第17話「やるべきこと」
アリスの意識は五八年前の記憶へと遡っていた。
自身の記憶には無かったはずの、虹色の極光に包まれた後の出来事だ。
明確に死を悟ったアリスの元に金エルフの青年が現れ、治療を施してくれた。
それによって失われつつあった身体の感覚と視界の靄が和らぎ、金エルフの青年の容貌がおぼろげに認識できた。
その際、アリスの瞳に映った彼の姿はまるで伝承に残る大天使のようであったのだ。
そして今の彼女ならば彼の正体が分かってしまう。
彼は【皇金の妖精】の【天護者】であり、シエル・アルムレクスの兄だったのだろう。
シエルいわく、彼が宿していた守護天使の力の半分がアリスの中に眠っているらしい。
だがこのとき感じた膨大な魔力の流入、それに伴うこれまでに感じたことのないような全能感がその証左なのではないかとアリスは考えた。
『——————……。アリス——フォティア……』
そして最後に聞こえた不思議な声。
シエルの言う通り半分だけ守護天使の力を受け継ぎ、彼女と同じくアリスも半天護者となっているのであれば、あの声が守護天使のものだったのではないかと推測できる。
そうして封じ込められていた五八年前の記憶を思い出したアリスは、過去を漂っていた意識をホワイトアウトさせていった。
◆ ◆ ◆
「——はっ……!」
アリスが眼を覚ますと、そこはアマルガムの聖大樹内部にある医務室の一部屋だった。
周囲を見回してもそこにはアリス以外誰もおらず、誰かを探しに行こうと木製のベッドから降りようとした。
「ぐっ! つぅ……!」
しかし全身に迸った痛みと纏わり付く倦怠感によってベッドから落ちてしまう。
それでもベッドの淵に手をかけて立ち上がり、裸足のままゆっくりと部屋の外に出た。
そして向かうのであれば上層部が集まっているはずの円卓広間と考え、そちらに向かって歩を進め始めた。
だが隣の部屋から声が聞こえてきたため扉にそっと耳を近づけてみる。
「今日はまだ起きてないよ」
「そうですか……」
アリスが眠っていた部屋の隣の一室では、セレネとヴァルが深刻そうな声音で言葉を交わしていた。
セレネは壁際に立って俯いており、ヴァルはベッドの近くに置かれた丸椅子に座っている。
「あれから三日経ちますが、一向に良くなる気配がありませんね……」
「治療班が言ってたでしょ? 治癒魔法でも薬でも治せないから現状打つ手が無いって」
「はい……」
セレネの方に目を向けずに淡々と答えたヴァルの様子は、明らかに常の明るい彼とは異なっていた。
痛いほどの沈黙が降りる一室に木扉が開かれる音が響き、二人は同時に出入口の方向に振り返った。
「あ、アリスさん……!?」
「アリちゃん……! もう起きて大丈夫なの?」
セレネたちの声を聞いたアリスは、吸い込まれるように部屋へと入っていたのだ。
そしてベッドに横たわる人物を見て悲痛な表情を浮かべる。
「私は、大丈夫よ……」
強がりながらもふらふらとした足取りでベッドの方に近付くアリス。
そんな彼女の身体をセレネがそっと支えた。
「シャル……」
彼女の手を借りながらベッドの前に立ったアリスは、そこで眠っている濃灰色の髪に白メッシュの前髪を有する少女の名を呟いた。
毛布の上で伸ばされた腕や頬には黒々とした雷撃傷が刻まれており、眠ってはいるものの苦しそうな表情を浮かべ続けている。
「……ごめんね」
アリスはベッドのそばで膝をつき、シャルの手にそっと触れた。
彼女の身体は熱を持って常よりも強く脈動しているらしく、苦しげな表情を浮かべ続けていることにも納得出来た。
「この傷が魔法を阻害して治癒を受け付けないらしいんだ。
魔力を注いで自分の回復力で治させようともしたんだけど、この傷がすぐさま循環させて体の外に出しちゃうからそれも無理……」
ヴァルの説明にアリスは絶句する。
すべてのエルフは大気中から魔力を吸収することでそれを活力としている。
魔法の使いすぎで枯渇することはあれど、少しずつ吸収して回復していくのだ。
魔力を吸収することで疲労を回復したり、傷の自己治癒も行われるためそれが阻害されている以上、このままではシャルの容態は一向に良くならないということだ。
