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短編

消えかけ聖女のやけくそ思い出作り。いつも塩対応だった筆頭魔術師の様子がおかしいのはなぜでしょう




 とある大国の王城の廊下に響く軽快な足音。


 すみれ色の長い髪を靡かせて走っているのは、袖口と裾にフリルのついた白いワンピースを着た小さな女の子。

 紺色の騎士服を着た二名の女性がその後を追った。


「お待ちくださいエルシー様。そんなに急がれては転んでしまいます」

「そんなにドジじゃないわよ────ッ、とと」


 女の子は後ろからかけられた声に笑顔で答えながら、さっそく足がもつれてしまった。

 小さな体は地面にぶつかる前に騎士に抱き止められる。


「ありがとう。やっぱりこの体は慣れないわね」


 エルシーと呼ばれた五歳ほどに見える女の子は、へへと恥ずかしそうに金色の瞳を細めた。


 忠告通りにゆっくり歩きながら長い廊下を進んで、目的地である部屋の扉の前に到着した。


「ルイス様、入室してよろしいでしょうか」

「どうぞ」


 騎士の一人が扉をノックして部屋の主に声をかけると、中から男性の落ち着いた声が返ってきた。


 扉を開けてもらったエルシーが中に入ると、部屋の主である黒いローブに身を包んだ銀髪の男性は目を丸くした。


 彼は手に持っていた分厚い魔道書を床に落とした。


「……聖女様。あなたは一体何をやっているのですか」


 男性は床の本には目もくれず、エルシーを見下ろしながら低い声で冷たく言い放った。

 ただでさえ整った顔立ちであり、高い魔力を保持する深い紫色の瞳を持つ彼にじっと見つめられ、エルシーは一瞬たじろいだ。


「私が誰か分かるの?」

「もちろんです。私には魔眼が備わっていますから」

「なるほど……」


 物事の本質を見抜く魔術である魔眼は、優れた魔術師でも習得が困難といわれるもの。


 しかしエルシーの目の前にいる男性はこの国の筆頭魔術師であるルイス。

 国王から国一番の魔術師と認められ、特別な地位を与えられた存在だ。


(ちえっ)


 ルイスはいつも淡々としていて、眉をひそめているか無表情でしか接してこない。

 そんな彼の驚く顔が見れると思っていたのに。

 がっかりしたエルシーは口を尖らせた。


 ルイスは若くして筆頭魔術師という地位に登り詰めた実力者であるだけでなく、誰もが見とれるほどの美貌を持つ青年である。


 表情は豊かではないが、どちらかというと人当たりがよく、仲間からの信頼に厚い。

 しかしなぜかエルシーと接する時はいつも塩対応であり、彼女はルイスから微笑すら向けられたことがない。


「油断されたのでしょう」

「うっ……」


 図星をつかれたエルシーは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 今の小さなエルシーからはルイスの整った顔がいつもよりずっと高く見え、見下ろされていることに苛立ちを覚えた。


