第2話「燼魔精隊」
【灰燼の妖精】の首都【アマルガム】から北東に広がる灰色の森。
その更に先に広がっているのは【灼燼の灰域】と呼ばれる無辺の地だ。
そこには砂漠と言われれば納得してしまうような景色が広がっているが、そのすべてが木々や生物の成れ果てである灰で形成されている。
そんな死の灰が吹き荒ぶ大地で、剣閃と魔力を迸らせながら戦う一団があった。
「くしゅん!」
可愛らしいくしゃみをしたフードの少女が長い灰髪を揺らす。
それによって乱れた前髪を整えていた彼女の元に青年の鋭い声が飛んだ。
「そっちに行ったぞ、アリス!」
アリスと呼ばれた少女がその声にはっと眼を見開く。
そして彼女が視界の端に蠢く何かを捉えたのと、それが耳を聾する雄叫びを上げたのは同時だった。
『ガアァァァァ!!!』
「っ……!」
アリスの眼前に迫っているのは濃灰色の体毛を纏った獅子のような獣で、大きな顎を開いて刃と見紛う犬歯を剥き出しにしていた。
青年の声を聞いた瞬間から、彼女は右手に握っている鈍色の細剣を獣に向かって咄嗟に振り上げていた。
獣の牙が先か、細剣の刀身が届くのが先か。
『ギャン!!??』
しかし結果はそのどちらでもなかった。
真横から一直線に飛来した何かが獣の脇腹を打ち抜いたのだ。
それは獣を撃ち抜くと同時に空中で弾け、周囲に水を撒き散らした。
「ありがと、セレネ!」
胴体に風穴が開いた獣に斬り上げでとどめを刺しながら、アリスは何かが飛んできた方向に眼を向けて笑った。
そこにはウェーブがかった青灰色の長髪を揺らす女性が立っており、蒼き宝石が飾られた弓を構えてアリスの方を見つめていた。
否、正確には漆黒の紗と長い前髪に隠されてその双眸がこちらを向いているか定かではない。
「いえ、これがわたくしの仕事ですので……」
彼女の名はセレネ・アヴロス。
生まれつきの盲目でありながら騎士団随一の弓の名手で、先ほどアリスに襲いかかった獣を撃ち抜いたのも彼女が放った水の矢だ。
セレネはアリスに小さくお辞儀しながら次なる魔力の矢を手中に形成し、弦に番えた。
彼女はとても物静かな性格で、いつも一歩引いたところで仲間たちの輪にいる。
しかしその美貌と妖艶なスタイルは見る者を魅了して止まない。
「哨戒任務とはいえ気を抜くな」
「ごめんって、レアルス」
アリスの後方、つまりセレネとは逆側からかけられた声に、ばつが悪そうに彼女は振り返る。
そこには鋭い藍色の双眸をアリスに向けている灰髪の青年が立っていた。
彼は長い髪を後頭部で束ねている髪留めに触れた。
そして灰色の宝玉がはめ込まれた、自身の背丈ほどもある魔杖を携え直すと、アリスから視線を切って正面に向き直った。
そちらでは先ほどの灰色の獅子と似た特徴を持つ獣の群れがこちらの様子を窺っていた。
「弱い【精隷獣】とはいえ、群れを成していれば危険度は上がる」
精隷獣。
それがアリスたちの眼前に群れ成す獣の総称だ。
彼らは【妖精の箱庭】にいつの頃からか発生した魔獣で、世界の果てからやってくるとされている。
皇金の妖精を除く九の種族の領域から世界の外に向かって行くと、危険域と呼ばれる生物が立ち入ることの出来ない絶死の地が広がっている。
精隷獣たちはそこで生まれ、魔力を欲してエルフたちの生存圏に押し寄せてくるのだという。
「俺たちがここで一匹でも逃せば民たちに危険が及ぶ可能性がある。だから一切の容赦なく……打ち倒せ」
レアルスと呼ばれた青年は温度の低い声とともに、豪奢な魔杖を天へと振りかざした。
すると上空に巨大な氷柱が無数に形を成す。
否、それはただの氷ではなく鏡のような材質で形成されていた。
その証拠にただの氷とは思えぬほど周囲の景色を鮮明に映していた。
