第15話「砕かれた枷」
遠くで剣戟の音が聞こえる。
そのたびに頭が割れそうになるほどの雷鳴が耳を聾した。
全身が焼け付くように痛む。
朦朧とする意識の中、いままで自分は何をしていたのかを懸命に思い返す。
そして黄金の雷を纏う天使の如き影が脳裏に過った。
「はっ——!!」
そうしてアリスは途絶していた意識を取り戻した。
どうやら自分はうつ伏せで地面に倒れ込んでいたらしく、口の中にじゃりじゃりとした不快感があった。
起き上がろうと身体に力を込めると電撃が走ったように激痛が走る。
「うっ……くぅ……!」
しかしそれでもアリスは懸命に立ち上がろうとする。
そして右手に自身の大切な相棒である鈍色の細剣の存在を確かめると、それを強く握り締めて顔を上げた。
「ぇ……?」
そんなアリスの視界に飛び込んできたのは、肩口まで伸びた灰髪を揺らす少女の背。
しかし彼女は肩で息をしながら地面に膝をつき、得物の大戦斧を杖代わりに辛うじて倒れずにいるような状態だった。
「シャルっ!! いったいなにが……!?」
「あ……、ようやく起きたんだ、アリスさん……」
アリスは痛む身体に鞭打って身体を起こし、地面に片膝をつく。
そして振り返ったシャルの風体を見て、鋭く息を呑んだ。
彼女は纏っている衣服がズタズタに切り裂かれ、全身に裂傷を負っている。
さらにはその傷の周りに漆黒の雷撃傷が広がっている。
そして周囲を見渡してみれば、周囲には数多の斬痕が刻み込まれており、剣の嵐でも吹き荒れたかのような様相を呈していた。
「ようやく起きたわね、灰被り」
そして挑発的な声の方に振り返ると、意識を失う直前に相対していた少女の姿がアリスの瞳に映った。
その身に纏う雷で美しい金髪を逆立てるシエルは、背の右側にだけ生え揃った三枚の翼をゆっくりと羽ばたかせながら笑った。
「貴女がシャルを……」
「あぁ、こいつは頑張ったよ。勝つことは端から捨てて、アタシの剣を弾き続けた。お前には掠り傷一つつかないようにな」
その事実を知ったアリスは驚愕に目を見開く。
そして眼前のシャルの背に触れようとした。
だが手を伸ばした直後に、彼女の身体が凄まじい勢いで右方へと吹き飛ばされた。
「ぇ……?」
シャルは何度も大地を転がり数十エトル先でようやく停止した。
満身創痍の身体を砂まみれにして倒れ伏す彼女は、その衝撃でついに意識を失ったらしい。
視線をシエルに戻すと、彼女は左拳を振り抜いた体勢でシャルの方に目を遣っていた。
つまりシャルを吹き飛ばしたのはシエルの攻撃ということだ。
それを理解した瞬間、アリスの鼓動がひときわ強まり、無意識のうちに剣を振るっていた。
「っ……!?」
ノーモーションからの加速による烈風の刺突は、天護者として覚醒状態にあるシエルの意識の隙を突いた。
激風を纏う鈍色の細剣は彼女の胸の中心を正確に穿ち、その身体を弾丸のように後方へと吹き飛ばす。
「がっ、は……!!」
もの凄い勢いで吹き飛ばされるシエルは空中で吐血しながらも、体勢を立て直した。
どうやら咄嗟に魔力を集中させることで、刺突の威力を軽減して穿たれずに済んだらしいことを彼女は遅れて理解する。
アリスの剣が真剣であれば、致命傷を負っていたかもしれない。
「ごめん、みんな……」
吹き飛んだシエルを余所に、アリスは自身の双眸に手をかざして灰色の光を灯す。
すると何かがひび割れるような音がした。
直後、吹き飛んでいくシエルを睨み付けたアリスは脚部に雷を迸らせながら地を蹴りつける。
彼女が踏み込んだ地面には放射状に刻み込まれたひびと、灰色の残火が揺らめいていた。
「あぁぁぁぁ!!!」
雷閃と共に加速した彼女の身体は、シエルを追尾するように空中に躍り出た。
そして細剣による連続の刺突を繰り出す。
「お前っ! その炎……!!」