「最後に油断したのは事実だけど、きちんと討伐したわ。被害は私一人で済んだのだからいいでしょう」


 エルシーは短い腕を前に組み、フンと鼻をならした。


 彼女はこの国一番の聖女であり、尊き存在。

 そしてつい先日、世界に破滅をもたらす存在である魔王を討伐するという偉業を成し遂げた。


 聖女エルシーは魔族が苦手とする神聖力を駆使して戦い、難なく魔王に勝利した。

 しかし魔王は消滅寸前で呪詛を放ち、エルシーを道連れにしようとした。


 成人女性であった彼女の体はどんどん退行して縮んでいったが、神聖力がどうにか食い止めた。


 現在のエルシーは体が完全に消滅してしまわないように、有り余る力の全てを呪詛の食い止めに費やしている状態である。


「やはり私も同行すべきでしたか」

「何を言ってるの。あなたには王都を守るという大切な役割があったでしょう」


 魔王討伐までの間、ルイスは不測の事態に備えて王都を守っていた。

 実際、上位種の魔物の群れが何度か襲ってきたので、彼がいなければ王都は無傷では済まなかっただろう。


「ここをしっかり守ってくれてありがとう。おかげで私はあちらに集中することができたわ」

「その結果がそれですか」

「ぐっ……」


 容赦なく痛いところをつかれたエルシーは唸った。


 彼女が元の姿に戻るには、呪詛祓いを専門とする国一番の神官の力を借りること以外に手立てがない。

 エルシーやルイスの知人であるその神官は、現在は国の北側に存在する神殿に滞在している。


 ルイスはエルシーの後ろに控えている女性騎士二人に目をやった。


「あなた達三人で北の神殿に向かうつもりでしょうか」

「そうよ。この二人がいれば余裕で安全でしょ」

「彼女達の実力は存じています。しかし若い女性だけで旅をするなど言語道断。要らぬトラブルに遭うのが目に見えています」


 きっぱりと言い放たれたルイスの言葉にエルシーは納得した。


「確かにそうね。それなら男性にも同行をお願────」

「私が同行しましょう。そうなると護衛は私一人で事足りますから、彼女達は必要ありません」


 エルシーの言葉に被せるように、ルイスは淡々と言い切った。

 予想外の申し出にエルシーはきょとんとなる。


「…………へ? いやいや、それはさすがに悪いって」

「悪くないから提案しているのだとご理解ください。陛下に許可をいただいてきますのでしばしお待ちを」

「え、ちょっ……」


 言いたいことだけを抑揚なく言い終えたルイスは、床に落とした本をようやく拾って壁際の棚に戻した。

 そうして彼は、エルシーが引き止める間もなく部屋を後にした。


「えー……どういうこと」


 顔を合わせればいつも煩わしそうに眉をひそめ、言葉の端々に棘を含ませてくる男の申し出に、エルシーは戸惑う。


 ルイスは絶対に自分のことを嫌っていると思っていた。

 そんな彼が護衛を申し出たことに驚きしかない。


 だけど段々、嬉しさが込み上げてくる。


(一緒に旅ができる……ってこと? それも二人きりで……)


 ルイスは常日頃からエルシーに塩対応であるが、彼女が聖女としての務めをしっかり果たせるようにサポートしてくれる心強い存在である。


 いつも絶妙な匙加減で助けてくれ、聖女であるエルシーに臆することなく接してくれる数少ない存在でもある。

 彼女はルイスの前では飾らない自分でいられて、肩の力を抜いて過ごせる。


 いつしか彼に抱くようになった感情が何なのか、エルシーは自分でしっかり理解している。


(今日からしばらく一緒にいられるなんて……)


 目的地である北の神殿は、王都から馬車で一週間の距離にある。

 移動中はずっと馬車の中で二人きり。一緒に食事をとって宿に泊まって。

 想像するだけで幸せな気持ちになれる。


 夫婦や恋人でない年頃の男女がそんなことをするなんて、普通ならあり得ない。

 しかしエルシーは国一番の聖女という存在。

 早く元の姿に戻らなければ、神聖力を使って人々の怪我を治すという本来の務めができない。


 筆頭魔術師が護衛に就くのは必然的ともいえる状況である。


(……頑張ってみようかな)


 またとない機会。エルシーはこの旅でルイスとの仲を深めようと意気込んだ。




 十分も経たないうちにルイスは部屋に戻ってきた。


「陛下から同行の許可をいただきました。準備をするのでしばしお待ちください」


 彼は決定事項だけを無表情で言い放つと、返事すら待たずにエルシーに背中を向けた。

 机の上の書類を軽くまとめて引き出しにしまい、棚から取った小さな鞄を腰ベルトに通して装着する。


 仕事柄、いつでも急な遠征に対応できるように旅支度をすませてある鞄だ。

 内部に空間魔術を施してあるため、数週間の遠征に必要な衣類や携帯食などが入っている。


「では行きましょう」

「…………はい」



 馬車に乗り込んで、否応なしに二人旅が始まった。


 ルイスの正面の席にちょこんと座ったエルシーは、出発して早々に現実と向き合った。


(そうだった、この姿で何ができる)