「なので部屋を魔力で満たして、魔力が循環し続けるようにしているそうです……」
セレネが顔を向けたのは部屋の四隅。
そこには花瓶に挿された白灰色の枝葉が茂っており、そこから魔力が部屋中に放出されていることが感じ取れた。
「聖大樹の枝……」
エルフにとって自身の種族の聖大樹は最も魔力回復の効率が高いもので、本来であれば側にいるだけで常とは比較にならないほどの治癒力を享受することが出来る。
しかしシャルは聖大樹内部の部屋に寝かされ、かつ枝によって魔力に満ちた空間で安静にしていても一向に回復の兆しが見えないのだ。
「現状では魔力を絶え間なく体内に循環させることで、現状を維持するしか打つ手がありません。
なのであの傷をどうにかするまで、シャルさんはこの部屋で絶対安静を続ける必要があるそうです……」
「私の、せいだ……」
シャルを回復させる手立てが無いことを知ったアリスは、爪が食い込むほど拳を握り込みながら小さく零した。
「私が彼女に……シエル・アルムレクスに負けたから……!」
「それは違うでしょ。【天護者】相手に命があっただけ凄いよ。それに援軍が来るまでアイツを抑えてたのはアリちゃんだ」
自分を責めるアリスにヴァルは淡々と言葉をかけ、すぐに顔を歪めた。
「シャルがこんなことになったのはおれのせいだ。おれがアリちゃんのところにこいつを向かわせたんだ……。こんなことなら俺が——」
「それは違います!!」
自責の念に押しつぶされそうになっているヴァルの言葉を、セレネが大声で遮る。
普段の彼女からは考えられないほどの声量に、アリスとヴァルは眼を見開いて驚いた。
「誰が悪いとか、自分が犠牲になっていればとか、そうじゃないです……!
お二人は最善を尽くした……その結果誰も死なずに戻って来れたのです。
シャルさんは深い傷を負ってしまいましたが、今はそれを後悔するのではなく、打開するために前を向くときです……」
セレネの心からの言葉に二人は納得し、視線を床に落としながら押し黙ってしまう。
「セレネさんの……言うとおり、だよ……」
沈黙が降りた一室で、か弱い声が発される。
それに驚いた三人はベッドの方に視線を向けた。
「!! シャル、目が覚めたの!?」
「喋らなくていい……! 横になっているだけでも辛いんだろ……?」
そこでは薄く瞼を持ち上げたシャルが、額に脂汗を浮かべながらも気丈に微笑んでいた。
「大丈、夫……。今は少し、楽だよ……。それより、ヴァル……。自分が、目を覚ます度に……いるけど、他にやること、ないの……?」
「お前はたった一人の家族なんだ……」
「はぁ……まったく、シスコン、なんだから……」
揶揄うように薄い笑みを浮かべたシャルに、ヴァルは歯を強く噛みしめながら小さく呟いた。
それに対し、シャルは深いため息を零しながら笑みを浮かべる。
「でも、自分は……大丈夫だから……。アリスさんも、今は、やるべきことを……やって……」
「え、えぇ、分かってるわ……!」
「シャル……」
その言葉にアリスは強く頷きを返し、ヴァルは心配そうに彼女をのぞき込んでいた。
「もう……しゃんとして、お兄……ちゃ——」
「シャル……!」
言葉の途中でまた意識を失ったのか、シャルの首が再び枕に沈み込む。
そんな彼女から視線を切ったアリスは、セレネに向き直って問いかける。
「……レアルスはどこ? それとレガウィアさまたちにも聞きたいこと、報告したいことがあるの」
「は、はい……。きっと円卓広間におられるかと……。
【皇金の妖精】への対策を練っているはずですが、本格的な決定はアリスさんが目を覚ましてから行うと言っていました……」
「わかった。ヴァル、貴方はどうする? このままシャルに付いてる?」
「……まさか。おれも行くよ。このままやられっぱなしなんて無理だからね」
瞳に活力を取り戻した二人を見て、セレネは小さく笑う。そして彼女たちの方に歩み寄っていった。
「わたくしもご一緒させていただきます」
「えぇ、行くわよ」




