21 麻利さん
夏休みは長かった。
ママは何となく顔色が悪かったけど、仕事が詰まっているらしく、毎朝早くから会社へ出かけていく。
お父さんはそんなママを見送った後、部屋にこもってマンガを描く。
心は相変わらず、私をバカにしたような態度だけど、もう昔のことは話さない。もちろん私にキスするふりなんてしない。
私は誰もいないキッチンで昔のアルバムをめくる。アルバムの中では幸せそうなパパとママと私が笑っている。
このころママは本当に幸せだったのだろうか……ママはパパのことを愛していたのだろうか……ママは私を産みたかったのだろうか……
私の目から涙がこぼれそうになった時、仕事部屋からお父さんがやってきた。
「あー、終わった終わった」
お父さんはぼさぼさ頭をかきながら、キッチンのいつもの席に座る。
私はアルバムを抱え立ち上がると、にっこり笑ってお父さんに言った。
「今ご飯温めるね」
お父さんは私を見て嬉しそうに笑った。
「ママ遅いね」
「今夜も残業かな」
私とお父さんはそんなことを話しながら、向かい合って夕食を食べる。
「心は?」
「部屋にいるよ。彼女と」
「麻利ちゃんか……」
お父さんの声に私は何気なく、指に光る桜色のリングを見つめた。
その時心の部屋のドアが開き、二人が玄関に向かって歩いてきた。
「おじゃましました」
麻利がキッチンへ顔を出し、お父さんに会釈する。私はぼんやりとそんな麻利の笑顔を見る。
「麻利ちゃん」
お父さんが突然麻利を呼んだ。
「たまにはうちでご飯食べて行かないかい?」
麻利は少し驚いた顔をしてお父さんを見る。
「海の作った料理はサイコーにおいしいんだよ」
「麻利!そんなヤツほっといていいから、行くぞ!」
心が怒った顔で麻利を呼ぶ。しかし麻利はにっこり笑うと、私とお父さんに向かってこう言った。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「どうぞ、どうぞ」
お父さんは嬉しそうに麻利を椅子に勧める。
心はすねた顔でそんな様子を見つめていた。
「麻利ちゃん、心は学校でいい子にしてるかい?」
お父さんが味噌汁をすすりながら、麻利に尋ねる。
麻利は私からご飯茶碗を受け取ると、にこやかに微笑んで言った。
「いい子ですよ。お勉強もできるし、女の子にも優しいし……」
「えー?」
私が思わず声を上げると、テーブルの下で、心が私の足を蹴飛ばした。
「何か文句あるか?」
「別に」
とは言ったものの……あんた絶対、外では猫かぶってるでしょ!?
麻利は私と心を見て小さく笑う。
「それに心ちゃんは、妹さん思いよね?」
「バカ言うな。誰がこんなクソガキ」
「心ー」
お父さんが漬物をつまんで、心をにらむ。麻利は私の隣でくすくす笑っている。
そんな麻利の左手に、シルバーのリングが光る。
「あの……麻利さんと心ちゃんは、いつから付き合ってるの?」
「そうねぇ、いつからだったかしら?」
麻利はそう言って心を見る。
「さあね。忘れた」
「お前ら、小学校から一緒だもんな?」
お父さんの声に私はじっと二人を見つめる。
「でも小学校の頃の心ちゃんは意地悪だったから」
「麻利だって髪の毛男みたいに短くて、まるで山ザルだったぜ?」
「もう失礼ね」
そうか……この二人、そんなに昔からの付き合いなんだ。
私の知らない心のことを、この人は何でも知っている。
「麻利ちゃん」
二人の様子をニコニコと見つめていたお父さんが、ポツリとつぶやく。
「しょうもない息子だけど、これからもよろしく」
麻利はにっこり微笑んで、お父さんにうなずく。心は怒った顔で立ち上がると、麻利に向かって言った。
「食ったら帰るぞ!」
「うん」
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
「いえ、もう遅いので。ごちそうさまでした」
麻利はぺこりと頭を下げると、心の後について部屋を出て行った。
私はぼんやりと二人の後ろ姿を見つめる。お父さんはそんな私に笑いかけて言った。
「あの子、心にはもったいないほどいい子だろ?」
「そうだね」
私はつぶやき、ふと麻利の椅子に置いてある帽子を見つけた。
「あ、忘れ物」
「まだそのへんにいるだろう」
「私持ってく」
私はそう言って、キッチンを飛び出した。