 ぷにぷにの小さな手を眺めて呆然となる。

 彼女の現在の外見年齢は五歳ほど。大変愛らしいと自負しているが、こんな幼女姿ではアピールしようがない。


 やさぐれた気持ちになり、諦めて窓の外の町並みを眺めることにした。


 しかし、エルシーの目線の高さには壁しかない。

 大人の目線で外を眺められる高さに窓があるからだ。


 幼い子供が開いた窓から身を乗り出さないよう、安全に配慮された設計。実に優しい作りである。

 座席に立てばどうにか外が見られそうだが、さすがに行儀が悪いので諦める。


 諦めて膨れっ面になり、かろうじて見える青空を眺めていると、身体がふわりと浮いた。

 気づいた時にはルイスの膝の上に横向きに座っていた。


「これで見えますか? あぁ、あまり変わりませんか……」

「えっ、あっ、えっ」


 見え具合を確認するルイスの顔がすぐ横にあり、エルシーは一時的に思考能力を失った。


「それなら靴を脱いで座席に立てばいいのではないでしょうか」

「えっ、と、それはさすがに行儀が……」

「ここにはあなたと私しかいません。気にする必要はないでしょう」

「……そうね」


 ルイスはきっぱり言いきったため、遠慮を捨てたエルシーは靴を脱ぎ、座席に立った。


「わー……」


 いつもと何ら変わりない、見慣れた町の風景が流れていく。

 ルイスと一緒にいるというだけで、それらが特別な景色に思えた。


 瞳を輝かせながら外を見ていると、再びルイスの顔が真横にきた。


「そんなに面白いものがありましたか?」

「えっ、あっ、えっ」


 エルシーの思考能力は再び消滅し、壊れたように意味のない言葉を発する。


「何ですか、先ほどからそのおかしな反応は。体が退行したと共に言語能力まで失ったのですか」

「そんなことない、けど……感情が外見年齢に引きずられている感覚はある……かも?」

「なるほど……それは大変ですね」


 ルイスは顎に手を添えて下方に視線を落とす。

 思った以上に深刻な状況なのではと、ぶつぶつ呟きだした。


「できるだけ早く到着できるよう、手を尽くしましょう」

「そう。ありがとう」


 エルシーはとっさに嘘をついてしまったことを後悔した。

 本当は外見が幼くなった以外は、以前と何も変わっていないのである。


(……でも精神的に幼くなったと思ってもらえるのは好都合かもしれない)


 緊張しておかしな行動をとったとしても、仕方ないと思ってもらえる。


 こうなったら幼児であることを利用しまくってやろう。

 本当は異性として意識してもらえるように頑張るつもりでいたエルシーは、思い出作りをすることにした。




 ***




「ねぇ、それじゃ好きな色は?」

「……どんな色も好ましく思いますが、敢えて言うなら黒です」

「そう。確かにあなたの綺麗な銀色の髪にその黒いローブは映えるものね」

「そういうつもりで言ったわけでは……」

「よく似合っているわよ」

「……そうですか」

「それじゃ次はね────……」


 馬車の中では、無邪気を装ったエルシーがルイスを質問攻めにしていた。

 彼の知らなかった部分を少しずつ知れてご機嫌である。


 現在、馬車は草原地帯を走っており、日が沈みかけのオレンジ色の空は少しずつ青灰色に染まっていた。


「今日は次の町の宿屋に泊まりましょう。何かこだわりはありますか?」

「そうね、設備にこだわりはないけれど、できれば美味しい夕食を食べられる店の近くがいいわ」

「どういった料理をお望みで?」

「好き嫌いはないからお任せしていいかしら」

「分かりました」


 業務連絡のような確認を終えると、ルイスは御者に行き先を指定した。

 そうして辿り着いた宿屋の前で二人は馬車を下り、受付を済ませるためにカウンターへ向かった。


(そういえばこの人、どう部屋取りする予定でいるのかしら。まさかとは思うけど……)


 エルシーは不安になる。おかしなことにならないように、受付の女性に声をかけたルイスを注意深く見つめた。


「二名様ですね。お部屋のグレードはいかがいたしましょうか」

「私は一番下の部屋でかまいませんので、こちらの方には────」

「パパ!」


 エルシーは受付の女性とルイスの会話を遮るように声を発し、彼の足に抱きついた。


「お風呂がついてるお部屋がいいよぉ!」

「パ……?」


 ルイスは目を丸くした。

 彼はまだ22歳である。実年齢より大人びて見えるため、五歳の娘がいても違和感なく通用するだろうが、いきなりの呼びかけに硬直する。


 エルシーはルイスの腕をぐいと引っ張り、彼の耳元に顔を近づけた。


「私達が別々の部屋だなんておかしいでしょう。二人で一つの部屋にしないと」

「いえ、さすがにそれは……」

「今の私は幼児なのよ? 一人で広い部屋をあてがわれても困るし、私達が違う部屋だなんて不審すぎるでしょう」

「確かにそうかもしれませんが……いや、ですが……」


 ルイスは納得できないようで言い淀んだ。

 エルシーはヒソヒソと小さな声で話すことをやめ、すうと息を吸い込んだ。


「やったぁ! ねぇお姉さん、パパと一緒に入れるくらい大きな風呂のお部屋にしていいんだって!」

「まぁ、それは良かったですね。それでしたら、こちらはいかがでしょう」


 受付の女性は、はしゃぐエルシーにも見えるように客室のグレード表を手に持った。そうして一番上を指差す。


「こちらでよろしいでしょうか、お父様」

「おと…………コホン、ではその部屋でお願いします」

「かしこまりました。ではご案内いたします」

「いこっ、パパ!」


 エルシーは満面の笑みでルイスを見上げた。


「…………はい」


 ルイスは観念したように小さく返事をして、女性についていくように歩きだした。


(あれ……?)