刺突の雨を稲妻の宝剣で弾きながら、シエルは目を剥いて驚愕する。
その理由はアリスが突き出す鈍色の細剣にあった。
烈風によって刺突の鋭さを増しているのは相変わらずだが、加えて灰色の炎が灯っているのだ。
アリスの見開かれた両眼にはひび割れた魔方陣らしきものが浮かんでおり、数回の打ち合いの最中にそれは完全に砕け散った。
そして露わになったのはシエルと同じ、眩いほどの黄金の瞳であった。
「ようやく使ったな、灰被りっ!!」
シエルは口端を釣り上げながら笑い、黒が混じる黄金の雷を宝剣に纏わせ斬り上げを放った。
アリスはそれを細剣の腹で弾き、自身の右側頭部へと往なす。
放出された雷は彼女の背後の空に迸り、すぐさま収まる。
アリスは稲妻の宝剣を弾いた細剣をそのまま下方のシエルに向けて突き出す。
それに即応したシエルが宝剣の腹でそれを受け止めた。
しかし灰の爆炎によって加速したそれの勢いを殺すことが出来ず、彼女の身体が直下の地面へと盛大に叩きつけられた。
「ちっ……、いったいなんだっていうのよ! 燼炎を使い出してから急に別人みたいに……!」
接地の瞬間に雷撃を放つことで勢いを殺したシエルは、大きくえぐれた地面に立って上空のアリスを見上げた。
彼女は小さく口を動かしてなにやら呟いているようだった。
「…………たくない」
それと同時に彼女の背後に燼炎で形成された魔力の槍が無数に出現し、その穂先を下方のシエルに向けていた。
それに対応するため、シエルも稲妻の宝剣から膨大な雷を生じさせ、それを剣の形に変えて自身の背後に従えた。
「死にたく……ないっ……!」
空中で虚ろな金眼を見開いたアリスは、切なる叫びを上げながら灰炎の槍をシエルに向けて射出した。
対する彼女も雷光を迸らせながら剣の群れを解き放つ。
それは黄金と漆黒の雷を纏いながら灰炎の槍に殺到した。
それらが激突した瞬間、豪炎が空気を焼尽させる大音と、大気を揺るがす雷鳴が響き渡った。
そして槍と剣は激突の衝撃で形を崩す。
上方を灰炎の海が埋め尽くし、下方を黒と金の霹靂が迸った。
「うぅぅ……!!」
アリスは自身の視界で揺らぐ灰炎を見つめながら、何かを耐えるように頭を抱え、小さな呻き声を上げていた。
いま彼女の脳裏には五八年前の大抗争の記憶がフラッシュバックしている。
それが現実と重なり、絶死の戦線からの決死行を追体験しているような状態となっているのだ。
ゆえにシエルは自身の行く手を遮る倒すべき敵と認識され、猛攻撃を受けている。
アリスは大抗争のトラウマから不殺を貫いてきたのだが、もう一つ大きな枷を負うこととなってしまっていた。
それは燼炎の行使によるパニック状態。
正確には灰色のものを見るだけで彼女は大抗争での記憶がフラッシュバックし、錯乱に近い状態となってしまう。
そのためアリスは自らの双眸に色覚異常をもたらす魔術を施すことで、常に灰色だけを認識できない状態で過ごしているのだ。
彼女の瞳には灰色のものはその濃淡で白か黒として認識されるようになっており、自身や同族の髪や瞳の色を見てもパニック状態になることはない。
だがその代償として【灰燼の妖精】の固有魔法である燼炎の行使が不可能となってしまっている。
正しくは発動自体は可能であるものの、灰色を認識できないため効力を持たない見せかけの炎となってしまうのだ。
【妖精の箱庭】において色彩とは極めて重要な要素で、それぞれの種族が冠する色が行使する魔法すべてに関わってくる。
ゆえにアリスは自分の種族の魔法を行使できず、魂に刻まれた他種族の魔法のみを使ってこれまで戦ってきたのだ。
しかし眼前でシャルが傷つけられたことに感情的になり、かつ圧倒的強者である天護者シエル・アルムレクスに立ち向かうためには枷を壊すしかない、と判断して自ら封印を解除したのだった。




