9 そうじゃないんだ……
「どう?センセー。おいしいかしら?」
恐る恐る料理を口に入れたお父さんに、ママがうきうきしながら尋ねる。
「うーん……これは……」
「どう?おいしい?まずい?」
「いやあ、何とも言えん味だな、こりゃ……」
お父さんは困ったようにママの料理を箸でつまむ。
「ママ、お父さん困ってるじゃない」
「どうして?今夜の料理は自信作なのに」
ママはしょげた顔でうつむいたが、すぐに顔を上げてにこやかに笑った。
「そうだわ!心ちゃんにも食べてもらおう!」
私はカーテンの向こうの薄闇を見つめる。
「彼女をバス停まで送っていったよ」
「もう帰ってくる頃でしょ!?海、ちょっと外行って呼んで来てよ!」
「えー?何で私が?」
「早く早く!お料理冷めちゃうじゃない!」
私はしぶしぶ立ち上がると、一人玄関へ向かった。
サンダルを履いて外へ出る。するといきなり強い風が吹きつけ、私は両手を抱え込み立ち止まった。
「しん……ちゃん?」
薄暗い庭先でポツリとつぶやく。
桜の花びらが、雪のように舞い落ちている木の下で、心がゆっくりと私に振り返る。
それはまるで、私たちが初めて会ったあの日のように……
「何やってんの?」
私の言葉に心はほんの少し笑い、そしてまた桜の木を見上げた。
「桜……散っちゃうな……」
その声はどこか寂しげだった。いつもの偉そうな態度の心とは違う人みたいだった。
私はそっと心に近寄り立ち止まる。
「私のパパ……この桜が大好きだったの……」
私の頭にかすかな幼い日の記憶がよみがえる。
「私が覚えているパパとの思い出は、この木の下で肩車をしてもらったこと……ただそれだけ……」
そう、春の日差しが眩しいこの庭で、私はパパと楽しそうに笑っていた。
ママはそんな私たちを見て、幸せそうに笑っていた。
私はパパが大好きだった。ママもパパが大好きだった。そしてパパは私とママが大好きだった。
それなのに、私たちを残して、パパは突然事故で死んでしまった……
にじみ出す涙を服の袖でこすり、私は隣に立つ心を見た。心は何も言わずにじっと桜の木を見上げている。
「心ちゃんの、お母さんは?」
私は心の横顔につぶやく。
「心ちゃんのお母さんも亡くなったの?」
その言葉に心は視線を私に移した。私たちはほんの一瞬だけ見つめあう。私を見つめる心の瞳が、なぜかとても哀しく見える。
「生きてるよ」
強い風が私たちの間を吹き抜ける。
「俺の母親は生きてる」
私はぼんやりとその声を聞く。心はそんな私に、ふっと笑ってこう言った。
「残念だったな。俺とお前は違うんだ」
私の胸に心の言葉が突き刺さる。心はバカにしたような目つきで私を見て、何も言わずに玄関へ入っていった。
私は一人、桜の木の下に立っていた。頭の上から、花びらがひらひらと舞い落ちてくる。
もしかして心も同じだと思った。心も寂しいんだと思った。心なら私の気持ちをわかってくれると思った。
「でも、そうじゃないんだ……」
私の目からなぜだか涙があふれ、止まろうとはしなかった。