 エルシーは耳まで赤くなった彼の後ろ姿に疑問を抱きながら後ろをついていった。


 通された部屋には立派なベッドが二つ並び、大きなバスタブ付きの広い浴室が備わっていた。


「はぁー、疲れたぁ」


 エルシーはぴょんとベッドに飛び乗って、そのままごろんと寝転がって仰向けになった。


「男女が同室なんて……」


 まだ納得がいかないルイスは、部屋の入り口で突っ立ったまま呟いた。


「まだそんなこと言ってるの? 今の私をご覧なさい。間違いなんて起こるわけないでしょう」


 エルシーは横向きに寝そべり、本当なら艶かしく見えるであろう肘枕ポーズをとってみせた。


「ね?」


 ぷにっとした短い手足に凹凸のない体。

 ルイスが女性に興味があろうとなかろうと関係なく、そもそも欲情しようがない姿だ。


 しかし彼はうっすらと頬を染めながら視線を逸らした。


「まぁ、そう、ですけど、も……」


 なぜかたどたどしい言い方である。

 冷ややかな目と声で『元の姿でも間違いなんて起こりようがありません』と言われると思っていたのに。


(?? 反応おかしくない?)


 エルシーはまた疑問を抱いたが、お腹が空腹を訴えているので、さっそく宿に隣接する料理店に向かった。


 美味しい食事を堪能して、宿に戻る。

 お風呂はもちろん別々に済ませ、あっという間に就寝時間になった。


 いつも黒い魔術師ローブ姿のルイスは、締め付けの少ない部屋着姿である。

 白いシャツから覗く鎖骨にドキッとなったエルシーは、気持ちを誤魔化すように口を開いた。


「せっかくの旅なんだしお酒が飲みたいなぁ」

「こちらが後ろめたくなるので自重してください」

「ちぇ」


 エルシーはぷくっと頬を膨らませて、そのままベッドにごろんと横になった。


「明かりを消しますよ」

「はーい」


 ルイスは部屋の明かりを消すと、エルシーからできるだけ離れるようにベッドの反対側に寄って横になった。


 それが何だか無性に面白くないエルシーは、もぞもぞと横移動して、大きな背中にぴったりくっついてやった。


「────ッ」


 あからさまに動揺していることが背中から伝わってくる。エルシーはしてやったりとほくそえんだ。


「……何をしているのですか、あなたは」

「何って、パパにくっついているのよ。私は寂しくて一人では寝られない子供だったんだから」

「……はぁ、それなら仕方ありませんね」


 嘘はついていないので堂々と言い切ると、ルイスからはそれ以上言及されず、振り払われることもなかった。


 エルシーは満足してふふっと笑った。

 だがすぐに、とんでもないことをしているのだと自覚する。


(ひえぇ……私はなんてことを……恥ずかしすぎる)


 静かな暗い部屋のベッドの上で、自分は男性にくっついている。

 速まる鼓動の音。彼に伝わってしまうのではないかと思うと、更に動悸が激しくなる。


 心の中でアワアワしていたエルシーだったが、自分のものでない鼓動を微かに感じた。


 ルイスの心臓の音も、自分と同じくらいの速さだろうか。

 とっとっとっ、と刻むリズム。何だか心地よくて緊張が和らいでいった。


 魔王討伐を終えてからというもの、エルシーはずっと張りつめていた。

 神聖力で食い止めているが、消滅寸前まで縮んでしまった体。


 呪詛の力は強大で、不安や恐怖、悲しみといった負の感情を抱くことにより更に力を増す。

 そうなれば均衡を保っていた神聖力は押し負けてしまい、エルシーは完全に消滅してしまうだろう。


 そんな恐怖心に負けないよう、気を強く持って気丈に振る舞っていた。


(今だけ……幸せな気持ちを補給しないと私は消えてしまうから……)


 こんなことをするのは今だけで、仕方のないこと。


 自分が消えてしまったら困る人が大勢いる。

 そもそも命をかけて偉業を成し遂げたのだ。これくらいは許してもらいたい。


 大胆な行動をとってしまったことに正当な理由ができ、恥ずかしさは消えた。

 落ち着ける温もりに気持ちが和らぎ、幸せで心地よい眠りに落ちていった。





 ***





 ルイスはベッドに横になりながら必死に堪えていた。


(これは一体、何の拷問ですか……?)