鏡の氷柱が切っ先を下方の精隷獣たちに向ける。
そしてレアルスが魔杖を振り下ろすと同時に、それらが一斉に下方へと降り注いだ。
『ギャッ!』
『グオォ……!!』
その氷柱が精隷獣の群れに驟雨の如く降り注ぎ、何十もの断末魔の合唱が響き渡る。
灰が降り積もる大地に突き刺さった鏡の氷柱は役目を終えて砕け散り、それと共に貫かれて絶命した精隷獣たちも漆黒の塵へと変貌して消え去った。
彼の名はレアルス・グリーヴァ。
鏡氷を司る氷の魔道士で、灰燼の妖精の騎士団の中でも最上級と言えるほどの魔法適正を有する。
彼が行使する魔法は戦況をひっくり返す一手となり得るのと、とある理由から騎士団の中でもかなり重要な人物だ。
「ヴァル、シャル。残りの群れを中央に誘導した。一気に叩け」
魔杖を降ろしたレアルスは瞑目しながら指示を飛ばす。
それに反応したように彼の背後とセレネの背後からそれぞれ人影が飛び出した。
氷柱が降り注いだのは群れの左右。
そこには砕け散った鏡氷が滞留して触れるものを斬り裂いているため、レアルスの言う通り残存した精隷獣たちは一本道のように空いている中央の空間に殺到していた。
「はいはーい! 了解、レアさん!」
「わかり、ました」
中央突破を仕掛けてきた精隷獣の前方に飛び出してきた二つの人影。
レアルスたちに背を向け、二人は彼の指示を快諾しながらそれぞれの得物を構えた。
右側に立つ薄灰色の髪で右眼を隠すような髪型の少年。
彼は右手に持った白銀の長槍を横に薙いだ。
それによって右眼を隠す黒メッシュの前髪と後頭部で結わえた太めの三つ編みを揺らし、銀色の瞳を細めて笑った。
一方、左側に立つ濃灰色の髪を肩口まで伸ばした少女。
彼女はだらりと垂らした左手に光を反射しない影のような大戦斧を握り、迫り来る精隷獣の群れに気だるげな漆黒の瞳を向けていた。
そして身体を揺らすことで重量感のある戦斧を持ち上げる。
その際に左眼を隠す白メッシュの前髪と肩にかかる程度の長さの髪が揺らいだ。
「ねねね、シャル。多く倒した方が奢るってのはどう?」
「え、めんどう……。ヴァル一人でやりなよ」
「それじゃなんの意味もないじゃん!!」
ヴァルと呼ばれた騒々しい少年を、シャルと呼ばれた感情に乏しい少女が気だるそうにあしらう。
髪色と瞳の色、雰囲気を差し引けば彼らの顔の造形は瓜二つだ。
ヴァルはシャルの言い草に反論しながらも、自身の足下に白光の魔方陣を展開。
刹那、彼の姿が掻き消える。
それに倣うようにシャルも大戦斧を引きずるような位置で持ち上げ、踏み込みによって足下の灰を巻き上げながら駆け出した。
シャルが群れに向かって駆けていく中、ヴァルは突如として精隷獣の眼前に姿を現し、先陣を切っていた個体を目にも止まらぬ高速の刺突で穿った。
「おっそいね~、あくびが出そうだよ」
前方の同胞が倒されたことで続く精隷獣がヴァルを狙って爪牙を振るう。
しかし彼は本当にあくびをしながら躱し、カウンターとして放った刺突によって一撃で仕留めていく。
彼の名前はヴァルレア・ルディス。
自身の身の丈よりも長い銀槍を巧みに操る槍兵で、光魔法の行使によって凄まじい速度で戦闘を展開する。
並の精隷獣では彼の姿を捉えることは叶わず、自身が貫かれたことにさえ気付かず絶命してしまう。
「じゃあ、寝てていいよ……。あとは自分が片付けておくから」
ヴァルが十数匹の精隷獣を槍で穿った頃、シャルがようやく追いつき戦斧を振り上げる。
そして全体重を乗せて灰が降り積もる大地へと叩きつけた。
ヴァルのいる位置を狙って。
刃が地面に触れた瞬間、そこを始点として精隷獣たちの足下に影が広がる。
