静止する一人の女性がいた。
その胸には七色の魔力結晶で形成された短剣が突き立っており、まるで芸術作品のような美しさを醸し出していた。
「フィルシア母さま……」
この人物こそフィルシア・グリーヴァ。
レアルスの実母であり、アリスの育ての親でもある灰燼の妖精の天護者だ。
彼女は四三年前からこうして、この魔力結晶の中で眠り続けている。
きっかけは定期的に行っていた中立地帯の見回り中に際に起きた暗殺だった。
凶器から犯人は【幻虹の妖精】とされているが、誰一人姿を見た者はおらず、未だにあの短剣以外、下手人の手がかりさえ発見されていない。
短剣には解明不能の魔法が込められており、フィルシアは瞬く間に命を蝕まれていった。
彼女はこのままでは命を落とすということを悟り、自身を魔力結晶に封じ込めて死を半永久的に遠ざけたのだ。
そうして下手人の正体や魔法の解析が一向に進むことなく、今に至っている。
死んではいないが、生きているともいえない状態が長年続いているのだった。
守護天使の継承は前任者の死と指輪の継承によって完了される。
フィルシアは命を落としておらず、指輪は彼女の指にはめられたまま外界から隔絶されてしまっているため、レアルスへの継承が滞っているのだ。
「アリス、魔力結晶を」
「えぇ」
レガウィアから預かった魔力結晶を懐から取り出し、掌の上に乗せてレアルスの前に差し出す。
彼はそれの上部に自身の手をかざし、アリスと共に魔力を注ぎ込んだ。
すると魔力結晶の内部に封じ込められている聖大樹の枝が仄かに輝き、その灰光が結晶内を乱反射することで強い光を放った。
地下墓所全体を照らすほど強まった光に揃って眼を眇めるが、やがて灰色の光は二人の視界を塗り潰した。