 彼はいつも冷静沈着に物事を見据えて、どれだけ不測の事態がおころうとも慌てることなく対処してきた王国一の魔術師である。


 しかし、ずっと憧れていた女性に後ろから抱きつかれるなんてことは前代未聞。平静を保てるはずがない。


 馬車の中ですら必死に堪えていたのに、宿についてからはもう常に気が触れる寸前だ。

 ベッドに横たわる彼女なんて、あまりに艶かしくてどうにかなりそうだった。


 ルイスが持つ魔眼の力は、物事の本質を見抜くことができるもの。

 常に発動しているわけではないが、気が高ぶったときなどに勝手に発動してしまうことがある。


 憧れの女性と行動を共にしている現在、ずっと気が高ぶった状態でいるのは必然的。


 ルイスの目に映ったベッドに横たわるエルシーは、五歳児の姿ではなく本来の彼女の姿だった。


 標準よりも高めの背丈に長い手足。

 美しい曲線を描く体のラインは同性でも見とれてしまうほどだ。

 長い睫毛に縁取られた金色の瞳で見つめるだけで人々を魅了してしまうほど、彼女は可憐で美しい。


 護衛として同行しているはずなのに、自分はずっと浅ましい気持ちを抱いている。

 決して手を出すことは許されない尊い存在。

 それなのに抱きつかれてしまっては、どう理性を保てばいいのか。


 もはや拷問である。


(困っている彼女を助けて好意を抱いてもらおうなどという下心を見抜いた神様からの罰でしょうか……)


 そんなことを考えて気を紛らせているうちに、後ろから聞こえてきたのは安らかな寝息。


「ここまで意識されていないとは……さすがにへこみますね……」


 明かりを消した部屋の中、ルイスの悲痛な声は暗闇にかき消えた。



 彼が宮廷魔術師として働き始めたのは六年前のこと。

 その時はすでに、14歳のエルシーは国一番の聖女として前線に立っていた。


 彼女がもつ神聖力は、悪しきものを滅ぼし人々を癒す奇跡の力。


 エルシーはいついかなる時も真っ直ぐな心を持ち、誰にでも優しく手を差しのべた。

 生まれ持った力だけでなく彼女自身が聖女の名に相応しく、その志に誰もが感化された。


 エルシー自身もどれだけ傷を負っても瞬時に癒えるため、『私は無敵なのよ』と豪語しながら、両手に持つ短剣で誰よりも果敢に魔物に向かっていくような女の子であった。


 今では長剣を扱い、その腕前は騎士団員に引けを取らないほどである。

 もはや護衛など必要ないほど強い。


 いつも自分ができる最善を尽くそうとする姿は、魔術師として嫌々働いていたルイスには眩しすぎた。


 彼の家は、代々優れた魔術師を輩出する名家だ。

 生まれた瞬間から魔術師になることを義務付けられ、口答えなど許されない環境で魔術の習得に励んできた。


 持って生まれた才能は有り余るほどで、難なく宮廷魔術師となる。


 自分で望んでなった役職ではないためやる気は常になく、与えられた仕事だけをこなす日々を送った。


 目の前の敵を殲滅し、頼まれれば仲間を助ける。

 話しかけられれば失礼のない最低限の受け答えをしたが、進んで誰かと関わることはしなかった。


 全ての物事を受動的に済ませていた彼にとって、能動的で自己犠牲をものともしないエルシーは異質な存在であった。


 聖女として一番後ろに控え、負傷した者を癒すだけで十分なはずなのに。

 わざわざ自分から魔物の群れに突っ込んでいくなど全く理解ができなかった。


 それなのに、すみれ色の髪が視界に入ると、つい目で追ってしまう自分がいた。

 生き生きと戦う彼女は誰よりも美しく気高く見え、いつしか芽生えたのは特別な感情。


 彼女にどうしても近づきたい。


 それからルイスは必死に魔術の腕を磨いた。

 進んで戦術を組むようになり、仲間が戦いやすいように自らサポートするようになる。


 習得困難な高度な魔術をいくつも極めたことも認められ、若くして筆頭魔術師という地位を得た。


 精鋭を率いて上位種の魔物討伐の任務にあたることが増えると同時に、エルシーと関わる機会が増えていった。


 しかし、数年思い続けてきた女性をいざ目の前にすると、まともに会話ができなくなってしまった。

 そっけない態度で棘のある物言いになってしまう。


 彼女のサポートは完璧にこなし、いつも誠実に心がけているが、そんなことではカバーしきれないほど失礼な態度をとっている自負はある。


(意識してもらえるはずありませんね……)


