18 私の知らない過去
『海ちゃんのママとお父さんはね、高校時代からの付き合いなんだ』
私は一人キッチンのテーブルに座り、誰も手をつけていないオムレツを見つめる。
ママは食事もしないで仕事に出かけ、お父さんは原稿描き、心は帰ってくるなり自分の部屋に入り込み、出てこようとはしなかった。
私はぼんやりとキッチンから縁側を見つめる。
昨日あそこで私に話した、お父さんの寂しげな顔がよみがえる。
「お父さんはママのことが好きだった。ママもきっとお父さんが好きだった。だからハタチの夏に、ママはお父さんとの子供を産んだ」
私はゆっくりと顔を上げ、お父さんを見つめる。お父さんはそんな私に小さく笑いかけて言った。
「その子供が心なんだよ」
私はぼうっとする頭の中で一生懸命考える。そして思いつくままにつぶやいてみる。
「じゃあ、ママとお父さんは結婚していたの?」
「いや、ママは結婚しないで心を産んだ」
14歳の私の胸が小さく痛む。
「俺はその頃、定職にもつかないで、ただ夢を追ってマンガを描いてた。収入もなかったし、結婚なんてできるわけなかった」
お父さんは庭を眺めて寂しそうに笑う。
「それなのにママは心を産んだ……もちろんまわりからは反対されたのに……ママは心を産んだ。産みたかったんだ」
ハタチのママ……結婚しないで子供を産んだママ……今まで想像したこともなかった。
「でもママのうちは厳しくて、そんなママの行動は許されなかった。心が1歳になる前、ママに、会社の社長をやってるお金持ちの男との、結婚話が持ち上がった」
お父さんはそう言って私を見る。
「それが海ちゃんのパパだよ」
私は写真の中のパパの笑顔を思い出す。
「ママは迷ってた。でも俺はこう言った。『心は俺が育てる。だからもう俺たちのことは忘れて、そいつと結婚しろ。そのほうがお前は幸せになれる』」
「お父さん……」
私は顔を上げお父さんを見る。
「何でそんなこと言っちゃったの?お父さんはママのことが好きだったんでしょ?ママもお父さんのことが……」
そこまで言ってハッとする。ママがパパと結婚したから、私が生まれたんだ。
ママがパパと結婚しなかったら……そんな私の頭をお父さんの手がそっとなでる。
「それでよかったはずなんだ……ママはパパと結婚して、海ちゃんが生まれて……ママは幸せになれるはずだったんだ……」
お父さんは私の頭に手をのせ、庭を見つめ、涙を流していた。
「でもその考えは間違っていた。俺はママのことを忘れられなかったし、何より自分の息子を傷つけた……」
お父さんの涙声に私の胸が痛む。
「心はお母さんが欲しかったんだ。ママも結局は心のことが忘れられなくて……心が小学生の頃から少しずつ、三人で会うようになっていた」
そんなことがあったなんて……知らなかったのは私だけだったんだ。
「ママが再婚に踏み切れなかったのは、亡くなったパパに申し訳ないと思ったからだろう。それと海ちゃんにも……でもそれは大人の事情。海ちゃんのことを知った心がよく言ってた。『なんであの子はいつも僕のお母さんと一緒にいるの?ずるい』って……」
私の耳に心の言葉が聞こえてくる。
『お前を川に突き落としたのは、この俺だよ。俺はお前のことを、ずっと憎んでいたからな』
心が言ったあの言葉は本当だったんだ。
「ごめんな……海ちゃん……」
お父さんが両手で顔を覆って、私に謝る。
「ごめんな……」
お父さん、どうして私に謝るの?
私はずっと幸せだった。ママがそばにいてくれたから幸せだった。
でも心は違ったんだ……