そして戦斧の衝撃が伝播したかのように影に亀裂が生じ、精隷獣もろとも砕け散った。
その際、戦斧が叩きつけられた音や彼らの断末魔さえ聞こえず、一切の無音の中で数十匹の精隷獣が消え去った。
「ちょっ!? 寝てていいってそういうこと!? もう二度と目覚めないよ!?」
瞬きの間に姿を消していたヴァルは、シャルの背後に現れて喧しく捲し立てた。
「ヴァルうるさい……。どうせ当たらないんだからいいでしょ」
彼女の名はシャルリア・ルディス。
無骨な漆黒の大戦斧を振り回して戦う戦士で、見た目に似合わない巨大な得物によって引き起こされる大破壊は見る者を戦かせる。
彼女が扱う闇魔法は周囲の音を吸収し、派手な立ち回りの反面、一切の静寂の中で敵を討つ。
ちなみに正反対の性格であるが、二人は双子である。
「喧嘩しないの! って、後ろから大きいの来てるわよ!」
背後から二人を諫めたアリスだったが、向き合っている彼らの背後に巨大な精隷獣が突っ込んで来ているのを捉えた。
見上げるほど巨大なその個体は像の特徴を有しているが、長い鼻は硬質化して棍棒のように変化している。
像型の精隷獣は上空に振り上げた鼻をヴァルとシャルに向けて叩きつけた。
それにすぐさま反応した二人がそれぞれ反対方向に飛び退くと、棍棒の如き鼻が大地を割り砕き灰の粉塵が周囲を覆い尽くした。
「うっわ……あんなの食らったらやっばいね!」
「けほっけほっ……けむい……」
像型の精隷獣が引き起こした大破壊に目を見開いたヴァルと、対照的に大破壊には目もくれず、灰の粉塵に咳き込むシャル。
「来ます……!」
「動きを止めてくれ。一気に叩き潰す」
煙幕と化した灰の粉塵の揺らぎを視覚ではなく肌で感じ取ったセレネが、肩を並べる仲間たちに警告する。
それに応じたレアルスが平坦な声音で指示を出すと、ヴァルとシャルがそれぞれの得物を構え直すことで答えた。
横並びになって像型の精隷獣に立ち向かう四人の背後、アリスはそこで鈍色の細剣を構え直した。するとその刀身が黄緑色の風を纏い始めた。
『バオォォォォ!!!』
煙幕を突き破って突進を再開した精隷獣は、中央後方に立つアリスに向かって驀進する。
左からレアルス・ヴァル、間を開けてシャル・セレネと横並びになっていたため、中央ががら空きとなっているのだ。
「シャル、同時にいくよ!」
「いいけど、そっちが合わせてよ……。早くて追いつけない」
「おっけー!」
銀槍の穂先を像型の精隷獣に向けながら離れた位置のシャルに声を飛ばす。
気だるそうに返答したシャルは地を蹴り、大戦斧を身体の後ろで引っ張るように持ちながら加速した。
その極厚の刃に漆黒の影と灰色の炎が灯る。
それに追随するようにヴァルが足下に光の魔方陣を展開。
銀槍の穂先にシャルと同じく灰色の炎を纏わせ、霞むような速度で像型の精隷獣に迫った。
シャルが戦斧を振り上げながら精隷獣の左前足にたどり着いたのと、一瞬で間合いを詰めたヴァルが右前足にたどり着いたのは同時だった。
精隷獣は接近してきた彼らを薙ぎ払うため、棍棒の如き長鼻を振り抜こうとした。
「させません……!」
『グオォォオ!!??』
しかしいつの間にか番えていた水の矢で、セレネがその鼻を的確に狙い撃つ。
その矢は灰色の炎を纏っており、精隷獣の鼻の側面に突き刺さった瞬間、灰色の爆炎と共にそれを吹き飛ばした。
「せえ……のっ!」
鼻を吹き飛ばされたことで絶叫する精隷獣を尻目に、その足下でヴァルが声を上げる。
刹那、左の前足が目映い光の一閃に貫かれ、右の前足が漆黒の斬撃によって斬り裂かれた。
それと同時に傷口が灰色の炎を上げ、像型の精隷獣が前のめりに地面に突っ込んだ。
「凍てつき——」
さらに追い打ちをかけるように、レアルスがその頭上に鏡氷の塊を生成した。