 分かってはいたが、やはりへこむ。


 魔王討伐という偉業を成し遂げたエルシーは、国王から勲章を授かる予定だ。

 まさかのアクシデントにより叙勲式は延期となったが、大仕事を終えた彼女には縁談が待ち構えている。


 高位貴族の令息に、第三、第四王子と、婚約者のいない年頃の男はほぼ全て名乗り出るだろう。

 魔王を討伐するまでは特定の相手を作らないと、彼女自身が宣言していたため、皆この時を待っていた。


 元の姿に戻ったら、彼女は添い遂げる誰かを選んでしまう。


 その前にせめてと、ルイスは玉砕覚悟で想いを伝えるつもりでいたのだが。ここまで脈無しだと、ただの自己満足で終わってしまいそうだ。


 異性として好かれていなくても、魔術師として頼れる存在にはなれているはず。

 彼女の中で、いざという時に力になってくれる頼もしい人間という立ち位置でいられるなら、それで十分かもしれない。


 これからも仕事で顔を合わせなければいけない男から、想いを告げられても困るだろう。


(……やはりやめておきましょう)


 ルイスは積年の想いを閉じ込めることにした。






 ***






 エルシーは旅路を心から楽しんでいた。

 馬車の中では眠いといってルイスに膝枕を所望し、夜は心細いといって手を握ってもらった。


 彼女はやけくそになっていた。

 なぜなら、知りたくなかった事実を知ってしまったから。


(この人絶対にロリコンだよね)


 ルイスは五歳児の姿のエルシーに頬を染めて、耳を赤くして、触れればとにかく狼狽える。

 そんな現実を目の当たりにしてしまえば、うっすら抱いていた疑念は確信に変わるというもの。


 幼女の姿では好意をアピールしても無駄だと思っていたのに、幼女の姿こそ効果的だなんてあんまりだ。


 エルシーはやさぐれた。

 そして最後の思い出となるように、どうにでもなれとやけくそになっていた。



「人が多いので手を繋いでください」

「……はい」


 目的地である北の神殿までの道中にある最後の町に着き、夕食の時間までまだ早いと町歩きをする。

 ルイスはもう何をお願いされても二つ返事で応じるようになった。


 ここは栄えた大きな町であり、仕事帰りに買い物をする人などで通りは賑わっていた。

 エルシーはルイスに手を引かれながら、手を絡めて歩く恋人達を羨むように横目で見た。


 ロリコンと判明したことで、彼を嫌いになれたならよかったのに。


 この旅で好きな気持ちは加速するばかり。

 真実を知った絶望よりも彼と一緒にいられる幸せの方が大きい。

 そのおかげでどうにか負の感情に呑み込まれることなく、消滅を免れているのだが。


「元の姿に戻れなくていいかも」


 ボソリと呟くと、呆れたように紫色の瞳に見下ろされた。


「何を弱気になっているのですか。神殿まであと少しでしょう」

「……うん」


 そう、あと少し。

 この町を出て平原を進み、森を抜けたら目的地の神殿に到着する。


 そうしたら、この超絶愛らしい幼女姿とはおさらばで、ルイスから熱の籠った目で見てもらえる日は二度と訪れなくなる。



 夕食は何がいいかとルイスに聞かれたエルシーは、ガッツリスタミナ系の店をリクエストした。

 やけ食いしたい気分である。


 テーブルに並んだ肉料理を堪能しながら、エルシーは思い出したように口を開いた。


「ルイスさんは私のことを『聖女様』か『あなた』としか呼ばないけど、今は親子なのだからそれはおかしいと思うわ」

「……名前で呼べということでしょうか」

「そういうこと」

「……では、エルシー様とお呼びします」

「娘に様付けなんておかしいでしょう。ね、パパ」

「……」


 金色の瞳でじっと見つめると、ルイスは眉根を寄せながら顔を赤くした。


「…………エルシー」


 ルイスはぶっきらぼうに名前を口にする。


 初めて名前を呼んでもらえたエルシーの目から涙が溢れた。


「っ、どうしました? どこか具合が悪いのですか?」

「なんっ、でもない。五歳児だから涙腺もおかしいのよ」


 狼狽えるルイスに、エルシーは適当な理由で誤魔化した。


 名前を呼んでほしいだなんて言わなければよかった。

 こんなに嬉しくて苦しくなるのなら、最後の思い出作りなんてやめておけばよかったと後悔する。





 ***




 翌日の午後。森の手前に到着すると二人は馬車を降りた。


 ここから先は徒歩でしか進めない。

 馬車で森を迂回するルートは数日かかるため、徒歩で森を抜けた方が圧倒的に早いのである。


 うっそうと繁る森の中。

 手を繋いで歩き進めて数分で、魔物の群れに遭遇した。


 ルイスはエルシーを肩に担いだ。


「えっ、あっ、えっ」

「あぁ、すみません。怖がらせてしまいましたか。それでしたら……」


 ルイスは狼狽えるエルシーが、目線が高くなったことを怖がっていると思ったようだ。彼はすぐさまエルシーを横抱きにした。


「私にしがみついていてください」

「えっ、えっ」

「すぐに終わらせますから」

「っ、うん」


 ルイスの腕に抱かれていることに混乱しながら、言われるがまま目の前の首元に抱きついた。

 日の光に透けた銀色の髪が視界に入り、間近で見る美しさに思わず息が漏れた。


 彼が負傷した仲間を抱き上げて、エルシーのいる場所まで運んでくる姿はよく目にしていた。

 負傷してもすぐ自分で癒せるエルシーが抱き上げられる機会など訪れなかったため、いつもただ羨ましそうに眺めていた。


 まさかこんな形で実現するなんて。ドキドキしていると、ルイスと魔物との戦闘が始まった。


「────焼き払え」


 彼は極限まで短縮した詠唱を口にした。

 間近で耳にする低い声。エルシーはゾクリとなりながら目を閉じて、一言たりとも聞き逃すまいと耳を澄ませた。


 業火に焼かれる魔物の断末魔の叫び、そしてまた新たな詠唱が紡がれる。

 程なくして辺りはしんと静まり返った。


 目を開けると、消し炭となった魔物の成れの果てがいくつもの氷塊となって転がっていた。

 森の木々は少しも被害を受けておらず、ルイスの魔術精度の高さが窺える。


「さすが、見事なお手並みね」

「……大丈夫ですか?」

「?? 何のこと?」

「こんな光景を目にするのは辛いのではないかと。幼子が目にするものではありませんから」


 気遣いの言葉をかけられて、エルシーの良心が後ろめたさでツキリと痛む。

 彼の首元に抱きついていた腕を下ろして、顔を見られないように俯いた。


「……そうね。でも大丈夫みたい。あなたがいてくれるから怖くないわ」

「そうですか。ですがもう空を行きましょう。ここからなら魔力が足りるはずなので。────風よ、集え」


 ルイスはエルシーの体を両手でしっかり持ちながら、飛行の詠唱を口にした。


 二人の体がふわりと浮く。

 上へ上へ。空を目指すように、森の木々よりも高く上っていく。


「怖かったらしっかり掴まって、目を瞑っていてください」

「だい、じょうぶ」

「すぐ着きますから安心して身を任せてくださいね。エルシー」

「……っ、うん」


 真っ赤になった顔を見られないように、俯いたまま返事をした。