そして魔杖を振り下ろす動作と呼応したそれが、精隷獣の背に叩きつけられた。
ヴァルとシャルの一撃によって前足を屈した精隷獣が、氷塊の凄まじい負荷に残った後ろ足まで折って地面に伏す。
「燃えよ……!」
直後、レアルスの言葉に従うように鏡氷の塊が内側から灰色の炎を吹き出し爆散した。
それによって像型の精隷獣が大地に放射状の亀裂を走らせながらめり込み、悲鳴を上げる。
「よーし! 後は私に任せなさい!」
四人の後方で待機していたアリスが、黄緑色の風を纏う鈍色の細剣を身体の右側に薙ぎながら宣言する。
その瞬間、彼女の周囲を強風が吹き荒れ、被っていたフードを跳ね上げた。
フードから開放された腰まで伸びる長い灰髪。
それはまるでハープの弦のようにしなやかな美しさを有するが、その色合いは特殊だ。
頭頂部から肩にかけてまでが濃灰色で、そこから毛先までは白にほど近い灰色というグラデーションになっているのだ。
風に靡くそれを強引に左手で払ったアリスは、細剣を握る手に力を込め直しながら像型の精隷獣に向かって駆け出した。
「一撃で終わらせてあげるわ!」
言うや否や、刀身の風がひときわ強くなる。
直後、アリスの周囲に疾風が駆け抜け、押し出すように彼女の走行速度を飛躍的に上昇させた。
『バアァァァ!!!』
彼我の距離を詰めたアリスの眼前で、像型の精隷獣が地を這うような雄叫びと共に先端を失った長い鼻を振り上げた。
それに即応したセレネが矢を生成して弦に番えようとしたが、アリスの声がそれをとどめる。
「大丈夫よ、セレネ!」
口元に笑みを浮かべたアリスの上空で、振り上げられた鼻が根元から両断された。
その現象を引き起こしたのは彼女が左の手中に生成した水の剣だ。
「もう斬ったから」
それはアリスが剣を手放すと一瞬で形が崩れ、水に還元される。
降り積もる灰に水が染みこむ様子さえ見届けず、彼女はさらに精隷獣との距離を詰めて右手の細剣を引き絞った。
すると先ほどまで黄緑色の風を纏っていた細剣が、今度は黄金の雷光を纏い始めた。
「これで……」
鈍色の細剣が纏う雷は次第にその激しさを増し、周囲の大気を焦がすほど猛り狂う。
しかし雷条がアリスを突き刺すことはなく、それを完全に御している彼女は鋭い双眸で眼前の精隷獣に狙いを絞った。
「終わりっ!!」
刹那、雷光の刺突が無音で空間を裂き、像型の精隷獣の胸部に大穴を穿つ。
そして一拍遅れて激しい雷鳴が大気を揺らすと共に、その巨躯が漆黒の塵と化して消滅した。
「ふぅ……」
アリスはため息と共に鈍色の細剣を腰の鞘に収めると、一瞬前のことなど無かったように笑みを称えて軽やかに振り返った。
「さぁ、帰りましょうか」
そんな彼女の背後には精隷獣を穿った一閃によって生じた破壊の爪痕が深々と刻まれていた。
【灰燼の妖精】の戦士階級で、近年活躍著しい【百刻】のみで編成された部隊。
それが【燼魔精隊】だ。
魔力を反射する鏡氷司りし魔道士。レアルス・グリーヴァ。
盲目でありながら、凄まじい精度の射撃技術を誇る水魔法の弓使い。セレネ・アヴロス。
漆黒の大戦斧を振り回し、音もなく敵を屠る戦士。シャルリア・ルディス。
閃光の如き速度の槍術を振るい、数多の敵を穿つ槍術士。ヴァルレア・ルディス。
そして彼らのリーダーとして【燼魔精隊】を率いる少女。
風・水・雷の三属性の魔法を自在に操り、鈍色の細剣を振るう剣の腕も国随一。
圧倒的力量と、灰エルフの中でも風変わりな髪色から他国にまでその名を轟かせている魔法剣士。
【灰被りの魔女】アリス・フォティア。
彼らの戦力は今や灰燼の妖精トップクラスであり、国にとって重要な部隊であると誰もが認める存在となっていた。