 ***




 上空からあっという間に森を抜けて、目的地の神殿に到着した。


 これでようやく呪詛を解いてもらえ、元の姿に戻れる。

 消滅と隣り合わせの恐怖に負けないように、緊張し続けることから解き放たれる。

 それなのに、胸の奥がひどく痛んだ。


 二人で並んで歩き、神殿の内部に立ち入った。


「やぁ、久しぶりだね二人とも。エルシーちゃんは魔王にやられちゃったみたいだね」


 無精髭を生やした細身の中年男性が、右手をあげながら近づいてくる。

 白い神官服を着たこの男性は、神殿に勤める神官のオルブライト。彼はすみれ色の髪の幼女がエルシーであると一目で見抜き、彼女の現状を把握した。


「お久しぶりです。お手数をおかけして申し訳ありませんが、お願いできますか?」

「もちろん」


 オルブライトは白い歯を見せるようにニカッと笑った。

 エルシーは別室で大人用の服に着替え、白いローブを羽織った。


「よろしくお願いします」


 ぶかぶかの服を着たエルシーは、オルブライトに頭を下げた。


「はいよ」


 返事と共に後頭部にポンと手を置かれたので、頭を下げた状態のまま身を任せた。


 オルブライトの手からエルシーに解呪の魔力が流れ込んでくる。

 数十秒後、体内の呪詛が破壊されて消滅したことを感じとると、彼女の体は瞬く間に元の大きさに戻った。


 後方で静かに見守っていたルイスは安堵の息を吐く。


「かなり危なかったね。常に消滅寸前だったでしょ」

「……お恥ずかしながら」


 解呪のエキスパートであるオルブライトには全て見抜かれているようで、エルシーは苦笑いする。

 二人の話を聞いていたルイスは、険しい顔でエルシーに近づいた。


「それは本当ですか? なぜ教えてくれなかったのですか」

「教えたらあなたは魔力が枯渇して血を吐いて死にそうになろうとも、最初から私を抱えて飛ぼうとしたでしょ」

「当たり前です」

「だからよ」

「聖女と魔術師の命、どちらを優先すべきかなんて分かりきったことでしょう」

「そんなわけないでしょ」

「あります。あなたはご自身の尊さを理解すべきです」

「……」


 考え方が違う者同士が言い合いをしたところで平行線を辿るだけ。エルシーはもうだんまりを決め込んだ。


 あなたが死んでしまったら絶望して負の感情に呑み込まれるから、どっちみち私は消滅してしまったのよ、などとは口が裂けても言えない。


 ルイスは無表情でエルシーの顔を覗き込んだ。


「もう完全に元に戻ったのですね? 精神年齢もきちんと大人に戻りましたか?」

「ええ、もちろん。心配してくれてありがとう」

「精神年齢? どういうことだい? 呪詛を解く前にしっかり解析したが、精神まで汚染するものではなかったよ」


 オルブライトは純粋な瞳をエルシーに向け、不思議そうに首を傾げた。


「体の年齢が退行しただけで、中身は20歳のままだったはずだが。何かトラブルでもあったのかい?」

「あっ、えっ、あっ」


 まさかのバラしにエルシーは狼狽えた。


「違っ、それは違くて、そのっ、あのっ」


 どうにか誤魔化したいのに言葉がでてこない。

 エルシーがアワアワしている間に、ルイスはオルブライトとしっかり話を済ませていた。


 真実を知ったルイスはゆらりとエルシーに近づき、冷ややかな目で彼女を見下ろした。


「どういうことかご説明を」

「あの、えっと、ごめんなさい。つい出来心で。すごく反省しています。だからセクハラ聖女だなんて思わないで」

「そんなこと思うはずがありませんし謝罪は必要ありません。私が知りたいのは出来心を抱いた理由です。納得いくように説明していただけますか」

「あっ、えっ、そのっ」


 抑揚のない声で詰め寄られるエルシーは、ひたすら狼狽えて目を泳がせた。


「僕の目の前で揉めないでもらえるかい。続きは隣の空き部屋でさ、ほらほら」


 オルブライトは二人の背中をぐいぐい押し、隣室に無理やり押し込んで外から鍵をかけた。


「は? え、ちょっと……!」


 ハッとなったエルシーが内側から取っ手をどれだけ動かしても扉は開かない。

 中からは解錠不可な部屋のようだ。


「開けてください!」


 逃げ場のない狭い部屋に閉じ込められたエルシーは、ルイスに背を向けたまま扉を何度も強く叩いた。


 オルブライトがバラさなければ、本当のことを知られることなくいい思い出として終われたのに。


「余計なこと言って! ばか! 腹黒神官! 人でなし!」


 完全に逆恨みである罵倒を繰り返していると、頭上から影が落ちた。

 扉を叩くことをやめて恐る恐る振り向くと、鋭い目をしたルイスが自分を見下ろしていた。


 彼はエルシーに覆い被さるように扉に両手を置いた。

 まるで逃がしはしないと言っているかのよう。エルシーは身動きがとれなくなった。


「エルシー」


 頭上から低い声で名を呼ばれ、ゾクリと体が震える。


「エルシー、話をしましょう。まずはなぜ嘘をついたのかというところから。もちろん聞かせてもらえますよね?」

「…………ハイ」


 エルシーは観念して、包み隠さずに全てを打ち明けることにした。


 真実を話し終えた後は、誠心誠意、謝り倒そう。

 ルイスは何だかんだで優しいのだから、呆れながらも許してくれて、解放してもらえるはず。



 そんな彼女の願いは、もちろん叶わない。







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― 新着の感想 ―
[一言] 続きを所望します………。 素晴らしきかなツンデレ。
[一言] バカップルめ(怒) 末永く爆発しろ(怒)
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